地上のすべてのものを照らす
今振り返ってみると自分の過去の行動の多くはあまり明確な理由や意思決定が有った訳では無い。だが毎日生活をしていく中で、それらは実際に僕がとった行動だ。
僕のアパートは車が一台やっと入れる位の狭い路地の突き当りにある。袋小路だ。両脇には古い木造の民家が並んでいて、朝も昼も夜も時間と空気が止まっているような所だ。奥行は三十メートル位か。そしてその道の入り口は右が黒川理容室、左が白井クリーニングだ。床屋の前にある青と白と赤の電飾ポールは金属の擦れる音をたてて回っている。辺りにはいつも石鹸の臭いがした。道を入っていくと右に植木鉢をいくつも玄関前に置いている家がある。時々季節の花が咲く、その向かい側には、やはり扉の前に器に入れた猫のエサを置いているお宅がある。家主の名前は分らないがここでは植木さんと猫田さんとしておこう。あと頑丈そうな大きな荷台の付いた昔ながらの黒い自転車を置いている家があったり、座面のカバーが破れた古い椅子やごみ捨て用の無駄に大きなポリバケツを置いているお宅もある。時々どこからか古い歌謡曲を弾いている大正琴の音が聞こえる。
僕のアパートの手前にも同じような古いアパートが建っている。日が暮れてもそのどの部屋にも灯りがついているのをずっと見ていないから、今は住人が居ないのかも知れない。夜にはその錆びた鉄製の階段を蛍光灯が照らしている。
日曜日に買い物から帰ってくるとそのアパートの前にハイエースが停まっていた。誰かが引っ越して来た。その荷台にはもうほとんど荷物は無く作業は粗方終わったようだ。トラックの横をすり抜けて自分の部屋に戻り、流し台の小窓から路地を眺めた。バックで路地から車を出すのは大変だなと思った。沢山の植木鉢や猫のエサ、ゴミバケツ、そして牛乳配達のできそうなピカピカに磨かれたあの黒くて大きな自転車、その他諸々。朝に淹れたコーヒーを温め直して飲んでいると車の出る音がした。作業が終わったのだ。見てみると車はそろそろと後ずさりして無事に出て行った。マグカップを洗いながら暫く路地を眺めた。
路地の入り口からこのアパート付近まで道の真ん中あたりが所どころ舗装が剝がれていて、下地の土と小石がむき出しになっている。水道かガス工事の跡だ。私道の為かいつまでも放っておかれている。雨が降ると幾つも水溜りが出来る。引っ越しがあった夜、久しぶりに隣のアパートの一部屋に静かに明かりが灯っていた。その新しい住人を見かける事になるのは暫く時間が経ってからだ。
僕が二階にあるこの部屋に引っ越してきて三年が経った。部屋を案内してくれた不動産屋は僕がこの古びた部屋を気に入ったことに驚いたようだった。小さな台所が付いた畳の部屋だ。今時の多くのアパートは洋室だ。でも風呂場が付いて外の通路には洗濯機も置ける。何より気に入ったのは路地は静かだし、部屋の東側の窓を開けると裏の大きなお宅の庭が見えることだ。南に向いた縁側に面して庭がある。豪華ではないが感じのいい庭だ。庭の向こう端には大きな桜の木があり僕の部屋のすぐ外には少し大きくなり過ぎた欅の木があった。僕は年末に引っ越して来た。年が明けて水仙や梅の花が咲き、桜の季節が過ぎ、木々の緑はどんどん濃くなっていく。窓のすりガラスに欅の緑が映るのも好かった。そんな風景が繰り返され三年の月日が流れた。
桜と欅が大きくなりすぎたことを除けばやり過ぎも不足もない、よく手入れされた庭だ。時折長靴を履いた年配の男性が静かに作業をしているのを見かけた。植木屋が使う三脚式のハシゴを使っていた。商売人の道具を使って庭木の手入れをしているのを見るとその人の手入れに対するこだわりが感じられるような気がした。男性の奥さんと思しき女の人が縁側から何か話しかけたりするのを見たこともあった。郊外にあった僕の実家にも庭があって様々な植物が植わっていた。だから建物が混み合った都会のアパートでよく手入れされた緑の庭を眺められるのは嬉しかった。そのお宅の名前は「大庭」さんとしておこう。
僕のアパートには四戸部屋があるが住人がいるのは僕の真下の部屋だけだ。その部屋からは全く音が聞こえてこないので初めは空き部屋なのかと思っていた。だが三十代後半くらいの男性が住んでいた。大きな黒縁の四角いメガネをかけて長髪を後ろで束ねている。ときどき路地で見かけてお互いに軽く会釈だけはするようになった。大きなカンバスを抱えて何処かに運んでいくのを二度ほど見かけたことがあった。カンバスの表は新聞紙で覆われていてどんな絵なのかは分からなかったが、駅の向こうに有名な美術大学があってそこの関係者なのかと勝手に思っていた。一日中部屋に籠って創作を続ける彼の心中はどんなものなのか。仕事に没頭して過ごす時間は喜びなのか、それとも創作は決して逃れることの出来ない、足に咬みついた頑丈なトラばさみなのだろうか。少々雨が降ってもふらふらと外に出掛けたくなる僕にはとても勤まらない仕事だ。その部屋の錆びた郵便受けには「色川」と表札代わりのメモが差し込まれていた。
高校時代にまさふみという同級生がいた。スポーツ刈りでがっちりした体格の男で喉元に大きなほくろがあった。鈴木正文。もう一人、鈴木篤史という生徒もいた。英語の教師は出欠を取る時にアツシスズキ、マサフミスズキと呼んでいたので二人を区別するため何時しか皆に「アツシ」、「マサフミ」と下の名前で呼ばれるようになった。まさふみは無口な男で柔道部に所属していた。ある日の休み時間に彼は英語の教科書の日本語訳をノートに書きこんでいた。そしてテキストに載っていたシカゴの街の写真も一緒に丁寧にノートに書き写していた。ビルディングの一つ一つや道を走る沢山の車、それらをコピーでもしたかのように実に見事に描き込んでいた。それを見て僕は「絵は要らないだろう。」と言った。すると「要るんだよ」とまさふみはまずいものを見られたというように恥ずかしそうに笑った。面白い奴だなと思った。口数は少ないが仲の良かった同級生とは時々冗談を言ったりしていた。
だがいつの頃からか彼は学校を休みがちになる。授業に出て来た時も休んだ理由は話さなかった。やがて全く登校しなくなる。彼の欠席の理由について担任の教師は何も言わなかった。一人の生徒の不登校に興味が無かったのか或いは自分が励んでいる教員の組合活動に気を取られていたのか。僕はまさふみが学校に来なくなった事が不満だった。友達の一人の不登校に納得がいかなかった。ある日仲のいい何人かと話し合って学校の公衆電話からまさふみの家に電話をかけた。お母さんは驚いた様子だったがまさふみに取次いでくれた。
「なあまさふみ、どうしたんだよ?学校に出て来いよ、なあ病気じゃないんだろ?元気なんだろ?」
彼はしばらく黙っていた。電話の交換機は世の中の無数の会話を取り次ぎながら何処か遠い場所でかすかな音を立てている。何度かまさふみの息使いが聞こえた。やがて「分かったよ、行くよ」と言って電話を切った。約束は守られた。翌日、彼は登校し、以前と同じように大人しく授業を受けていた。久しぶりに彼を見たクラスメイト達は驚いたようだったが仲の良かった僕たちは少し安心した。しかしそれがまさふみを見る最後になった。今思えば僕たちは彼のことを無理に部屋から引っ張り出してしまったのだ。一日だけ出席させたことがかえって彼の背中を押してしまったのか。まさふみにとって学校に来るのは相当きつかったのだろう。もしかしたら僕たちは、或いは僕は、彼を何かしらの苦痛から救おうとすることで、自分の気持ちを救おうとしていたのだろう。彼の中にあるブラックボックスの中身を僕たちは見る事は出来なかった。彼は決してそれを僕たちに見せてはくれなかったのだ。小さな雑音まで聞こえてしまう耳を持ち、必要のない醜いものまで見えてしまう視力を持っていたのか。振り返ってみれば決して世話好きでもない僕が何故あんなお節介をしたのか不思議だ。
その数週間後、担任はホームルームで彼が親戚の住む四国の高校に転校したと教えてくれた。もう僕たちに出来ることは無かった。
これは高校二年生の時の話だ。やがて僕らは新しいクラスに振り分けられ三年生に進級した。四国の空の下で暮らしているであろうまさふみの事も忘れていった。彼の消息を知ることになるのは、それから二十年以上経ってのことだ。これについてはまた後で話したいと思う。
日曜日の午後に部屋のドアがノックされた。出てみると着物を着た年配の女性が立っていた。手には黒いTシャツを持っている。黒地にローマ字でレッドツェッペリンとロゴがプリントされたTシャツだ。僕が学生の頃何処かで買ったもので日に灼けてもう表には着て出られない位くたびれている。
「庭に落ちてたからお宅の物かなと思って・・・下の部屋の人に聞いたら違うって言ってらしたから・・・」。昨日の夜に洗濯して窓の外に干しておいた物が針金ハンガーごと風で飛ばされたようだ。
「あれっ、わざわざありがとうございます。申し訳ありません」と御礼を言った。「いいえ、どういたしまして」と言ってその人はさっさと帰って行った。上品な人だった。
僕の上司である係長が退職することになった。故郷に帰るらしい。子供が病気がちで環境の良い田舎に引っ越すということだ。まだ学校に上がる前なので今のうちに引っ越すのがいいと判断したらしい。環境の良い場所。どんな所だろう。春には雪を頂く山の連なりが見えて、その手前には森があり、その傍を綺麗な水の流れる大きな川があって、木造校舎の小学校には土の広いグラウンドがある。自分ならそんな所で暮らしたいと思った。凡庸で新奇性のない想像だ。
一週間近く出張でアパートを留守にした。帰宅した翌朝久しぶりに大庭さんの庭を眺めた。ここ二三週間ほど前から気になっていることがあった。風の強い日に欅の枝が窓の網戸を擦るのだ。放っておけばやがて網戸は破れるだろう。枝を切ってもらわなければならない。どう頼むか考えた。不動産屋に言ってもらうか自分で頼みに行くか。暫く悩んだ。結局自分で言いに行くことにした。不動産屋に頼むほどの事でも無いだろうし僕には別の思いもあった。もしかしたら直接立ち会って庭の中を見られるのではと思ったのだ。
日曜日に大庭さんのお宅に伺った。アパートの路地を出て右に曲がり最初の角をまた右に行く。何軒か家の前を通り過ぎて大谷石の塀沿いを行けば大庭さんの家の門がある。瓦屋根が載った結構立派な門だ。門柱の呼び鈴を押すと「はーい」と言ってこの前の着物を着た女性が扉を開けて出て来てくれた。奥さんだ。
僕を見て始め誰か判らなかったようだが、「先日は有難うございました。」と言ってから、事情を説明した。
「木の枝が・・・」。
「あら、本当?ちょっと見てみましょう」と言って塀と建物の間を歩き始めた。僕も後に続いた。
「あらいやだ、本当ね、気が付かなくてごめんなさいねぇ。ここ暫く植木屋さん頼んでなかったから。でも、もううちの人じゃ高すぎて無理ね。本職の人に頼むわ。」
「細かいこと言ってすいません。よろしくお願いします。」と言って振り返りながら一瞬見た庭は僕の部屋からは見えない建物の陰にも結構スペースが在るようだった。縁側の奥の茶の間には立派な仏壇が見えた。軒の下には古い三輪車や子供が遊ぶような緑色のビニールのボールがあった。庭の隅には空の植木鉢や井戸のポンプも見えた。
何日かして部屋から眺めた時にはもう欅の枝は切られて、木の背丈は大部短くなっていた。その枝の水平で丸く新鮮な白い切り口は何かの運命を示しているかのような気がした。庭の向こう端の桜の木も結構枝が落とされている。お陰で幹の太さが目立った。「桜の木は横に広がるから塀の近くに植えないほうが良いね」と母親が言っていたのを思い出した。
担当替えがあって得意先の引継ぎのため二週間近く部屋を空けた。入社以来初めての長い出張だった。大雨の中帰ってきていつもの駅で電車を降りて、やっと辿り着いた自分の部屋は空気が籠って湿っていた。旅行鞄を下ろしため息をついた。少しだけ裏の窓を開けた。久しぶりに見た雨に濡れたその庭は明らかに今までと雰囲気が違っていた。草が少し伸びている。今までは雑草が気になることは無かった。まるで専属の庭師の様にあの年配の男性、恐らく御主人が毎日手入れをして草が伸びる暇も無かったし落ち葉も溜まることが無かったのだろう。縁側の前に出しっ放しにされたアルミ製のハシゴが、今点いたばかりの水銀灯に照らされて本降りの雨に濡れていた。
時々近くのプールに行く。両エンドの壁面は大きなガラス張りの窓になっている二十五メートルのプールだ。その窓から差し込む日の光りが水底に揺らめく無数の曲線を描きだし、それを見ながら泳ぐのはただ同じ動きが繰り返される運動の退屈さを多少なりとも紛らわせてくれる。
ある日ロッカールムで二人の男性が話をしていた。一人はガリガリに痩せた八十過ぎと思われる小さな人でもう一人は七十代位の血色のいい大柄の男性だ。このプールで顔見知りになったようだ。
「今日はもう二時間以上泳ぎっぱなしです。へへっ。」と小さいお爺さんがしわがれた声で言った。
「へえすごいですねぇ、二時間ですか・・・私なんかせいぜい三十分でくたくたですよ、立派なもんですなぁ。」
お爺さんは何かを考えるかのように一瞬天井を見つめ、「えぇ軍隊でね、泳ぎながらにぎりめし食う訓練をさせられたもんです。なぁに、もう大昔の話ですよ、へへっ、船が沈められても二時間泳いでいればくちくかんが助けに来てくれるって言われましたな。」
僕は傍らでぼんやりと二人の会話を聞いていた。駆逐艦という言葉を久しぶりに聞いた気がした。くちくかん。服を着ながら体を動かすたびに僕の右耳に入ったプールの水は不思議な音をたてていた。
「船が沈むとき大きな渦が出来る。だから海に放り出された時その渦に飲み込まれないように出来るだけ速く遠くに離れろってそう教わりました。」
お爺さんは自分のロッカーを覗き込み独り言のように話しながら着替えをしていた。
「聞いた話だと、やって来た敵の飛行機の大群で空が暗くなったって言ってました。二隻の船が沈められて大勢の若い兵隊が亡くなったそうです。爆撃より沈む船の渦に飲み込まれて死んだって言ったほうが正しいって言ってました。私の乗ってた補給船は幸い無事でしたが。運命ですかね・・・ああそう言えばこれが兵隊の時の私です」と手提げ袋の中の財布から古いボロボロの写真らしき物を取り出した。それを見せようと大柄の男性の方に振り向いたがその人は既に着替えを終えてもうそこには居なかった。
「あれっ。」
その男性が使っていたロッカーの扉は開けっ放しになっている。そして仕方なく近くにいた僕の方を見て、「へへっ」と笑った。何か言葉をかけるべきか迷ったが適当な言葉が思いつかず僕も黙ってその場を後にした。
駆逐艦が迎えに来ると言う話をお爺さんは本当に信じていたのだろうか?或いは教官は信じていたのだろうか?プールの帰りに遅い昼食を取りながら僕は思った。大勢の水兵をを飲み込んでやがて消えていく渦。敵の飛行機乗り達は上空を旋回しながら満足げにその様子を見ていたのか?その翼は夕方の日の光りを綺麗に反射させていたのか?僕は上手く想像出来なかった。店の窓から外の通りを歩くさっきのお爺さんが見えた。歩道を塞ぐように停めてある誰かの自転車を見て、何かを叫び思い切り蹴り倒して平然と去って行った。びっくりしたが確かに元気でまだ二時間は泳げるのかもとも思った。耳の中の水はまだガサガサと音をたてていた。
金曜日の仕事帰りに近所の店で食料品を買った。週末の商店街は賑やかで、八百屋の前の道にせり出して置かれている野菜や果物を品定めする客がいたり、店の真ん前にあるバス停でバスを待つ人がいる。またその間を自転車を押しながら通る人などで狭い歩道は混雑している。車道を挟んだ向こう側の歩道には子供連れの礼服を着た何組かの人達が歩いていた。
翌日の土曜日の夕方にめずらしく大庭さんの庭から何人かの話声が聞こえてきた。そっと窓を開けて覗いてみると、礼服を着た人たちが庭で立ち話をしていた。黒い着物を着た大庭さんの奥さんも一緒にいる。時々小さな笑い声がした。写真を撮ったりもしている。雨に濡れたままの梯子や伸びた雑草はこういう事だったのか。旦那さんが亡くなったのだ。一緒にいたのは所帯を持って独立した子供たちや親族の人だろうか。
退職する係長のための小さな送別会があった。同じ部署のメンバー数人が出席した。翌日は仕事が休みだった為か僕は少し飲みすぎた。部屋に帰って風呂や歯磨など全ての日課をパスして寝床に就いた。だが酔いは醒めかけていてすぐには眠れなかった。
係長の田舎は長野県の松本だと言っていた。僕も高校と大学の夏休みに一度ずつ行ったことがある。冬場のスキー客が利用する民宿が夏場には学生の勉強やクラブ活動の合宿に使われていた。そんな「学生村」が長野県内には数か所あったはずだ。僕が泊まった山の中の宿には三十前くらいの綺麗なお姉さんが両親と一緒に働いていて食事の世話などをしてくれた。客室には一応簡単な机と電気スタンドがあった。けれどもどの程度勉強が捗ったかは覚えていない。記憶にあるのは山道を散歩していて迷子になりかけた事や元気で賑やかな女子大生のグループ、そしてバスに乗って出かけて行った上高地の目を見張るような美しさだ。
あと何と言っても忘れられないのは学生客と楽しそうにおしゃべりするあのお姉さんの姿だ。近所に民家の少ない山の中の暮らしではあまり若い人たちと他愛ない話をする機会も少なかったのだろう。そしてその人の両親と比べて彼女の服装はとても都会的に見えた。きっと大都市で学校に行ったり働いたりした経験が有るのだろう。その人は美しいだけでなく、愛嬌もあってお喋りしながらよく笑った。何と言うか「輝き」みたいなものがあった。彼女の魔法の杖の一振りで全ての人の固く閉じた心の扉を開くことが出来る。大きく両腕を広げれば目の前の荒れ地にも一瞬で緑の草が芽吹く。そんな感じだ。他に言いようが無い。
ずっと男女共学で暮らしてきた僕は何人かの可愛い子や魅力的なクラスメイトを見てきたが、この女性はまるで違った次元に存在していた。
その宿の食堂には古いヤマハのアップライトピアノが置いてあり誰もいない昼下がりにお姉さんがポップスを弾いているのを見かけたこともあった。そのピアノは随分と長い間調律をしていないようで波打つような音がしていた。そう云えば某有名国立大学の大学院で勉強していると言う男の人もいた。坊主頭のかなり太った人で、ゆくゆくは母校の大学で教えたいと言っていた。書物が多すぎて下宿の部屋の床が傾いているとぼやいていた。映画が好きで僕とお喋りをして好みの作品が似ていたような記憶がある。
さっき学生村に二度行った事があると言ったがその一度目と二度目の間に僕は一年間の浪人生活をしていた。僕の学校は全く無名の公立高校で特に進学にこだわるような授業をしていた訳ではなかった。それで割りとのんびりした学生生活を送っていた。兄も浪人をしていたので、大学へ行くのに浪人するのは至って普通の事の様に感じていた。仲の良い同級生も浪人した者が多かった。あとあと社会人になってからクラス会で彼らと話すと
「俺たちはそこまでバカじゃないから、学校の授業でちゃんとケツを叩かれていたら浪人とかしなくて済んだんじゃないか、どうだ?」と誰かが言った。
「だけどな、ケツを叩かれなければ勉強しないのは、やっぱり先が読めないバカなんだよ。予備校に行く代わりに現役で合格して一年間バイトしたり可愛い子とデートした方が人間として健全だぞ」と別の友人が言った。
「まあ確かにそうだよな。浪人生活は実際暗かったしな。誰かに大学生なの?と訊かれて違うと云うと、ああ高校生なのね、って云われるからな。浪人という存在はよっぽど世間から忘れられているんだよ」と、また別の誰かが言って一同が納得していた。バカの満場一致だ。文脈がそれた、話を元に戻そう。
二回目の学生村も同じ宿に泊まった。大学生になっていた僕は一度目にも増してフラフラと呑気に過ごしていた。宿は山の中を通る県道のバス停近くに在ったし、すぐ傍に小さな食料品店もあってお菓子やジュースなどの買い物にも便利なところだ。けれども何よりあの綺麗なお姉さんが居るのが魅力だった。二回目の時に必ずその人が居るという確証は無かったが実際彼女はそこに居た。その日宿泊のための受付に出て来たのはそのお姉さんだ。僕は何となく嬉しかったが彼女のお腹は大きくなっていた。左の薬指には新しそうな結婚指輪が光っていた。僕のことは辛うじて覚えてもらっているらしい。思い切って訊いてみた。
「結婚したんですか?」、するとお姉さんは
「アハハァ」と笑って
「そうなの、あの人と、」と云ってさっきから外の畑で草むしりをしている男の人を窓越しに指差した。以前と同様にお姉さんは両親と一緒に、滞在している学生たちの世話をしてくれたが、お腹が大きいので動きはゆっくりしていて僕は少し心配だった。皆の夕食の片づけを終えた頃にお姉さんは夫婦揃って食堂でお茶を飲んでいた。以前何処かで見た事がある人だなと思っていたら、旦那さんは一回めに来たときに居たあの太った大学院生だった。僕の事も覚えてくれていたようで会釈だけしたが彼らの結婚に関する立ち入った話はしなかった。確かにお姉さんは魅力的で優秀な大学院生も当然その美しさや可愛らしさの前には無力だったのだろう。
宿のすべての仕事を終えて夫婦は別棟の住まいに帰って行った。あの大学院生の向学心は結局どうなったのだろう。沢山の書物と大学教授になる夢を捨てて、お姉さんと一緒に山の中で働くという暮らしを選んだのか、或いは今は別居しているが夏休みで都会の大学を離れ、たまたま新妻の実家に来て草をむしっていたのか。またお姉さんにとってこの男性の魅力は何だったのだろう。一人の人間が歩む道は如何にして決まるのだろうか。何度か寝返りを打ってそんな事を考えながら何時しか眠りに落ちた。
明け方に目が覚めた。少し頭が痛んだ。喉が渇いて台所でコップ一杯の水を飲み、外の空気を入れようと流しのガラス窓を開けた。冷たい空気が流れ込んだ。
見下ろした薄明りの路地に一人の女性がこちらの方を向いて立っていた。黒っぽいスリムなパンツに白いTシャツを着ている。やがて両腕を伸ばし、頭の上で手を結んで弓のように左右に体をしならせ始めた。体をひねったり前屈をしたりしてストレッチをしているようだ。顔の前まで何度も足が振り上げられた。両脚は時計の針の5時55分と6時5分の角度で繰り返し何度も上下していた。
そして駆け足から大きく脚を開いて高く滞空時間の長いジャンプをした、かと思うと今度は腕組みをして、両足でつま先立ちをして回転しながらコマが滑るように路地の中ほどまで移動して行った。所どころ穴の開いて土がむき出しになったままの地面はきっと彼女の理想のダンスの姿を邪魔していたに違いない。恐らく何分かその娘の姿を眺めていたと思う。そして彼女が振り返って一瞬空を見上げようとした瞬間に僕と目が合った。慌てて窓を閉めた。小さなガラス窓は随分と大きな音がした。
夜明け前の路地の踊り子。
毛布を抱えて白井クリーニングに洗濯を頼みに行った。受付のカウンターの前には女性の先客がいるのがガラス越しに見える。僕は狭い店内には入らずに外で待った。その客はやがて店から出てきて路地の中へと歩いていった。細身のジーンズにトレーナー、靴はニューバランスだった。背丈が170センチ位あって背筋が伸びてとても姿勢が良かった。路地のあの新しい住人だ。
「あら、吉田さん。今日は毛布ですか。えーっと、ちょっと待ってね。」店の奥さんは僕の会員カードを機械に通して控えをくれた。毛布は細長いタグを付けて後ろの大きなプラスチックの入れ物に移された。
「今の娘さん見ました?そこのアパートに引っ越してきたんですって。何やってる子なのかねぇ、聞いとけばよかったわ。美人でスタイルも良くてうらやましいわ。若い人はいいわねぇ」
そう言えば僕が初めてこの店を訪れた時にも、「引っ越してきたの?」とか「どこに住んでいるの?」などとそれとなく聞かれた記憶がある。長年お客相手の仕事をして身に着けた、それとなく情報収集をする能力。自然に相手の心の中に入り込む事ができる人。長くこの国に暮らしながら、高級官僚や有能な技術者の周辺を探り続けるスパイはこういう仕事ぶりなのかも知れない。彼らは決して黒ずくめの服を着て盗聴器や隠しカメラを仕掛けたり人や車を尾行する訳ではないのだろう。「何やってる子なのかねぇ」の問いに「踊り子ですよ」と答えたかったが勿論そんな事は言えない。不確かな情報だし。
そして店から出る時に向かいにある黒川理容室に珍しく一人の客が入って行った。その床屋の前にはいつも店の自転車が停めてありその前カゴには見た事の無い猫のぬいぐるみが二つ頭から突っ込まれている。後ろのカゴには黄色く日に灼けたクマのぬいぐるみが乗せられている。入口の両脇には植木鉢が幾つも置かれていて育てているのか勝手に生えているのか分からない植物が年中太陽の日を浴びている。店内には散髪用の椅子が二つあるが奥の方の椅子には古新聞や雑誌が束になって載せられて仕事には使えない。店内の壁紙は所どころ剥がれていて雑にガムテープで留められているし、絵がプリントされた何年か前の大きなカレンダーも貼りっぱなしになっている。また家族の物と思われる服が何着かハンガーにかけられてぶら下がっている。お客用の二人掛けのソファーはやはり半分が雑誌の束でふさがっていて、その隣には昔は一緒に働いていたであろう奥さんがいつも座っている。床の汚れたPタイルは恐らく長い間水拭きもされていない。カーテンで見えない奥の茶の間が店の中に広がってきた格好だ。そんな床屋に滅多に客は来ないと見えて大抵旦那さんはテレビを見たり新聞を読んだりしている。だがそんな店にも時にお客がやって来る。例えば僕だ。駅の向こうには行きつけの床屋があるが混み合っていて他に時間の都合が付けられないときに二度ほど利用したことがある。雑然としているし衛生面でどうなんだろうと思いながら恐る恐る店に入った。技術の良し悪しは分からないが特に仕上がりに問題は無かったと記憶している。
仕事をしながら時々あの踊り子の事を考えていた。あの子は毎朝あそこで踊っているのか、それともあの日が特別だったのか?それを確かめたくなって、ある日休暇をとって明け方に流しの窓から路地を覗ってみた。窓を開けた時には既にストレッチは始まっていた。念のために十日程してまた見た日曜日にも路地であの子は踊っていた。平日にも休日にも行われる確立した習慣だと確信した。その時は自分のやっていることが随分とストーカー的な行為だとは思わなかった。
あの通路の鬱陶しい割れ目さえ無ければ彼女の踊りはもっと自由で素敵なものになっているに違いないと妄想していた。あの穴は絶対塞がれるべきだ、誰かの手でどうにかして。
駅の近くのショッピングセンターの百円ショップで、DIYのコーナーにセメントが売られているのを思い出した。それを使えば何とかなるのではと思った。セメントと砂と水で。そのプランを実行するなら他にどんな物が必要になるのか。例えば左官屋が使う様なセメントや砂を混ぜ合わせる平たい入れ物やかき回す道具。セメントを流し込んだ表面を平らに均すヘラ。きっと他にも気付いていない物がある筈だ。けれども一度もやった事の無い作業で自分の中で現実的に体を動かすイメージが浮かんで来なかった。きっと自分でやるなら大き目のバケツに材料を入れてちいさなスコップで混ぜ合わせることになるのか。余り気の進まないやり方だった。
そしてその計画を実行するならその時期はいつが適当なのかという問題もある。通勤電車に揺られながらも気が付くとそんな事をよく考えていた。ただ時期については恐らくお盆休みか正月休みの頃が良いのではという考えがあった。去年のお盆も今年の正月も踊り子の部屋は夜に灯りが点かなかった。路地に街灯は一つも無いから日が暮れてから歩くには周りの建物の灯りが頼りになる。いつもある部屋の灯りが消えていると直ぐに気付く。だからその時期に電灯が消えていて知らないうちに引っ越したのかと思ったが、お盆や正月が過ぎるとまた彼女の部屋に灯りが点いた。帰省していたのだ。彼女の不在の数日をセメントが渇いて固まる時間にあてられたら理想的だと考えた。
七月に入って最初の金曜日、会社帰りに例の百円ショップにセメントと砂を買いに寄った。久しぶりに入った店内は売り場移動がされたようで、込み合った広い店内を目的の物を求めて暫く歩き回った。漸く品物を見つけて備え付けのプラスチックのカゴにセメント一袋と砂を三袋入れた。袋の説明書きにあった割合だ。そのカゴを持ち上げた時その予想外の重さに僕の計画は変更を余儀なくされた。これだけの材料でどれだけの穴を埋めることが出来るだろうか。小さな穴一つ塞げるかも怪しい。それを何回も繰り返す事が出来るという気がしなかった。塞ぐべき穴は大小五六ケ所あるのだ。カゴを床に下ろし、そして品物をそっと棚に戻した。明らかな誤算だった。暫くそこに立ち尽くしてどうしたものかと考えた。気が付くと混み合っていた店内の客はかなり少なくなっていた。
「甘かったなぁ、これからどうしたものかな」とボヤキながら下りのエスカレーターに乗ってビルを出た。通りはすっかり日が暮れて涼しくなっている。ふらふらと少し歩いて何度か利用したことのある食堂に入った。店は何組もの客で込み合っていて更にアルコールが皆を饒舌にしていた。焼き魚をつつきながら、仕事でもないし、踊り子が自分の恋人でもないのにどうしてこんなに思い悩むのかと自分で可笑しくなった。路地は永遠にあのままなのか?それでも特に問題は無い。僕がどうにかする義理は無い。放って置けばいいかなと思った。
部屋に帰る道すがら何となくコンビニに入った。店内をゆっくり三周してカップに入ったアイスクリームを一個買った。アパートに向かう途中で雲の向こうの夜空が何度か明るく光り、はっきりとした冷たい風が吹き始めた。部屋に帰って服を着替えて座布団を枕にして畳に寝ころんだ。何分も天井板の木目を見つめていた。いつも自炊生活をしているので滅多に夜、外食をする事は無い、しかし気が付いたらいつもより一時間以上も早くにあの店で食事をしていた。とくに腹が減っていた訳でも無いのに。
何度かの雷鳴と稲光と共に大粒の雨が軒を叩き始めた。部屋の隙間という隙間から冷たい空気が流れ込んで来る。水と埃の臭いがした。寝ころびながら暫く雨の音を聞いていた。いつもなら食事を済ませて後片付けを終えてしまっている時刻になっても、雷はこの町のこのアパートの真上に居座ってやりたい放題に暴れて、雷鳴を轟かせて滝のような雨を降らせている。僕はネコをそっと抱き上げてお互いの鼻と鼻を擦り合わせて「明日はあの子のダンスは無しだね」と呟いた。でもこれは嘘だ。ネコは飼っていない。もしもの話だ。裏の窓を少し開けて覗いた大庭さんの庭は水銀灯に照らされて一面が大きな水溜りになっている。近所に大きな建物は無いが何度もあちらこちらに雷が落ちているに違い無かった。そして度肝を抜く音をたてて窓の外が青白く光り地響きと共に部屋の灯りが消えた。
まるで新世界の到来を告げる大雨だ。全ての約束事は無効になりまた今まで積み上げてきた善行も悪行もゼロポイントになる。新世界の始まりはそう云うものだ。けれどもどれだけ雨が降って、火山が噴火して、隕石の落下が恐竜を滅ぼしたとしても朝が来れば僕のやることは何も変わらない。ネクタイを締めスーツを着て駅に向かう人の列に加わるだけだ。
一分ほどして電気の供給は回復した。雷雨は僕の記憶にある限りでは最も長く激しく続いた。忘れていたお膳の上のアイスは水滴を纏ってすっかり溶けていた。雷に怯えて狭い部屋の何処かに隠れたままネコは出てこない。
明け方に雨は止んだ。ニュースは記録的な大雨だったと伝えている。道路と側溝の区別が付かなくなって、そんな所を車が水を掻き分けながらゆっくりと進んで行く。マンホールの蓋が外れて茶色の水が噴き出し、ターミナル駅の周りは冠水しているし、改札口の前に置かれた掲示板を見ながら立ち尽くしている親子は、旅行の計画の変更を迫られていた。ニュースはそんな映像で溢れている。その日僕は幾つかの水溜りを避ける事に失敗して職場に着いた時には靴も靴下もずぶ濡れになっていた。路地を出る時に見た黒川理容室の自転車のあのクマのぬいぐるみにはビニールの風呂敷が掛けられていた。
会社で不用品を置いていた小さな倉庫を休憩室にすることになって、中にあったガラクタを処分するために便利屋を呼んでいた。以前から社屋の周りの植え込みの掃除や駐車場の雑草取りなど細々とした事をやって貰っている。夫婦と若い息子の三人で仕事をしているらしい。今日、彼らがやって来て不用品を運び出しているのを見た時に僕は思った。
「あーそうか、自分で出来なければ他の人にやってもらう手もあるな」と。長く一人暮らしをしていると何事に付け自分一人で片付けるのが当たり前になってしまって、他人の手を借りるという発想が無くなっていた。不用品の運び出しは一時間もかからずに終わったようだ。キャスターの取れたホワイトボードや壊れたファックス、加湿器、取り外されたエアコンと室外機、それに校長室にありそうないつの時代の物か分からない木製の大きな机や飾り棚など。それらを積んでトラックは出て行った。車体には「日の出サービス」と書いてあった。
その日の終業前に日の出サービスに電話をして個人的な依頼として路地の件を話した。内容を聞いて「すぐにでも出来ますよ」という返事だったが、お盆休みにやってほしいと伝えた。あえて日にちを指定した理由は話さなかった。その時期に仕事が出来るか心配だったが、家族でやっているので問題無いということだった。ただ前もって現場を見ておくと言っていた。そして何日かしていよいよお盆が始まった。
僕の勤め先はカレンダー通りに営業をしている。社員は毎年二組に分かれて、お盆の前か後に各自の有給休暇をお盆に繋げて夏休みにする。今年僕は後半に休む事になっていたが、お盆期間中は出社するつもりだ。
お盆に入る前日の八月十二日に早起きをして路地の様子を覗った。踊り子は夜明けに現れていつものようにダンスをした。まだ帰省していないのだ。日の出サービスは明日仕事をする手はずになっている。僕が出勤している間に工事をする約束だ。
工事当日である十三日の明け方も踊り子はいつもの様にまだ穴の開いたままの路地に出て来てルーティンをこなしていた。その後僕が出勤のため部屋を出る時刻になってドアを開けると便利屋の親父さんが路地に立っているのが見えた。
対面で話をするのが初めてだったが「今日はよろしくお願いします」と挨拶すると「ええ、大丈夫ですよ、お任せください」と言ってくれた。これ以上色々心配しても仕方ないだろうと思いながら会社に向かった。表通りには仕事道具を積んだ日の出サービスのトラックが停まっていた。中には息子さんが乗っている。天気は良かったのでセメントはきっとすぐ乾くだろうと思った。
明け方のダンスの後踊り子はいつもどんなスケジュールで生活しているのか僕には全く分からない。どこかの会社で九時五時で働いているのか、若しくはダンスのレッスンに行くのか。そうでなければ生計を立てるべく何処かでアルバイトの掛け持ちをしているのだろうか。今日の工事が始まる前にすでに何処かに出掛けてしまっているのか、それとも始まった工事を横目で見ながら何処か決まった所に出かけて行くのか。今日の外出が帰省のためで二三日留守にするなら良いなと僕は思った。
お盆の時の社内は毎年とても静かで社員も何となく気が抜けた様子だ。あまり電話も鳴らないし大して荷物も届かない。僕は連日の早起きで一日中眠気と戦っていて、仕事らしい仕事は出来なかった。
「工事は無事に終わったのかな。」
そう思っていると退社間際に日の出サービスから電話があって、仕事は問題なく終了したという事だった、お礼を言って電話を切った。帰りの電車に揺られながら、セメントが乾く前に誰かがそこを踏んだりしないか急に心配になってきた。そんな事になったら元も子もない、悲しすぎる。絶対ダメだ。だがそれは杞憂だった。路地まで帰って来るとそれぞれの穴のあった場所の前後にはプラスチックの赤いコーンが置いてあり見たところセメントの表面は綺麗に仕上がっているようだ。部屋の窓から覗いてみると、所どころ色の違った地面と赤いコーンが見えるだけで他に変わったところは無い。
その日、暗くなっても踊り子の部屋に灯りは点かなかった。寝る前に確認した時も灯りは点いていない。田舎に帰ったのだ。理想的な展開だ。
翌十四日、朝出勤する時に恐る恐るセメントを踏んでみると十分に固まっていて問題無さそうだった。これから踊り子が戻ってくる時までにさらに乾いて固くなるだろう。ただ昨日見落としたが一か所だけネコの足跡が付いていた。「まあ別に良いよ、面白いし」と思った。
その日仕事を終えて路地まで戻ってくると赤いコーンは全て無くなっていた。日の出サービスが回収したのだろう。僕は路地の入口から奥まで補修された通路の中央をゆっくりと、そして堂々と歩いた。もう一度入口まで戻りまた奥まで歩いた。僕が依頼して僕のコストでやらせた仕事だ。だから僕にはその権利がある。あとはあの娘が理想の踊りを美しく舞ってくれるのを待つだけだ。その日の夜に踊り子の部屋の灯りは点かなかった。そして翌日の十五日から十八日まで僕の夏休みだ。特に旅行に行くなどの予定は無かった。日の出サービスに支払った工事代金は、丁度一泊旅行で何処かの温泉宿で豪華な食事をして、何か土産物でも買うくらいの金額だった。旅行代金が工事代金に化けた感じだ。気が向いたら実家に帰るかTシャツでも買って映画でも見るかと思っていた。
休暇最終日の前日、十七日の夜にあの子の部屋の灯りが点いた。踊り子は帰って来た。「明日も早起きしないと」と思った。
五時頃にはもう外は大分明るくなっている。流しの窓を開けて僕はその子の登場を待った。今までの様にこっそり見る必要も無い気がして窓は大きく開けていた。何しろ僕がその舞台を改修させたのだから。小さな音をさせて階段から踊り子は現れた。いつもの様にストレッチを始めるかと思ったが、ゆっくりと地面の具合を確かめるように路地の入口まで歩き、そして戻って来た。一体どんな感想を持ったのかは分からないが決して悪い気はしないだろう。舞台はずっと踊りやすくなったのだから。路地を往復した後で何故か彼女は階段を上り部屋に戻って行った。暫くしてまた現れた。そしていつものストレッチの後踊りが始まった。
今日は今までとは全く違う踊りだ。蝶々が羽ばたく様に両腕をゆっくり上下させたり、つま先立ちで素早く小刻みに歩いたかと思うと今度はスローモーションの様なジャンプをしたり、片足を後ろに上げて両腕を広げ胸を張って体を反らすなど、今まで見た事の無い幾つもの新しい動きに溢れていた。勿論両脚を高く開いてする六時五分と五時五十五分のポーズも何度か見せてくれた。教科書に載っていたドガの「踊り子」も実際のステージでこんな動きをしていたのだろうか。
一連の踊りは左手を腰に当て、右手を優しくカーブさせて頭上に持ってきた後一瞬静止して、膝を曲げ小さく頭を下げ挨拶をして終わった。出来れば髪をアップにまとめ正式な衣装(チュチュ?)を身に纏いニューバランスのスニーカーをトーシューズに履き代えればと僕は思った。その踊りが全く新しくなった理由に僕は気付いていた。彼女のスリムなパンツの尻のポケットにさっき取りに戻ったのであろうウオークマンが入っていたのだ。それに繋げて耳に入れたイヤフォンの白いコードは踊り子がくるくる回る度に背中の後ろで弧を描いていた。人に見せるための、そして人に見られるためのキッチリと構成された演目だ。
ウオークマンをポケットから取り出しボタンを押して、また同じ踊りを一から始めた。テープを巻き戻していたのだ。三分近く踊りを続け最後の会釈の時に僕を見上げて微笑んだ。その視線は間違いなく僕に向けられていた。踊りを見られることに慣れている事が分かる。足元が良くなった事できっと何かの演目の通し稽古をする気になっていたのかも知れない。外したイヤフォンのコードをウオークマンに巻き付けながら踊り子は部屋に戻って行った。僕は寝床に戻ったが二度寝するには興奮しすぎていた。
夏休みが終わって最初の休日に、春からずっと放って置いた洗濯物を持って白井クリーニングに行った。
「あら吉田さん、今日はコートとジャンパーですか、はいチョット待ってね。」いつもの様に、カードを渡して控えを貰い会計を済ませて帰ろうとすると奥さんが云ってきた。
「そう言えば吉田さんが、道を直してくれたんですってねぇ。よかったわぁ。長い間ほったらかしだったもんね。」
「どうして僕がやらせたって分かったんですか?」
「あーら、工事の人に訊いたのよ。驚いたわ。吉田さんもいい人ねぇ、これであの子も元気いっぱい自由に踊れるわね。」
「あの子?」
「いえねぇ、この前お隣(猫田さん)のおばあちゃんが、「毎朝踊っている子がいるわよ」って言うもんだからね、一度だけ私も二階の窓から覗いてみたのよ、そうしたらあんた、あの子がクルクル回って踊ってたから驚いたわ。好い人ねぇ。あの人の為に工事させたんでしょ。すぐ分かったわ、こんどあの子に言っておくわ」、そう云われて僕は慌てたし、とても恥ずかしかった。
「ああ、そうなんですか」と言ってそそくさと店を出て部屋に戻った。恐ろしく全てが見抜かれている。見事な情報の収集と分析。
なるほどな、と思った。年寄りは朝が早い、あの子が引っ越して来てから僕が初めてその踊りを見るずっと前から、猫田さんは彼女のルーティンに気付いていたのだろう。
その日の夜にスーパーの買い出しから戻って来ると、色川さんが階段の下で片手に灰皿用の空き缶を持ちながら煙草を吸っていた。遠くから見て「ああ、煙草を吸う人なのか」と思いながら軽く会釈をして二階へ登って行くと、突然階段の下から
「これであの人も思う存分踊れますよね。」と色川さんが声をかけてきた。
「いつも私が寝るころに丁度あの人が踊っているのを見つけて、それから時々此処から見てたんですよ。確かに穴ぼこは邪魔だなって思ってました。吉田さんが工事させたんですってね。洗濯屋のおばちゃんが言ってましたよ。好い人だなぁ。」
「いや、何てことないですよ。」と言って逃げるように部屋に戻ってドアを閉めた。
今日一日で僕の周りの世界が急に違って見えてきた。僕だけの秘密と思っていた踊り子の事が、ずっと前から皆に共有されていたのかと思うと何故か自分の思い込みが恥ずかしかった。
その日から何ヶ月か僕は彼女の踊りを見る事は無かった。あの部屋の電気は毎晩灯っているから、生活の様子は変わっていないだろうし、あの子の事を気に掛けるのは既に僕のやる事でも無くなっているように思えた。きっと何か変化があれば色川さんか洗濯屋の奥さんが、頼まなくても教えてくれるだろう。
暑くも寒くも無い月明りの夜に大庭さんの庭を眺めた。大きな住まいの灯りは台所以外は消されている様だ。その未亡人は縁側に腰を掛けて庭に目をやっていた。着物ではなく楽そうな服を着ている。庭を照らす白い月明りの下を雲がながれた。街の喧騒はゆっくりと夜空に昇って行く。植物が葉の裏で微かに呼吸をしているのが分かる。何処かの家のネコが首に付けた鈴を鳴らしながら草むらから草むらに歩いて行く。そんな静かな夜の闇だ。
ぼんやりと庭を見つめるその人の意識は、記憶という巨大な書庫を巡って、気になった様々な出来事の一つ一つを検証しているのかも知れない。場所は何処で登場人物は誰だったか、原因は何で結果はどうだったのかなどと。それらの事柄は必ずしも時系列で並んではいないし、種類分けのラベルも貼られていない。だからその未亡人は幾つもの書架を納得がいくまで行き来しなければならない。分厚く埃をかぶった大昔の出来事の隣に、ほんの数か月前の騒動があったりする。膨大な数の出来事の記憶を巡り歩いて終いには、そもそも自分が何をしたいのか、またその理由もはっきりしなくなる。
その未亡人はきっとこんな事を思い出していたのかも知れない。
そう言えば主人が友人何人かと東南アジアの何処かに遊びに行って性病を貰って来た。それを妻である自分がまた貰ってしまうという事があった。勿論大変な夫婦喧嘩になった。何日も口を利かなかった。腹いせにひとりで一週間ほど温泉旅行に行った。家には家政婦が居たので主人や子供たちの毎日の暮らしには特に不便は無かった。そして温泉から帰って来た時に主人が
「お帰り、何か土産はあるのか?」と平然と言ってきた。またその言葉を聞いて腹が立った。主人はしばしば無断で外泊することがあり、探偵を雇って調べさせ、問い詰めてみると愛人がいると白状した。娘くらいの年齢の水商売の女だった。また
「お願いだから他所で子供は作らないで」と泣きながら頼んだこともあった。
考えてみると自分と知り合った時もホテルのレストランで食事中に隣のテーブルから気軽に声をかけてきたのだ。きっと結婚してからも外ではそんな調子で歩き回っていたのだろう。地元で手広く不動産業を営んでいた親の二代目で金回りが良く、呑気でお人好しな性格だった。年齢が上がるにつれて女遊びは治まった様だったが、今度は突然、市議会議員の選挙に出ると言い出した。飲み仲間の洋服屋の主人がこの前の選挙に出て当選したから自分でも市議会議員くらいにはなれると思ったようだ。もともと政治に興味はない人だし、もしも議員になるとその妻である自分も人目を気にして生活しなければいけなくなりそうで、子供たちにも協力してもらい全力で止めた。
月が傾き、表通りを行く車も少なくなった頃その未亡人の意識は漸く元の場所に戻って来たらしく、何かを見定めたかの様にゆっくりと立ち上がり、縁側のガラス戸をそっと閉めて家の奥に消えていった。縁側の前の大きな踏石にはその人のサンダルが揃えて置かれていた。僕たちの夜の共有はそこで終わった。
十二月の初めに久しぶりに大庭さんの庭を眺めた。植物の多くが枯れたり葉を落として全体に薄い茶色に見える庭の中で柚子や椿の木が緑の葉を付けていた。強い風の吹く青空の下で欅の枝が風を切って音を立てている。ご主人が亡くなってから明らかに庭は荒れている。植え込みの中や母屋の周りに落ち葉が溜まっている。長年ご主人が自分の役目や楽しみとして庭仕事をして来たので、今になって奥さんが上手に管理をする訳にはいかないのかも知れない。それでも年が明けていつもの様に水仙や梅の花は咲いた。だが桜が咲く頃に庭の様子は例年とは違った。
ある日庭で一人の男性が白い棒を地面に立てて、もう一人が大きな三脚の先端に付いている器具を覗きながら何かを伝えあっている。測量だ。そう云う事か。きっと大庭さんのお宅は売り払われ、古い木造の建物は取り壊されるのだろう。奥さん一人で住むには大きすぎる家だし庭を含め管理も難しい。恐らく子供たちにアドバイスされたのだろう。
「一緒に住もうよ」とか「近くに引っ越して来たら?」とか。一番自然な流れだ。
「お庭が見られなくなるのは残念ですけど、きっとそれが良いと思いますよ。」、目の前にあの上品な奥さんが居たら僕もそう言うかも知れない。
それから一か月程したある日、僕にアパートを斡旋してくれた不動産屋から電話があり、僕の住んでいるアパートが取り壊される事になったので、新たに契約の更新は出来なくなったと言ってきた。まだ更新の時期までには五か月以上あるがそのつもりでいてくれとの事だった。
詳しい話を訊いたらこの物件の所有者は何ヶ月も前に亡くなっていたという事だった。ただ配偶者に先立たれて独りで暮らしていて、相続人として子供が四人いるのだがそのうちの二人がフィリピンとスペインで暮らしているそうだ。そのため相続財産の分割の話し合いの調整に手間取ったらしい。子供たちの暮らしぶりはまちまちで、財産争い一歩手前までいったようだ。外国に住んでいるだけでなくその国の人が配偶者となれば確かに話し合いはこじれそうだ。僕には敷金も返されるし引っ越し費用も提供するという話だ。「やれやれ、引っ越しか」とため息が出た。だが大庭さんのお宅が売払われたらあの素敵な庭があのままの姿で残るとは考えられない。
敷地はかなり広いし地形も良い。例えば建売住宅ならきっと二軒は十分に建てられるだろう。表通りに面しているから、高さのある大き目の建物がひとつ出来るかも知れない。「あの庭が無くなればもうこの古いアパートに居る理由も無くなるな」、どうやらそれが結論かなと思った。下の部屋に住む色川さんも何処かに出て行くのだろう。
気が付かないうちに大庭さんの奥さんは引っ越して行ったようで、梅雨が明けた頃に建物の取り壊しが始まった。瓦や建具、畳などを取り除いた建物を、大きなショベルカーが壁も屋根も端から壊していった。その前に庭の小さな植物はショベルカーで抜き去られたようで、あちこちの土に穴が開いている。欅や桜は根元から切り倒されたようで平らな切り株だけが残っていた。美しく何十年も生きてきた木々もチェーンソーによってあっけなく取り除かれたのだ。僕の部屋のすりガラスの窓にもう欅の葉の緑が映ることも無い。
外壁がなくなって幾つかの部屋の中が陽光にさらされた。壁には額に入った賞状が見えたし、あらわになった小便器が日の光りを浴びて白く光っていた。勝手に見てはいけない、よそのお宅の秘密を覗き見ている気がした。そこでは他人に言えることや言えない幾つもの出来事が起きていたはずだ、きっと。
日曜日で中断している解体作業の現場を部屋から見下ろしながら、僕はその時着ていたレッドツェッペリンのTシャツを脱いで、「どうにでもなりやがれ」と言ってすっかり変わり果てた庭に向かって力一杯に投げ込んだ。もう誰もそれを届けてくれる事は無い。
そう言えば井戸を埋めるお祓いをしたのだろうか。昔からそう云う事をきちんとした方が良いと聞いた事がある。一体奥さんは何処に引っ越して行ったのだろう。子供たちの所かそれとも高級な老人ホームだろうか。
「暮らしやすいと良いですね。あと奥さん、あの時Tシャツをわざわざ届けてくれて有難う御座いました」
引っ越す前に預けっぱなしの洗濯物を白井クリーニングに取りに行った。
「あっ、そうそう、吉田さんも引っ越すのよね。」洗濯した服を渡してくれながら奥さんがいつもの様に気軽に話しかけてきた。
「大変ねぇ。色川大先生も引っ越さなきゃって言ってたわ。面倒くさいからあの子と同じアパートに引っ越そうかなって言ってたのよ。」
「あの子?」
「あのダンスの子よ」
確かに隣のアパートに移るだけなら引越しも何かと楽かも知れない。大抵の荷物は荷造りせずに自分で少しずつ運べば良い。「同じアパートか・・・」そうなるとこれからどんな事になるのかなと考えた。何か濃密な人間関係が生まれるのか。画家のドガと「ドガの踊り子」の人間関係は果たしてどの様なものだったのだろう。何かしらロマンチックな事があったのだろうか。美術史の研究者なら何か興味深い逸話を知っているのだろうか。そう言えば僕は一度もあの子と言葉を交わしたことも無いし、その声を聴いたことも無かった事に気が付いた。綺麗な人だけど案外声は酒やけしていたら面白い。
「ああ、そうなんですか、それで、大先生って言うのはどう言う事なんですか、あの人って何か凄い人なんですか?」と僕は訊いた。
「あら、知らなかった?あの人、上野の美術館でやる有名な展覧会に何度も入選してるのよ。特選も取った事があるの。まだ若いのに凄いわねぇ、ああそうそう、どこかの新聞社が配るカレンダーに大先生の絵が使われたのよ。確かお向かいの黒川さんのお店にまだ飾ってあると思うわ。」
「ああ、あれか」と思った。雑然とした店の中に貼ってあった何年か前のあの大きなカレンダーだ。どんな上手な絵も飾られる場所は画家本人は選べない。どんな絵だったかは覚えてはいないが、かと言ってお店の中に見に行く気にもなれない。
やがてアパートを追い出された僕は少し会社に近い町の、比較的新しい建物に引っ越した。荷物は少なかったので引っ越し自体はとても簡単だった。田舎から出て来て下宿する大学生くらいの荷物の量だ。家賃は上がったが設備も新しいし少し広い。台所には立派な三口のガス台もある。けれども部屋はフローリングで小さな寝室も同様だ。生まれてからずっと畳のある部屋で暮らしてきた僕は新しいアパートに移っても余り上手くそこでの生活に馴染めていない。それに夏になってもセミの鳴き声も全く聞こえてこない。不動産屋には畳の部屋でなるべく緑の多い場所の物件を探してもらったがまるで駄目だった。
ここまで話してきた事は世界が二十一世紀を迎える何年か前までの出来事だ。新世紀になって僕の生活にもインターネットに繋がったパソコンが加わった。世界中の日照りを潤す慈雨の如き善意と、その善意を焼き尽くす業火のような悪意と、真っ白な氷山の谷間で息をひそめる無関心との三つを強烈に増幅して、世の中に晒すあの電脳システムだ。僕の場合世間一般と比べたら随分遅い導入だったかも知れない。しかしその最新のツールのお陰で高校の同級生だったまさふみの消息を知ることになった。
たまたま動画で見た四国の産業を紹介する広報番組で、林業の特集をしていた。杉やヒノキを切って材木として出荷したり植林をしたり、不要な樹木を間引いて山を健全な状態に保つ。林業組合で働いている何人かがインタビューされていてその内の一人がまさふみだった。鈴木正文三十八才、と字幕が出た。その文字を読むまでもなく僕にはその人物がまさふみだと一瞬で分かった。人相も髪型も全く変わっていないし喉元の大きなほくろも彼のものだ、そして全く老けてもいない。まさふみの仕事は高木の枝や幹を伐採したり特に狭い場所や傾斜地での木の処理だ。簡単には切り倒せない建物の屋根を覆う様な大木もある。
そういう二十メートルを超えるような高木の仕事をする職人を「空師」と呼ぶそうだ。「まさふみは空師か、格好良いじゃないか」と僕は思った。彼のヘルメットに着けられた取材用のGoProは遠くに美しい四国の山並みを映しながら、体の動きに合わせて絶えず細かく画角を変えていった。
インタビューに答えて
「山の木を揺らしながら遠くから風がこちらにやって来るのが分かるのが面白いです。」
放送に載ったまさふみの肉声はこれだけだった。あと聞こえるのは風の音や鳥の鳴き声そしてチェーンソーと小さいのこぎりを使う音。それに腰に付けたカラビナの触れ合う金属音だけだ。彼の手元を映していたカメラのレンズは一瞬、青い空に向けられた。はっきりとした飛行機雲が空を横切って伸びていた。カメラのマイクは拾わなかったがまさふみにはその旅客機の微かなエンジン音が聞こえたのだろう。それを眺めるほんの数秒間、忙しない画角の動きは停まった。
その旅客機の中ではこんな出来事があったのかも知れない。
妊娠中の内海リラは、これから先の事を考えるのを止めて、エンジン音に包まれながら、窓の外のオレンジ色に染まってきた空に目をやっていた。妻である自分の妊娠が判って直ぐに離婚を切り出してきたイシュメル。会社の同僚の女性と浮気をしていた。
リラは大学を卒業してから派遣で数年間働いていたデパートの仕事を辞めて、ロンドンに念願の語学留学をしていた。学生の頃からずっと計画をして、そのためにアルバイトを掛け持ちしながら資金を作ってきた。本当はもっと長く留学をしたかったが年齢が上がるにつれてそれ以外の人生設計も考慮しなければと思い、取り合えず二年の留学に決めた。日本でも英会話の勉強は結構していたが英国で暮らすようになって少しずつ会話が上達していくのが感じられて嬉しかった。そんな時に時々女友達と一緒に行っていたパブで声をかけてきたイシュメル、有名な証券会社に勤めて金銭的にも余裕がありそうな人物だった。何度かデートをしてやがて深い仲になる。日本の両親は反対したがそれを押し切って結婚した。向こうの小さな教会で小さな結婚式を挙げた。学校で知り合った友達数人が式に参列してくれた。イシュメルと暮らし始めて暫くして妊娠が判り、やがて浮気が発覚する。直ぐに帰国して両親に打ち明けた。なぜ結婚ではなくありふれた同棲にしておかなかったのか、英国では半分以上のカップルが結局破綻するというのに。何度も考えた。だが好きだから結婚する。それが小さい頃からのリラの正義だった。イシュメルもきっと同じように考えて来ただろう。ただ彼は飽くまでも自分の気持ちを優先させて「インディビジュアリズム」を貫くことが出来る人間だった。そもそも結婚というものに対する考え方が根本的に違っているのか。「結婚を何だと思っているの?」と繰り返しリラは思った。未熟な恋愛と結婚。そして可哀そうなリラ。
旅客機が機体をゆっくり傾け、窓からの夕方の光が向こう側の客席まで伸びて行った。
「あら、失礼ですけどあなた、おめでたなの?」隣のシートに座っていた年配の女性が急に笑顔で声を掛けてきた。名前は長谷川富子。「ええ、そうなんです。」リラは慌てて返事をした。
「娘がねぇ、向こうの人と結婚して孫が生まれたの、それで会いに行くところなの。うちの人にも一緒に行こうって言ったんだけど、飛行機は苦手だとか言って来ないんですよ。いやだわぁ。ほらこの子なのよ、可愛いでしょ。」と言ってさっきから何度も覗いていた携帯電話の中の写真を見せてきた。写真の赤ん坊は微かに金髪のように見える。その女性の声は少し興奮しているようだった。「娘が留学する前に「向こうの人と結婚するのはやめてね」って言っておいたんですけどねぇ。国際結婚なんて、どんなものなんでしょう。まったく分からなくて。」
「そう、私も両親に同じことを言われました。私も今でも分からないのです。」リラはそう言いたかったが勿論言う事は無かった。彼女は決して皮肉屋ではない。ただ恋愛経験の少ない娘だ。英国に着くまでこの女性の話相手になるのかと思うと気が重かったが、少しでも退屈が紛れるならまだ良いのかとも思えた。幸いリラの素性については何も尋ねてはこなかった。きっと孫の事で頭が一杯なのだ。
四国の空の、あの飛行機雲が少し伸びた時、まさふみの意識は高木の上にいる自分に戻って来たらしく、また手と体を動かし始めた。
「山の木を揺らしながら遠くから風がこちらにやって来るのが分かるのが面白いです。」
そうか面白いのか、まさふみ。良かったよ。僕もそれを聞いて本当に嬉しいよ。もう誰も電話をして、「出て来いよ」って言う必要も無いのだな。
君が転校してから僕たちは三年生になってやがて卒業した。みんな進学したり就職したわけだ。僕は下宿暮らしをしてアルバイトをしながら大学へ通いそして何とか卒業した。大学近くの文房具を製造販売する会社で在庫管理や雑用のアルバイトを長くしていてそのままその企業に就職することになった。仕事を教えてくれた人がたまたま大学の先輩で休み時間によくお喋りをして気の合う人だった。その人が上司に推薦してくれた。毎年社員の採用をしている訳ではないがその年には空席があって僕が候補に選ばれたわけだ。一応社長面接があるからと言われて一人っきりで応接室で待っているとワイシャツにネクタイ姿の七十代くらいの男性が入ってきた。僕が慌てて立ち上がって名前を名乗ると一瞬僕の顔を覗き込んで
「君が吉田君ですか、そうですか、吉田君ですか。分かりました、私が社長の石井です。」と言って腕を伸ばし握手をしてきた。
「それではこれから皆と一生懸命働いて下さい。頼みますよ、お願いしますよ。じゃあ、私はこれで失礼しますね。」と言ってさっさと部屋を出て行ってしまった。部下が推薦した人物だから特に何か心配する必要も無いと考えたのか或いは大学を出たての若造と話しても余り面白くないと思ったのか分からないが、実に呆気ない形ばかりの面接だった。新人の顔くらい見ておかないとと考えていたのかも知れない。その人は若干腹が出ていたがズボンのベルトは長さが随分と余っていてその先端は背中の方まで届いていた。
それ以来会社で社長のことは何度も見掛けたが言葉を交わした事はまだ無い。後から分かったのだがこの人が開発した商品は幾つもの特許を取っていてそれが決め手となって会社が大きくなったそうだ。時どき文具関係の業界の大手の企業に吸収合併されるのではという噂を聞くことがあるが真偽のほどは分からない。
酷い就職難の時代で学生はみんな苦労している時に、あれよあれよという間に働き口の決まった僕はとても幸運だった。本当にそう思う。それ以来何とか世間からはみ出さないように真面目に社会人生活を送ってきた訳だ。自分ではそう思っている。税金を払い、家賃を払い、実りの無いデートの食事代を払ったりして。。
まさふみ、知っているか? 僕たちの生き方には二通りあるんだ。
一つ目は、自分の自由を潔く手放して、家族と暮らすという騒々しく賑やかな人生
二つ目は、自らの自由に優先順位第一位を与え、孤独を背負う人生
僕は一つ目の人生に憧れながらも、知らず知らずのうちに二つ目の生き方を選んでいたのかも知れない。高校三年になる時、数学や化学のテストがいつも赤点だったのに、いつの間にか希望してもいない理科系のクラスに在籍が決まっていた。担任の先生に文句を言うと
「悪いけどもう決まっているんだ」と言われた。
「そうか、もう決まっているのか・・・」世の中はそんな風に動いている。僕以外にも同じようなクラスメイトが何人もいた。それでも結果的には大学生にはなることは出来たけど。それが良かったのか悪かったのかは今はまだ分からないよ。もう少し生きてみないとな。
なあ、まさふみ、いま登っている木の仕事を終えたら、さっさと家に帰ってきっと奥さんが作ってくれているであろうあったかい飯を子供たちと一緒に喰えよ。
なあ、まさふみ、君が元気で本当に良かったよ。
なあ、まさふみ、アヤマチスナ、ココロシテオリヨ。




