1話
「・・・・?」
開いた扉の先は真っ暗な闇だった。足元からは自分が踏んだことで少しばかり撓んだ床板の音が鳴る。扉が閉め切られていた影響からか饐えた様な臭いがして眉を顰めてしまった。思い返せばここの掃除を誰かがしている記憶がない。尤もここをよく使う住人が自分の部屋や仕事場以外を掃除するかは怪しい。自分も自室以外をまともに掃除した記憶がなかった。
「誰かいないのか?・・・そもそも何で暗いんだ?」
誰もいないとは思いながら室内に向けて声を掛ける。可能性としては低いものの、この集合場所へ先に来た誰かが寝ている可能性も考えられなくはない。ここは作戦会議にも使うだけあってそれなりに広く、物に溢れて雑多としているが寝るぐらいなら簡単だ。
「遅れたんでやんす!あれ、真っ暗でやんす?」
独特な口調をした男の声が自分の入って来たものとは別の扉を派手に開く音と共に聞こえてくる。この部屋は船の中央付近に位置するために扉が3つもあり、住むのでないなら使い勝手がいい。そして打ち合わせしたかのように最後の扉が少し錆びついた音をたてながら開く。
「悪い、飯の準備で遅れた。あ?」
平均よりも低く、しわがれてはいないが重く響く声だ。声だけでがっしりとした男だろうと推測出来る。そして3人とも同じように明かりが無い事に疑問の声を上げる。
「誰か明かり点けられないのか?」
当然の疑問、男が3人も部屋に居るのに真っ暗闇の中、立ち尽くしているのは滑稽としか言いようがない。そもそもいつもなら部屋の明かりが点いているはずなのに今日に限って消えている。窓も無い部屋の欠点が浮き彫りになっていた。
「明かりってどこでやんすか?」
「いや、知らん」
「点けたことないんだよなぁ」
全員が自分の周囲を無造作に探る様な音が響く。誰も船に居ないならばともかく、この部屋は常に明るかったが故にスイッチを付けたことがない。もしかしたら誰かが放り込んだ荷物にスイッチが埋もれてしまって何かの拍子に明かりが消えてしまった可能性もある。この部屋は作戦会議用の机が真ん中にあるが周囲は倉庫の様相、何なら最近は誰も内に置かれているものをきちんと把握していない。自室に入らない物をいつからか置いとく習慣が生まれたと同時に定められた運命だったのかもしれない。初めこそ自分は使わないが誰かが使うかもしれない物、もしくは共有物を置いていたはずだが次第に全員いらない物をこの部屋に投げ入れるようになった。船の中で一番広かったはずの部屋はもうその面影もない。
「だめだ、分かんねぇ!」
部屋は常に明るいが廊下はどちらかと言えば暗いのが裏目に出た。この広い空間の記憶にない明かりのスイッチを探すのは困難だった。まだ大して探してはいないが暗礁に乗り上げた気分だ。
「魔法でも使ってみるでやんすか?」
自分の声にお調子者のような声、アンガスが反応する。彼の声色も早々に真面目に探すのを諦めた雰囲気に満ちていた。悪い奴では無いが自分の興味のある事、魔道具や機械いじりにしか熱中出来ない転瞳族の男で、まともな所ではその腕以外は認めてもらえず、鼻つまみ者だった。そんな時にこのアガパンサス団のボスに声を掛けられて仲間になったという経緯がある。その際に今乗っている船、飛空艇を平然と元の場所から持ち出した。本人曰く、「殆どオレッちの作品だから当然でやんす」との事だが彼の元の仲間のアンガスへの評価は正しかったように思えてならない。今はボスの下、好きなだけ機械いじりをしているが、出来無くなればまた、この飛空艇共々どこかに行ってしまいかねないと素直に思えた。ただ、腕は確かだし、話もきちんと出来る。人として大事な部分がいくつか抜けているだけだ。
「お前の腕で、か?そもそもお前の目は見えねぇのか」
それに反応したのはきちんとスイッチを探していた男、オリヴァーだ。彼はこの飛空艇の住人で最もまともと言える忠毛族の男だった。ガタイが良く、顔に大きな傷跡が一本斜めに入っており、真っ黒の毛並みと併せて威圧感が強い。そのせいで第一印象は基本的に最悪で少なくとも街中で迷子だったとしても話しかけたいとは思わないだろう。実際に会話してみれば誠実で口調は丁寧ではないがさっぱりとしており、実にいい男だと素直に思えるだろう。裏表もなく、いわゆる同性に好かれそうな男で料理が特に上手なこともあってこの船では料理担当だ。正直何故この船に、劇団を装った盗賊団に所属しているのかは不明だ。しかし過去をほじくり返すような真似はしない。自分から話してくれるならともかく、この船に居るのはそんな奴らばかりだ。此処では仲間を助け、傷つけなければそれでいい。
「流石にここまで真っ暗じゃオレッちの目でも見えないでやんす。だけど火の魔法でパッと一瞬明るくなれば見えるかもしれないでやんす」
転瞳族は比較的夜目に優れる種族だ。明かりのある場所と暗所で大きく瞳孔が変わり、種族の名にもなった。
「そうだな、この部屋を2度と見る必要が無くなる事を除けばな」
オリヴァーが呆れと共にため息を吐く。彼が言ったようにアンガスの魔法は極めて制御が甘い。上手であれば一時的な明かりとして機能するだろうが、そうでないなら何かに引火して終わりだ。そうでなくともアンガスなら初手で暴発からの引火で船が終わることも十分に想像できた。
「いや、でも今日は行けそうな気がするでやんす!」
「絶対にやめろ!」
下手くそなのに何故かやりたがるアンガスと必死に止めようとするオリヴァーの声が響く。是非ともオリヴァーには止めてもらわなければならない。物探しから乱闘寸前のような音に切り替わった室内は騒々しくなる。
「うるせぇ!何騒いでやがる!」
2人が暗闇の中、騒いでいると突然4人目の怒声が室内に響く。それも推定、物が積み上がっている部屋の外周からだ。
「アッシュ?」
聞きなれた孤爪族の兄貴分の声、しかし寝ていたところを無理矢理に起されたかのような怒り具合だった。そして次の瞬間には部屋がパッと明るくなり、その眩しさに手で目を覆う。
「人が気持ちよく寝てたのに騒ぎやがって」
積みあげられた物の上から床に飛び降りたアッシュが欠伸を噛み殺しながら騒ぎの元凶、掴み合っていたアンガスとオリヴァーの方を苛立たしそうに睨み付ける。
「あ、此処に居たんでやんすね、兄貴」
「・・・こいつが火の魔法を放とうとしたから止めただけだ」
アッシュの苛立ちが見えないのか、元々丸っこい剽軽な顔に明かりが点いたことで丸くなっていた瞳孔を三日月のように細めながら、まるで「何もしていません」とでも言いたげな表情のアンガスは呑気に口を開く。同じように突然の光に目を細めたせいで人相がより凶悪に変わったオリヴァーが牙をむき出しながら事情を簡潔に口にして掴み合っていた手を離す。流石のアンガスも明るいのに魔法を放つような事はしない。
「せっかく気持ちよく寝てたのによぉ・・・」
舌打ちを1つ、叩き起こされたような気分なのだろうアッシュはやや乱れた頭の後ろをガシガシと掻いた。しかし口調こそ荒っぽいが何か事を起す様には見えない。トレードマークの深紅の毛がユラユラと眠たげに揺れるだけだ。これが自室で深夜ならともかく真反対の状況なのが功を奏した。少なくとも怒りのゲンコツが繰り出されることはない。
「もう会議の時間だぜ、後はボスを待ってる」
アッシュにそう言えば、彼は思い出したように「あぁ・・そんな時間か」とどこか得心が行ったような声を漏らす。何時からここに居たのだろうか?そんな疑問が湧くがわざわざ聞くほどでもない。
「そう言えばボスはまだ来ないでやんすか?」
アンガスが周囲をキョロキョロと見回すように首を振る。この部屋には当然ボスの姿はない。アッシュのように隠れるようにして寝ているというのはボスの性格的には考えにくい。それに細身でシュッとしたアッシュならともかく、大きいオリヴァーよりも頭1つデカいボスが荷の上で寝ていれば直ぐに見つかるか雪崩が起きていなければ可笑しい。
「今日はまだ見てないな・・・」
オリヴァーも顎に手をやる。アッシュの方をチラリと見るがこれと言って覚えは無さそうだ。となれば自分を含めて誰も心当たりがない事になる。
「どうする?」
そう言った瞬間だった。オリヴァーが入って来た扉がバタンと大きな音をたてて開く。その音に4人が同時に顔を向けるとそこには見慣れない顔をした大男が居た。そして手には嫌に安っぽい大ぶりな剣が握られている。
「・・・・」
大男は何も言わない。鱗のある三角形の顔はテカテカと青白く光っており、作り物めいたクリクリの丸い黄色の目がまるで獲物を探すように動いている。パット見は陸鱗族、しかし細身なシルエットの顔の反面、体は分厚く、丸っこい印象だ。通常なら全身が青や赤みのあるウロコに覆われ、力があるものでもスマートな印象を受ける肉体をしている。だが現れたこいつは手足も丸太のようで別々の種族の部位を無理やり組み合わせたかのような違和感があった。何より靴を履いているのも陸鱗族らしくない。いずれにせよそんな人間はこの船で見たことがない。
「・・・オラぁ!」
沈黙に満ちた空間を切り裂くようにアッシュが謎の大男に対して跳び蹴りをかます。無理矢理に起こされた鬱憤を晴らすような切れ味のある蹴りは大男の首をへし折る角度で突き進む。正直なことを言ってしまえば大男の正体は最初から分かっている。そしてそれが分からないアッシュでは無い。しかし今は鬱憤晴らしとその方が面白いと踏んだのだろうと判断して自分もアッシュを追いかける。それはアンガスとオリヴァーも同様らしく、拳を握りしめ、アンガスに至ってはいつも持っている特大のスパナを手に「謎」の大男に駆けだす。
アッシュの跳び蹴りを受けた大男だったがその体からは想像も出来ない程に繊細な動きで手に持った剣の腹で彼の蹴りを受け止める。そしてその巨体らしい剛力でアッシュの体を軽々と跳ね除けた。
アッシュと入れ替わる様に大男の懐に飛び込んで大男の首元、何か不自然な小さい穴が空いた当たりを狙って右拳を振る。しかしその拳はあっさりと大男の左手に受け止められるとそのまま掴まれて宙に投げ出されてしまった。尤もここまでは狙ったもの、両腕が広げられてガードが完全に緩んだところにオリヴァーが踏み込んで大男と取っ組み合いを始める。これで大男は隙だらけだ。そこへオリヴァーの背を蹴って跳び上がったアンガスが手に持った特大スパナを陸鱗族もどきの頭に振り下した。
スパナが直撃した男の頭は良い音をたてながらスイカのように潰れて割れる。しかし血のようなものは一切出ず、むしろ中から丸いヘルメットのような帽子が突き破る様にして出て来た。
「痛ってぇぇぇ!!!加減ってもんを知らねぇのか!ボケ共!!」
野太い男の怒号が部屋の中に響く。誰が聞いても怒り狂ったとしか思えない声色だったが恐怖は湧かない。実に聞きなれた男の声だ。そして現れた顔も良く見慣れた顔だった。
「いや、不審者はぶん殴れって教えられてきたもんで」
吹き飛ばされたアッシュがへらへらと笑いながら寄って来る。既に機嫌は直りきっているようで悪戯小僧のような表情だ。
「いや、分かるだろ普通!首から下はそのまま、そもそも離陸直後ならともかくこのタイミングで不審者が来るわけねぇだろ!」
顔を真っ赤にしながら吠える大男、我らがアガパンサス盗賊団、表向きにはサーカス団として世界を巡っている、月牙族の団長ドープが特徴的な豚鼻を吹かし、片方が折れた牙を剥き出しながら地団駄を踏む。
「それにしてもなんでボスはあんなもん被ってたんだ」
怒るボスを前にオリヴァーが傍観者だったかのような、口調で問いかける。しかしよく見れば口端がすこし上に上がっている。ボスが被っていた被り物はどこか新しい雰囲気があったが小さな箱では劇だってするのだ、それで使う物だと簡単に推測できた。
「ちょっと試しに被ったら抜けなくなってな・・・いや、何普通に話しかけてんだお前」
思ったよりも間抜けなことを口にしながらボスが一人でバタバタと騒ぎ直す。
「そうでやんす、折角作った仮面が台無しでやんす」
そのオリヴァーにどの口で続いているのか、アンガスが喋りながら自分で割った仮面を拾い上げて撫でている。もはや隠しもしない言、よくその呆れ顔を浮かべられるものだ。
「そのテンションは可笑しいだろ!それに割ったのもお前だろ馬鹿がよぉ・・・そっちでニヤニヤしてるルーク、お前もだぞ!」
少し離れて見ていた自分にもボスが指をさす。頭の後ろで組んでいた手を解いてケラケラと笑えば呆れたようにボスは大きな、それは大きなため息を吐いた。
「まぁいい。ホラ、お前ら次の仕事だ。集まれ」
その言葉に部屋に居る全員が中央に置かれた丸テーブルを囲むようにして立つ。そしてボスは壁際にあったボードを引っ張り、全員が見える位置に置くと用件を話し始める。
「まずは前にも言ったが俺たちが今向かっているセイリオス帝国で行われる建国祭、その目玉の一つとして中央広場でショーをする。これは皇族も当然やってくる。それどころか皇后が直々に俺たちを呼びつけた形だ、絶対に失敗は出来ない」
ボスの声には力が入っており、この仕事がよっぽど大事な事がヒシヒシと伝わってくる。とはいえそれは無理もない。セイリオス帝国は皇族こそ精霊種の中でいずれかの種族がずっと占めているが世界有数の多種族国家、軍事に至っては世界一と言ってもいいほどだ。魔道兵器の技術にも優れており、帝国を気にしない国はどこを探しても無いだろう。当然領地も広く、住んでいる国民の数も一番だ。もし戦争になれば連合を、それもある程度結束した物でなければ一息に潰されかねない。そして今回アガパンサス団を呼び寄せた皇后は現在の帝国で最も権力を持っていると言っても良い存在だ。皇帝が表に出なくなってからはこの皇后がかなり精力的に表で活動をしているらしく、この話だけでも胡散臭いと思える。とはいえ帝国で国民が苦しんでいる、そんな噂は聞いたことが無かった。尤も住んだことも、行ったことも無い為に詳しい事は知らない。
「まぁ、やることはいつも通りだ。練習通りにやれば良い。なぁに、権力者の前でやるのは慣れたもんだろ」
「そうだな、今更失敗しねぇよ。なぁルーク」
アッシュが自信に溢れた声で応える。彼はサーカス団の人気頭の1人だ。踊りは勿論、剣舞が特に人気がある。そしてその剣舞の相手は今回、自分に回って来ていた。
「あぁ、散々やったからな」
軽い口調で返す。普段は団一番の身軽さでアクロバットを取り入れた踊りや綱渡り、劇なら脇役を多くしているが今回は場所の広さと観客の数を鑑みて、出来るだけ派手に剣舞をやる事になり、選ばれた形だ。予定では中央広場にある円形の劇場で観客の前をぐるりと回りながらアッシュと剣を打ち合う。その際に自分の得意分野であるアクロバットの要素も入れることになる。
「よし。で、アンガスとオリヴァーはいつも通り裏方だ。道具に支障は無いだろうな?」
「もちろんでやんす。オイラがしっかりとやっておいたでやんす!」
アンガスが自信満々に答える。性格に難ありの人間だが自分の技術には誇りを持つ奴だ、他者が確認しなかったとしても万全に熟しているだろうという信頼がある。
「・・・必要な道具も揃っているのを確認している」
軽い雰囲気のアンガスとは逆にオリヴァーは真面目な態度でわざわざ書いたのだろうリストをボスに渡す。悪ノリはしても根が真面目、そうでなければ食事と倉庫を担当など出来はしない。
「よし、楽団も問題なし、他の演者も昨日までは問題なし。なら話の続きだな」
そう言うとボスは厳つい顔を更に引き締める。それにつられるように自然と場の空気も締まり出す。どうやら本格的な仕事が別にあるようだ。
「さて、ここまでは表の仕事、そして今回の一番の仕事は皇女の誘拐だ」
ボスが口にした結構な大仕事に緊張が空間に走る。誘拐でざわつくような事はないがそれが世界一の国の皇女を誘拐する、となれば涼しい顔を浮かべるのは難しい。他の3人も、いや、アンガスは興味の欠片もなさそうな顔のままだが他の2人は驚きが顔に浮かんでいる。
「今回の依頼は表向き、建国祭の余興として俺たちアガパンサス団が皇后に呼ばれたことになっているが実際はその娘の第一皇女、ミラ・セイリオス皇女からの依頼だ。自分を建国際の騒ぎに乗じて連れ出して欲しい、ってな」
「自分の誘拐依頼って事か?」
思わず聞き返してしまう。それもそうだろう、自分を誘拐してほしい、それも皇女なんていう立場の人間が一盗賊団に依頼するのは想像しにくい。自分の母親がいくら胡散臭い噂が有ったとしても同時に皇女を猫かわいがりしている話も有名だ。
「おう。で、俺たちのスポンサー様がそれを了承して俺たちは帝国に向かってるってわけだ」
「何を考えてるんだ・・・」
それが皇女相手なのか、それとも会った事も無いスポンサー相手なのかは分からないがアッシュが疑問交じりに呟く。しかしそれはこの場の総意だ。自分には皇女が何を考えているのかさっぱりわからない。
「さぁな。それでも俺たちは仕事をしなきゃならねぇ。兎に角、この地図を覚えろ」
そう言いながらボスはボードに地図、どこから入手したのか分からないが帝国城の地図を出してきた。城の地図なんて生半可な方法では手に入らない。そして地図には自分たちがやる舞台を中心にそこからの侵入経路に線が引かれている。これだけでも今回の依頼が本気なことが伺えた。
「良いか?作戦の要はルークとアッシュだ。お前たちの剣舞の時間はショーの最後の方だ。それまでに皇女を攫ってきて俺たちの船に乗せる。皇女は最初ショーを見るが途中、体調不良で部屋に戻る手筈だ。そこでお前たちは騎士に扮して城に侵入、その後、実際に皇女と落ち合ったら彼女の部屋には作ったダミーの人形を置いて時間を稼ぐ。アンガス、前に言っておいた人形は出来てるな?」
ボスがそう言えば一瞬上に視線をやったアンガスが手を叩き、声を上げる。
「あぁ、あの張りぼて人形がそうだったんでやんすね。てっきりボスに邪悪な趣味があるのかと」
「んなわけねぇだろ!まったくよぅ・・・でこの人形は声を掛けられたら特定の声を返すように出来てる。まぁ長くはねぇが俺たちのショーが終わるまで保てばいい」
要はすり替え作戦らしい。所々不安な雰囲気もあるがそれはいつも通り。むしろ現場に行かないと分からない事が多いだけに臨機応変に動きやすい方がいい。
「いや、人形はどう運ぶんだ?というよりサイズは?」
作戦に関しては自分で決めるような才は無い。であればそこに関して口出しはしない。だが肝心の物の情報は知りたい。
「あぁ、そこは安心しろ、人形っつたがほぼ、張りぼてだ。精々背もたれの長い椅子に座って後ろから人がいるなと分かる程度、真正面どころか背もたれもなければ一瞬だな。だからどちらかと言えば音声部分が本体な位だ。折りたたんで小さくもできる。ショーの道具に見立ててもいいし、何なら服の中にでも詰めとけ。後は皇女が自室周りから全員人を退かしてくれるはずだ」
「音声は機嫌の悪そうな声を入れておいたでやんす。違う声に聞こえても体調不良を理由に多少はごまかせると思うでやんす」
アンガスがボスの説明に補足をする。なるほど、つまり機嫌と体調が悪いと主張する年頃の皇女、それも実質国のトップに溺愛されている娘の拒絶を無視して部屋に入り、前に回り込む必要がある、という事だ。それならば多少は時間が稼げるように思えた。
「それなら、何とかなるのか?まぁ、俺はやるだけだしな。信じてるぜ」
結局、作戦班が行けると考えた作戦を正確に熟すのが実行班の仕事、何より大事な家族の言う事なのだ、今更疑問は持っても疑うような事はしない。
「よし、なら後は現地に着いてからだ。あぁ、最悪ばれた場合はスクランブルもありえるから遠くに行きすぎるなよ、緊急時は全員の安否を確認できないからな。もし乗り遅れたら・・・アスケラ王国で集合だ。勿論アジトだ、いいな?」
ボスの言葉に全員が頷いて返事をする。しかし自力でアスケラ王国に行きたくはない。徒歩なら山をいくつも越え、時には道なき道を行かねばならない。国が出資している飛空艇の定期便に乗る選択が一番現実的だが皇女を攫った集団の人間が乗れるかは運になるだろう。馬車も考えられなくはないが大抵は商人のもので遠くまでは行かずに一定の範囲を巡っているのが基本だろう。その上、態々身の上の怪しい人間を同行させてくれる可能性は低い。
自分たちが飛空艇という便利なものを使えているのはアンガスがパクリ、維持する金を自分たちで少し稼ぎつつ大部分をスポンサーに支援してもらい、その対価に世界の情報を持って帰るという形で成り立っている。そのためにスポンサーはアスケラ王国の誰かではあるのだろうがボス以外は誰も会ったことが無い。尤も会わされても無礼な事しか出来ない面子しかいない。
「ま、大事には成ったがよろしく頼むぜ、ルーク」
会議が終わり、全員が部屋の外に出ていく。そしてアッシュが自分の肩に手をやりながら声を掛けて来る。
「こっちこそ、頼むよ、アッシュ」
そう返せば兄貴分は自信の満ちた顔付きで後ろ手に手を振りながら部屋を出ていった。そして自分一人になる。静かになった部屋で頭に思い浮かぶのはまだ見ぬ、この依頼主の皇女のことだった。
「一体、何を考えてるんだろうなぁ・・・」
皇女という立場、そのまま待っていればこの世界で最も華やかな人生を送れる事間違いなしだ。何一つ、それこそこの世界の9割の人が悩む様な悩みごとを彼女が考える事はないだろう。羨ましい、とまでは思わないがそれでも大半の人間から羨望を集める生まれだ。
「ま、俺みたいな奴には分かんないか」
自分には故郷と呼べる場所はない。気が付けば地方のスラムにいた、でもそこを故郷とは思わない。良い思い出は勿論、思入れもない。精々、ボスたちに拾われたことが一番の思い出だ。そして自分の種族が分からない。
全身を覆うような体毛がない。精々頭に黒い毛が生えている程度で腕や足を覆うようなものはない。
突き出るような牙や角がない。食うには一切困らないないが誇り、そう呼べるようなものではない。
夜目が利く様な瞳、尖った長い耳もない。見聞きで困ったことはないが特筆するような機能は何一つ持っていない。
腕は2本、足も2本。鏡写しの際立った特徴のない体だ。翼もなく、鰭もない。何でもできるように思えるがなんでも足りない。
どんな他の種族とも似ているようでまったく似ていない。優れているようで優れない。世界を巡ってそれなりに時間が経ったが自分と同族というのは終ぞ見たことがない。アガパンサス団という家族は居ても、心の何処か世界でただ一人の異物、そんな感覚を忘れることは出来ない。そんな自分には皇女の気持ちは何も分かりそうになかった。
良ければ評価、ブクマ等していただければ幸いです。
恐らく不定期になります。