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秋時雨とBAR

作者: 駒場脩

「うわっ! 雨だ! 本当っ、最悪!」


 華の金曜日だというのに、いきなり雨が降った。パラパラとスーツに少しだけ冷たい雨粒が当たる。会社から出たときは、満月がしっかりと見えていて、まだ夏の暑さが残っていたはずなのに。


 本当についていない。今日、僕は順調に進んでいたはずの作業でつまずいた。完璧だったはずのプログラミングが単体テストで不合格だったのだ。上司に詰められた上に、修正作業に追われていた。


「どうしよう。雨宿りできる場所は……」


 辺りを見渡すが、ビルだらけだ。しかも、カフェやパン屋しかなく、すべて閉まっている。モタモタしているうちに、肩に雨粒が当たる。


「これでいくしかないかなぁ」


 雨に打たれて、帰るしかない。そう思っていたときだ。明かりのついたお店を発見する。黒い塗装、黒いドア。ドアノブは金に輝いている。


『BAR SHIKI』


 お店に吊るされている看板を読み上げる。バーの名前は人名? それとも、四季? 興味がそそられる。


 いや、今は雨を凌がなければいけない。ここで立ちっぱなしではダメだ。神にもワラにも縋る思いで、金のドアノブを掴み、勢いよく引いた。


「いらっしゃい!」


 店に入ると、アップハングとメガネが似合う20代後半ぐらいのダンディな男が挨拶する。彼のカジュアルスーツがスタイリッシュさを演出する。もしかして、この人がマスターなのかな。


「ワタルさん、勝手に挨拶しないでください」


 和服を着た2つ縛りの女性は、ジト目でとワタルさんと呼ばれる男を睨みつける。カウンターの奥にいるのだから、この人がマスターだろう。


「ごめん、ごめん。シキちゃん」


「毎回、お客さんに絡みにいくのを辞めてくださいよ。いくら、高校からの友達でもやっていいことと悪いことがありますよ」


「本当に悪いと思ってるんだって!」


 不機嫌そうなシキさんと平謝りをするワタルさん。


 イチャイチャしているな。僕を置いてきぼりに、マスターとお客さんが語らう。


 ぼーっとしていると、ワタルさんが僕をまじまじとみていた。彼のメガネには、雨に濡れた姿が映っている。


「君、服が濡れているけど、何があった?」


「実は雨が降っていて」


「雨が降っていた。それは災難だったね」


 シキさんは真白なタオルを差し出した。タオルは丁寧に折りたたまれている。


「サービスです。どうぞ」


「ありがとうございます」


 僕は頭と顔についた水滴を拭き取った。そのまま、濡れた服をポンポンと叩き、できるだけ、タオルに水を吸わせる。


「後ろ、ハンガーあるよ」


 ワタルさんは後ろを指差す。振り向くと、壁にハンガーがかけられていた。


「ありがとうございます」と軽く会釈をし、ワタルさんの席に座った。


「当店はこちらのお品書きのほかに、店主のおすすめの一杯がございます。1杯500円とリーズナブルですので、一度お試しください」


 丁寧に、シキさんはバーのおすすめを提示してくれた。その時の笑みはとでも穏やかで温かいモノだった。


「シキちゃん! 早速、僕にオススメの一杯をお願いしていいかな?」


 隣で元気よく、ワタルさんは手をあげる。


 シキさんは心底嫌そうな顔をするが、「承りました」と返事をした。棚から角張った瓶を手にする。ラベルに書かれている文字は、知らない単語が書いてあった。


 ショットグラスにお酒を注ぎ、ワタルさんの目の前に置く。


「ありがとう。いただきます」


 ワタルさんはショットグラスのお酒を一気に飲み干した。お酒をワタルさんが飲み干すと、げほっ、げほっ、とむせた。飛沫を飛び散らさないように、左手で口を塞いだ。


 咳がおさまった後、机の上に置かれていたチェイサーを手にし、ググッと一気に飲み干す。


「シキさん、何を飲ませたんですか?」


「イチジクのリキュールですよ」


 シキさんはむせるワタルさんの姿を見て、ニコニコしている。お品書きを渡した時と同じ笑顔だが、どこかドス黒い雰囲気を感じた。


「……アルコール度数は40%。しかも、イチジクのお酒。参った。もうやらないから、勘弁してくれ」


「分かれば良いんです」


 意外とSなんだ、シキさん。迷惑客に対する対応に慣れているのだろうか。


 僕自身も、ワタルさんの犠牲のおかげで、このバーの面白さに気づいた。シキさんがワンコインでその人らしさや、お客さんに伝えたいことをお酒で表現してくれるのだ。


 今の僕なら、どんなお酒を出されるのか。興味がそそられた。


「シキさん、僕もオススメの一杯を一つ」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 シキさんは軽く会釈をすると、奥の方へ引っ込んでいった。


「君、今日なんかあっただろ?」


「えっ!? ワタルさん。なんで、分かったんですか」


「入ってくる時、勢いよく開けたでしょ? 何か嫌なことでもあったんだな、ってすぐに分かったよ」


「当たりですよ。うまくいっていたと思った案件でしくじってしまって。上司に絞られた上に、リカバリーで1日潰れたんです」


「まるで、秋時雨みたいだな」


「秋時雨?」


 僕は首を傾げた。今日会ったことを打ち明けたと思えば、いきなり訳わからない例えをし始めたのだ。なんか、変な人に絡まれてしまった。オススメの一杯を飲んだら、このバーを立ち去ることにしよう。


「不思議そうな顔をしてるね。知らない? 秋時雨」


「はぁ……。知らないです」


 ワタルさんが話を続けようとすると、シキさんが戻ってきた。両手には、抱えるように一升瓶を持っている。


「ワタルさん、何か変なことを言ってないですよね?」


「何も? ただの世間話だよ」


「なら、良いです」


 シキは棚から矢来紋の江戸ガラスの容器を手にする。濃紺に染まったグラスはどこか神秘的な印象を与えた。


 そのグラスに透き通るほどに透明なお酒が注がれる。


「お待たせしました」


 カウンターの上に、お酒が置かれる。


「いただきます」とグラスを手にする。矢来紋のグラスに注がれたお酒は星のように輝いている。グラスの濃紺はまるで、夜を連想させる。


 まずは、一口。第一印象は角の取れたまろやかな味わい。嫌なことがあり、傷ついても、その傷を癒してくれる。そんな気がした。


 これを飲めば、元気がもらえる。そんな気がしたのだ。一口、もう一口と飲んでいくと、いつのまにグラスの中のお酒が無くなった。


「今回はひやおろしを提供させていただきました」


「ひやおろし、ですか? シキさん、詳しくお話を聞かせてもらえませんか?」


「春にしぼったあと、一度火を入れ、夏の間に熟成させ、秋に出荷するお酒です」


 ひやおろし、か。初めて耳にするお酒だ。雨宿りのためにこのバーに来たおかげで、新しい世界を切り開くことができた。


「顔つき良くなったね。いやぁ、元気なってよかった。まさに、秋時雨を飲んで嫌なことを忘れるとは思いもしなかったよ」


 割って入ってくるように、ワタルさんは話しかけてきた。よく見るとラベルには、筆で書いたフォントで「秋白雨」と書かれていた。


「このお酒の読み方は『あき、はくう』ね。白雨は時雨のこと。にわか雨といえばわかるからな」


 ワタルさんはお酒の名前と意味を教えた。


 このうんちくがオススメの一杯として出された理由をなんとなく理解するきっかけになった。だから、秋に降るにわか雨はこんなに優しい味がするのか。しかも、味わい深い。


「ワタルさんの言葉だけだと理解しにくいので、私から説明します。雨はネガティブな印象を与えます。例えば、豪雨といったものは災害を起こしてしまうのです」


 シキさんが説明している途中で、ワタルさんは人差し指を立てた。シキさんがうなづくと、今度は5本指を揃え僕の方を指差した。


「それと、ジントニック。お願いね」


 シキさんはジンとトニックウォーターをバーカウンターの上に置いた。ジンは日本で精製されたものを使用。トニックウォーターは市販で販売されているものだ。


 冷蔵庫から冷えたトールグラスを取り出し、氷をグラス一杯に入れる。大胆に入れたものの、氷はグラスのリムを超えることはなかった。次いで、ジンをジガーカップに注ぎ、グラスの中に入れる。その後に、トニックウォーターを注ぐが、見事にトニックウォーターが氷に触れることなく、注がれていく。最後にゆっくりとバースプーンでかき混ぜ、ライムを輪切りにしたものを浮かばせる。


「お待たせいたしました」


 シキはワタルにジントニックを渡す。すぐさま、次のお酒の作成に取り掛かった。ジントニックより作り方は簡単だった。ロックグラスに秋白雨を注ぐだけだ。完成すると、僕の目の前に置いた。


「ワタルさんの頼みです。どうぞ、お受け取りください」


 僕はワタルさんの顔を見て、会釈をする。ワタルさんは親指をグッと立てて、白い葉を見せる。


「話を続けましょう。しかし、雨はなくてはならない存在です。雨がなければ、水はありません。つまり、命の源なんです」


「だから、水白雨を飲んだら、元気になったんですね」


 シキさんの説明を聞き、自分なりの答えを出した。これがあっているのかどうかはわからない。この感覚は気のせいかもしれない。でも、言葉にしなければならない。そんな義務感に駆られた。


 シキさんは


「その通り」


と心地よい声色で答えた。


緊張感がなくなり、安心感が芽生えたのだろうか。シキさんの声を聞き、体がほてった。


「ワタルさんの言っていることは、悪いことを飲み込んで、元気になった。自分は苦難を乗り越えた、という意味で」


「間違いないと思います。そうですよね? ワタルさん」


 いきなり、話題を振られたワタルさん。飲みかけのジントニックを置いた。


「間違いない。何があったかは知らないけど、そんな落ち込む必要はない。のちのち、笑い話にしていけば良い」


 ワタルさんはジントニックを飲み干し、「それと」と話を続けた。


「店主のおすすめは季節に沿っている。イチジクのリキュールはイチジクの収穫時期が10月まで。秋白雨は秋に降る雨だし。ひやおろしも秋に出荷される。心と季節を考え抜いた一杯に出会えるのが、このバーの良いところだよ」


 最初、ワタルさんは馴れ馴れしくて、少し苦手だった。しかし、だんだんと話してくると、知識が豊富で、面白い人だと思った。もう少し、ワタルさんのことは知りたいし、シキさんが作るお酒を飲みたい。だから、僕は決心をした。


「ワタルさん、今日は一緒に飲みませんか?」


「おっ、誘ってくれた。もちろん、今日は飲もう」


「それじゃあ、イチジクのリキュールでも?」


 僕がお酒の名前を言うと、シキさんはイチジクのリキュールを注ごうとする。


「ま、ま、待ってくれ。その時期に、イチジクのリキュールを飲むのは、変だろう? ほら、イチジクは10月で収穫が最後のはずだ。この場に、似合わないよ!」


 ワタルさん両方の手のひらをシキさんに向け、懸命に止めようとする。


「ワタルさんの言う通りですね。それでは、700円でこの場にふさわしいカクテルを作りましょう」


「おっ、シキちゃん。良いね! お願いしようかな。さて、君はどうする?」


 シキさんの提案に、ワタルさんは乗り気だ。僕も彼の意見に賛成だ。


「僕もお願いいたします」


 早速、シキさんは準備に取り掛かった。卵黄、砂糖、アブサン、キュラソー、アマレット、ラムを大きめのシェイカーに入れ、手首だけを動かして、シェイクをする。


シェイクをしている途中、ワタルさんが「500mLのシェイカーを初めて見た」と教えてくれた。いつもと違うことをしているのは、何故だろうか。


 その答えはすぐにわかった。シェイクし終えると、3つのカクテルグラスを用意する。すべてのグラスにカクテルを注ぐと、僕とワタルさんの前に置いた。


 シキさんがステムを持ち上げ、「ワタルさん、そして、お客様」と声をかけた。


「君、乾杯しよう」


 ワタルさんが僕にステムを持つように促す。それに従い、ステムを持ち上げた。ワタルさんも準備ができたところで、シキさんは乾杯の音頭を取る。


「ワタルさんとお客様の良き出会いに乾杯」

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