もう一度だけパンツを見せてくれ! と言われましても……。
――――なんでこうなった。
王城裏の洗濯場。
洗い終えた洗濯ものをこれでもかと入れたカゴを両手で抱え、えっちらおっちらと運んでいた。二往復するか、無理して一度で行くかのキワキワだったのだ。
そして、無理して行くと、碌なことにならないというのを、身を持って知った。
足元がよく見えていなかったせいで、小石に蹴躓いた。
盛大に空を舞う洗濯ものたち。私はというと、三点倒立のような格好になりながら、結局は俯せで地面にビタンと打ちつけられた。しかも、お仕着せのスカートが完全に捲れ上がるという残念な格好で。
至極最悪だが、ここまでならよかった。ここまでなら、まだ。
「あ……白」
――――白?
転んだ痛さと恥ずかしさで再起できずに、地面に倒れ込んだままで数秒ほど無になっていた。人通りが少なく、通っても同僚女性だし、まあいいだろう、少し凹ませてくれ。と、ここまで考えて、いま聞こえた声が男性じゃね? となり、慌てて起き上がった。
バチリと合う視線。
新緑の瞳がゆっくりと下がり、私のスカート辺りを見て、またゆっくりと顔に戻ってきた。
どこかで見たことがあるような、金色のショートカットの男性で、服は騎士服に近いような感じ。
誰だっけなこの人。と考えていると、男性が意を決したような表情をした。
「…………もう一度、見せてほしい」
「はい?」
「だから、もう一度だけパンツを見せてほしい!」
「はいぃぃぃ!?」
出逢いは最悪だった。
いまの印象も最悪だが。
私が洗濯している横に腰掛け用の低いイスを持ってきて、手伝いもせずにクダを巻いている。たぶん素面だけど。
「エマのパンツが見たい」
「うるさいです」
「王太子だぞ?」
「関係ありません」
初対面でパンツを見せろとか曰ったのは、セルジュ王太子殿下だった。
三十二歳、未婚、婚約者なし、異性への興味もなし。パンツへの興味は尋常じゃなくある。という、完全に事故物件の人だ。
「お妃様を迎えれば見放題ですよ。仕事の邪魔です。執務に戻ってください」
盛大にコケたあの日から、毎日のようにセルジュ殿下が洗濯場にやってくる。同僚たちは気遣って少し離れたり、違う仕事をしに行ってくれるが、その気遣いはマジでいらない。頼むから変態と二人きりにしないで欲しい。
だがしかし、同僚に頼んでも「まぁ、照れちゃって! うふふふ」と微笑ましいものを見るように笑い声をあげられるだけだった。
「……結婚とはいいものなのか?」
「知りませんよ。両陛下に聞いて下さいよ」
「あぁ、そうか。平民や王城に関わりのない貴族らは知らないんだよな。あの二人、クソ仲が悪いからな。余計に結婚が嫌になっているんだよ」
セルジュ殿下が膝に肘をつき、手のひらに顎を預けて大きなため息を吐き出した。
陛下たちは政略結婚だったらしく、お互いに想い人がいたせいもあり、何十年経った今でも不仲なのだとか。今はお互いにその想い人とこっそりと逢っているそう。
「っ、そ……それを私に言っていいのですか!?」
「ん? 城内の者たちは知っていて無視しているし、別にいいだろ」
――――いいんだ?
洗濯している間に、セルジュ殿下が勝手に話していた内容を聞くに、幼い頃から両陛下に愛されたという記憶がなく、ただ時々来る偉い人という感覚しかないのだとか。
好きな女性は出来たことがなく、好きかもしれないなと認識する頃には色仕掛けをされたり、他の令嬢たちとの牽制のし合いを見せられて、完全に萎えていたのだという。
「二十後半からは、ほぼ色仕掛けだな」
「パンツ見放題じゃないですか」
「見せびらかされたモノに何の価値がある。そんなものはただの衣装だろうが」
「……衣装というか下着ですけど?」
セルジュ殿下の論理が分からずに、普通に普通の返答をしてしまった。そうしたら、セルジュ殿下が嬉しそうに前のめりになってきた。
「そう、下着なんだよ! エマのは下着なんだよ! 白いパンツ――――冷たっ!」
イラッとしすぎて、洗濯タライの中に入っていた水を勢いよく掛けてしまった。しまったと思いはしたものの、とき既に遅し。クビ、最悪は不敬罪を覚悟したものの、セルジュ殿下は嬉しそうに微笑んで、濡れた髪を掻き上げていた。
カッコイイなと思ってしまったのが、なんだか悔しい。
「エマは可愛いな」
「っ…………殿下は、変態ですね」
「男は皆そんなもんだろ」
――――全世界の真面目な男性に謝れ。
「さてそろそろ執務に戻るか」
少し離れたところから、セルジュ殿下の護衛騎士さんがすごい形相で走ってきたので、怒られそうだなと思っていたら、殿下が騎士さんを手で制して笑いながら立ち去ってしまった。
騎士さんはチラッとこっちを睨み見ていたけど。
「お前のせいで、殿下が風邪を召された」
セルジュ殿下に水を浴びせた三日後、殿下付きの騎士さん二人が洗濯場に来た。一人はあの日すごい形相をしていた騎士さん。剣の柄に手を添えていて、今にも抜きそうな雰囲気。
流石に斬られはしないと思うけれど、処罰は免れないかもしれない。
「どのような処罰でもお受けいたします」
臣下の礼を取り、騎士さんたちの足元に跪くと、もう一人の騎士さんが慌てたように側に来た。
「殿下が見舞いに来てほしい、と貴女を呼んでいます。ただ、それだけです。罪には問われませんので!」
「おい。違うだろ。殿下はその女の弱みに付け込んで連れて来いと言っただろうが」
「…………えぇ?」
――――つまり、どういうこと?
殿下の言外のお気持ちを汲み取れとか、殿下が言ったことが絶対だ言葉を曲げるなとか、騎士さんたちが言い合いを始めてしまった。
「あの……つまり、風邪を召された殿下のところに向かえばいいのですか?」
「はい、そういうことです!」
「ずっとそう言っているだろう。愚図が」
「レジス! 言葉が過ぎるぞ!」
セルジュ殿下大好き好きな騎士さんはレジスというらしい。覚えておこう。優しそうな騎士さんの方の名前は伺えないままに、セルジュ殿下の私室の前まで引きずられて来てしまった。
道中、騎士さんたちの口喧嘩が酷かったせいで、既にドッと疲れている。
部屋の中に入ると、侍女さんらしき女性に部屋の奥にある扉の前まで案内された。
「殿下、いらっしゃいました」
「んー、エマだけ入れてー」
いつもよりも低く掠れた、気だるそうな殿下の声。本当に風邪を引いていたのかな?
侍女さんに言われるがまま中に入ると、少し薄暗い部屋の端にあるベッドに上半身を起こした殿下が、力なく笑って手招きしていた。いつもはキラキラサラサラしている金髪がしっとりとしている。
ベッド横のイスに座るよう言われたものの、本当に私のせいで風邪を引いてしまったようなので、床に跪こうとした。
「エマ。君にそれをされたくない。座って」
「っ……はい」
セルジュ殿下の声から、強い拒否が伝わってきた。少し、怖いと思ってしまった。なぜ、ここに来てしまったんだろうか? 使用人も誰もいない、殿下と二人だけの空間に、ほぼ平民の私がいるという危険性を知らないわけではない。
「怯えないでくれ」
「はい……」
「エマは男爵家の娘だな?」
「はい。一代限りなので、ほぼ平民ですが」
父が若い頃、森で遭難しかけた国王陛下御一行を助けたとかで、叙爵していた。ただ単にきのこ採りの森の奥深くで発見して村に案内して泊めただけらしいけど。
王妃様が身籠っていたらしく、父がいなければ大変なことになっていたとかなんとか…………あれ? その時の子どもって、もしかして?
「男爵になった経緯は知っているな?」
「は……い」
「運命だと思わないか?」
セルジュ殿下はいつから知っていたんだろう? それによっては運命というよりは、計画的な何かではと思うのだけど。そこについて聞こうとしていた。
「輝くような白いパンツとぷるんとした尻たぶ――――イッタァァァ!」
セルジュ殿下が頬を染めながら、両手でお尻を下から持ち上げるような仕草をした。勢い余って脳天にチョップしてしまった。
「何と運命的な出逢いをしてるんですか!」
「エマの白パンだろうが! もう一度見せろ!」
堂々と言い張られた。この人、本当にアホだ。
「まぁ、それは冗談として」
――――絶対に冗談じゃないわよね?
セルジュ殿下曰く、私と他愛のない話をして過ごすのが楽しかったのだという。だから、素性を調べたのだと。初めは侍女にしようと思って。
「公的にセクハラをしたくて……?」
「おい。私は一体どういう扱いなんだ」
好きだけじゃどうにもならないものがある。地位だ。どんなに結ばれたいと思っていても、平民ではあまりにも壁がありすぎるので、まずは侍女にし、親戚筋の養女にする話を取り付け、数年後に――と考えていたそう。
「計画的というか、用意周到ですね」
「欲しいものは欲しいからな」
「パンツが?」
「っ、エマがだよ!」
そう言ったセルジュ殿下の顔は真っ赤だった。風邪のせいではない気がする。
そんなセルジュ殿下につられてか、私も顔が熱くなってきた。
「部屋に入ってきた瞬間、怯えていただろう?」
「っ…………はい」
「ん。すまなかった。レジスが納得しなくてな」
レジスというのは、あの怖い騎士さんのことよね? 謝罪をさせなければ気が済まない、罰を与えるべきだとか騒いでいたらしい。だから、私を呼び出したのだと。
「強制的に呼び出して、済まなかったな。パンツ見せてくれ」
「はぃ……いやいやいや! いまの会話の流れでよくソレ言いましたね?」
「チッ」
危うく流れで『はい』と返事してしまうとこだった。ほぼ言っちゃってたけども。
セルジュ殿下がいたずらっ子のような笑顔になったので、これは彼なりのごまかしというか、気遣いなのかもしれないと思うことにした。力いっぱい舌打ちされたけど。
「なぁ、そろそろ折れないか?」
「パンツは見せませんよ!」
「んはは! じゃあ、私に愛されろ」
「なっ――――!?」
何を言い出すのかと、文句を言いたかったけれど、心臓が破裂しそうなほどに脈打ち、喉の奥がギュムッと締まって、声が出なかった。全身が熱い。
「爵位ありの令嬢なら問題ない」
一代貴族の娘など、問題ありまくりだと思うけれど、セルジュ殿下は問題ないと言い張る。なぜなら、全ての縁談を断りまくっていたせいで、国王陛下が誰でもいいから気に入る者を連れてこいと言っているから、らしい。
「それでも、誰も選ぶつもりなどなかったんだがな。白パ――――エマとなら、素の私でいられる」
白パンツと言いそうだったので、そっと拳を胸元まで上げたら、言い直された。
「それ本当に思ってます?」
「そうでなければ、私室には呼ばないし。こんな格好など見せない」
「っ……」
ガウンは着ているものの、普段のように着飾っていない。ヨレヨレの夜着に、汗でぺったりとした髪。結構顔色も悪い。
素のセルジュ殿下。
「エマ、愛してる。私のものになれ。パンツはしばらく我慢してやる」
「ふっ……あははっ! 何ですか、その告白は」
「返事は?」
「結婚まで、ちゃんと我慢してくださいね?」
「っ! ん!」
パンツパンツとうるさい王太子殿下と、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。
巷では、王城で私たちが出逢って恋をしたことや、父が両陛下を助けたことが運命的出来事のように語られることとなった。
実際は、パンツなのだけど。
「そろそろ、見せろ! 白パンツ!」
「初夜にそれはないですっ!」
「ずっと待ってたんだぞ! 白パンツをもう一度見るためにっ!」
もう一度だけパンツを見せてほしい! と言われても……何もときめかないし、ちょっと引く。けれど、ちゃんと愛されているんですよね、私。たぶん、きっと、愛されてるんですよね……? パンツ以外の部分も。
「当たり前だろうが。白パンツはオプションだ!」
――――オプション。
やっぱりよく分からないけれど、ちゃんと愛されてはいるようだ。
―― fin ――




