魔術、解析します
鬱蒼と木々が生い茂るなか、車輪が鳴る音が響く。合計で3つの馬車から成るそのキャラバンは森を越えた先にある街に行く途中であった。先頭の馬車には二人の男性が座っていた。
「しかし動物一匹さえ出てきませんね。これではゴルトスさん程の人を雇う必要がなかったかもしれませんね」
「腕を買ってもらうのはありがたいがね~。護衛としては暇なぐらいが丁度いい。戦わなくて済むほうがよっぽど楽だ」
「ははっ。それもそうですね。私共としても安全に荷物が運べるに越したことはありません。でも、噂に名高い戦闘を見れないのはざんね……どうしました?」
ゴルトスと呼ばれた青年は背中の長剣に手を掛けながら鋭い目つきで前方を睨みつける。放たれるプレッシャーに身じろぎながらもつられるように前方に目を向けると、そこには赤と黒の妙な恰好をした人物がいた。鍔の広い尖った帽子のため表情を窺い知ることができない。
「……ゴルトスさん」
「わかってる。何もしてこなかったらそのまま馬車を進めろ。もし、攻撃されたら……俺達の出番だ」
「はい、お願いします」
もしものための確認をしている間にもキャラバンは不審人物に近づいていく。ゴルトスの中では不審人物に抱く違和感が大きくなっていた。その人物が着ている服が古風なローブだと認識できたとき、彼は気づいた。赤色は模様ではなくあり得ない程大量の血で染まっているということに。
「~ッ!」
「驚いてる場合じゃねぇ! コイツは俺がなんとかする! さっさと逃げろ!」
「は、はいぃぃぃ! みなさん、馬車を」
「兄さん、大声出してどうしたの?」
ひょっこりと顔を出してきたのはまだあどけなさが残る少女。ゴルトスは彼女にひっこむようにと言おうとしたが、そこに影が割り込んできた。血染めのローブはそのまま少女に触れられる距離まで近づく。一瞬のことでまだ頭が追いついていない少女をしり目に、その人物は顔を隠していた帽子を取り払い
「あなた魔術師ね? 同じ魔術を扱う者同士、よろしくね」
輝くような銀髪を揺らしそう言った。
呆気にとられた三人は反応を返すのにしばらくの時間を要し、その間何の返答もないことに彼女は首を傾げるのであった。
「すいません。驚かしてしまって」
「そんな気にしないでよ! 誤解も解けたんだし。ねっワンダさん?」
「はい。こちらとしましても雷虎の毛皮や爪をもらいましたし……でも本当によろしいのですか? 雷虎の素材は滅多にとれない貴重品。謝罪の品にしてもこちらがお金を払わなくてはいけない程のもので」
「問題ない。私が欲しい部位は取ってある。それに……」
「それに?」
「寝ているところを襲われて意図せず戦かって狩った。どうも縄張りで寝てしまったようで……」
「「……」」
血をおとしたばかりの真っ黒なローブを着て、銀髪の女性は照れたように顔を指でかく。もっとも無表情のままだが。呆れて無言の二人の後ろで大きな笑い声が上がった。ゴルトスは笑い過ぎて目に涙を浮かべていた。
「あー笑った笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ。
俺はゴルダス。このキャラバンで護衛として雇われている。んで、こっちは妹の」
「ミトスだよ、よろしく~。兄さんと二人で傭兵業とかして旅してるんだ」
「よう……へい?」
困惑している彼女を見て、さもありなんとゴルダスは思った。自分はともかくミトスはとても戦いの場で活躍しているようには見えないからだ。今日も軽装に髪をあげるためのカチューシャと動きやすい恰好こそしているものの、線が細く傭兵という言葉が全く似合わない。本人はというと不満げに顔を膨らませている。
「う~ん、これでも『破法使い』の二つ名で有名なんだけどな~。戦場で舞う美しき蝶なのに~」
「俺達二人で『破法使い』だろうが。後半に至っては全くのデタラメだろ」
「それでしたら私共のツテを使ってミトスさんをそう宣伝しましょう。黒を白に塗りかえるくらい簡単ですよ」
「えっ! 黒を白に……って私はそんなひどく見えるの!? えっえええぇぇえ!? う、うそだよね? ねぇぇ!?」
ミトスは魔術師の肩を揺さぶって同意を求めているようだ。「ひどっ……くはな…」「はなし……てっ」「……くっ、くびぃ…」と途切れ途切れの声が聞こえてくる。もう放してやれ。顔が真っ青になってるぞ。
「はぁはぁ……。わ、私はルーシャ。げど……くとかい、じゅが得意な……」
ルーシャと名乗る魔術師はそこで事切れたのだった。
「へぇ~、ルーシャは一人で旅をしてるんだ。すごい!」
「それだけの実力があるってことか。って、考えてみれば雷虎とサシで勝負できるんだよな。当然っちゃ当然か」
途中ハプニングもあったがキャラバンの一行は野営地点まで到着した。ルンダの提案によりルーシャもこの一行に加わっていた。そして、ゴルダス、ミトス、ルーシャの三人はたき火を囲んで談笑していた。いわゆる見張り役をしているのだ。
しかし、ミトスはゴルダスが何故この面子を揃えたか薄々知っていた。
「聞きたいこと?」
「そう、ミトスの魔術のことでちょっとな」
やっぱり。兄さんは私が魔術を学び始めてから気にし続けていることがある。私も気にならないわけじゃないが、もう半ばあきらめている。私に才能なんてないって、そうミトスは自分を納得させていた。
「ひとつしか魔術が使えないなんてことがあるのか?
魔術には適正があるって話は聞いたことがあるが、基礎の基礎『魔力圧縮による着火』も出来ないなんてことがあるのか?」
「あります」
「そうだよなー。今まで数多くの情報を集めてきたがそんな話聞いたこともない。時には昔の魔術師が書いた古びた本を読み、時には現役の魔術師に聞いたが誰も知らなかった」
「あります」
「そう、だよね。私だって色んな魔術を使いたかったけど、どんなに頑張ってもダメだった。唯一使えるのは『物を壊す』魔術。傭兵業の傍ら色んな人に聞いたけどみんな返す言葉は同じ、ありますって……えっ?」
「あります」
「「えええぇぇぇぇえええ!?」」
兄弟の驚きを帯びた絶叫は夜の森に響くのだった。
「やっぱり。解析魔術も予想と同じ結果を示している」
「これどういう魔術なの? 何かが身体の中を通って行く感じがしてぞわっとするんだけど……」
二人が落ち着いた後、ミトスの周りには二つの白く光る輪っかが廻っていた。裏付けの証拠を得るため必要らしい。ゴルダスは軽い足取りで辺りの見回りをしている。長年、妹を悩ませ続けた問題が解決するとわかって有頂天なのだ。あまりの喜びようにミトスが若干引いていたのは内緒である。
「魔力の流れを調べる魔術。あなたの身体はひとつの魔法陣が形成されているのと同じ状態になっている」
「それ、って?」
「通常、魔術は魔力である程度決まった図形、魔法陣を描くことで発動する。描くときに用いる魔力は人の体内から生じるもので、個々で流れが違う。
あなたの場合、魔力の流れが『結びつきを弱める魔法陣』と同じ。魔術を使うため魔力を活性化すると勝手にその魔法陣が発動してしまう。」
「ちょ、ちょっと待って! 『結びつきを弱める魔法陣』? 『物を壊す』じゃなくて?」
「そう。どの物体も持っている現在の形であろうとする力を弱め分解する魔術。応用が利く魔術だけど複雑過ぎて使う魔術師が滅多にいない」
「そんなすごい魔術のわけないよ! 私みたいな才能のカケラもない人間が使えるわけない。きっと間違いだよ」
「いいえ。間違いでもなければ能なし役立たずのゴミクズでもないわ」
「そこまで言ってないよ!?」
彼女はポンポンとミトスの頭を撫でた。無表情ながらも母性を感じさせる眼差しに彼女は勢いを削がれ落ち着いていった。なんか騙された感があることは努めて無視する。
「大丈夫。ミトスは素晴らしい才能を持ってる。私も手伝うから頑張っていこう」
「……うん」
「次はあの枝を狙って」
「はい!」
キャラバンで一番後方の馬車では車輪の音に混じって乾いた破裂音が聞こえる。ルーシャ付きっきりの魔術訓練だ。昨日、ミトスが自分の魔術を完璧に操れるよう特訓するとゴルダスに宣言してきた。彼は覚悟を決めた眼をした妹を誇らしく思い協力は惜しまないつもりだ。しかし、ひとつ気になることがあった。
「ルーシャ。ちょっといいか?」
「兄さん、いま特訓中で!」
「ほんのちょっとでいいんだ。頼む」
「わかった。ミトスはコントロールの練習を続けてて」
「う~~ん、わかった……」
「ありがとう、お前の師匠はすぐ返すから心配すんな」
「ぜったい! 絶対だからね!? 遅くなったら的になってもらうよ!?」
「ははっ! そりゃ恐ろしい!」
「……私はモノ扱いですか、そうですか」
軽口を叩きながらもルーシャを連れて馬車内の簡易休息所に行く。二人で座ると膝が着きそうな程近いが簡単に軽食も食べられる場所だ。さっきまでやり取りで不満げにしていたがこちらの真剣な雰囲気を察して真面目な口調で疑問を投げかける。
「私に何か聞きたいことでもあるのですか?」
「ああ。お前さんについて知りたい」
「惚れた……というわけでもないですよね。聞いた話によるとそういった状態になると甘すぎて胃がもたれるそうですから」
「俺は甘酸っぱいって聞いたがね。いや、ふざけるのはここまでにして単刀直入に聞こうか。
何故、ミトスの魔術についてわかった? 言っとくが俺たちはもう何年もあの魔術について調べていたが手がかりひとつ掴めなかった。それを通りすがりの人間がポンっと答えを知ってて、ハイソウデスカ~と簡単に納得できるわけないだろ?
改めて聞こうか。その知識はどうやって手に入れたんだ?」
しばらくの沈黙。それを破ったのは銀髪の魔術師の溜息だった。辛辣な言葉に表情ひとつ変わっていない。
「正直大した話ではありません。言ってしまえば旅の目的に関わるというただそれだけのことです」
「目的?」
「私は『魔法』について調べています。同時に、『魔法』に至る可能性のある魔術をさがしているのです」
「『魔法』、ね。魔術師の最後の境地にして決して踏み込めない領域。でも、それは魔術師全員の悲願だろ。もっとも、夢物語のように荒唐無稽過ぎて『魔法』を研究してるやつは減ったと聞いたが。お前さんはそんな望みを叶えるため旅をしてるって言うのか。」
「いいえ」
ゴルダスの言葉を遮るような強い否定。こころなしかルーシャの魔力が揺らめいている。
「私は望みを叶えないために旅をしている。いえ、そのために生きていると言ったほうが正確ですね」
今度はゴルダスが沈黙する番だった。二人の間では緊張感が高まり気の弱い人間なら失神は免れない程になったころ、彼は声をあげて笑い始めた。
「はっはっ! すまなかったな。悪いやつじゃないってのはわかってたんだが念には念をと思ってな。戦ってばっかりいると疑り深くなってしょうがねぇ」
「いえ、悪気があったわけじゃないというのはわかっています。全ては妹さんのためでしょう? そもそも傭兵業だってミトスの能力最大限に活かせて、なおかつ守ることが出来るから始めたのでしょう?」
「そこまでばれてたか。ああ~なんだ、改めてよろしくなルーシャ」
「はい、よろしくお願いします。兄弟愛に溢れたゴルダスさん」
ゴルダスは差し出された手を握り返した。
「謝られついでにこっちも聞きたいことがあるのですが」
「ああ、俺の答えられる範囲ならなんでも答えてやる。ただ、俺の過去の恋愛事情と幼い頃ミトスのクッキーを勝手に食べた話については聞くな」
「……あからさまに何かあると言ってるようなものじゃないですか」
「ミトスはそれで魔術に目覚め俺は一か月のベッド生活になった」
「自分から喋ってるじゃないですか……。と、とりあえずゴルダスさん、あなた魔術使えますね?」
「ああ~わかるか、やっぱり。別に隠してたわけじゃないんだ。それに使えるのとはちょっと違うな」
懐から布袋を取り出す。正直なところこれは切り札だ。まあでも、ルーシャになら見せても良いだろう。それに……。
「んっ。……んっ、んんっ?」
布袋に動かすとつられてルーシャの目線が動く。右に動かすと右に、左に動かすと左に。これが魔力を帯びていて目的のものだとわかっているからだろう。猫のようで面白いがこれ以上は遊ぶのは危険だ。布袋にほとんど眼がくっついてしまっている。
「これは魔術について調べてるときに出会った鍛冶屋が作ってくれたものでな。魔力を流すだけで魔術が発動する便利な道具だ。確か、鍛冶屋は『刻印魔術』とか言ってたな」
紐を解いて2つの金属を取り出す。図形が描かれた小さな金属板にチェーンがついている。ルーシャは片方を手に取りまじまじと眺めている。
「これはヴァンターサイル鉱石?」
「純度5パーセントの安めのやつだけどな。それを剣に巻きつけると刻まれた魔術を付加することができる。いま手に持ってるほうが剣に風を纏わせ斬撃を飛ばす魔術。で、こっちは使うと剣から雷が生じる。当然、両方とも戦闘用だ」
「すごい。どっちの術式もゴルダスさんに合わせてある。これなら少ない魔力でも長時間使用が可能になる。これだけの技術が扱えるひとがまだいたなんて……」
「へぇ~そんなすごいもんなのか」
ただの偏屈じいさんだと思ってた。製作を頼んだときも有無も言わさず切りつけられてそのまま無言で作り始めたからな。あっという間に完成したからてっきり適当なものを押し付けて帰ってもらいたかったんだろうな、とゴルダスは推測していたのだ。
「うん、これなら、ッ!?」
「うおっ!?」
馬車が急に揺れ金属板に夢中だったルーシャがバランスを崩し倒れ込んだ。ここでちょっと状況を整理しよう。
二人は膝をつくほど近づいていた。
ルーシャは『刻印魔術』をよく見ようと前のめりな姿勢になっていた。
ゴルダスはとっさに倒れそうになったルーシャを受け止めようとした。
結果。
ゴルダスは倒れる勢いを殺すことはできずルーシャを抱きかかえたまま倒れ込んでしまった。背中の痛みこそあったが彼の脳内では別の警報が流れていた。
どこがとは言わないが柔らかった。旅人の身の上ではよく手入れできないはずなのに微かに香る爽やかな匂いが鼻孔をくすぐる。いや、違う! いま考えるべきはそっちじゃない! もし、もしこんな状況が誰かにでもみら、
「すいません、ちょっといいですか? そろそろ今日の休息地点に着き、ま……す?」
ノックとともにワンダが絶妙なタイミングで馬車内に入ってきた。沈黙する三人。それを破ったのはワンダの一言だった。
「ど、どうぞごゆっくり?」
彼は目に留まらぬ速さでドアの向こうに消えていった。言葉の焦りとは裏腹な楽しそうな笑みがやたら印象に残った。
「ま、まて!! 誤解だ!」
「その前に腕、離してください」
その後、ゴルダスはワンダと会うこと叶わず、怒り気味のミトスに遅くなった罰として練習の的にされた。あいかわらずルーシャは無表情だったが激化する妹の攻撃を止めようとしなかったので、間違いなく怒っているのだろう。
耳が少し裂けただけで済んだのは奇跡に違いない。
ルーシャとミトスは紙きれを覗き込みながら話していた。紙切れには簡略化された人間の絵が描かれていて、所々マーカーがつけられていた。
「ここを狙えば人体の構造上、動けなくなる」
「じゃあ足を真っ二つにしないようにここだけを魔術で破壊すればいんだね?」
「そう。そのため必要になるのが微細なコントロール」
「私にできるかなぁ? とっさのとき以外、ひとに向けて使ったことがないんだけど……」
「……ゴルダスさんに使ったのは?」
「あれは兄さんが避けてくれるって信じてたから」
とびっきりの笑顔をすると若干ルーシャが引いているのが分かった。ここ数日一緒に過ごす内に彼女の考えていることがよくわかるようになった。標準で無表情でも行動の端々には感情が見え隠れしている。簡単に言うと、とてもわかりやすい人間なのだ。ただ兄さんに向かって魔術を放っているときは、何を考えているか読めなかった。
でも、それだからこそわからないこともある。
「私があなたの特訓に付き合ってる理由?」
「うん。とても良くしてくれてるのはわかるんだけど、なんでかな?と思っちゃって。私の魔術がどういったものか答えてくれた時点でルーシャはもう私たち兄弟の悩みを解消してくれた。しかも、傭兵をするなかで効果的に私の魔術を使う方法まで教えてくれる。見ず知らずの人間にここまでしてくれるのはどうして?」
ルーシャはミトスの言葉を聞いて眼をぱちくりさせた。そして、しばらくすると微かに雰囲気が変わった。これ笑ってるときの顔だ、ミトスはそう感じた。
「兄弟そろって慎重ね。だからこそ傭兵業で有名になったのかもしれないわ。
……理由は簡単。私は探し物をしている。それが何なのかはわからない。だからこそ、こうやって訓練していることは意味あることなの。きっとそれが廻り廻って私の目的に繋がる」
「ん、んん?」
「とりあえずミトスと私と両方にメリットがあるから手伝ってるということ。それにまだあなたは自分の魔術を理解し切れていない」
ルーシャは紙切れを裏返し何かを描き始めた。しばらく描き続けるのを見ていたが話しかけても反応がない。ほっぺたを突いても反応がない。飽きてきたので魔術の練習をすることにした。手から魔術を放つイメージを作り魔力を活性化させ、目標である木の枝を狙い威力を加減する。破裂音と共に木の枝が折れ地面に落ちる。
ああー、失敗だ。半分繋がった状態で残そうと思ったのに。イメージが悪いのか威力も方向もぶれる。これじゃひとに向かって撃ったりしようものなら上半身と下半身が永遠のお別れをしてしまう。兄さんは過去のトラウマのせいか私の魔術を無意識のうちに避けられるらしい。……もう的にするのはやめよう。的と言えば、あのときルーシャはどことなく怒ってたような、
「できた」
「っと。なになに?」
ルーシャが渡してきた紙切れには黒い円が描かれていた。いや、よく見ると書き込まれている線や図形が多すぎて真っ黒になっていることがわかる。
「これは?」
「あなたの身体のなかにある魔法陣、正式名称は『悠久なる導きの顕現』。実戦でこんな複雑で時間のかかる魔法陣を描こうものならあっという間に殺されるわ。どんなにすごい魔術でも、ね。だからこそ、この魔術を息するように簡単に使えて感覚だけで範囲や威力を変えられるのはどれだけ有利になるかわかる?」
「えっ、えぇえー!? 間違いでしょ、そんな……」
「そもそも人体のなかで魔力の流れが魔法陣を描くのはかなり稀。普通に魔法陣を描くよりも工程が省けるからより速く魔術を発動することができる。逆に、これだけの力、きちんと制御しないと自分にも周りにも取り返しのつかない被害を与えてしまう。そうならないよう私は協力したい。これじゃ理由にならない?」
多分ルーシャの言っていることは全て本心なんだ、ミトスはそう悟った。彼女の目的に関わるということ、自分たち兄弟を心配してくれてること、それらが全てが本当だと。
幼い頃に両親を失い兄弟二人だけで生活してきた。周りの大人は、かわいそうに、まだ幼いのに、と形ばかりの優しさを示すひとばかりだった。そのせいか、まず疑うというのが癖になっていた。でも、なかには本当に心配してくれるひともいた。そういったひとたちや兄さんのおかげで私はこのただ破壊するだけ力に目覚めても正気でいられたんだと思う。
それでも、私は不安で仕方なかった。こんな暴力的な魔術しか使えないのは私のこころもそうだからじゃないか。何も生み出せず、ただ壊すだけしかできない自分はいないほうがいいんじゃないか、って。兄さんと傭兵業を始めてこの力が役に立てるようになってもその不安が薄らぐことはなかった。
ルーシャはそんな私に光を与えてくれた。道を示してくれた。疑うばかりだった私のこころに届くほど深く深く案じてくれた。それなら私は、その想いに対して私は、
「こちらこそお願いします! どんな訓練にだって耐えてみせるよ!」
真っ直ぐ答えていきたい。何かはわからないけどルーシャの目的に少しでも協力できるように。
私の返答を聞いて彼女は少し戸惑ったように頬を撫でるのだった。
とある訓練の合間。
「そういえばルーシャ。兄さんと何かあった?」
「どうして?」
「いや、ちょっとね。兄さんを的にしてたときから兄さんに対する態度がほんのちょっと変わったかな~と思って。ん、でもそれって兄さんに誘われて二人で馬車に入ってからになるのかな?」
「たいど?」
「そうそう。ご飯食べるときも兄さんが来ると表情硬くなるし」
「硬くなってる……」
「あっでも兄さんのほうもおかしいんだよね。ルーシャがいると一回、視線を離してから話しかけてくるし」
「……嫌われたのかな?」
「何か思い当たることでもあるの? 私で良ければ話を聞くよ。なんてったこの世で一番兄さんに詳しいのは世界広しと言えど私だけだからね!」
「おおー」
「さあそんなわけだから大地に置いてある大船に乗ったつもりで相談して! 兄さんの愛用している長剣を勝手に使っちゃって傷つけた? それとも夕飯のスープに自分の嫌いな具をたくさん盛り付けた? それともそれとも水浴びしている兄さんの裸をこっそり覗いたとか?」
「そ、そこまでのことはして……ない」
「そこまでってことはもしかして、もしかしてルーシャ!!」
「お~い、何大声で騒いでるんだ。魔獣が襲ってきたらどうする!」
「あ、兄さん」
「こんばんは、ダグラスさん」
「あ、ああ。ルーシャか、こんばんは」
「丁度良かったよ、兄さん。この機会に二人の間にあるわだかまりをスパッと解決しちゃおう!」
「いきなりなんなんだ? 何故そんなにテンションが高い?」
「とりあえず細かいことは無視して。ついでに途中の過程や個々の感情なんか取っ払っちゃって核心にいこう! ズバリあの日、二人きりの馬車内で何が起こったんですか!?」
「っ!」
「な、なにって普通に話しただけだ。旅のこととか魔術についてとか」
「ちっがーーーう!! 何をしたかじゃなくて、何が起こったか! 人目がない場所だからと言って二人とも自分からアクションを起こす性格じゃないことなんて鳥が卵から生まれてくるぐらい当然にわかってる! きっとその時に二人の仲を気まずくさせる予期せぬハプニングがあったに違いない。私はそう推測しました。さあさあ! お二人ともはいちゃったほうが気が楽になりますよ~」
「そんなわけないですよ。何もありませんでしたよね、ダグラスさん」
「ああ、そうさ。俺たちは無実だ。何もなかった」
「へーふーほ~ん。……ここまで追い詰められて何もなかったと言い張るんだね。だが! その程度で私の追及から逃れられるとでもい」
「すいませ~ん、ミトスさん。ちょっっといいですか?」
「……良いところでくぎを刺さないでください、ワンダさん」
「申し訳ございません。しかし、是非これはお伝えせねばと思いましてね」
「わ、ワンダ。お前まさか……」
「ダグラスさんとルーシャさんもせっかくのご歓談に水を差してしまい、申し訳ございません。いましがた、前回の行商のときに頂いたマールウの実を食べようということになりまして、せっかくならみなさんも一緒にどうかと思いまして」
「マールウの実!? あの甘くて瑞々しくてなかなか市場に出回らないあのマールウの実!?」
「はい。その甘くて瑞々しくてなかなか市場に出回らないマールウの実でございます」
「じゃっ! ルーシャさん、マールウの実が私を呼んでるから」
「お二人もぜひ来てください。ゆっくりで構いませんから。ゆぅっくりで」
「「……」」
「ワンダのやつ誤解したままだったな」
「そうね。……とりあえず思うことがあってもみんなの前では自然に振舞いましょう」
「そう、だな。ミトスの追及はもうこりごりだ。あいつ終始ニヤニヤしてやがった
俺達もマールウの実喰いに行くか?」
「はい。美味しいみたいなので楽しみです」
護衛の仕事も明日までか。今回は本当に色々あったなぁ、とゴルダスは一人見張りをしながら思い返していた。なによりも長年の悩みが消えてミトスが胸を張って過ごせるようになったのはとても嬉しい。自分の魔術に悩んでいたのを知っていたが今まで何もしてやれなかった。ルーシャには感謝してもし切れないな。
気づくとワンダがたき火の近くまで来ていた。
「ゴルダスさん、いままでありがとうございました」
「それは明日、街に着いてから言ってくれ。こっちとしても思わぬ収穫があったんでこの仕事はありがたかったがな。まあ報酬はきちんと頂くぜ」
「それは当然です。どうです? ここまで無事に来れた記念として一杯やりませんか?」
「いいな。……でも、」
ゴルダスは突然、手に待った長剣を抜き放つと身を翻し振るった。驚いたワンダの目線の先には真っ二つに断ち切られた矢があった。
「酒盛りはあいつらを倒してからになりそうだ」
夜の暗闇に紛れて人影が現れる。ある者は意味の分からぬ奇声をあげ、ある者は自分の獲物を振り回し、逃げ道を塞ぐようにキャラバンを囲んでいく。その数、ざっと数えて50人。あきらかに無法者ばかりである。ひとりが剣を構えながら出てきた。
「ああっ、と……。そこの剣士さんはこのキャラバンの護衛か? 俺たちが興味があるのは馬車の中身だけでね、邪魔しないなら無傷のまま故郷に帰れるぜ。どうだ、悪くない話だろ?」
「生憎とこっちも仕事でね。引くわけにはいけない。それに勝てる勝負を投げるほど馬鹿じゃないんでね」
「ああ!? なめてんのか!?」
騒ぎを聞きつけたからだろう、ミトスとルーシャが馬車から飛び出してきた。ミトスは両手を前に、ルーシャは髪と同じ銀色の杖を構え戦闘態勢を取る。
「兄さん、これは!?」
「見ての通りこのキャラバンを狙ってきたやつらだ」
「待ち伏せされてたみたいね」
一歩前に出ていた野盗はいきなりの参入者に驚いていたが、一瞬後には気味の悪い笑みを浮かべていた。
「へへっ。やっぱりさっき言ったことは取り消すぜ。そこの嬢ちゃん二人と馬車の中身をもらってくぜ。銀髪の女は珍しいから上玉になるだろうし、片方はちっとばかしガキくせぇがそういうのがす、ぐあぁぁああっ!?」
饒舌に喋っていた野盗が突然、足を抱え込みのたうちまわり始めた。目を凝らすと両足の脛の裏が刃物で切られたように傷ついていることがわかった。さびついたかのようにぎこちなく首をまわすと、目が座っているミトスの姿があった。
「うん、練習の通りにいったね。速さもコントロールも申し分ないし、しばらくあれは歩けないだろうから大成功」
「出来れば、スパッとやりたかったけどそれじゃ痛みが一瞬だもんね。ながくながく苦しんで欲しいよねやっぱり」
俺は何も聞かなかった俺は何も聞かなかった俺は何も聞かなかった! 暗黒面に落ちた妹なんていなかった。その隣でドス黒い雰囲気を醸し出していつもながらの無表情が百倍怖くなったルーシャなんていなかった!
「現実逃避は構わないですが、既に剣に刻印魔術巻きつけて振りかぶってるダグラスさんも言い逃れはできませんよ。顔が悪魔のようになっています」
うるさい。妹にゲスい視線を送るやつを前に正気でいられる兄は兄じゃねえ。
リーダー格が倒されたことで逆上した野盗共が一斉に武器を振り上げ迫ってくる。修羅三人と野盗五十人(ひとり脱落)の戦いの火蓋が切って落とされた。
これだけの人数差があればすぐに終わるはず、野盗全員がそう思っていた。しかし、いざ戦いが始まると一方的にやられるのは野盗側だった。見るからに腕の立つ剣士の男は複数人同時の攻撃を易々といなし斬りつけてくる。凄まじいのは男の剣技だけではない。男の持っている長剣は時に風を、時に電撃を纏い近中距離の敵を圧倒する。
加えて、その男に守られながら魔術を放つ女はより厄介だ。何の予備動作もなく気づくと体が刻まれている。的確に急所をついてくるものの殺す気はないらしく、逆にそれが野盗の苦しみを長引かせていた。女を叩こうとしても男が決して武器を通らせず、男を潰そうとしても女の魔術で気づいたら地面に横たわっている。長年一緒にいた兄妹だからこそできる息の合ったコンビネーションであり、野盗からしたら悪魔の連携だった。
いかにも魔術師然とした恰好の女に至ってはもう語りたくない。女が銀色の杖を地面に突き立てると魔法陣が広がり、そこから無数の水柱が噴出した。意思を持ったかのように水柱は蠢き敵と認識した者に襲い掛かってくる。矢を放っても魔術師の周りの水柱が全て弾いてしまい逆に野盗をひとりまたひとりと水の蛇に捕まっていく。水柱を打ちつけられて気絶した奴はまだ幸運、取り込まれて肺いっぱいに水を注がれた奴はまだ序の口、極めつけは全身を締め付けられ自分の体が軋む音を聞きながらも痛みで意識が飛ばない責め苦。三人のなかで最も容赦がなかったのは言うまでもなく、終始無表情だったため野盗には淡々と自分の役割をこなす死神に見えた。
「これで……全部?」
「はぁはぁ……。さすがにあれだけの人数は疲れたな」
「あの魔術はなに!? まるで水が生きてるみたいですごかったぁ」
「地下水脈の一部を少しだけ借りた。そうすることで魔力の消費を抑えることができる」
「おおー。すごーい!」
「お前ら、戦闘の後なのに元気だな……。そういえば、ワンダはどこだ?」
「ここだ!」
声がしたほうを振り向くと野盗のひとりがワンダの首にナイフを突きつけていた。恐怖のせいかワンダは涙を眼に浮かべて震えていた。
「妙な真似したらこいつを刺し殺してやる!! わかったら武器を離せ! 俺の言うことを聞いたらこいつを返してやる!」
「……わかった。これでいいだろう? さっさとワンダを返せ」
ゴルダスは長剣を地面に放り投げる。ルーシャもそれに習って杖から手を離した。ナイフを突きつけた男は二人の武器を見ながら薄ら笑いを浮かべる。
「いや、人質交換だ。こいつを返してすぐ斬られちゃたまらないからな。よし、そこの女、お前と交換だ」
「ミトスとだって!? そんなことできるか!」
「兄さん、でもっ……」
「そうです! 私のことは気にしなくて構いません。あなたたち兄妹が犠牲になることなんてないですよ!」
「うっせぇっ! 黙ってろ!」
「ぐっ!」
「ワンダ!」「ワンダさん!」
ワンダは野盗に殴られてグッタリしている。くそっ、俺達がいながらなんでこんなことに! どうすればいい? ミトスの魔術で奇襲を仕掛けるか? いや、駄目だ。下手すればワンダを巻き込んでしまう。条件をのむ? それだけ駄目だ、絶対。ミトスにそんな危険なことはさせられない。くっ……そうだ。ルーシャならもしかして。
ゴルダスは一縷の望みをかけてルーシャのほうに振り向いた。彼女は顎に手を当てて何か考え事をしているようだった。
「そっか。そうなるのか」
彼女はおもむろにローブに手を突っ込み、そこから水平に何かを投げた。それは真っ直ぐ飛んでいきワンダを捕えていた野盗の頭に命中。砕けたそれに何の反応も起こさず野盗は倒れた。
「「「へぇっ?」」」
あまりにもあっけない解決に兄妹は力が抜けそうになった。しかし、それを止めたのもルーシャだった。
「二人ともまだ終わってない。盗賊はまだひとりいる」
「えっ! どこ?」
ルーシャが指さしたのは先程倒した野盗ではなく、その隣にいるワンダだった。
「ははっ……何を言ってるんですか? 私は護衛を依頼したんですよ? むしろ盗賊に襲われるほうかと」
「あなたの隣の盗賊が寝ている原因わからないとは言わせません」
盗賊のそばには割れた瓶が転がっていた。なかの液体で湿ったラベルには『魔製瞬睡薬』と書かれていた。
遡ること数時間前。
「今日の晩御飯はなんですか?」
「うわっ!? ととっと」
「大丈夫ですか?」
後ろから急に話しかけられワンダは驚いて手に持ったものを鍋に落としそうになった。ルーシャが受け止めたそれは『魔製瞬睡薬』と書かれた瓶であった。
「えっとですね、これは……」
「いいです。わかってますから」
「えっ、まさか!?」
「うっかり間違って入れそうになったんですよね。そういう人、私の知り合いにもいました。もっとも本気で体に良いと思ってたみたいですけど」
「そう……です。やっぱり長旅で疲れて……」
「でも、駄目ですよ。この薬は効き目が強いですから常用には向きません。馬車に乗せてもらったお礼にワンダさんに合わせた睡眠薬を作ります。後、この瓶は預かっておきます」
「そんなっ! ……いえ、悪いですよ」
「遠慮しないでください。こっちが好きでやりますから」
「はぁ」
「あれはうっかりではなく、睡眠薬で私達を眠らせるつもりだったんですね」
「その時点で気づけ!」
「ついでに盗賊とも裏で組んでいたんでしょう。一応、キャラバンの近くには来ないよう倒していきましたからね」
「……ははっ。まさかそんなわけないでしょう」
表情を崩さないようにワンダはそう言った。しかし、どう考えても言い逃れできる状況ではない。彼自身今回のような依頼がなければ一目散にキャラバンに乗り込むだろう。
どうする? 逃げようとしてもすぐに捕まるのがオチだ。どうすればこの状況を乗り切れる? 無意識のうちにズボンのポケットに手を入れると指先に固い感触があった。それは彼が依頼主から「念のために」と言われてもらったものだった。
傭兵『破法使い』の魔術師ミトスを攫ってこいと依頼を受けたのはこの行商が始まる一か月前だった。商人と言うのは競争相手が多い。その中でのし上がるにはコネと金がどうしても必要だった。行商の規模を大きくして大商人の仲間入りをしたいと切望していたワンダはいちもにもなくこの高額な依頼に飛びついた。いかに腕が立つ傭兵であっても荒くれ者を雇い数で押せば訳ない依頼だと思っていた。加えて、道すがら偶然であった全身真っ黒な魔術師も一緒に誘拐し報酬の上乗せを求め、護衛の成功報酬を払わなくて済むというセコい……もとい、利益を上げる策を考えていたのだ。
なのに! こいつらのせいで全て失敗だ! あの仮面で顔を隠した胡散臭い依頼主からもらったものを使うのは気分悪いが逃げる時間稼ぎぐらいにはなるだろ。
それが自分の生涯最後の考えになると彼が気づくことはなかった。
ワンダが掲げた正方形の箱が鈍く輝き、その光がミトスに向かっていった。あまりに突然なことに彼女は咄嗟に動けず、迫りくる黒く輝くそれを見つめることしか出来なかった。
「くらええええええ!!」
「ミトォォォォォォォス!!」
いつの間にか瞑っていた眼を開けるとそこには見慣れた背中があった。いつもだったら安心できるはずの光景なのに今はどうしようもなく落ち着かない。そっか心臓の音がいつもより近くに聞こえるからだ。でも、どうしてだろう? なんで兄さんが自分にもたれ掛っているのだろう?
「兄さんっ! 兄さんっ!」
どんなときも守ってくれたゴルダスが力なく倒れている姿にミトスは狼狽し必死に無事を確認しようとした。急激に冷たくなっていく体を抱きしめる彼女は死の淵に立たされた魂を懸命に引き留めようとしているかのようだった。ルーシャが急いで二人に近寄り脈を取る。
「ルーシャ。兄さんは一体どうしたの!?」
「……これは呪法。それも特に厄介なもの。ワンダが死んだことを考えても、『一呪二逝』という呪法に間違いない」
「名前なんてどうでもいい! 兄さんは助かるの!?」
「発動者の魔力を致死量まで奪うことで完成するこの呪法は対象者の命を消すまで止まることはない。名称通り二人殺すまで」
「そんなぁ……やだよ、やだやだやだ! 私が魔術の使い方を覚えて兄さんも嬉しそうだった! これからの旅はもっと楽しくなるって言ってくれた! そんな優しい兄さんにまだ何も返せてない! 兄さんにはもっともっと幸せに生きてくれなきゃ私が生きる意味なんてないよ!」
ミトスは泣きじゃくりながらもその手をゴルダスから離すことはなかった。ルーシャはミトスを気遣いつつ杖をゴルダスに向けた。二つの白く光る輪っかが浮かび上がり彼の身体の周りを回って行く。すると、ルーシャの表情に若干変化が生じた。
「……なんとかなるかもしれない」
「っ! ほんと!?」
「ただし、ミトスの協力が不可欠ね。呪法によって植え付けられた魔力でゴルダスさんの魔力が弱くなっている。この歪な魔力さえ取り除けばゴルダスさんは助かる。あなたの『結びつきを弱める魔術』は物質的な結びつきだけではなく魔力のような非物質の結びつきにも影響を与えられる。でも、成功するには微細なコントロールが必要。少しでもずれればゴルダスさんの生命を繋ぎとめる魔力の流れを断ち切ってしまう。それでも、ミトスは魔術をゴルダスさんに魔術を使う覚悟はある?」
「そんなもの……覚悟なんて……」
ミトスはゴルダスをそっと地面に横たえ、彼の前髪に優しく触れる。そして、立ち上がりルーシャを真正面から見据える。
「覚悟なんてできてるに決まってる。兄弟二人で『破法使い』なんだ、ひとり欠けるなんて許さない! 私の魔術に兄さんを助ける可能性があるなら議論の余地なんてない。絶対に成功させて二人で旅を続けるんだ!
だから、ルーシャ!」
「わかった。全力でサポートする。ゴルダスさんが助かったらまた魔術について語り合おうね」
「そのときは三人で、だよ?」
「うん、ゴルダスさんも一緒に。
じゃあ始めよう!」
「てなわけで、兄さんが今生きていられるのは私達がいるからなんだよ」
「はいはいありがとよ。感謝してますよ」
「ゴルダスさん、それが人に感謝する態度ですか?」
「仕方ねぇだろ! お前らの買い物に付き合わされて財布の中身がすっからかんなんだよ!」
賑やかな市場のなかで男の悲しげな怒号が響き渡るのだった。
あの後、ルーシャとミトスの尽力によりゴルダスは一命を取り留めた。なんとか街にたどり着いた三人は事の顛末を兵士に話し、事実確認や取調べのため数日ほど街に滞在していた。
「まあまあ。盗賊の討伐報酬がでるからいいじゃん」
「殺してもいいと思った相手ほど死ににくいとわかりました」
「……全員重症だけどな」
ゴルダス達の話を受けて現場に向かった兵士が見たものは一歩も動けずほぼ屍のような野盗の成れの果てだった。嘘か本当か新米兵士がひとり気絶したらしい。取調べの高圧的な態度が変わったこととも関わりがあるのだろう。ともかく護衛が金目当てに雇い主を襲ったという疑いが晴れようやく自由の身になった。
しかし、わからないこともある。ワンダについてだ。
どうもワンダに依頼をした黒幕がいるらしい。が、死人に口なしとはよく言ったものでそこまでしかわからなかった。黒幕と繋がっていたのもキャラバン内ではワンダだけで目ぼしい情報はなにひとつ得られなかった。
ルーシャはワンダが使った呪法を気にしていた。呪法とは本来、相当な使い手でないと扱えるものではなくあの怪しげな箱だけで発動するのはおかしいらしい。死の一歩手前まで追い込まれた側としてはもう関わりたくない。臨死体験で見た花畑よりミトスの泣き顔が頭に染みついて離れない。当分死ぬのはごめんだ。
「それじゃ見送りはここまでで」
「そうか。元気でな」
「きっとまた会えるよ。お互い旅をしているもんね」
「二人とも気を付けて。これから鍛冶屋のところへ行くんでしょう?」
「ああ、ルーシャが教えてくれた魔法陣で『刻印魔術』を作ってもらうためにな」
ルーシャが滞在中に描いてくれた魔法陣はミトスの『結びつきを弱める魔術』の発動を抑えるものらしい。その魔法陣が描かれた『刻印魔術』を身につければミトスも普通の魔術師同様、他の魔術を使えるようになるんだそうだ。それを知ったミトスは嬉しさのあまりはしゃぎすぎルーシャの手を取り踊り始めた。二人とも眼をまわして地面に横たわっていたのは印象に新しい。
まあ俺も雷虎の皮を譲ってもらったがな。これで剣から雷が出ても手が痺れなくて済む。
「人の縁と魔力は同じ。様々なところを回り、形を変えても、本質は変わらない。
またいつか会えるまであなた達兄妹に幸多からんことを」
その言葉を最後に、銀色の髪をなびかせながら魔術師は去って行った。
俺達兄弟は彼女のことを忘れないだろう。ミトスは道を示してくれたことに、俺は命を救ってくれたことに。それ以外の様々な事も全部。
今度会えたらきちんと恩返しがしたい。奢ることだけでは返しきれてないから。そう言うとミトスはその通りだねと言って笑った。
今度会うまでに考えておかなければ、兄妹ふたりでできることを。
・破法使い
ゴルダスとミトスが傭兵業を行うときの名称。明るい性格と慎重な仕事ぶりで傭兵業界隈では評価が高い。長剣による力強い近距離攻撃と魔術による素早い遠距離攻撃のコンビネーションで敵を圧倒する。なお名称はミトスの魔術に由来する。
・ゴルダス
破法使いの兄のほう。武器は長剣と風、雷の刻印魔術。
普段は砕けた態度だが剣の腕は立つ。妹の魔術について調べるため旅をしてきた妹想いの兄。ルーシャのおかげでミトスの悩みが解決したことに喜びつつも今回知ってしまった彼女の新たな一面に戦々恐々。女性経験は皆無。
・ミトス
破法使いの妹のほう。扱う魔術は『結びつきを弱める魔術』。
普段は陽気な性格だが自分の魔術を肯定できず自己の評価が低かった。ルーシャのおかげで吹っ切れることができ自分に出来ることを模索している。反動で使うときは容赦なく魔術を扱うようになった。密かにゴルダスとルーシャが付き合うことを期待していた。