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アリシア・サミュエル、歳は二十。親に捨てられ出身は海のそばの孤児院で、姓は院のマザーにつけられた。柔らかく波打つ亜麻色の髪とハニーブロンドの瞳を持ち、その顔立ちは女神と称されるほどの美貌である。
けれど、見た目と反して性格はお世辞にもお淑やかとは言えない脳内お花畑娘。それが逆に男の庇護欲をそそるのか、彼女に求婚する男は後を絶たない。が、なんとアリシアは極度の男嫌いで、今までに振った男の数は、千を超えるとか。
これが周りの人々が把握している私のプロフィール。この情報が頭に入っていて、尚且ついつもにこにこ笑っているこの顔を見れば、大体の人が「この子はなんの悩みもない幸せな女の子」だと思うだろう。
そう思って貰えたのならこっちの思う壷。幸せそうなアリシアの顔を思う存分楽しんでいたらいい。
だからどうか、私の過去も傷も醜い体も、何一つ知らないままでいて。
だって本当のアリシアに気づいてしまったら、皆私のことを嫌いになるんでしょう?
◇◇
「##***#。#」
「………」
目の前でペラペラと喋り続ける男性は、私に言葉が通じていないことに気が付かないのか、しきりに荷馬車の方を指さしながら何かを訴えてくる。けれど私はさっぱりなんのことだか分からない。
見た感じこの国の人間と何ら変わりない容姿のように思える。荒れ気味の日に焼けた肌も、少し潰れた鼻も、唇の分厚さも、特に異国らしさを感じるものは何も無い。
「あ、あんちゅお…?ぽけ?」
一応真似してみると、男性は一瞬ぽかん、と口を開けた。もしかしてなにかの単語になっていたのかもしれない。とりあえず笑うけど、その人は未だにぽかん。
「………」
沈黙が続き、表情筋が引き攣る。こんなに気まずいことは無い。
「……ぽけ?」
人差し指を顎に当てて首を傾げ、精一杯可愛らしく言ってみると、またもや男性は硬直し、今度はその後すぐに喋り始めた。
(え、え、さっぱり分からないわ。今私なんか答えちゃった?そんなに言われたって伝わってないです〜)
内心ものすごく焦っているし誰かに助けを求めたいけれど、あいにく近くに声が掛けられそうな人はいない。
男性の焦り具合から乗ってきた荷馬車で何かがあったという感じだろうか。
「きゃっ……!」
突然腕を掴まれ、思わず悲鳴が喉から漏れそうになるところを慌てて塞ぐ。
しまいには私の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張り始めてしまった。かなり急いでいるようだ。緊急事態かもしれないし、一刻を争う事態なのであれば、今ここで私がこの手を振り払ったことであとから何かを言われるのも怖い。
中の様子だけ見てくるか、と思い、笑顔で頷きながらついて行こうとした時、誰かにもう片方の腕をがっと掴まれた。
振り向くと、驚くほど冷たい表情をした見慣れた顔があった。
「あらエド。どうしたの?そんな怖い顔をして」
本名はエドガー・スプリント。愛称がエドだ。エドは私の住む街の働いている店の常連で、かなり整った顔立ちをしており、仕事もできるわ女子にも優しいわでかなり人気のある人だ。
「……………」
エドからの返事はなく、ただ腕を掴んでいる。どうしたらいいか分からず、私の腕を掴む二人の男性の顔を交互に見上げていると、突然荷馬車の男の方がぐん!と腕を引っ張った。いきなりだったためエドも予想していなかったのか、ずるっと私の腕が抜ける。
男性の方に倒れ込みそうになった時、エドの腕が私の胴に周り、間一髪抱きとめられた。
腕と体の痛みに顔をしかめながら見上げると、鬼のような形相をしたエドが目に映る。
「くそっ!」
「え?」
エドの顔に気を取られていた私は、聞こえた単語に目を見張る。顔を戻した時には、客の男性はすたこらと走り去っていくところだった。
「……あの人、いまくそって言ったわね。でもさっき、言葉通じなかったのに…。くそって言ったわ。くそって」
「アリシア」
エドが大きなため息をつきながら私を降ろした。さっき程では無いけれど、それでも微かに怒りを感じる。
「あのなぁ、変な奴には気をつけろっていつも言ってるだろ。今の男、お前を荷馬車に乗せたらそのまま遠くへ連れ去ろうっていう魂胆だぞ」
「えっそうだったのね!道理で聞いたことない言葉だと思ったわ〜。めちゃくちゃに喋ってただけなのね。なのに私ったら真似しちゃったわ…。ぽけ?って」
「…………アリシア」
笑顔のままいつの間にか逸らしていた顔を元に戻すと、更に眉間に皺を寄せたエドが、両腕を組んで大きく息を吸った。
私はゆっくり目を閉じて、耳を塞ぐ用意をする。
「この、馬鹿っっ!!」
せっかくの晴れ渡った青空に響き渡ったのは、残念ながらアリシアにとっては日課である、エドの怒鳴り声であった。