表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/49

人が自殺を決意するのは、心の底から疲れたとき。

 どこをどう通って、ここまで来たのか分からない。

 俺は、どこかの公園のベンチに座っていた。

 時刻は十二時三十五分。

 健一の家を飛び出してから丸一日が経っていた。

 あれから何も口にすることなく、冬の曇り空の下を闇雲に歩き回っていたため、俺の疲労はピークをとっくに越えていた。

 疲れ果てて、どこかで野垂れ死んでしまうのではないかと思ったが、人間は案外丈夫だ。

 これくらいの空腹と疲労では、どうやら死ぬ事は出来ないらしい。

 俺は、ぼんやりと空を眺めた。

 昼間はあんなに曇っていた空が、いまは綺麗に晴れていて、満天の星空が降り注がんばかりに輝いていた。

 その満天の星空を見ていると、急に自分の存在がひどく小さく無意味なものに思えてきた。

 一度その感情を持つと、あとは冷え切った心をその感情が満たすだけだった。


 気が付いたときには、俺は公園に落ちていたビニール製の縄跳びの縄を手にしていた。

 自分の体が今から何をしようとしているのか、容易に理解できた。

 寒さで敏感になった頬に、温かい何かが筋となって流れた。涙だった。

 俺は、ゆっくりと流れる涙を拭うことなく、フラフラと公園の隅に作られた藤棚に向かって歩みを進めた。

 その一歩一歩がとても大切で、とても貴重で、そしてとても儚いものなのだと感じながら、俺は歩いた。

 藤棚の下まで来ると、そこにあった休憩用のテーブルに昇り、手に持っていた縄跳びの縄を藤棚に掛け固く結んだ。

 生きる事への未練を断ち切るように、固く固く結んだ。

 縄跳びの縄を結び終えると、俺はそれを下に三度強く引っ張った。

 俺によって固く結ばれた縄跳びの縄は、びくともしなかった。

 これなら、俺の体重くらい容易に支えれることだろう。


 準備は整った。


 後は、これに首を掛ければいい。そうすれば、俺は楽になれる。

 ここで俺は、もう一度空を見上げた。

 季節柄、花も葉も付けていない細い藤の枝の合間から綺麗に輝く星が覗いている。

 俺その隙間に向かって、ゆっくりと息を吐いた。

 煙草を吸っているような真っ白な息が枝の合間を満たし、俺の視界から星が消えた。

 俺はそこから目を逸らせると、決心が鈍らないうちに思い切って縄に首を掛けた。


 その時だった。

 突然、俺の目の前に光が現れた。夜空に輝く儚く綺麗な星の光ではなく、乱暴で強くて目を逸らしたくなるような光だった。


「だ、誰だ!」


 俺は、自分の状況も忘れて叫んだ。

 たった今死を決意したはずなのに、俺は目の前の得体の知れない光に対して恐怖を覚えていた。


「…………」


 光は何も答えず、ゆっくりと藤棚に近付いてくる。

 俺は突然逃げ出したい衝動に駆られたが、足が凍り付いたようにその場から離れなかった。


「おい、こっちに来るな……」

「…………」


 光は一言も発さないまま、俺の目の前まで歩み寄ると、突然飛び上がった。

 それはもう見事なまでに無駄のない動作だった。

 飛び上がり、俺が立っていたテーブルに乗ったその光の主は、何の前触れもなく何の予備動作もなく俺の頬を平手打った。


 パァン


 乾いた音が公園に響き、ワンテンポ遅れて俺がテーブルから転げ落ちる音が響いた。

 俺は、たった今起こった出来事を理解できずに、テーブルの上から俺を見下ろす光を見上げた。

 真下から見上げると、俺が今まで漠然と光という言葉で捉えていたものの正体が分かった。それは懐中電灯だった。

 つまり、俺を張り倒したのは、その懐中電灯を持っている人物と言うことになる。

 懐中電灯を持った人物が俺を見つけ、俺に近づき、俺の目の前に飛び上がり、俺を張り倒したのだった。

 俺は、この一瞬で起こった出来事を、混乱する頭で必死に理解した。

 と、その時、テーブルの上に仁王立ちしたその人物が突然こう言った。


「死ね」


 辛辣で痛烈で冷徹な一言だった。

 その二文字に全ての感情を押し込めたような言葉だった。だが、この場合彼女がどんな感情を俺に向けていたのかは分からない。

 少なくとも、「死ね」という言葉は、今まさに死のうとしていた人間に対して使うには、余りに不向きと言えた。

 だけど、その言葉が彼女のものだとするならば、俺は自分でも驚くほど簡単に納得できてしまうのだった。

 彼女、巫美里かんなぎ みさとの言葉だったなら。



♦♦♦♦♦



 巫は、俺のクラスメイトだった。

 だが俺は、巫と話したことがなかった。いや、巫と話したことがないのは俺だけではないだろう。

 今のクラスメイトの誰とも、話しているところを見たことがない。あの宮野さんでさえ、巫との会話には成功していなかった。

 巫美里は無口だった。それが本来の性格なのか、それとも意図して黙っているのかは分からない。

 ただ、学校ではほとんど誰とも口を利いていなかった。

 そんな巫がたった今、俺に向かって「死ね」と言った。

 それは、普段の巫を知る者にとっては、大きな衝撃だった。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ