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「アリシア様、ご気分はどうですか?」

「大丈夫です」


 窓の外を見ながら返事をすると、ルヴェラが隣に立った。


「…もう、最後の日なのですね」

「………」


 あの日、公爵様が部屋から出ていったあと、入れ替わるようにルヴェラが来た。そして泣きじゃくる私を慰めながら、元の場所へ帰りますか?と尋ねた。


 元々私が体調を崩した頃からその話は出ていたそうだ。公爵様も容認していると。


 答えはもちろん一択だった。早く帰りたい。ロゼやエドに会いたい。けれど、それよりも、一刻も早く公爵様から離れたかった。醜い姿を見せる前に、綺麗なまま、去ってしまいたかった。


 あれから公爵様が逢いに来てくださることはなくなり、あっという間に予定の日になった。もう馬車が用意され荷物はまとめられ、後は私がそこに乗り込むだけだ。


(乗ってしまえば、…すべて、終わる)


 ただの平民だった私が公爵様の妻になるために公爵家へ来て、公爵様に出会って、ルヴェラに出会って、食べたこともない美味しい料理を食べて、優しい人々に囲まれながら幸せに暮らす。


(あぁ、私なんだかんだ言って、ここでの暮らしは好きだったのね…)


「アリシア様と離れることになって、とても寂しいです。どうかお元気にお過ごしくださいね」

「…はい。ルヴェラも、体に気をつけて」


 優しく抱きしめられる。この暖かい腕も最後なのかと思うと悲しい。私が夜熱にうなされている時も、家に帰らずずっと私のそばに付いていてくれた。子供が待っているんじゃないのかと聞くと、子供は居ないと言った。初めから、私に偏見なく接してくれていただけだったのだ。


「…ごめんなさい」

「どうして謝られるのですか?」

「……」


 騙していて、ごめんなさい。怪我をさせてしまってごめんなさい。こんなことになってしまってごめんなさい。


「…なんでもありません」


 ルヴェラが困ったように笑った。そろそろ行きましょうか、と荷物を持ってくれる。


「私が持ちます。ルヴェラの足が」

「もうすっかり治っていますよ。最後なのですから、専属メイドらしいことをさせてくださいませ」


 そう言われては食いさがれない。大人しくルヴェラの隣に立つ。部屋から出て玄関まで歩いている時、なんだか屋敷の中が寂しく感じられることに気がついた。


「ルヴェラ、なんだか…。公爵家の中が変わったような気がするのですが」

「…それは」


 ルヴェラが口ごもった。違和感を持ちつつも進み、玄関まで来た時にようやく分かった。


 壁の至る所に飾られていたはずの装飾品が一切無くなっている。宝石の着いた双剣や、年季の入った盾、先代公爵様の肖像画とともに飾られていたはずの大剣も、すべて無くなっていた。


 思えば騎士たちの姿も見当たらない。護衛の為にと大勢居たはずなのに。


「何かあったのですか?」

「…旦那様のご命令で、一週間ほど前から撤去作業が進んでいたのです」


 公爵様が?と聞き返すが、ルヴェラはそれ以上話そうとはしなかった。ただ辛そうに眉を搾って、しきりに屋敷の奥の方を気にしている。


 馬車の元へ辿り着き、ルヴェラが荷物を積んだ。後はここに私が乗ればお別れだ。どうやら見送りに来たのはルヴェラ位のようで、ノア様もほかの使用人の方々も、もちろん旦那様もどこにも姿が見えなかった。


(これでいい)


 優しい人たちの顔を見てしまえば、未練が残ってしまうかもしれないから。


「ルヴェラ、それじゃあ」

「アリシア様」


 お別れを言おうと振り向いた時、馬車に乗りかけていた私を、ルヴェラが掴んで引きずり下ろした。その勢いでルヴェラの腕の中に飛び込み仰天している私に、ルヴェラは声を震わせながら言った。


「アリシア様、申し訳ありません。私は…。旦那様から止められていたのですが、どうしてもお伝えしたいのです。……旦那様が」


 その後に続いた言葉を聞いて、私は息を飲んだ。あまりの衝撃に手が震える。


「な、え……?そんな、本当ですか?」


 ルヴェラの瞳には涙が浮かんでいて、その指でさっきから気にしていた方向を指さした。


「どうしてもアリシア様にお伝えしたかったのです。旦那様は、…これほどまでにアリシア様を」


 ルヴェラが言い終わらないうちに私はその腕から抜け出し、ルヴェラの指さした方向に走った。後ろからアリシア様!とルヴェラが叫んでいるのが聞こえたけれど、足を止めることなく目的地へと走る。


 三週間もろくに歩いていなかった足は重く、すぐに肺も痛くなった。けれど、その景色を私は確認しないといけない。


(そんな、嘘でしょう。嘘よ)


 心のどこかで、嘘であって欲しいと願いながら、ぬかるんだ地面を踏みしめる。


 息を切らしながらその場に着くが、以前来た時のような甘い香りは消え去っていた。辺り一面に広がっていたはずの紫色の花畑は、もうそこには無い。


「はぁ、……っはぁ」


 自分の息遣いがやけに響いて聞こえてきた。頭が真っ白になり、よろよろとそこへ近づく。


 細い茎の先に花開いていた、幻想的な花弁は見る影もない。公爵様が大事に育てていたルヴェイユリリーは、全て茎から切り取られていた。


「なん、で……」


 美しく咲き誇っていたはずのその地には、無惨に茎の切り口が並ぶばかりで、花びらの一枚さえも落ちていない。


 ルヴェイユリリー。公爵様のお母様が亡くなってから、先代公爵様と公爵様が大切に守り抜いてきた、約束の花。

 きっと公爵様の思い出の中にいるお母様はこの花と共にあって、この花を守り抜くことが、お父様の願いであったはず。


(それを、どうして…)


 知らぬ間に流れていた涙を拭う。


「誓いの、花なのでしょう…?お母様との、大切な思い出なのでしょう…?」


 この花が嫌いだなんて私は口に出していない。この花が私にとって悲しい思い出でしかないことも、話していない。なのにどうして。


「ルヴェラ……」


 いつの間にか追いついてきていたルヴェラに抱きつく。泣いている私の頭を撫でながら、ルヴェラは静かに言った。


「旦那様が、自分の手で手折られたのです。私達、先代公爵様の代からお仕えしている使用人達が必死に止めようとする中、一本一本、ご自身で」


 花を折るだけなら使用人に任せてしまえばいい。それを自分の手で折った、それだけでどれだけこの花を大切にしていたのかが分かる。


「どうして公爵様はこんなことを…。私は、一言も…」

「…旦那様は気づいておられました。アリシア様がこの花がお嫌いだということに」

「私がっ……。私が嫌いだからといって、切らなくてもいいでしょう…。公爵様にとって、大切な花のはずのに、どうして私なんかのために…」


 とめどなく涙が溢れてくる。

 私はこのまま去っていく人間なのに。ルヴェラが教えてくれなければ気づきもしないことなのに。いや、そのルヴェラを口止めまでして、なぜ。


「…アリシア様を傷つけてしまったと、心から悔いておられました。それで、最後にアリシア様のためになにかしたいと」


 それなら私にこの光景を見せつければ良かったはずだ。君のために切ったと言って同情心を買って、私を引き止めれば良かった。きっと私はこれを見たら、なんてことをと言いながらもここへ残ると言っていただろう。公爵様への、罪悪感から。


「…どうして、どうして公爵様はここまでしてくださるんですか…。……私がずっと公爵様を拒絶していたことくらい、お分かりでしょうに…」

「…きっとアリシア様と同じ時を過しているうちに、大切になってしまわれたのですよ。誓いよりも、自分の命よりも、何もよりもアリシア様のことが」


 もう一度、ルヴェイユリリーの花畑の方を振り返る。ルヴェラから離れて、そっとその茎に触れた。何百本とあるにも関わらず、その切り口が雑になっているものは一つもなかった。全て丁寧に、茎にさえ傷をつけないように切られている。


 公爵様は何を思いながら手折ったのだろう。お母様との思い出も、お父様との約束も、自分の願いも、色々なことがよぎったはずだ。


 それでも公爵様は、私を選んだ。


「……っ」


 こんなものを見せられたら、もう…。


「ルヴェラ」


 泣き腫らした顔で振り返った私を、ルヴェラが痛ましげに見つめる。


「お願いしたいことがあります」





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