17歳の俺は、その日住所不定になりました。
「おい、叶。なんで千尋ちゃんに告白しなかったのさ」
前を歩いていた健一が、不意にそんな事を言った。健一の肩には、いつもの通学用の鞄ではなく、旅行用の大きな鞄が提げられている。鞄の中には四日分の衣類とお土産がパンパンに入っているはずなのだが、健一はそんな事気にする様子もなく歩いていた。
俺は今にも倒れそうだというのに。
俺、夢無叶と前を歩く山崎健一は、今、高校生活最大のイベントである修学旅行からの家路についていた。
俺達の通う北条高校は、毎年第二学年の二学期終了間際に北海道へ修学旅行に行っている。
今日の昼過ぎ、修学旅行の全日程を消化した俺達は、新千歳空港から地元の空港へ帰ってきた。そこからバスで学校まで帰り、後は各自徒歩か自転車かで各々の家路についていた。
俺と健一の家は隣同士なので、俺は仕方なくこのお調子者と一緒に帰っていた。
さすがに三泊四日の旅行が終わったばかりなので、このお調子者も少しは静かにしているだろうと考えていたが、甘かった。
辺りに同級生の姿が見えなくなった途端これである。
「何度も言っただろ。タイミングが会わなかったんだよ。
只でさえ宮野さんはクラス委員長で忙しくしてたのに、その上あの金魚のフンどもが四六時中宮野さんに張り付いてたんだぜ。そんな状況でどうやって告白しろって言うんだよ」
「確かに千尋ちゃんの人気は異常だよな。
だけど、本気で好きならそこを割り込んででも告白するべきだったんじゃねえか?」
「馬鹿野郎、それが出来るんだったらとっくに告白してるっての。
修学旅行なら隙ができるかもしれないってお前が言うから、俺は修学旅行にかけてたんじゃないか」
それなのに、俺は告白どころか宮野さんと口を利くことすらできなかった。
肩に提げた鞄がさらに重たくなった気がする。
「まあそんなに気を落とすなって、俺たちの人生はこれからなんだ。嫌なことがあれば、楽しいことだってきっとあるんだからよ」
健一はそう言うと走り出した。気楽そうに、身軽に走り出した。
俺と健一の家は、今歩いている路地を一つ曲がった先にある。つまり、目と鼻の先だ。
とは言え、日本の十二月の日の入りは早い。この時間既に日が沈みきり、辺りはかなり暗くなっていた。
そんな、見通しの悪い時間帯に突然走り出すとは、さすが健一だ。
俺は、健一の後をゆっくり歩いてついて行き、健一が曲がったのと同じ角を曲がった。
その瞬間、目の前に現れた黒い影と正面衝突をした。
衝突の衝撃と重たい荷物に体の自由を奪われた俺は、そのままアスファルトに尻餅を着いた。
「いててて……ホントにツイてないな。
あの、大丈夫ですか?って健一じゃないか。
お前って奴はただの一秒だってじっとしてられないのか。走って家に帰って行ったのはまだ分かる。だけど、走ってもと来た道を逆走するのはどういうつもりだ」
「叶、今は黙ってこっちに来い。マジでヤバいことになってんぞ。」
健一は、いつになく真剣な顔をすると、俺の腕を掴んで、俺と健一の家の方へ引っ張って行った。
疲労困憊だった僕は、健一に引かれるままその後に付いていった。
健一は少し走ると、すぐに足を止めた。そこは、勝手知ったる我が家の前だった。
「一体何だってんだよ。俺の家がどうしたって言うんだ。」
「いいからアレを見ろって。」
健一はそう言うと、俺の家を指差した。
俺は乱れた息を整えると、健一の腕に沿うようにして目線を動かし我が家を見た。
いや、違った。俺が目を向けた場所に、我が家なんてものは無かった。
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建造物としての我が家は、変わることなくそこに立っていた。
たけど、そこに家庭と言う意味での我が家が既に無くなっているという事を、家中に貼られた真っ赤な紙が物語っていた。
辺りは真っ暗だというのに、なぜかその文字だけは燃え上がる炎の様に俺の目に焼き付いて離れなかった。
俺は、情けないことにそこで気を失った。
♦♦♦♦♦
「え?叶んちの家族夜逃げしたの?」
健一の声が聞こえてきた。
俺は、ふかふかとした場所で横のになっていた。
意識がぼんやりとしていて、瞼が開かない。体がだるくて起き上がれない。
それなのに、耳だけはとても敏感に音を捕らえていた。
「しっ、声が大きいよ。叶君が起きたらどうするの」
「だって、仕方ねえじゃん。普通驚くだろそんな話聞いたら。
もっと詳しく教えてくれよ」
「お母さんもねあまり知らないんだけど。どうやら叶君のお父さんがかなりの額の借金を背負ってたそうなの。
噂じゃ億を越えるって。
それでね、あんた達が修学旅行に行ったその日の夜に、叶君を置いて三人で夜逃げしたらしいの。
夢無さんのお宅そんなに困ってるようには見えなかったんだけどね」
「マジでか……。
でも、そんな大事なことなんで叶に伝わってねえんだよ。普通、真っ先に知らせるだろ」
「それがね、お母さんが学校に電話したら、『旅行先での混乱を避けるため、旅行から帰った後に本人に伝えます』って言われて。
あんた達先生から何か聞いてないの?」
「いや、俺は何にも。
それに、叶の様子を見る限り、叶も知らなかったんだと思う」
「そうよね。
でも、なんにせよ可哀想なのは叶君よね。
修学旅行から帰ったら家族が居なくなってるなんて。気を失って当然よ」
「叶は、これからどうなるんだ?」
「どうなるのかしらね。取りあえず冬休みの間は家に置いてあげても大丈夫だけど、ずっとそのままなんて訳にはいかないしね。
高校に通う学費も無いでしょうし。今まで通りの生活を送るのは、難しいんじゃないかしら」
扉を挟んだ向こう側では、まだ健一と健一のお母さんとの会話が続いていたが、俺にはもうその会話を聞く余裕がなかった。
夜逃げ、借金、これまで通りの生活ができない、可哀想、扉の向こうから聞こえてきた単語が、バラバラになって頭の中をくるくると回った。
何が起きているのか分からない。
俺は捨てられたのか?家族に。
生まれてからの十七年、夢無家の初めての子供として可愛がられ、何不自由なく育てられ、ねだった物を買い与えられ、たまには喧嘩もしたけれど、そらでも必ず仲直りをした。
そんな仲睦まじい、お互いがお互いを支え合っていた家族に、俺は捨てられたのか?
まるで、要らなくなった家具のように。いくら愛着があっても、いくら長い付き合いがあっても、最後は無用な粗大ゴミとして捨てられる家具のように。
俺は、俺は無用な物として捨てられたのか?
その悲しい疑問が確信に変わったとき、俺は健一の家を飛び出していた。
頑張って書きました。
気に入っていただけると幸いです。
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