4話
「よし・・・行ったな。俺が気を引くから併せろよ」
ウィリアムとその部下が離れて行くのを見送った後、アッシュがタイミングを見計らいながら声を掛けてきた。
「もちろん。それよりヘマするなよ」
大きな勝負の前、だからこそ軽く言葉を返す。いつも通りに落ち着いてやればきちんと成果は出る。ショーと変わらない。そして次の瞬間にアッシュが隠れ場から飛び出し、慌てている新兵の様な雰囲気を醸し出しながら、騎士が立っている階段の方へ駆けて行くのをジッと見続ける。
アッシュは騎士の方には直接行かず、階段の前を大きく一度通り過ぎかけると共に凄まじい勢いで、つんのめったかのように転げた。
場の空気が凍る。この重要な区画に見合わない雰囲気と装備の奴が突然現れたかと思えば、そうはならないだろうと思うほどに綺麗に転げまわったのだ、当然、静謐な空間がぶち壊れ、全員の目が転がったアッシュのもとに向かった。
「おい、お前!そこで何をしている!」
突然の珍客に対して騎士は慌てることなく、アッシュに向けて怒号を響かせる。当然だ、こんな怪しい奴に声を掛けないわけには行かない。彼らは今、槍を手にして片方が近づき、もう片方がやや後方で同様に構えながらアッシュを注視していた。
「アイタタタタタ!痛ってぇ!」
そんな彼らを意図的に無視したアッシュはそこそこの声量、一応せっかく離れたウィリアムたちが万が一にも戻ってこない程度の声と大げさな身振りでその場をかき乱し、階段から離れるように転がる。その姿は骨でも折れたのかと思う程に見事な芝居だ。そしてこの隙に自分も動き出す。
(今だな!)
警備兵の視線が完全にアッシュに引き付けられた瞬間、彼らの死角に潜り込むようにして駆けだす。着ている鎧は脱出などにも使えるように持ってきた紐でキツく縛り付け、擦れる音がしないように固定した。更には中に皇女のダミーも押し込んだことでズレが更に減って小さな音しかしない。オマケにアッシュが騒いでいるおかげで騎士には聞こえない。
「おい、いい加減にしろ!所属と名前、それになぜここに来たか言え!」
騎士たちは相変わらず大袈裟な演技をするアッシュに引き寄せられている。あまりにもアッシュが騒ぐものだから彼らの声も大きく、苛立ちが混じって聞こえた。
よくもまぁそこまで出来るもんだと心の中で思いながら階段の横、段差で生まれた影に潜む。そして階段の側面に手を掛けて、そのままよじ登っていく。それから騎士が振り返ったら見えてしまう場所の手前迄登ったところで手摺の下からコッソリと騒ぎの方を覗き込む。
(よし、見てないな)
大騒ぎこそ止まったがそれでも不自然過ぎるアッシュはそのまま騎士を釘付けにしていた。しかしもう余り長くはないだろうと判断する。流石に誰何を問われるだけでは時間は稼げない。それにこの瞬間にも騎士たちが普段通りに戻ってしまうかもしれない。そうなれば流石に自分も見つからないとは言えない。
階段の側面から手摺に手を掛けて跳び上がる。そして振り返る事なく一気に残りの階段を駆け上がった。
(ふぅ、両階段で助かった。これがまっすぐだったら流石に無理だったな)
皇女のいる部屋に続く廊下に降り立った後、直ぐに周囲を見渡しながらそう思う。弧を描くような形の階段だっただけに、登ってしまえば姿は見えなくなる。そのお陰で助かった。下からは再び怒ったような声を出す騎士の声が薄っすらと聞こえてくる。どうやらアッシュはのらりくらりと時間を稼いでくれているようだった。とはいえ余裕が有るわけではない。ここからが本番、アッシュなら必ず切り抜けると信じて皇女が待っているはずの部屋へと急ぐ。
「あれだな」
皇女の部屋はあっという間に見つかった。そもそも廊下は余り広くはなく、扉も少ない。そして目的の部屋は此処です、そう言わんばかりに綺麗な装飾をされた大扉はこの廊下でよく目立っていた。
「とりあえず、ノックっと」
大扉をトトトトン、と連続で叩く。しかしこれといった返事が無く、首を傾げる。
「・・・聞こえなかったかな?」
弱い力でやったとは思わないが結構な大扉、厚さも結構ありそうだ。そして帝国の皇女の部屋と考えれば、広いに決まっている。それこそ、皇女が奥にいたら聞こえなかったかもしれない。
「もう一回いくか」
そして先程より力を込めて叩こうとした瞬間、大扉の向こうから声が聞こえた。
「・・・誰ですか、警備はいらない、そう言ったはずですが」
随分と綺麗な声だった。団員のエヴァも水精族らしく綺麗で通る声をしているがそれとは少し別の澄んだ声で静謐、それでいて儚さを帯びていた。
「依頼を受けてアンタを誘拐しに来たのさ」
少しだけ、予想外の声色に返事が遅れてはしまったが直ぐに平静を取り戻してそう答えた。すると少しだけ悩むような間があった後、大扉が僅かに開く。
「・・・本当に?アガパンサス団の方が?」
扉が少し開いたお陰でよりはっきりと彼女の声が聞こえる。やはりかなり良い声で不思議な心地良さがあった。成る程、これだけでもお姫様を名乗れそうだと思ってしまう。しかし当然と言うべきか彼女の声には困惑と疑念が混じっているように感じられた。
「そうさ。まぁ、証拠は無いけどここまで来たのが証拠にならないかな?それと時間があまりないから開けてくれると嬉しい。見つかったら流石に無事では済まなそうだしね」
事実、少しでも早く此処から離れてしまいたい。ショーもそうだがいつ、あの騎士団長が戻ってくるかも分からない以上、長くはここにいられない。アッシュたちの騒ぎも聞こえなくなった。
「・・・分かりました、どうぞ」
疑念8割、此処に来たという証拠で強引に納得させたものが2割と言った声色だ。それでも扉を開いてくれた辺り、箱入りなのは間違いなかった。しかし、そこを突く意味も無く、開かれた大扉の隙間からスッと体を部屋の中へと入れる。
「・・・初めまして、私、ミラ・セイリオスと申します」
部屋の中で対面した皇女はそう言うと綺麗な礼と併せて名前を名乗ってくる。初めて対面した彼女は白を基調に新緑で縁どられたローブを着こんでおり、深いフードからは辛うじて口元が見える。背はあまり高くなく、不自然なほどにフードの奥が暗くなっている事と全身を隠すような服装のために、一目で彼女だと判別するのは難しい恰好をしていた。尤も、布の素材が見るからに良質なのが分かってしまい、平民は疎か下級貴族にも見えない。どう足掻いても高位の者が身を隠していると分かってしまう。
「俺はルーク。準備は、出来てそうだな。ちょっと待っててくれ」
恰好はどうしようもない。そして折角ならもう少し彼女と喋って警戒を解きたい気もするが場所を思えば難しい。仕方なしに急いで胸当ての隙間から音声装置を取り出すと部屋の中に有った立派な椅子に乗せて扉を開けられても一目では見えないように背凭れで隠す。そしてかなり簡易ではあるが椅子の左右からはドレスが広がっているように布を置いて、人が座っているように見せかける。
「・・・何をしているのですか?」
作業をしていると後ろからミラがどこか困惑気味に聞いてきた。
「騎士が声を掛けてこない、なんて言えないだろ?そのために外から声を掛けられた時に反応する身代わりさ・・・よし、これで大丈夫だな。見ててみな」
電源をいれる。そして少しだけ声を張りながら喋りかける。
「姫様、ご機嫌はいかかですか?」
「今は機嫌が優れないの!喋りかけないでちょうだい!」
やや癇癪を帯びた女性の声が返ってくる。背中越しにはミラが驚いたような声を出したのが聞こえた。
「んん~作動はするけど、ちょっと声が違うかぁ・・・まぁ、一回でも騙せれば、良いか」
一度電源を切る。実際に聞いたミラの声とはあまり似つかない。というよりミラの声が芯がありながら透き通った儚げな声過ぎて予想外、という具合だった。どちらかと言えば力強さの目立つエヴァの声とは合わない。皇后の印象に引っ張られすぎたかもしれないが装置自体は良く作られているように思えた。
「・・・大丈夫、なのでしょうか?」
恐る恐るといった具合でミラが覗き込みながら喋りかけてくる。もしかしたら声の感じが彼女からしてもちょっと稚拙に聞こえてしまったのかもしれない。
「わっかんねぇけど、やるしかない、かな。どっちにしろ長く騙せるとは思ってないよ。さ、こっからは静かにな。抜け出すぜ」
振り向きながらミラにそう言えば本来の目的を思い出したかのように彼女はハッとした後、頷く。
「はい、よろしくお願いします」
それを聞いてから電源を入れ直し、少しだけ扉に近いところに置いてから彼女を引き連れて部屋に取り付けられたバルコニーへの扉を開く。
「うーん、行けるかなぁ・・・見張りも、大丈夫だな」
手摺から身を乗り出して下を確認する。遠くからはショーの音に大人数の歓声が響いてくる。多少の音ならば誤魔化せてしまうだろう。そして眼下は薄暗く、よく手入れされた中庭は身を隠すにはもってこい、ただ飛び降りれる高さではない。
「そこから行くのですか?」
同じように手摺までやってきた。ミラが恐々と聞いてくる。
「あぁ、だけど安心してくれ、流石に俺も飛び降りられるわけじゃないからな」
そう言いながら紐を取り出して手摺に結びつける。
「兎に角、降りられるとこまで行って、後は様子見しながらだな。流石に上は警備がキツイからそこは外から一気に行きたいんだ」
そしてミラに向けて手を差し出すと彼女は小首を傾げる。
「俺が抱えて降りるよ。流石に紐一本で降下したことは無いだろ?」
「あ、そう、ですね。お願いします」
理由を言えば彼女は素直に手を握ってきた。握られた彼女の手は手袋をしていたが柔らかく、思い切り握ったら折れてしまいそうなほど華奢に感じられた。そして彼女の恐怖が直に伝わってくる。
「そんじゃ行くぜ」
申し訳ないとは思うが彼女の恐怖に付き合ってあげられる時間がない。彼女の体を引っ張って抱き寄せると「きゃぁ」と小さく可愛らしい悲鳴がした。その際に花の様な香りが鼻をくすぐった。それらを無視しながら互いの体に紐を巻きつけて慎重にバルコニーの向こうへと降りていく。
壁に足を着け、暗闇を見つめながら降下する。ミラは小柄な事もあってとても軽いがそれでも人を1人抱えて紐一本で降りていくのは至難だ。一歩でも違えれば高所から自由落下、当然手に力が籠り、額に汗が滲む。それはミラも同じなのか、自分の服をがっちりと掴みながら痛みに耐えるように目を瞑り続ける。体も硬直しており、全身に力が入っているのがわかる。しかし、その方が今は都合が良かった。力が入っていない人間のほうが遥かに持ちにくいものだ。
城の中腹の辺りに来る頃にはすっかり息も荒くなってしまい、紐も流石に限界が見えてきた。ここまで来る間にも人がすんなり入れそうな大窓がところどころあり、バルコニーの類もあった。しかし人影や不動の警備兵の目が直ぐの場所も多く、簡単に入るわけにはいかなかった。それにあまり遠くまでは見には行けない。紐の近くに良い侵入場所があるよう祈るほかなかった。
「ハァ、ハァ・・・良い場所は・・・」
落ちないよう、手に力を籠めながら必死に視線を動かして探していると数あるうちの1つ、明かりこそ点いているが窓から見て、誰も居なさそうな部屋が見つかった。隅々まで見えたわけではないが雑多としており、音はしない。危険は承知、加えて腕も限界が近く、ここで勝負を仕掛ける必要があった。
「悪いけど先に入ってもらえるか?」
未だにしがみ付きながら目を閉じていたミラに小声でそう声を掛けると一瞬、ビクリと彼女が反応して紐が軋む。
「え、えっと・・・そこですか?」
恐る恐るといった雰囲気で目を開いたミラは周囲へ視線を回すと自分が指示した窓、一番近くにあったそこを指さす。彼女の動きで発生した揺れにグッと力をいれて耐えながら彼女の疑問に頷いて答える。そして、両手でしっかりとロープを掴み直すと彼女が入り易いように体に力を込めて足場になってやる。
「ジッとしてるから、俺を足場にして中に入ってくれ。ゆっくりだっていいぜ」
ニヒルな笑みを浮かべながら言いはしたがミラはかなり不安そうな顔を浮かべてその瞳を恐怖で揺らす。しかし直ぐに覚悟を決めたのか、深呼吸を一つすると唇を横に結んで牛歩のようにゆっくりとではあったがしがみついていた体勢から体を起こして、窓に手を掛ける。
窓は若干建付けが悪いのか、軋むような音を出したがおおむね問題なく開いた。そしてミラが自分を足場にしながら体を部屋の中へと滑り込ませていく。場所が場所なだけにかなりゆっくりとしたものではあったが彼女は立ち止まる事だけはせず、下から目を背けながら中へと滑り込んでいった。そして1人になった後、少しだけ勢いを付けてから窓に手を伸ばして枠を掴み、彼女の後に続いた。
「ふぅ・・・何とかなったな」
落ちなかった達成感と地に足がつく安心感からため息のように大きな息を吐いてしまう。実際、呼吸は荒く、体は汗まみれだった。慣れない鎧も今はただの重り以外、何者でもない。自分の横ではミラが思い出したかのように息を荒げており、彼女は既に大冒険を終えた後の様だった。
「ちょっと待っててくれ」
地べたに座り込む彼女に声を掛けてから返事も待たずにロープにマッチで火を付ける。そうすると特殊な作りになっていたロープは直ぐにほんのりとした赤を点しながら駆けあがっていき、証拠となる自分の体を灰に変えて宙に舞わせた。それを見届けてから部屋を確認する。部屋はそれなりに広く、雑貨が散乱していた。休憩室のようにも見えるがそれにしては汚れており、統一感がない。どちらかと言えばサボり部屋のほうがしっくりと来る。机には遊んでいたのかカードが散らばり、近くには酒瓶まで転がっていた。
「さっきまでいたかな?」
人はいないがその名残がある。おおよそ今は仕事に出ているのだろうと思える形で閑散としていた。
「ちょっと休んでから行こう。俺は扉から見張ってるから、立てる様になったら来てくれ」
部屋の探索を終えてから窓のもとに戻るとミラはまだ地面に座り込んでおり、直ぐに動けるようには見えなかった。自分も流石に彼女を背負って走る自信は無く、コクリと頭が縦に振られるのを見て安心する。思ったよりも根性はあるかもしれない。彼女の姿を見てそう思った。
それから暫くの間は唯一の出入り口である扉を少しだけ開きながら顔を廊下のほうへと出し続ける。どうにも廊下自体が閑散としており、警備の人間の気配もない。どうやら穴場らしく、だからこそサボリ部屋として成り立っているのかもしれないと思えた。事実として此処を知っていなければ外から侵入しようとは思えない。仮にそうであっても壁を伝って来るには難しい高さで、城は壁登りを出来るようには作られていない。空でも飛べるのであれば話は別かもしれないが少なくとも個人で空を飛ぶのは聞いたことがなかった。
「あの、もう大丈夫です」
立ち上がる音がして振り向けば息を整えたミラが近寄ってくる。足取りもしっかりとしており、走ることになっても多少は問題なさそうに見える。
「よし、なら行こう。ここからはスピード勝負だぜ」
そう言って先に廊下に出て辺りを改めて見渡す。
(人の気配は無し、走れるな)
それから後ろへ振り返り、ミラへ手招きをする。そうすれば彼女は素直に部屋から出てきてくれた。
「ちょっと時間が無いから走るよ、着いて来てくれ。走れるよな?」
言ってから気が付くが彼女は皇女、もしかしたら走ったことなど無いかもしれない。そう思ったが彼女は頷き返してくる。
「ならいいか。行くぜ」
そうしてミラを引き連れながら階下を目指した。
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