第四話 商店街という戦場
「日の丸菜々」に、昼時のざわめきが生まれ始めていた。
といっても、十人に満たない列だ。
だが、潮見橋商店街にとっては異変だった。
「最近ちょっと人、増えましたよね」
澪が言う。
「うむ。だが、まだ足りぬ」
ガルドは列の向こうを見ている。
商店街の入口付近。
遠くに見える巨大な建物――大型ショッピングモール。
ガラス張りの外壁が、陽光を反射して眩しい。
「いずれ、あれがこちらを飲み込む」
「もう飲み込まれてますけどね」
澪は乾いた笑みを浮かべる。
実際、商店街の空き店舗は増え続けていた。
文房具店は閉じ、惣菜屋も去年シャッターを下ろした。
「このままだと、夜市も今年で最後かも」
「夜市?」
「夏にやってる小さなお祭りです。昔はすごかったんですよ」
子どもが走り回り、焼きそばの匂いが漂い、
商店街が一体になったという。
「だが今は?」
「人がいない。やる気もない」
澪の声は、淡々としているが、奥に悔しさが滲む。
ガルドは腕を組み、考える。
戦場は城だけではない。
街そのものが、戦場。
「敵は外だけではないな」
「……どういう意味ですか」
「内だ。諦めだ」
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その日の夕方。
ガルドは店を早めに閉め、商店街を歩いた。
和菓子屋「松風堂」。
店主の老人は、テレビを眺めている。
「売れているか」
「ぼちぼちだよ」
声に張りはない。
金物屋。
工具は埃をかぶり、客の姿はない。
「若い人はホームセンターに行くからな」
銭湯。
煙突は立派だが、脱衣所は閑散。
それぞれに、誇りはある。
だが、灯が弱い。
ガルドの目に、再び“影”が見えた。
諦念。
疲労。
「どうせ無理」という声。
魔界でも見た。
敗戦前夜の、兵の目。
「……なるほど」
彼は呟く。
味の問題ではない。
価格でもない。
孤独と、諦め。
それが、この商店街を蝕んでいる。
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翌日。
澪が険しい顔で店に入ってきた。
「入口に、新しい弁当チェーン入るって」
「何だと」
「来月オープン。家賃、格安キャンペーンだって」
張り紙を見せる。
赤い文字。
“ワンコイン弁当!”
五百円。
ガルドの弁当より百円安い。
「勝てるわけないですよ」
澪は言う。
「量もあるし、広告も派手。うちは個人店」
ガルドは沈黙する。
魔王としてなら、方法は簡単だった。
破壊。
威圧。
屈服。
だが今は違う。
ここは日本。
娘が暮らす世界。
「撤退はせぬ」
「……またその台詞」
「だが、破壊もしない」
澪が顔を上げる。
「ではどうする」
「団結だ」
「……は?」
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その夜。
商店街の小さな集会所。
数人の店主が集まっている。
「今さら何をやっても無駄だよ」
「若い客は戻らない」
重い空気。
ガルドは立ち上がる。
「聞け」
低く、よく通る声。
空気が、わずかに震える。
「我は魔王だった」
「は?」
何人かが顔をしかめる。
「世界を滅ぼしかけた」
「帰ってくれ」
澪が額を押さえる。
「……続けてください」
「だが敗れた」
ざわめきが止まる。
「敗れた理由は、力ではない。心だ」
視線が集まる。
「恐怖で縛った軍は、崩れる。
だが、守るために立つ者は強い」
静寂。
「この商店街は、まだ死んでいない。
ただ、互いに背を向けているだけだ」
松風堂の店主がぼそりと呟く。
「……じゃあ、どうしろってんだ」
「夜市をやれ」
「もう無理だ」
「やるのだ。全店でだ」
ガルドの瞳は真っ直ぐだった。
「我が弁当屋は子ども向けを出す。
和菓子屋は限定菓子を。
八百屋は特価野菜を。
銭湯は延長営業を」
澪が続ける。
「SNSで宣伝します。若い人にも届く形で」
ざわめき。
「……できるのか」
「やらねば終わる」
ガルドは言う。
「敵は大きい。だが我らには顔がある」
顔。
名前。
声。
それはチェーン店にはないもの。
沈黙の後、松風堂の店主が笑った。
「……最後に一回くらい、暴れてみるか」
小さな笑いが広がる。
灯が、ほんの少し強くなる。
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夜。
店に戻ると、ひなたが待っていた。
「ぱぱ、おそい」
「すまぬ。戦略会議だ」
「せんりゃく?」
「祭りをやる」
「まつり!」
目が輝く。
ガルドはしゃがみ、娘の頬を撫でる。
「お前が笑う祭りだ」
ひなたは満足そうに笑い、ガルドに抱きつく。
その小さな重みを感じながら、ガルドは思う。
魔界の戦場とは違う。
ここでは、剣も魔法もいらない。
必要なのは――
「心か」
商店街という戦場で。
魔王は、初めて“団結”という武器を手に取ろうとしていた。




