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公爵家に連れてこられた時はまだどこか呑気だった。さすがに動揺はしたし、信じられなかったし、緊張もした。けれど、いくら顔立ちが整っていても、オルシアス大公の嫡女でも、公爵様ともあろうお方が田舎娘を本気で妻に迎えるわけはないと、そう高を括っていたのだ。


 時間はかかるにせよ、すぐに飽きて捨てられて終わりだろうと思っていたし、公爵家での暮らしはある程度保証されて、少しだけでも貴族の暮らしを満喫して帰ってしまおうと、そんな心持ちでいた。


 けれど、まさかこんなことになるだなんて思ってもみなかった。人前で感情を爆発させて、今までちゃんと隠せていたはずの本性を表して、みっともなく号泣してしまうだなんて。


 公爵様が問い詰めるから、怖くなった訳では無い。記憶が蘇りつつあって、その恐怖が再来したから泣いた訳でもない。


 あまりにも襲いかかる不安と悲しみが大きくて、一人では耐えられない。苦しい。誰か助けて欲しい。そう願っていた。その願いが叶えられたことなど一度もない。誰にも助けは求められなくて、誰にも気づいて貰えない。

 当たり前だ。自分で隠しているのだから。


 だから一人で耐えるしかないと思っていた。もう二度とあんな目にあわないように幸せな女の子を演じた。皆に好かれて、もし何かあっても守って貰えるように。危険が及ぶようなことがあったら、皆が真っ先に私のことを守ってくれるように。そんな思いから始めた味方作り。


 だけど、初めてそんな意思もなく気に入られたいと思う男性ができて、初めて策略ではなく素で笑って、心から楽しいと感じて、あまつさえ幸せだとも…。


 それだけで十分だった。公爵様にあの花を見せられたことで記憶が蘇って、公爵様に抱きとめられたことであの日を思い出して恐怖に戦慄いても、公爵様のことを嫌いになれなかった。


 だからこそ公爵様が恐ろしい。あの方に私の汚れた過去を知られてしまったら。こんな女だったとはと捨てられてしまったら。公爵様の前でだけは美しいままの姿で居たい。完璧なアリシアのままでいたい。


 なのに公爵様が気づいてしまわれるから。私がいつも恐怖に脅えていると。しかも私が守るとまで言うから、堪えきれなくなってしまった。出来ることなら気づかないままでいて欲しかった。ただあなたが何度も可愛らしいと言ってくれたアリシアのままでいたかった。


 私は今、過去を思い出して汚れたアリシアに逆戻りすることで、あなたに嫌われてしまうことが一番恐ろしい。



 ◇◇



「次の書類は?」

「あー…えーっと」


 ノアがどこか居心地悪そうにしている。差し出した手は宙を切るばかりだ。


「…旦那様ぁ、身の入らない仕事はやめましょうよ。時間の無駄ですよ」


 ほら、ここ名前間違っていますよと指摘される。それでも手を伸ばすと、渋々といった様子で渡してくる。


 アリシア嬢を泣かせてしまった日から、私は彼女に会いに行けなくなった。負い目もあったし、合わせる顔もなければ、彼女が一番恐れていたのは自分だったのだから、会いに行けるわけが無い。


 あの後何も出来ずに帰ってきた私の顔を見たノア達に驚かれ、自分が酷い顔をしているのに気がついた。そしてルヴェラが言い出せなかった私の代わりにアリシア嬢に聞いたそうだ。元の場所へかえるか、と。


 なんの躊躇いもなく、帰ると、そう言ったそうだ。


 がたん、と音を立ててインクの壺が倒れる。みるみるうちに処理済みの書類に黒い染みが出来上がっていく。


「あーっ!旦那様!もう終わりです終わり!」


 流石に自分でもまずいと思いペンを置き、深くため息をついた。


 もう、自分に出来ることは何もない。一つだけあるとすれば、アリシア嬢の前に姿を表さないこと、それだけだ。


「…でも、本当にアリシア様が旦那様が怖いと言ったのですか?」


 ノアには全てを話した。ルヴェラは私の力については言えないので、知らないままだが。


「そうは見えなかったですけどねぇ…。アリシア様も段々旦那様に心を許していっていたように見えましたが」

「…だから、お前は初めからアリシア嬢に騙されていると言っただろう」

 

 アリシア嬢の心の声についても話したが、ノアはまぁ所詮人間そんなものですよねぇと全く気にしていなかった。


「いやいやいや、それを考慮して言ってますよ。だって初めはあんなに思い切り拒絶していたじゃないですか。旦那様のこと。なのに近頃は旦那様が話しかけると嬉しそうにしておられましたよ」

「それが演技ではないという確証は?」

「……」


 ノアが黙る。当然だ。私も分からない。


 心の声が聞こえると言っても、その人の思考回路全てが分かるわけでない。はっきりとした言葉になったもの、考えの中でも特に意志が強いものだけが声として聞こえてくる。


 いくらアリシア嬢の態度が変わったと言っても、なぜ変わったのか、それをアリシア嬢がはっきり考えない限り私には分からない。


「そんなことを言っていても、私は彼女にとって最も恐ろしい存在、それだけで十分だ」

「……そうですかねぇ。本当にいいんですか?」


 まだ言い重ねるノアに言い返そうとして、思い直す。恋愛については、この男の方が上だったと。


「旦那様が初めて恋された方じゃないですか。このまま関わらず勝手に出ていくのを待つだなんて、一生後悔しますよ」


 黙り込む私を見て、ノアが苦笑した。


「先輩の話は聞いといた方が良いですよ〜。もう会えなくなるのなら、最後にアリシア嬢のために何かして差しあげたらいいんじゃないですか」


 簡単に言ってくれるが、私がアリシア嬢のために差し出せるものは何も無い。公爵家という地位も、有り余る財産も、彼女の傷を癒せるものにはならない。


 何も出来ないと、痛感したばかりなのだ。


(…あぁ、一つだけある)

 

 私がアリシア嬢に捧げられる、唯一のもの。だがそれは、ノベルディック公爵家を象徴するものであり、最も大切なもの。


「ああそうだ、それと、仰せつかっていたアリシア様の調査、終わりましたよ」


 書類を渡され中を開く。アリシア嬢は元々孤児扱いだったためろくな情報は出てこなかった。そのため専門の調べ屋に依頼していたのだ。


 その報告書類を読んで息を飲む。


「ノア、お前はもう…読んだのか?」

「はい?いいえ、主より先に読む訳ありませんよ」


 ノアに書類を投げる。一体なんなんですか、と言いながらノアが目を通し、そしてやはり目を見開いた。


「これは…。……旦那様、アリシア様は」

「ノア」


 立ち上がって扉に歩みよる。


「やって欲しいことがある」




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