079 泥沼より出でたる慈愛
すっかりと夏の日差しである森の中を、警戒しつつ慎重に歩を進めるリーネリアに続くアーシア。
かなりゆっくりとした行程ではあるが、初めての森林探索にしてはそれほど悪くはない。
良くもないのはご愛敬である。
しばらく歩いて、ギルドで受け取った地図を頼りに、最初の採取目標であるクサフセがあるであろう一帯までたどり着いた。
「アーシアちゃん。私が周りを見張っておくから、採取お願い」
「りょうかーい」
リーネリア嬢が雷の探知魔術を張り巡らせアーシアはその間に採取に取り掛かった。
アーシアは聞いた通りにクサフセの採取を数か所で少しづつ丁寧に行っていった。
クサフセはいわゆるクチナシのような植物で、その花に薬効がある。
用法としては不眠症や心の不安を和らげる効果がある。
あまりなじみのない植物であるため、勝手がわからず多少は悩みもしたようだが、それでもギルドで聞いた採取方法をうまく行えていた。
アーシアの移動に合わせて離れすぎないように位置を調節してリーネリア嬢は付き従い、ほどなくして依頼に必要な量の採取を終えた。
「アーシアちゃん。依頼分が終わったなら、自分も必要だと思う分も多少は確保しておきましょう」
「そうですね。何かに使えるかもしれませんしね」
やり方をある程度理解できたアーシアは、それから長く時間はかけずに、納品分と同量程度をさくさくと集めて、採取の完了をリーネリア嬢へと告げた。
「おっけー、次行こうリーネちゃん」
「うん。じゃあ進むね」
次なる採取目標は咳止めゴケと呼ばれるガセカゴケ。
コケである以上目的地は水辺。
一同は森の中にある小川へと向かった。
道中特に何もなく無事に小川へと到着し、同じ要領でアーシアが採取を行った。
無事に依頼に必要な量と、自身で確保しておく分を採取し終えたところで、アーシアが何かを見ているのにウェイトリーが気づいた。
そこは水が滞り沼のようになっている小さな池のような場所であった。
「何を見てるんだ?」
「あの、少し離れたところにもコケ生えてるなって思ってみてたんですよ」
「コケは水が滞ってるところからは採取しない方がいいぞ」
「味が悪いんですよね? ちゃんと聞いてきたんでわかってますよ。
でも、あのコケの近くに一本だけ綺麗な花が咲いてるじゃないですか。蓮みたいですけど、あれ何かなぁって思って」
「ん?」
言われてウェイトリーもそのあたりに目を凝らしてみれば、そこにはポツンと一本の花、蓮の花が咲いていた。
おやおや? と思ったウェイトリーがその蓮を鑑定して見たところ、それはかなりレアな、いや幻と言ってもいい植物であることが判明した。
「アーシア、あれヒリカハチスだぞ」
「なんですかそれ。蓮の花ですよね?」
「今ヒリカハチスって聞こえましたけど」
驚いたようにマリーもこちらにやってきた。
「あれだ。ちょっと見に行こう。リーネ嬢、ちょっとあの蓮の近くまで移動する」
「わかりました」
そうしてその場所に移動して、改めて確認して見れば、それがヒリカハチスであることが間違いないと判明した。
それを見たマリーが感心したように声を上げた。
「すごいですねこれ。回復効果はリミナ草をやすやすと越えてますし、解毒効果もアミゲネイ以上ですね。流石は『慈愛蓮』」
「『慈愛蓮』ですか?」
「これは非常にレアで効能の高い薬効植物でな。これ一本で最上級ポーションが作れるとも、あらゆる病気を癒すとも、どんな毒でも打ち消すとも言われてる植物だ。
そして死んで間もない人を生き返らせるともな。
もちろん、誇張や与太話もあるし、これだけでなんでもできるというわけにもいかないんだが、実際それに近い効果を備えている。
あまりになんにでも効くもんだから『精霊の与える癒しの慈愛』と言い伝えられていて、通称『慈愛蓮』と呼ばれている」
「それは、とても貴重な植物なのでは?」
「とんでもなく貴重な植物だ。なかなか生えることのない植物でな。群生することもまずないと言われている」
「あの、ウェイトリーさん、それだと採取すると不味いですかね? きれいだしちょっと欲しいなって思ったんですけど」
「いや……。うーん、ちょっと調べてみよう。マリーさん、こいつはもしかするともしかするかもしれないぞ」
「ですね! 俄然テンションあがってきましたよ」
ウェイトリーは汚れることを厭うこともなくその沼に入っていき、蓮の花の根元辺りを調べ始め、マリーはその沼の水をいくつかの場所でフラスコに汲み、円を描くように振りながら、真剣な表情でそれを見つめていた。
そんな二人の行動をあっけにとられて見ているリーネリア嬢は、一応ちゃんと警戒しておこうと周囲に意識を巡らせ、そういう行動をしてもおかしくなさそうと思っているアーシアは、特に気にした風でもなくその蓮を綺麗だなーと眺めていた。
一般的にヒリカハチスは、澄んだ綺麗な水面に生えていることが多いとされている。
また、濁っていたり汚れた水面にも生えている場合も確認されているが、その場合は回復効果が低いとも。
今回の場合は後者に当たるだろう。
そして、その結果を踏まえて、数々の研究者がごくわずかに手に入れたヒリカハチスの生育を試みたようなのだが、どれもうまくいくことはなかったようだ。
やはり大事なのはその場所の環境であり、それが解明できない限りは生育は不可能とされ、今でも研究は行われているらしいが、それを調べる絶好のチャンスがやってきたわけだ。
植物を含むあらゆるものの鑑定に長けたウェイトリーと、同じくそれらに深い造詣を持ち魔力的な見地に非常に強いマリーは、実物があればある程度解明できるのではないかと踏んでいたのだ。
ただ、余りにもレア過ぎて、かつ見つかれば速攻で採取されてしまう植物ゆえに調査する場所がなかったのだ。
「主さま、これかなり水草属性に近いです。ほんの少しだけ土よりといった感じです」
「こっちも大体わかったぞ。綺麗な水だと回復力があって、汚れた水だと回復力が薄い原因が」
「どういった原因なんですか?」
「汚れた水を浄化してその分だけ回復力を高めるんだよ、コイツは。だから綺麗な水に生えてるやつは水質の浄化が終わった場所だったんだろうさ」
「なるほど。では汚れた水に生えていたものはまだ浄化途中であった、と」
「これアーシアのため池で育つぞ」
「これが育ったら最強ですね。ウールネル植物図鑑がひっくり返りますよ」
「採取しよう。採取しない理由がない」
「ですね!」
キャッキャとしつつも細心の注意を払いながら、周辺の泥と水をまとめて、アミゲネイ育成用にいくつか買った水はけ用の穴が開いてない大きな鉢植えに植え替えていった。
「……なんかこの二人楽しそうだねリーネちゃん」
「そうだね。でもアーシアちゃんの家の池で育てるって言ってるよ?」
「育つならきれいだしいいかな」
「すごい回復効果があるんならアーシアちゃんもうれしいんじゃないの?」
「え? あー、そっか! たくさん増えるかな!?」
「増えたらいいねー」
ややダメな大人になっている二人を眺めながら、少女二人はそんな会話を交わしていた。
「すまん、余りにもレア植物だったんでテンション上がってしまった」
「主さまはこの辺り調べてなかったんですか?」
「今日はな。以前来た時にはなかったぞ」
「じゃあどうやってここに生えたんですかね? というか来た時には咲いてなかっただけとか?」
「これは研究者の間でも眉唾と言われているんだが、精霊が育ちそうな場所に植えるそうだぞ」
「せーれい?」
アーシアがなんで急におとぎ話みたいなこと言い始めたんだろう、とアホを見る目をしたが、ウェイトリーは真顔のまま続ける。
「生育環境が整ってる場所にある日突然現れるそうだ。もちろん花がいきなりってわけじゃなくて球根みたいなのが知らないうちに植わっていることがあるそうだ。
昔、どこぞの人が住んでないお屋敷に、次の住む人間が決まって庭にある池の整備が行われることになったんだが、その時にまだ芽が伸び始めたばかりのこれの球根が見つかったことがあるらしい。
もちろん、球根を誰かが入れたのではと言われているんだが、そもそも生育がほとんどうまく行ってないせいで、ちゃんと育つ球根の方が、薬効のある花部分より出回ってないんだよ。
だからまだ芽が出たばっかりの球根の方が花よりよっぽどレアなんだ」
「だから誰かが用意したのではない、と?」
「というか、誰も立ち寄らないところに何故かポツンと一つだけ咲くことがあるから、それが由来で『精霊から与えられた』って言われているらしい。
まぁ今回みたいに人がわりかし通りかかるような場所に生えてるケースもあるみたいだけどな。
事実として精霊が植えてるのかどうかはわからないが、そう言われても不思議ではないくらいにはどこから来たのか特定できないんだとさ」
「何ともロマンチックな話ですね。ウェイトリーさんはどうお考えなんですか?」
「今のところなんとも言えんなぁ。精霊が植えているというのも別にあり得てもおかしくはないと思っているが、鳥なんかのフンに種なんかが残っていて植物の生息範囲が広がるって話もあるからなぁ。
なんかそういうヒリカハチスに関わる害のない魔物みたいなのがいると言われても不思議ではないんじゃないかなとも思う。
興味深い話だとは思うが、それはともかくとして生育の可能性やその植物の使い方のほうが興味あるって感じかな」
「なるほど」
「自分で増やせるなら別に精霊だろうが鳥だろうがどうでもいいといえばどうでもいいからな」
「使う用途が多い私たちからすればそうかもしれませんね」
「もろもろうまくいって、育てられるし増やせるっていうのが解明出来たら、そのあたりも気になるかも、ってくらいか。
まぁ実際問題興味深いテーマではあると思うが、俺は別に植物学者じゃないからな。
生えてる場所、使い方、育て方、増やし方を知ってれば十分だよ」
「それはそうですね」




