肉汁したたるいい女 転生公爵令嬢の焼肉道
脂が溶け出し、ジュウジュウと小気味よい音が響く。
網の上で踊るカルビは、外側がカリッと焦げ付き、中は桜色に輝く。
タレの甘辛い香りが鼻腔をくすぐり、隣のサラリーマンが頼んだ生ビールの泡がシュワッと弾ける。
「この瞬間が、私の救い!」
角田彩花、28歳、OL。
深夜残業で疲れ果てた夜、駅前の「焼肉処みやび」に駆け込むのが私の癒しだった。
脂の乗った上カルビを網に置き、表面がパチパチ弾ける音を聞く。
箸で摘んでタレにくぐらせれば、口の中で肉汁が弾け、ストレスも孤独も溶けていく。
お気に入りは、店主が隠し味にリンゴを加えた秘伝のタレ。
それが染みたロースを白飯に載せ、一気にかき込んだ瞬間、私は生きている実感を得た。
なのに……。 なのに!!
「こんな肉の扱いは、冒涜です!!!」
王都の新春舞踏会。
シャンデリアの光が絹のドレスを照らし、貴族たちが優雅に踊る中、公爵令嬢シオン・フォン・グリルシュタインに転生した私は、給仕の差し出した皿に目を疑った。
薄切り肉が味気ないスープに浮かび、硬く煮込まれすぎて繊維がボロボロ。
貴族たちは「上品だ」「繊細だ」と囁くが、私の焼肉魂が怒りに震えた。
「我慢なりません!」
私の声が広間に響き、貴族たちが凍りつく。私はドレスの裾をたくし上げ、コルセットの裏に隠していた特製鉄板を取り出した。
「シ、シオン様!何を!?」
給仕が慌てる中、私は厨房に突進し、貴族たちの視線を背に宣言する。
「失礼させていただきますわ。肉に魂を吹き込む儀式を始めますの!」
鉄板を火にかけ、持参した牛モモ肉を置く。
ジュウッと脂が溶け、香ばしい煙が立ち上る。貴族たちは「下品だ!」と騒ぐが、私は構わず焼き加減を調整。
三分咲きの桜色に仕上げ、箸で摘んで口に運ぶ。肉汁が舌で弾け、前世の解放感が全身を満たした。
「何!?この香りは!?」
貴族の一人が鼻を鳴らし、ついに第二王子アーサー・フォン・モンベリアルドが近づいてきた。
「シオン嬢、これは一体……?」
私は微笑み、焼きたての肉を差し出す。
「焼肉です。この世界に広めるのが、私の使命となりました」
舞踏会が終わり、領地に戻った私は、焼肉道の開拓に没頭した。
異世界の食材は、私の焼肉魂を大いに刺激する、奇妙で魅力的なものばかりだったからだ。
私は鉄板に炎尾牛と水晶豚を並べた。炎尾牛は尾の火が肉を焦がし、スパイシーな香りが広がる。
水晶豚は透き通った脂がキラキラと輝き、甘い香りを放つ。
ああ、神様、私はこの肉に出会うために、この世界に転生したのかもしれない。
これらの異世界の食材を最大限に活かすため、私は領地の鍛冶師さんに頼み込み、魔法の熱伝導石を埋め込んだ鉄板を開発することにした。
鍛冶師さんは、最初は私の奇妙な依頼に眉をひそめていた。
「鉄板に魔法石を埋め込むだと?そんなもの、一体何に使うんだ?」と。
しかし、私が熱く焼肉について語ると、彼の職人魂に火が付いたらしい。
「面白い!やってやろうじゃないか!」
こうして、私と鍛治師さんは試行錯誤を繰り返し、ついに魔法の熱伝導石を埋め込んだ、理想の鉄板を完成させたのだ。その名も『グリルシュタイン・マジックロースター』!
魔法の炎を操り、鉄板の温度を自在に調整する。
炎の色を変えれば、温度も変わる。
青い炎は低温でじっくりと、赤い炎は高温で一気に焼き上げる。
魔法の風を操り、煙を調整し、肉に香りを閉じ込める。
肉の細胞を活性化させる魔法を使えば、旨味はさらに凝縮され、肉汁が口の中で爆発する。
ああ、魔法と焼肉の融合、これこそ私が追い求めていたもの!なんて素晴らしいの、異世界!
領地の住民たちは、私が焼く焼肉の香りに引き寄せられ、毎日のように私の元に集まってきた。
初めて異世界の焼肉を食べた時の彼らの驚きと感動は、今でも忘れられない。
目を丸くして肉を頬張り、「こんな美味いもの、食べたことねえ!」と叫ぶ者、涙を流しながら肉を噛み締め、「シオン様、あなたは神だ!」と崇める者。
私の焼肉は、瞬く間に領地の名物となり、他の領地からも客が訪れるようになった。
「シオン様の焼肉を食べずして、この世界を語るなかれ!」
そんな噂が広まっているらしい。
ふふん、当然だ。私はこの異世界に、焼肉という名の革命を起こすのだから。
ある日、アーサー王子が訪ねてきた。
「シオン卿、舞踏会の焼肉が忘れられない。もう一度食べさせてはくれないだろうか」
「かしこまりました。王子殿下には、炎尾牛のロースを」
鉄板で焼いた肉は、パチパチと小さな火花を散らし、香ばしい煙が王子を包む。
彼は一口で目を丸くした。
「まるで口の中で炎が踊るようだ!君は天才だよ!」
「焼肉が天才なのです。私はその使徒に過ぎません」
そこへ、私の専属騎士クレアス・シシリックが現れる。茶髪の天パが揺れ、緑の瞳が私をじっと見つめる。彼は普段無口だが、焼肉の試食を頼むと様子が変わる。
「クレアス、これをどうぞ。水晶豚のカルビです」
彼は肉を口に運び、しばらく黙って味わう。やがてポツリと漏らす。
「……美しい。脂が溶けて、まるで口の中に星が瞬いているようだ」
普段の寡黙さとのギャップに、私は笑いを堪えた。
「詩人ですね、クレアス。次はもっと焼きますよ」
さらに、王子の婚約者候補の令嬢アンジュ・フォン・メヌエットが現れた。
「シオン、貴女の焼肉やら、話題のようね。私には少々下品に思えましてよ」
私は鉄板に肉を置き、彼女に差し出す。
「食べてからおっしゃってください。アンジュ様の鋭い味覚なら、きっと分かりましてよ」
私はそう言い、薄くスライスした炎尾牛のモモ肉を、魔法の鉄板に乗せた。
ジュウジュウと音を立て、スパイシーな香りが立ち上る。
アンジュ様は、最初は疑わしげな目を向けていたが、やがてその香りに惹きつけられ、肉が焼き上がるのをじっと見つめていた。
「ほら、どうぞ」
焼き上がった肉を箸で摘み、アンジュ様の口元に運ぶ。彼女は渋々といった様子で口を開き、肉を口に入れた。その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「これは……何!?この肉汁、完璧じゃない!口の中でとろける脂の甘み、そして後から追いかけてくるスパイシーな風味……まるで、私のために作られた料理みたい!」
彼女は目を丸くし、信じられないといった表情で肉を咀嚼する。
その顔には、先ほどの高飛車な態度は微塵も感じられなかった。
「食べ物として……完璧すぎる……!」
彼女はそう呟き、二切れ、三切れと肉を口に運ぶ。
その日から、彼女は焼肉に心酔した。
毎日のように私の元を訪れ、焼肉の調理方法や、新しいタレの配合について熱心に質問してくるようになった。
ある夜、私はアンジュ様のために、特別な焼肉を振る舞っていた。
魔法の鉄板の上で、水晶豚のロースがジュウジュウと音を立て、甘く香ばしい香りが立ち上る。
アンジュ様は、その光景をうっとりと見つめ、まるで宝石を眺めるような眼差しを向けていた。
「シオン、貴女の焼肉は、もはや芸術ね。私、貴女の弟子になりたいわ!」
彼女がそう言った時、突如、部屋の空気が変わった。
魔法の炎がゆらゆらと揺れ、部屋全体が不思議な光に包まれる。
そして、私の目の前に、小さな牛の姿の精霊が現れた。ぽてっとした体で二足歩行し、尊大に言い放つ。
「我は肉の精霊グリルゴン!お前の焼肉愛に打たれ、降臨した!跪け、肉の使徒!」
私は鉄板から目を離さず、冷静に返す。
「跪くのは焼肉だけで十分です。極上肉をください。それで協力します」
「むっ!生意気な!だが、その情熱は認めよう!」
グリルゴンは渋々、魔法の「黄金タレ」と「幻の霜降り肉」を授けてくれた。
そのタレは、まるで太陽の光を閉じ込めたような黄金色に輝き、霜降り肉は、見たこともないほど美しいサシが入っていた。
「このタレと肉を使えば、貴様の焼肉はさらなる高みへ到達するだろう。感謝しろよ、人間!」
グリルゴンはそう言い残し、煙のように消え去った。私は、彼がくれた贈り物を見つめ、静かに微笑んだ。
「ふふ、これで、さらなる焼肉道が開けるわね。この『黄金タレ』と『幻の霜降り肉』、一体どんな味がするのかしら……。早く試してみたいけれど、ここは王都での『焼肉フェスティバル』までお預けね。最高の舞台で、最高の焼肉を披露してこそ、この贈り物にふさわしいわ」
王都で開催された「焼肉フェスティバル」は、私が主催する異世界初の肉祭りだ。
領地での焼肉開拓が軌道に乗り、異世界の食材と魔法の鉄板を組み合わせた焼肉は、領民たちを虜にした。
しかし、私の焼肉道はまだ始まったばかり。この感動を、王都の人々にも味わってもらいたい。そう考えた私は、アーサー王子に相談を持ちかけることにした。
「王子殿下、王都で焼肉フェスティバルを開催したいのです」
私の提案に、アーサー王子は目を丸くする。
「焼肉フェスティバル?それはまた、面白いことを考えるね、シオン。でも、王都の貴族たちは、君の焼肉を理解してくれるだろうか?」
「理解してもらうまでです。私の焼肉は、彼らの常識を覆すほどの美味しさですから」
私は自信を持って答えた。
アーサー王子は、私の熱意に押され、フェスティバル開催の許可を出してくれた。
しかし、問題は山積み。
会場の確保、食材の調達、そして何より、貴族たちの理解を得ること。
私は領地の住民たちにも協力を仰ぎ、準備を進めた。
「シオン様の焼肉を、王都の人々にも食べさせてあげましょう!」
彼らは、自分たちのことのように喜び、フェスティバルの準備に奔走してくれた。
そしてついに、異世界初の「焼肉フェスティバル」が開催される日が来たのだ。
私は会場でグリルゴンの「幻の霜降り肉」を使い、鉄板で焼き上げる。
脂が溶け、パチパチと弾ける音が会場に響き、観客が「美味しそうな香りだ!」と騒ぐ。
アンジュも負けじと、自作の「薔薇風味タレ」で水晶豚を焼き、甘い香りが漂う。
「シオン嬢の肉は芸術よ!あの肉汁がたまらない!」
「いや、アンジュ嬢のタレが絶妙だ!薔薇が香り高く美しささえある!」
観客が二人の焼肉に熱狂する中、私はアンジュに微笑む。
「素晴らしいタレですね。でも、私の霜降り肉には敵いませんよ」
「ふん!次は貴女を越えてみせますわ!」
クレアスは私を守りながら、焼肉を焼き続ける私を見つめる。
彼の緑の瞳が、炎に照らされて揺らめき、まるでそこに私の姿だけが映っているかのようだった。
「……美しい。シオン様の肉は、魂を揺さぶります」
彼の声は低く、いつもより柔らかく響いた。私は鉄板から目を離さず返す。
「ありがとう、クレアス。でも褒めるなら肉だけにしてね」
私が笑うと、彼は少し頬を赤らめ、視線をそらした。
その横顔に、どこか切なげな影が宿っていることに、私は気づかなかった。
アーサー王子が近づき、真剣な顔で告げる。
「シオン、君の情熱に惹かれた。僕と未来を――」
「王子殿下、肉が冷めますよ。まず食べてください」
私の焼肉愛に、彼は苦笑いした。
対決の末、私の焼肉が勝利。
アンジュは悔しがりつつも笑顔で握手を求めた。
「貴女には敵わないわ。でも、焼肉仲間として認める!」
その夜、フェスティバルの喧騒が遠くに消え、鉄板の残り火が静かに揺れる中、クレアスが私の前に立った。
彼の手には、私が焼いた最後の肉が握られている。
クレアスは私の焼いた最後の肉を手に持っていた。彼の緑の瞳が揺れ、普段の無口さが嘘のように言葉が溢れる。「シオン様、あなたが肉を焼く姿を初めて見た時、心が震えました。炎に映る笑顔、誰よりも真剣なその手つき……ずっと守りたいと思った。愛しています」私は鉄板を見つめたまま、少しだけ息を止めた。彼の声に宿る熱が、私の焼肉愛と同じくらい真っ直ぐで、胸が温かくなった。
彼の声は震え、緑の瞳が私を真っ直ぐに見つめる。
私は肉を焼きながら、少しだけ手を止めた。
「嬉しい言葉ですね、クレアス。でも、今は肉が大事なので……少し待っていてください」
私は微笑み、再び鉄板に目を落としたが、心のどこかで彼の言葉が温かく響いていた。
彼の真剣な想いに気づかぬふりをしながらも、その夜の風が少しだけ甘く感じられた。
数ヶ月後、私は念願の焼肉店をオープンした。
店名は、私の誇り高き姓を冠した「グリルシュタイン焼肉亭」
異世界初の本格的な焼肉店は、連日大盛況だった。
貴族も平民も、私の焼く肉の肉汁に魅了され、至福の表情を浮かべている。
彼らの笑顔を見るたび、私の夢が叶ったのだと実感する。
ある日の閉店後、クレアスが店の裏で私を待っていた。
彼は少し緊張した面持ちで、私に近づいてくる。
「シオン様、あの……」
彼は深呼吸をし、意を決したように私を見つめた。
「シオン様、あなたと、そしてあなたの焼肉を愛しています。僕と結婚してください」
私は鉄板から目を離さず、微笑む。
「焼肉と私、どちらが大事?」
クレアスは少し考え、真剣な眼差しで答えた。
「……両方です。あなたと焼肉は、僕にとってかけがえのないものですから」
「正解です。よろしくお願いします、クレアス」
私はそう言い、彼の手に自分の手を重ねた。彼の瞳には、喜びと安堵の色が浮かんでいた。
アンジュは、開店当初から店の常連だった。
彼女は、新しいタレや焼き方が登場するたびに、目を輝かせて感想を述べる。
「シオン、今日の肉も最高だったわ!特に、あの魔法のハーブを使ったタレ、絶品ね!」
彼女は、他の常連客たちともすぐに打ち解け、焼肉仲間として楽しい時間を過ごしている。
アーサー王子も、時々店を訪れる。彼は、私の焼肉が異世界に与えた影響を、感慨深げに語る。
「君の焼肉は、世界を変えたよ。貴族たちの食卓は、以前とは比べ物にならないほど豊かになった。
平民たちも、特別な日に焼肉を食べるのが、彼らの夢になった。君は、この世界に新しい文化を創造したんだ。僕も、君の焼肉に出会えて、そして君に出会えて、本当に幸せだ」
アーサー王子の言葉に、私は微笑み返す。
焼肉亭の成功は、貴族と平民の壁を溶かした。ある日、貴族の少年と平民の少女が一緒に肉を焼き、笑い合う姿を見て私は思った。焼肉はただの料理じゃない。この世界に新しい絆を生む、私の使命なんだ、と。
「王子殿下、ありがとうございます。私も、この世界で焼肉を通して、皆様と出会えたことを幸せに思います。そして、クレアスと出会えたことも……」
私は、少し照れながらクレアスを見る。彼は、いつもの無表情を崩し、優しい眼差しで私を見つめていた。
鉄板の上で肉がジュウと鳴き、肉汁が滴る。私は、目の前の光景に、胸がいっぱいになる。
焼肉は、私を救い、愛をくれた。
この異世界で、私は肉と、そして大切な人たちとの絆を掴んだのだ。
この幸せが、いつまでも続きますように。私は、心からそう願った。
「さあ、皆さん、次の肉が焼き上がりましたよ!最高の焼肉を、最高の仲間たちと、心ゆくまで楽しみましょう!」
私は、焼き上がった肉を皿に盛り、皆に配る。
彼らは、至福の表情で肉を頬張り、幸せそうに笑い合う。その光景を見ながら、私はクレアスの隣に立ち、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
「クレアス、私、あなたと結婚できて、本当に幸せです」
「シオン様……。僕もです。あなたと、そしてあなたの焼肉と共に、これからもずっと一緒にいたい」
クレアスの言葉に、私は微笑み、彼の肩にそっと寄り添う。鉄板の炎が、私たちの未来を祝福するように、優しく揺らめいていた。
そして、その夜、私はクレアスと共に、二人だけの特別な焼肉ディナーを楽しんだ。
「クレアス、この『幻の霜降り肉』、本当に美味しいわね。まるで、口の中でとろけるみたい」
「ああ、シオン様。この肉は、あなたと僕の愛のように、とろける甘みと、深い味わいがある」
クレアスの言葉に、私は顔を赤らめる。
「クレアスったら……。焼肉と出会ってからロマンチックなことを言ってばかりだわ」
「あなたといると、僕は詩人になってしまうのかもしれない」
クレアスはそう言い、私の頬にそっとキスをした。私は、彼の優しい眼差しに吸い込まれそうになりながら、そっと目を閉じた。
「クレアス……。私も、あなたを愛してる」
私たちは、焼肉の炎を囲み、愛を確かめ合った。
肉の焼ける音、タレの香り、そして愛しい人の温もり。
この幸せが、いつまでも続きますように。私は、心からそう願いながら、焼肉の香りのするクレアスの腕の中で眠りについた。