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「…私がルーカス・フォン・ノベルディックです。アリシア・オルシアス嬢」


 オルシアス、という名にまだ慣れないのだろう。少し困ったような顔をしたあと、差し出されていた私の手を取った。その手は私のものよりもずっと冷たく、体調の悪さを物語っていた。


 かなり馬車酔いをしていたはずなのだが、それをおくびにも出していない。儚げな見た目に反して相当精神力があるようだった。


 アリシア嬢はそのまま私の手に体重をかけて馬車をおり、私を見上げた。


「ありがとうございます」

「いえ」


 何人か、周りにいた兵士たちが息を呑んだのが分かった。向けられた笑みは確かに息を呑むほど美しい、という言葉が良く似合う、言うなれば女神のような微笑みだった。


 元々の顔立ちの良さは持ち合わせているが、どう笑えば最も美しく相手の目に映るのか、その全てが計算されたような、そう思ってしまうような完璧な微笑み。


 これを素でやっているのならさすがはオルシアス大公の娘からと思っていると、突然頭の中にドスの効いた低い声が流れ込んできた。


(こんな笑顔を浮かべていれば満足かしら、誘拐犯様。一ヶ月前に手紙を送り付けてはい結婚してくださいなんて無茶な要求を呑んであげたのに、ここまで扱いが酷いなんて礼儀がなってないわね。そんなに私の存在が邪魔なのなら皇帝陛下に進言でも何でもしてくれたらいいでしょ。顔が良ければ満足だろとでも思っているのかしら。あのノアとか言う補佐官も馬車の中で散々私を馬鹿にしてくれるし、ベンジャミンとかいう男はエドを殴るし。あの男だけは絶対に許さないわ。とりあえず公爵様の側近たちは全員くずぞろいね)


「………」


 一度は目を逸らしたが、もう一度確認するためにアリシア嬢の顔を見ると、やはり女神のような優しい微笑みを浮かべている。

 先程聞いた声も、鈴の音のような可愛らしい声だったはずなのだが、頭の中に響いたものは別人のようだった。


 なるほど、ここまで外面と心の差が激しい妻とは想像していなかったな、と思いノアを見ると、アリシア嬢を散々馬鹿にしたというノアは何故か満足そうに頷いていた。


 大方アリシア嬢を試していたのだろう。そして満足しているということは、アリシア嬢がノアの求める理想の公爵夫人に近しい者だったのか、それとも逆に、能力は無いが扱いやすい女性であるから安心ですよということなのか。


 どのみちノアは綺麗に騙されたようだ。アリシア嬢の演技に。


 その時御者台から男が降りてきた。ノアが連れて来た執事最有力候補のベンジャミンという男だ。

 彼の心声は聞こえてきたことがない。つまり、日常をほとんど直感だけで動いている。それこそ、主の命令と自分の勘だけに従う人形のように。


 この男だけは連れていったのか、と考えていると、重なっていたアリシア嬢の手がぴくりと動き、警戒するかのように後ずさりした。


 彼女の言う、友達を殴った男というのはベンジャミンのことだと直ぐに分かった。


(絶対絶対許さないわ。これでエドの骨が折れでもしていたら、あんたも同じ目に遭わせてあげるんだから。公爵夫人命令で崖から投身自殺させてやるわ)


 声に出さず物騒なことを宣言しているアリシア嬢をおいて、ベンジャミンに向き合った時、さらに重ねて頭の中に声が流れた。


 いや、声と言うより、泣き声に近い。可哀想なほど震えていて、か細いその声は今にも消えてしまいそうなほど悲痛に満ちていた。


「…待て、ベンジャミン」

「…?はい」


 ベンジャミンが訝しげにその場に立ち止まる。


 どうやら声の主はアリシア嬢のようだ。ただし、声が先程までのドスの利いたものとは違う。


 友人を殴ったベンジャミンに恐怖心を抱いたのか、いや、噛み付かんばかりの怒りに溢れていたはず。


 ならばアリシア嬢は、何を恐れている?


「旦那様?」

「お前血が付いているぞ、途中で獣でも狩ったのか?」

「……野犬が出てきたもので」

「そんな姿をアリシア嬢に見せるんじゃない。女性に対する最低限の礼儀だ」

「失礼いたしました」


 ベンジャミンが下がる。馬車の影に入った時、アリシア嬢の声は薄れていった。アリシア嬢が恐れていたのはあの血だろうか、と推測するが、まだかすかに聞こえてくる。


 中に入りましょう、と声をかけてエスコートの腕を差し出すと、またあの笑みを浮かべて手を乗せてくる。そこには僅かの動揺も見られず、あの声は別人のものだったかと思うほど自然な笑顔だった。


 だが、確かにあの怯えた声はアリシア嬢のものだった。


「体調は大丈夫ですか?初めて馬車に乗る方は馬車酔いを起こすことがほとんどですから、もし吐き気などがあったら遠慮せずに教えてください」

「ご心配ありがとうございます、私は平気ですわ」


 その返答は見事というもので、怒りや恐怖全てを殻に閉じ込めた、彼女が作り出した偽りのアリシアそのものだった。





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