打ち上げ話
目元をしっかり拭った袖をどかした俺は、俺とは別の、俺とよく似た男が、俺とともに画面に映っているのを発見した。
かたやグラサン、かたやクソダサ眼鏡。それらを剥ぎ取ったらいよいよ見分けがつかないところだ。
「どうやって来れた」
「そりゃ俺はこっちの世界の親だし」
画面のグラサンが聞くと、画面のクソダサがてらいなく答えた。
「さすがにあっちの世界には行けないし、あの夫婦に会うこともできない。だからこっちで打ち上げ話しようや」
「他人の家で?」
「まあ自分ちみたいなもんだし」
そうして俺と作者は打ち上げ話を始めるのだった。
「この物語の本質は移民問題だ。移民ってのは初めはおいでおいでと受け入れられるが、物的質的に原住民を脅かす数に増えてくると、招いていたその手がひっくり返されて、途端に排斥されるようになる。受け入れる側はそうなっていくことを見越していないといけない。やがてその手をひっくり返すぐらいなら、初めから招いたりするな」
「そんな話だったっけ?」
「着想した当初はね。移民ってのは、生まれたところ、言語、文化の違いはもちろん、しばしば髪や肌や目の色の差異を引き合いに出されて迫害されるものだから、二次元のキャラクター特有のカラフルな色合いをその共通項にできると思った。だが二次元のキャラクターというのは色以前に、三次元とは決定的に異なる人工的な描画で形成されているわけで、どうしてもそこに目が行ってしまい、同じ人間だという意識を持ちにくくなるとも思った。だから移民問題に至る前に別の問題が立ちはだかってしまい、結局そこまで踏み込まないまま終えた」
「せいぜい薫子が言うぐらいだな」
「むしろそこだけだ。あとは須らく異形のものに対するくだらない妬みと僻みと陰湿な攻撃。相手が二次元か三次元かはあまり関係がない。まるでこっちの世界だね」
「そっちもそうかい。それじゃあつくづくいる価値ねえなあ」
「だから当初の予定では、すでに不特定多数の人々が二次元のキャラクターを娶り、夫婦生活を送っているという状況にするつもりだった。主人公夫妻も例に漏れないわけだが、三次元の世界で数が増え過ぎた二次元のキャラクターたちは、三次元の住民たちからの反発や排斥に苦慮している。このために二次元の妻のほうから三次元の夫に離婚届を突き付けるわけだが、妻を愛する夫はそれを受け入れる。それに対して妻は離別を否み、二次元の世界に夫を連れていくという展開だった」
「その後で結局、このかたちに落ち着いたってわけだ。一本気に二次元のキャラクターを長年にわたって想い続けた男が、その相手からも愛されて、ついには三次元の世界で結ばれる。そんな二人のラブストーリー」
「相手がモブというところもポイントだ。誰もが知っているような人気キャラクターではなく、周囲の評価なんかに少しも影響されないことが、主人公のぶれることのない一途さの一端だ。ナンバーワンよりオンリーワン」
「名前もつけてやってないのにな」
「名前って重要でさ、字面にしても音にしても、それに引きずられてしまうことがままある。キャラクターに自由に動いてもらいたいときは、こうして名無しさんにするのがちょうどいいんだ」
「女房のほうはちゃんとあるのにな」
「君が作った『ラブ❤した』の登場人物が多いからだよ。一人だけ名無しちゃんにはできなかったんだよ。とはいえ千尋というあの名前はスッと出てきたな」
「名付け親というか、元ネタがあるんだろ?」
「あるんだろって、『ラブ❤した』作ったのおめーなんだからおめーがつけたんだろ」
「俺もおめーもおめーみてーなもんじゃねーか」
「千尋の元ネタはズバリ『あずまんが大王』の千尋だ」
「つつがなく続けるな」
「あまり登場しないせいもあり、嫌いじゃないけど好きでもないよってところだが、ネームドキャラクターでありながらアニメのオープニングにも出ないわエンディングにも出ないわ本編の出番もどんどん少なくなるわで実に興味深い扱いをされたキャラクターだった。そのモブつながりで千尋の名ができた。『ラブ❤した』の千尋の声優だったという人の名も、『あずまんが大王』の千尋の中の人の名の文字の字義を引っ繰り返してみただけのこと。とうに声優を引退しているのを知ったのはその名にすると決める前か後か、もう覚えてもいない。とにかく彼女が千尋のモデルの一端だ」
「彼女の実際の性格もあんな野放図だったりするかもな」
「描かれることのないそこをどう捉えるかだな。嫁を奪わず語り合うみたいなオタク川柳があったが、本当に同じものを語っているかどうはわからんのだ。実際は違うものの話をしているのかもしれん。となると愛するものを分かち合うなんて幻想だな。一夫多妻も多夫一妻もクソ喰らえだ。まして非実在青少年と結婚するとか、ないわー。何がないって、生身の相手がそこにいないのに、そんなこと公言する面の皮の厚さよ。実在する生身の人物と結婚しましたなんて一方的に言い出す奴がいたら、その相手が有名人だろうとそうじゃなかろうと、何らかの法令かそれでなくても人倫に抵触するはずなのに、そう扱われないのは立派な二次元差別だな。もしも俺がペラペラだったらこんなダブルスタンダードがデフォルトの世界なんて絶対行かねえ」
「そう考えるとあの女、やはりアホなのか」
「親に似たんだな」
「その親の親もアホだってことだな」
「それからしばらく寝かせていたが、あるときふっと書きたいと思ったら、驚くほどにスラスラ書けて、八割がたは完成した。しかしそこから足踏みした」
「穴が開くかと思ったわ」
「諦めて別のところに行こうかとも思ったわ」
「作中に登場するフレーズや作品は、そっちの世界のものをモデルにしてるんだよな」
「そのほとんどは詳しく知らないがね。元ネタの数は当の本人にも把握できていない」
「知らず知らずのうちに入り込んでるわけだな」
「これもまた不思議なんだけど、さして意図しない設定がキャラづけに役立っていることがある。千尋がウスターソース好きというのは何の気なしに思いついた設定なのに、薄いという特徴が二次元性と繋がっている。
ストックホルムはコペンハーゲンを主人公が間違って覚えているという設定のつもりだったが、こっちの世界では実際にストックホルムなのかもしれない。
今回はタイトルもそうだな。以前は『二次元の嫁に三行半』だったし、一から始まる言葉を頭につけようと苦心して、結局諦めたりもした。最終的には『二次元の嫁と三行半』にしたことで、ここでいう『と』がandであると同時にwithの意味を帯びてきた。二次元の嫁と一緒にクソみてぇな三次元の世界に三行半を叩き付けるというニュアンス。
それからはちょこちょこ微調整を重ねて、ここまで行きついた」
「微調整に時間かかりすぎなんですがそれは」
「プライベートも忙しいんだよ」
「………」
「何その目」
「いや別に」
「しかし今回、唐突に続きを書こうと思ったわけだが、思わぬかたちで登場人物がいい感じに分裂してくれたわ。創る喜び、得る喜び、失う喜び。作中終盤で君に似たようなこと言ってもらったが、下界に降り立った創造主の気分だったよ」
「そろそろご還幸ですかね」
「君もいい加減で帰りなさいよ」
「やりかけの仕事残していきたくないんだよ。せめて生モノだけは片づけたい。自分に関係ないとしても、こんなものが人知れず腐っていくなんて、想像するだけで不愉快だ」
「そういうところ、俺と一緒だわ。あとはこの部屋の解約手続とか、主人公の失踪宣告とか、法的な諸々があるから頑張ってくれ。舅という立場でどこまでできるかわからんがな」
「いやあの俺も忙しいんスよ。あんたと違ってプロだしさ」
「うるせえよ」
「脳内彼女のところにも行きたいんだからさ」
「一人に絞れば行けんじゃね?」
「だいたい千尋の戸籍調べたところで、俺出てこねえよ」
「そうなるとここの主人公夫妻は凄いよな。ちゃんと正式な手順を踏んで就籍までして法的に結婚してるんだからな。ドブ川のアザラシとは格が違うな」
「お前も千尋もアザラシに恨みでもあんのか」
「くだらねえ都合と卑しい思惑で野生動物に勝手に名前と住民票なんざ与える人間様が嫌いなだけだよ」
来たときにどうだったのかはよく知らんが、作者は普通に玄関で靴を履いて部屋を出ていこうとしていた。内側から鍵はかけておいたはずだが、深くは考えるまい。
こちらを向いて放たれた気の利かない別辞を聞き流し、俺は問いかける。
「次はどこへ行くんだ?」
「脳内彼女たちのところに行きたいんだが」
「お前もか」
「どうやら、障害者を受け入れられない障害者のところになりそう。こっちが行こうというより、なんか向こうからグイグイ来てるんだよ」
「そりゃ間違いなく狙われてるわ。とっとと片づけておけよな、その化けモン」
「やっぱりそうか。つくづくあの手合いって、タチ悪りィよな」
肩を落とした作者がいなくなった。
俺は改めて部屋の鍵をかけ、室内に戻ると、娘のピナフォアに今一度袖を通し、やり残していた家事に取り掛かるのだった。