055 死の淵に立つ少女
「本題は、今回連れてまいりましたこちらのアーシアを、辺境伯領指定錬金術師として俸給をいただき、彼女の意向に寄り添ったご配慮をいただければと考えおります」
「……詳しく聞こうか」
「はい。彼女はこの辺境伯領の領民で、領都付き農家の娘です。その彼女が薬草を育てているのはご存じですか?」
「ああ。報告は受けている」
「その彼女が作る薬草は、薬効は薄いですが、味がよく、そのまま食べてもよいくらいの品でして。それで作られたポーションは飲み口が優しく、飲むときの味に躊躇する必要がありません。
そして彼女には薬効が薄くともちゃんと効果のあるポーションを作る技術を教えました。まだ教育の途中ですので、現状では下級ポーションを作る程度ではありますが、あと数か月で中級はもちろん、上級ポーションも作ることのできる錬金術師として育て上げます」
「そのようなことが可能なのか」
「アーシアの努力次第ではありますが、彼女の努力をこの三週間見た限り、十分に可能であると判断しました」
「そうか」
「はい。つきましては、アーシアの意向に寄らないその技術の外部流出の防止や薬草以外の素材の入手の補助、そしてアーシア自身の安全の保証などをいただきたく、此度は参らせていただきました」
「ほう。貴殿は先ほど、アーシアの意向に寄り添ったといったが、それはどう考えているか聞かせてくれ」
「はい。アーシアは家族と共にあることを望み、今の生活を続けたいと考えています。
なので、アーシアの意に沿わない転居であったり、政略による婚姻の斡旋などは極力控えていただきたいと考えています」
「政略結婚か。貴殿はその平民の農家の娘がそのようになると考えているのか?」
「閣下。これは初めに断言しておきます。彼女は、先ほどの光魔石なんぞよりも確実に価値があります」
「それほどか」
「はい。ですので、彼女がへそを曲げるようなことになれば、その光魔石が二、三ほど砕け散っても足りないとお考え下さい」
「解せんな。何をして貴殿にそこまで言わしめる?」
「彼女の努力、心根の優しさ、理解力の高さ、錬金術への適正の高さ、薬草への強いこだわり、そして何よりも祖母から受け継いだ意志です」
「祖母、か……」
ベンゲル辺境伯は遠い過去を思い出すように視線を宙を彷徨わた。
「アーシアといったな」
「は、はい」
「アントンの娘で、リーザ殿の孫だな?」
「はい。その……おばぁちゃんを知って、いやえっとご存じなんですか?」
「口調は気にしなくていい」
「は、はい。ありがとうございます」
「俺は昔、リーザ殿に救われたことがある」
「そう、なんですか?」
「ああ。……寒い冬だった。この辺りではそれほど積もることのない雪が積もったせいで行商が滞ってな。
そんな時に、街で酷い流行り病が広がった。俺もその病にかかったのだ」
「……聞いたことがあるような気がします。確か、二十年くらい前だったって」
「そうだな。それくらいのはずだ。薬の調達が間に合わず、病を患ったものが順番に死んでいくような状況だったのだ。
そんな時だ。リーザ殿が大量の薬をここに持ち込んでくれたのは。リーザ殿は言ったそうだ。『あたしは前を向いて戦いにきただけだ』とね。
俺はそれで九死に一生を得たというわけだ」
「おばぁちゃんがですか」
「ああ。つまり彼女は俺の命の恩人というわけだな」
そしてベンゲル辺境伯は決心したように向き直っていった。
「俺はやっと恩返せるというわけだな?」
「それはおばぁちゃんのですよ!」
「そうだな。だがリーザ殿はもういないからな。君に返すとしよう。
……いや、違うな。むしろ我が領はこれから君に助けてもらうことになるのかな?」
「そんなことありますかね!?」
「あると思いますよ、アーシアちゃん」
挙動不審になるアーシアをマリーがなだめつつにこやかに笑った。
「よし、いいだろう。貴殿の要求は全て飲む。これは我が領にとっても有益なことだ。この話を蹴る必要はどこにもない」
「いいお返事を聞けて、大変恐縮です閣下」
「だが、ちゃんとこの国一番の錬金術師にしてくれよ?」
冗談めかして言うベンゲル辺境伯にウェイトリーは力強く肯定した。
「ご安心を。この世界中どこを探しても、私の連れより優れた錬金術師はおりません。その教えを受けた生徒が国一つの頂点に立てないなどありえません」
「吐いたな貴殿? その言葉は取り消せないぞ?」
「もちろんです。取り消す必要がありませんので」
ウェイトリーは堂々と言い放ち、ベンゲル辺境伯は不敵に笑った。
そしてアーシアはそのやり取りをひっくり返りそうになりながら聞いていた。
細かい内容を詰める必要はあるが、十分な言質をもらうことができた。
この話はこれで大団円といえるだろう。
あくまでアーシアの話は。
ベンゲル辺境伯は仕切り治すように紅茶を一口飲み、それからウェイトリーを見た。
「さて。じゃあ話はまとまったが次の話だな」
「はて? こちらから話すことはもう話し終えましたが。閣下は何の話をされるおつもりですか?」
「俺の娘のことはどうやって知ったか教えてもらおうか?」
やや険のある表情でウェイトリーは問い詰められたのだが、普段通りの真顔で、なんだそんなことか、と答えた。
「あぁ。お嬢様、よく窓の外を見てますよね。
……最近よくカラスを見かけるといった話などは聞いていませんか?」
「カラス? カラスがなんだ」
「私の使役する眷属の一体ですよ」
「……つまり貴殿は我が屋敷を監視していたと」
「監視というと人聞きが悪いですが、見ていたのは街全体ですね。当然、閣下のお屋敷は一番目に入りますから。
なにせ街で一番大きい」
「そうか。それはまぁそういうことでいいだろう。ではなぜ窓から見えた娘が病を患っているなどと解る?」
「解りますよ。私は生と死を司るデッドマスター。『死を篝て命を灯す』のが私の本職ですからね。
生者として治すのも、死者として送るのも思いのままですよ。……そしてその逆も」
「……治せるのか。娘を」
「五分十分ほどいただければ十全に」
「何が欲しい。何が目的だ?」
「欲しいものはもういただいてしまったんですよね。言うなれば、魔石と同じ、この機会をいただけたお礼か、或いはもののついで、ですかね」
「ついで、か……」
ベンゲル辺境伯は葛藤している。
本当に信用できるのか。
デッドマスターとは何なのか。
娘は本当に治るのか。
試す以外に何か知る方法はないのか。
これは、グラッツギルドマスターから話を聞いた時からずっと考え続け、悩み続けたことであった。
今日、この時に、その相手と会って、それで決められるのならばとも考えていた。
だが、ことこの瞬間に至っても、その葛藤は消えることはなかった。
ものすごい悩んでいるのが何だか気の毒になってきたウェイトリーは代替案を提示することにした。
「あの……、そんなにお悩みなのであれば、別に今日ではなくともいいですよ? 半年ほどはこの街に居る予定なので、それまでにお声かけいただければ、こちらのわがままを聞いていただいた手前、いつでも参上致しますが」
「いや……。今日を逃せば、俺は決断できないような気がするのだ」
「左様ですか。ではお待ちしましょう」
悩み、思考へと嵌るベンゲル辺境伯に、アーシアが声をかけた。
「あの、辺境伯様。私はウェイトリーさんを信じてもいいと思います」
「なぜだ? なぜそう思う?」
「ウェイトリーさんは、胡散臭くて、いつも真顔で、何考えてるのかあんまりわからなくて、すぐ変なこと言うし、正直言っておかしな人ですけど」
「(どうして俺は急にボコられてるんだ?)」
「(日頃の行いだと思いますよ?)」
小声で何やら話す二人を無視してアーシアは続ける。
「ちゃんとするときはちゃんとして、やるべきことはちゃんとやるし、わからないことはちゃんと教えてくれるし、優しくて人を大事にする人なんです。だから大丈夫だと思います」
真剣にその言葉を聞いていたベンゲル辺境伯は、少し目を瞑って、長く息を吐いた。
そして決心を口にした。
「娘を頼む。ウェイトリー殿」
「心得ました、閣下」
通された部屋には、形容するに真っ白な少女がベッドに腰かけていた。
長く白銀の美しい髪をそのままに流し、澄み切ったどこまでも蒼い空のような瞳をしている。
顔立ちも、絶世の美少女と呼ぶにふさわしく、まだあどけなさの残る顔は、百人が見て百人が可愛らしいと言うだろう。
だが、肌は青白く、腕は細く、顔も首もどこにも健康的な肉付きというのは見て取れない。
少し小突けばそのまま死んでしまうのではないかというほどの見た目が、彼女をまるで死人のように見せていた。
その少女がゆっくりとこちらを見て、小首をかしげ、近くにいる父に声をかけた。
「お父様、どうなさったのですか?」
「リーネ。少しいいかい?」
「もちろんです。私はずっと退屈をしておりますので、時間はいくらでもありますわ」
「体調はどうだい?」
「さして変わりはありません。いつも通り、といったところでしょうか」
「そうか」
親子の会話に聞き耳を立てつつ、ウェイトリーが実際に直にその少女を見るのは初めてであった。
見立てによれば、弱いのは心臓と肺か。
正直、もしここが日本で、移植手術などの特別な処置をしていなければ、もうとっくに死んでいるだろうな、というのがウェイトリーの所見であった。
なぜ生きているのかと問われれば、彼女は自身の魔力を使った身体強化で心臓と肺を補強して、生きながらえているというのが見て取れた。
才覚か、或いは生への渇望か。いやその両方だろう。
それが彼女の命をこの年齢までつないでいると言えた。
「リーネ。私はどうしていいのかまだ決めきれていないのだがな。彼が、リーネの身体を治療する術を持っているというのだ」
「まぁ。新しいお医者様ですか?」
「いや、彼は冒険者だ」
「冒険者様ですか」
「リーネ。彼の治療を受けてみてはくれないか?」
「もちろん。普通に暮らしていける身体よりも欲しいものなんて、私にはありませんから」
それを聞いて、意を決したベンゲル辺境伯がウェイトリーに声をかける。
「ウェイトリー殿。頼む」
「はい。少しお話をさせていただきますね」
そうして、リーネリアの前までやってきたウェイトリーはまずはあいさつから始めた。
「お初にお目にかかりますリーネリア嬢。私はウェイトリーというしがない冒険者でございます」
「初めましてウェイトリー様。ロイダール・ベンゲルの娘、リーネリアです。
……あの、変なことを聞くのですがよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「もしかして幽霊カラスさんのご主人様ではありませんか?」
「おや。どうしてそうお思いに?」
「魔力の色がとても似ているように感じるのです。幽霊カラスさんは時々、花を届けてくださる、とても紳士な方なので、いつかお礼を言えたらと思っていたのです」
「私の指示ではないですね。そんなとこをしていたとは初耳です」
「そうだったのですか。では幽霊カラスさんに伝えた方がよろしかったでしょうか」
「呼びましょうか?」
「ぜひお願いします」
「では窓を少し。少々お待ちください」
窓に寄り、窓を開けた。
そしてウェイトリーは街の上空や、特定の場所の監視をしているレイブンレイス達に、お嬢さんに花を届けていたジェントルマンは集合と意志を飛ばせば、ほどなくして一羽のレイブンレイスが窓の縁へと停まった。
「まぁ! ホントにお呼びになれるんですね」
「ええ。彼らは私の眷属ですから」
手にレイブンレイスを停まらせて、リーネリアの近くに立てば、リーネリアはニッコリと笑ってその様子を見た。
「幽霊カラスさん。いつもきれいなお花をありがとうございます。ずっとお礼が言いたかったのですが、なかなか言えずごめんなさいね?」
レイブンレイスは、片羽だけを広げてそれに答える。
何となくだが、そのしぐさから最初に呼んだレイブンレイスなんじゃないかとウェイトリーは思った。
「ウェイトリー様もありがとうございます。おかげでお礼を言う機会がいただけました」
「リーネリア嬢は、幽霊のカラスが恐ろしく感じたりはなさらないのですか?」
「そうですね……。初めは普通のカラスと違いが判らなかったせいでしょうか? 特に何とも思いませんね」
「そうですか」
ウェイトリーは、なんとなくだが、彼女自身が死と近い場所にいるからではないかと思った。
一通りの挨拶とお礼などが済んだ後、ウェイトリーは窓にレイブンレイスを移動させた。
「それで、あの……。ウェイトリー様は、本当に私の身体を治すことができるのですか?」
「ええ、もちろん。魔法一つで痛みもなく終わりますよ」
「何か準備などは」
「必要ありませんよ。準備がよろしければよければすぐにでも」
「であれば、何か対価を……」
「リーネリア嬢。怖いですか?」
何かと矢継ぎ早に聞くリーネリアに、それを遮るようにウェイトリーは聞いた。
理解はできる。
この場合、恐ろしいのは、治療が未知のものであるからではなく、それでも治らない可能性をである。
リーネリアは心の内を見透かされたような言葉に、口を噤んだ。
「リーネリア嬢。恐怖はそのままでも構いません。ですが、私にほんの少しだけお時間をいただきたい」
「でも」
「私は私にできることを確実にこなしますので」
そういって、ウェイトリーはメインデッキから一枚のカードを抜いた。
瞬間、ウェイトリーから魔力がほとばしる。
その総量は上級冒険者の魔術師丸まる一人分ほどの魔力に匹敵した。
その魔力がゆっくりと、だが確実に右手に収まるカードに集まっていく。
リーネリアはその光景にただ圧倒されていた。
色として魔力を認識できるリーネリアは、その膨大な量の魔力が緻密な流れとなり収束し、一つの形へと組み上げられていくその様に、驚愕と畏怖を感じ。
そして何よりも美しいと感じていた。
時間にして数十秒。
魔力が完全に収束する。
「『魂命修復』」
ウェイトリーがそう唱えれば、収束した魔力は黒と白の光となりってリーネリアを包んだ。
そしてその光もほどなくして消える。
まばゆい光に目を細めて、終わってみればあっけないもの。
本当にこれで治ったのかとベンゲル辺境伯はやや懐疑的な目をウェイトリーに向けるが、リーネリアは違った。
「いかがですか、リーネリア嬢」
「これは……」
「リーネ! 身体はなんともないか?」
「お父様」
そう言ったリーネリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「どこか痛いところがあるのか?」
「いえ、いえ。どこにもないのです。痛いところも。苦しいところも。どこにも、ないのです」
「それじゃぁ……」
「こんなに身体が軽くて、清々しい気持ちになれたのは初めてです」
「リーネ!」
父娘はお互いに強く抱きしめ、リーネリアは力がちゃんと出せることに、そしてベンゲル辺境伯は普段よりも力強く抱きしめられたことに、身体の完治を確信できた。
二人でわんわん泣くのを見て、ウェイトリーはそそくさとその場所を離れて、近くで同じく涙を流している執事風の男に、応接室に戻っているので、落ち着いたら声をかけてくださいと伝えて、空気と化していたマリー、アーシア、グラッツギルドマスターを連れて、その部屋を離れた。




