2話
会議が有った日から数日が過ぎた。澄み渡る空を悠々と飛びながらアガパンサス団は順調に旅の目的地であるセイリオス帝国の帝都が見える場所へと辿り着いた。空から見下ろす帝国は、その国力を示すように切り開かれた平地に広々と築かれている。帝都の周囲は侵略者や魔物の襲撃に備えて円形の3重の塀でがっしりと囲み、その中心に大きく、堅牢なことが傍目にも伝わってくる城が天を突くようにして伸びていた。
城を囲むようにして無数の建築物が所狭しと立ち並び、整理された通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。帝国城に近いほどに建物は背が高く、豪奢に作られているのがよくわかる。また、外周に近いほどに雑多とした雰囲気を受け、そういったところは何処の国も同じように見えた。しかし外周に向かうにつれて増えていく家から突き出した煙突からは煙が無数に立ち昇っており、世界一の大国の活気を見せていた。これが他国ならば火事か戦争でも起こっているのではないかと勘違いしてしまいそうなほどで思わずため息を零す。
塀に近づくにつれてアガパンサス団の飛空艇がゆっくりと速度を落としながら帝都の上を進む。事前に通達こそされているが敵意がないことを行動で伝えなければ帝国兵たちに攻撃されてしまう。そして住民たちの多くが住んでいる帝都の上を通れば皆そろって空を見上げており、元気な子供たちは屋根に乗ってこちらへ手を振っているのが見えた。
帝都中に自分たちがショーをすると通達されていることと、建国祭の賑わいがより一層彼らを高揚させているようで街中の温度が上がった様にさえ思えた。庶民にとってはこういった催しは貴重な娯楽だ。例え世界一の大国であっても庶民というのは大抵何処も変わらず、日々齷齪と働く。それ故に公的に騒げる祭というのは一層盛り上がり、彼らも日々の苦労を忘れるように騒ぐ。また、生まれてからその町を一度も出ないことなど珍しくもないのだから外から来たものに興味を示すのも当然だ。
「おーい、ルーク!もう着くからお前も準備しろよ!」
飛空艇の甲板で手すりに凭れ掛かりながら眼下を眺めていた自分にアッシュの声が聞こえる。寄りかかっていた体を離してそちらを振り向くが何かのついでだったのか、アッシュはすでにこちらを見ておらず、その手に荷物を抱えて船の中へ戻っていく後ろ姿だけが見えた。
「了解」
態々大声で返すほどでもなく、かといって返事をしないのも決まりが悪い、そんな声は船が風を切る音に紛れて消えた。
同じ姿勢で固まってしまった背筋を伸ばし、もう一度だけ城のほうを眺めながらこれからの仕事に思いを馳せる。ショーも誘拐も今までで一番の大仕事だ。緊張で震えはしないが胸の奥が僅かにざわつく。それを深呼吸で吐き出してからアッシュが向かった入り口へ足を向けた。これから帝国を出るまでは気を休めることが出来そうにはなかった。
帝国側の案内で降り立った船着き場は自分たちがショーをする中央広場にほど近く、見える限りでは道幅もかなり広かった。これならば仮に飛空艇の荷物を全部下ろしたとしてもまだ余る、そのくらい広く見えてこれだけでも帝国の強大さがよくわかる。娯楽に力が入れられるのは強国の証だ。
「ちょっと、ボケっとしないで」
後ろから声を掛けられる。首だけ振り替えれば眉間に皺を寄せた妙齢の美人が立っていた。彼女は長い透き通った青髪を棚引かせ、同じように青みがかった透きとおるような肌を晒しながら手に荷物を抱え込んでいる。
「ごめんエヴァ。帝都は初めてだからさ」
軽く謝ってから歩き出す。彼女はエヴァ、水精族の女性でこのアガパンサス団では演劇担当の女優だった。気が強いところもあるが面倒見がとてもよく、女優としても人気だ。
「そうだっけ?アンタが入ってから結構な時間が経ってた気がしたけど」
エヴァが横に並びながら小首をかしげる。美人だとそんな姿もよく様になる。
「ほら、俺が入った時は地方に力を入れてただろ?だから主要都市ってあまり行ったことがないんだ」
アガパンサス団が地方を巡っていてくれたお陰でスラムを彷徨っていた自分がなんの気まぐれか拾われることになったのだ。奇妙な縁だったが良い縁だったと心底思っている。
「そっか・・・そう思えば私も大舞台は久しぶりね。それでアンタにとっては初めての大舞台ってわけだ」
「そういうこと。でも楽しみだよ」
エヴァと喋りながら荷物置き場へと向かう。彼女はアッシュが兄貴分の代表なら姉貴分の代表といった感じだった。実際、自分がこの船では一番の年下で末っ子、他の団員全員が兄姉のようなものだ。認めたくはないがアンガスのような奴も一応は兄貴分に見てはいる。
「それならいいけど。ここの中央広場は上から見るよりも遥かに広く見えるから覚悟しておくことね。それに人の数も。チケットよりも明らかに多くの人が見るからね」
そう語るエヴァはその時のことを思い出しているのか少しだけ懐かしむような目をしていた。悪い記憶ではないのだろう、どこか誇らしげな表情だ。
「そんなにかぁ・・・ま、俺なら大丈夫さ!」
意気揚々に口を開き、自信に満ちた顔を浮かべてやる。そうすればエヴァの表情もゆるむ。
「そうね、昔からアンタは緊張とは無縁な奴だった。じゃぁ、まずはキビキビと荷下ろしをしてちょうだい」
エヴァはそう言うと荷物置き場に荷物を置いて、背中越しに手を振りながら別の作業場へと向かっていった。
「よぉしテメェら全員揃ってるか?」
ボスの声が響く。一旦作業を終えて今は中央広場の裏手に団員たち、道具の音を響かせている大道具担当以外の団員が集まっていた。
「これから夕方のショーの時間までは空き時間だ。演者はそれぞれの演目の確認と体調を万全にしとけ、間違っても舞台でつまらん失敗はするなよ」
ボスがそういえば団員たちも元気に声を出して返事をする。皆、気合いは十分で普段物静かな奴らも本番を前にどこか高揚しているように見えた。
「よし、それじゃあ一度解散する。俺はこの辺りにいるから何かあればすぐに来い。それと街に出ても構わねぇが遠くには行くなよ」
そうしてこの場は解散となった。
「どうすっかなぁ・・・」
三々五々に分かれていく団員たちを眺めながら頭の後ろに手をやり、本番までの時間の使い方に思考を割く。視界の先では鳴嚢族や奏眼族の連中が各々の楽器を手に演奏の確認をしている。彼らの演奏はアガパンサス団において縁の下の力持ちであり、表に出て注目を浴びる存在ではないが劇や歌は勿論、舞やアクロバットの時でも場を常に盛り上げてくれる。彼らは種族の特徴と言ってもいいほどに音楽が好きで、全員が自分の腕に誇りを持っている。楽器だけではなく、彼ら自身の体でも音を奏でる部位があり、喉を自分の顔よりも大きく、風船のように膨らませて音を出したり、大ぶりな背中の羽を素早く擦り合せて音を出すこともできる。尤も、こちらは大事な時、それこそ求婚や身内に目出度いことがあった時に奏でるくらいで、ショーなどでは普通に楽器を使う。今回は久しぶりの大舞台な事もあってか張り切っているようで聞こえてくる音色もどこか力が漲っているように聞こえる。
そんな彼らの反対側には先ほど一緒に話していたエヴァが演劇の仲間と共に衣装を確認していた。彼女自身、歌も劇も熟す人間でその彼女を取り囲むのは彼女と同じ精霊種を中心としたグループだ。水精族などの種族はその在り方を性格に例えられるように、感情表現が豊富だ。風のように、水のように火のような、などと感情が表現されるように彼女たちに合った役割を任せれば他の種族の追随を許さないほどにぴったりと役が嵌る。彼女らの劇も結構な人気で小規模の箱は勿論、様々なところで劇をやってきた。彼女たちも大舞台ということで力が入っている様で今も真剣な顔で衣装やセリフの最終確認を進めていた。
他の面々も基本的には忙しいのか、あちこちに行ったり来たりしており、下手に声を掛けたら邪魔にしかならない事が想像出来た。あのアンガスでさえ、船を降りてからは中央広場での舞台づくりに集中しており、他の大道具担当と同様にとても声を掛けるような雰囲気ではない。彼らにとっては今が本番だ。かといって一番声を掛けやすそうな人物、一緒に舞台で剣劇をやる相方のアッシュは集まりにはいたはずだが早々にどこかへ姿を消していた。これ自体はいつも通りと言えばいつも通りで逆に安心感があるが今は一緒に居てくれたほうが暇が潰れて良かったように思えてしまう。
「ちょっと、街でも見てみるか」
この場ですることがなく、そんな人間が突っ立って居たら気になるかもしれない、そう思い、足早に帝都の方へと足を進めた。
「へぇ~流石世界一の街だなぁ」
頭の後ろに手をやりながら街中をぶらぶらと歩く。帝都の中心に居ることもあってかその賑わいは強く、建国祭と併せて一層活気に溢れているように思える。帝都の街並みは背の高い石やレンガ作りの家が建ち並び、いくつもの煙突が飛び出している。家同士の間はあまりなく、ほとんどの家が密着するようにして建っていた。これが舞台に近い、いわゆる貴族街なら道でしっかり区切られているが普通の住民は人口の影響もあってか大通りを除けば人が1人通れるか、といった具合の横道がほとんどだ。これなら屋根の上を走ってしまったほうが早く移動できるかもしれないと思えてしまう。
大通りには屋台が立ち並び、威勢の良い商人の声が響く。並んでいる屋台の種類は豊富で食い物が多く見えるが中には工芸品や遠くの品物にアクセサリーなども展示されていて華やかだ。このあたりの商人が多いのだろうが自分たちと同じように遠いところから態々この祭りのために来た商人も多くいそうだ。
「おい、のろま、早くしろ!遅れちゃうぞ!」
人ごみを掻き分けるように出歯族の子供が手に何やら工具箱の様なものを持って自分のすぐ近くを抜けていく。恰好は薄汚れており、灰色の毛並みが更に汚れて見える。種族としての特徴である出っ歯、ぼろぼろのオーバーオールに穴の空いたハンチング帽を被り、隙間からは縦長の耳が突き出していた。金を持っているようには見えない。しかしスリをしているような雰囲気にも見えなかった。
「ま、待ってよ!ボクはそんなに速く、走れないよ」
出歯族の子を追いかけるようにしてもう一人子供が自分を追い越した。こちらの子はうっすらと汚れたやや黒っぽいローブを着こんでおり、身なりがいいとは言い難いがスラムの子供というにはどこか奇妙で元の服はある程度質が良い物だったのではないかと思える物だった。そして大きな三角帽子を被っていた。これは魔法使いが自分の存在をアピールするために好んで被るもので少なくともスラムに住んでいるような子が被るものではない。先ほどの子とは明らかにランクが違う。もしかしたら拾っただけかもしれないが魔法使いでないなら下手に目立つだけで得がない帽子だ。特にスラム住まいなら目立つのは避ける。自身の経験からしても異質で目を惹いた。
「まったく仕方ない奴だなぁ、ほら、こっちだ、急げ急げ!」
そういいながら出歯族の子は小さな体を素早く動かして大通りから外れて路地裏の方へと姿を消す。
「ま、待ってよ!」
そして一度は追いつけたものの、すぐに置いて行かれた子が同じように路地へ曲がる。その瞬間に見えた子供の横顔はなんの種族かさっぱり分からなかった。それ自体は左程珍しくない。それこそ精霊種の連中はその区分が面倒で他種族には違いが分からない事がある。しかしそれにしたってあまりにも見たことがなく、どこか違和感のある顔だ。木のようにも見える質感ながら真っ黒でつやつやしていた。それに絵具を上から垂らしたような白い目、口元は見えなかったがある様にも見えなかった。
「なんだ、今の?」
左程気にする様なことではないのかもしれない。この世界は数多くの種族が住んでいるのだから自分の見たことがない種族が居ても何ら変ではない。事実、あの子供のことを誰かが気にしているような様子はなかった。気にしているのは自分だけで、その理由はよくわからない。普通に考えれば彼は精霊種の何らかの種族の子供だった、なんてオチが当たり前のように思える。ただ、何かのシンパシーとでも言えばいいのか、言語に出来ない不思議な感じがした。
「・・・気になるけど、追うわけには行かないよなぁ」
自由時間はまだあるが帝都のスラムに住んでいる子供を追っかけるような時間は流石になかった。それに追ってどうしようというのかという問題もあった。
「お前は何者か、なんてね」
ぽつりと呟いたその言葉はどこか皮肉気に聞こえ、帝都の喧噪にあっという間に飲み込まれてしまう。自分が何者かなんて自分が一番分かっていないのに、それを他人に問うのはなんともみじめに思えた。
「お、なんだ街に行ってたのか?」
街をぶらつくような気分ではなくなってしまい、広場の裏手に戻ってきた自分に声が掛けられる。
「アッシュか、うん、初めての帝都だからな、ちょと興味があって」
そう返事をして彼に歩み寄る。アッシュはどうやら食事をしていたようで近くには空の容器が転がっている。思えば結局屋台で何かを食うこともなかった腹が空腹を覚えた。
「そうか、どうだった、世界一の街は?ってなんかあったか?」
アッシュがどこか気遣わしげに声を掛けてくる。いつも通りに返したつもりだったが兄貴分には何か引っかかる物があったらしい。
「いや、あの数の人間が自分たちを見に来るんだ、って思ったら少し緊張したんだ。良かったらあとで剣劇の確認でもしない?」
単なる自分の感傷じみた物に付き合わせたいとは思えず、そう返してやればアッシュは少し訝し気な表情を浮かべたが自分を慮ってくれたのか表情を不敵な物にかえる。
「なんだ、今更緊張か?お前は緊張なんかほど遠い奴だと思ってたけどな。いいぜ、だがその前にお前も飯は食ってこい。その間に準備しといてやるよ」
そういうとアッシュは立ち上がり、空になった容器を持ってオリヴァーがいるのだろう場所へと向かっていった。
「・・・ありがとう」
あえて触れないやさしさが有難くて、誰にも聞こえない声で言葉を漏らす。そして一つ、自分の両頬を軽くたたくと息を一つ吐いてからアッシュの背を追った。
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