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エピローグ → 第5章 品種名:桜庭 莉斗

~エピローグ~


   0


「ありがとう。ああ、これはとても――」

 彼を止めることは叶わなかった。いや、違う。止めたいと思っていなかった。

 だってこれは――僕から君への贈り物(ギフト)だから。


 さあ、桜庭(サクラバ)莉斗(リト)の物語の始まりです。






~第5章 品種名:桜庭 莉斗~


   始まりの始まり


「ん……?」

 慣れることのない花の匂いで目が覚めた。ゆっくり起き上がる。周りを見ると、なにも変わらない、変わることのない、僕の部屋。

「ん……」

 眠たい目を擦りながらベッドから降りる。今日はすることがあるんだ。

 ぺたぺたと歩いて、机の上に置いてある写真立てを手に取る。ぎこちなく笑っている僕の隣で、ドリーさんが嬉しそうな笑みを浮かべていた。


 ――今日で、僕がこの家に来てちょうど一年になる。

 だから前から決めていた。

 お世話になっているドリーさんに、なにか贈り物をしよう、と。




   自室の探索


 花の匂いが強い服に手早く着替えると、机の引き出しから日記を取り出した。記憶や思い出を忘れてもすぐに取り戻せるように、一年前の明日から始めた習慣だ。これにドリーさんが喜ぶ贈り物のヒントが書いてあるかもしれない。

 僕は過去の記録を覗いてみることにした。


『6月10日

 僕がこの家に来て1日がたった。けれど記憶は戻っていない。

 いつでも思い出せるように、忘れないように、日記を書こうと思う』


 一日経てば戻るかも、なんて淡い期待をしていたことを思い出す。一年経った今でも記憶は戻っていないとは、当時の僕には思いもしなかった。いや、思いたくなかっただけかもしれない。


『僕は崖下で気を失っていたところを、ドリーさんに助けられたらしい。

 初めて見たと思う人外に驚いたけれど、僕を心の底から心配しているドリーさんを怖いとは思えなかった。

 ドリーさんは「ずっとここにいるべき」と言うけれど、記憶が戻ったら出て行こう』


 この気持ちは今でも変わらない。ずっと厄介にはなりたくない。助けられたのだから、なおさら。

 けれど、友達として、遊びに来たいなとは思っている。

 まだ記憶は戻っていないので、友達になれるのはいつになるか見当もつかないけれど。


『7月19日

 今日はドリーさんに連れられてユリの花畑に行った。

 強い匂いに驚いたけれど、せっかくドリーさんが連れてきてくれたのだからと「ありがとう」を伝えると、ドリーさんはすごく嬉しそうに笑った。

 「キミはこの花が好きだからね」と言っていたけれど、本当だろうか? けれどドリーさんが言うのだから、きっとそうなのだろう』


 まさか窓から花畑に案内されるとは思わなかった。あの時のドリーさんは、本当に、嬉しそうな表情だった。心の底から「ありがとう」と言えなかった僕は、そんなドリーさんに申し訳なさでいっぱいになったっけ。

 未だに慣れない匂いだけれど、記憶が戻ればしっくりくるのかもしれない。いつか、心からドリーさんに感謝を伝えたいな。


『10月8日

 今日の夕飯はカボチャが食べたくなって僕が用意した。そうしたらドリーさんは「本当のキミはその野菜を嫌っていたよ」と教えてくれた。どうして悲しそうだったのだろう?

 それにしても、記憶を失う前の僕とはウマが合わなそうだ』


 これは今でもそう思う。美味しいじゃないか、カボチャ。実際、食べても嫌な感じは全くしなかった。むしろ、今までこれで育ってきたんじゃないかとすら思う。

「……」

 僕は、『僕』を取り戻したいのだろうか。

 ドリーさんと会ったばかりの頃は、空っぽな自分が不安定な存在である気がして、怖かった。どこに行けば良いのか、誰に寄り掛かれば良いのか、全く分からなかった。

 けれど今は違う。ドリーさんは絶対に僕を捨てたりしないと確信している。

 記憶は取り戻したい。けれど、以前ほど必死にならなくなってきた自覚はある。いつになれば、僕はドリーさんと友達になれるだろう。


『12月25日

 初めてドリーさんの友達に会った。黒羽コクバさんはカラスのような頭と羽毛が生えている人外だった。

 「トリニク」と呟くと、複雑そうなカオをしていた。また会いたいな』


 唯一の友達だと、ドリーさんは言っていた。

 濡れ羽色の綺麗な羽はモフモフしていて気持ち良くて、ずっと触っていたらドリーさんになんとも言えない表情をされたっけ。コクバさんは「鳥肉って言われたのは心外だけんど、面白い奴だな、お前さんは」と笑いながら、僕の頭を撫でてくれた。

 コクバさんは迷子になった子どもをこっそり家に帰す役目があるから、あまりドリーさんに会えないのだと言っていた。クリスマスは、なにがなんでも友達に会いに行く、大切な日なのだとも。

 ドリーさんとは何世紀も続いている友達と言っていたけれど、そんなに長い友情なんて正直、僕には想像出来ない。記憶が戻れば、羨ましいとかありえないとか、思うところが出て来るのだろうか。

「ん……もう参考に出来そうなのはないかな」

 ドリーさんが好きなものは、結局なんなんだろう。過去の僕に少しだけ怒りたくなったけれど、日記なんて自分の感想文だ、仕方ない。

「……他にもなんかないかな」

 あると嬉しい。いや、あってほしい。

 机の引き出しをあさっていると、一番下の引き出しの奥の板が、カコンと外れた。

 やば、壊しちゃった?

 慌てて引き出しを覗き込むと、細長い瓶が、外れた板の向こうで転がっていた。


「――ハーバリウム?」


 なんとか手を伸ばし掴んだそれを光に翳す。「Lilie」と刻印された瓶の中で、一輪だけ閉じ込められた白ユリが、透明な揺らめきの中で柔らかく光を反射した。

「……綺麗」

 どんな言葉でも、この神秘的な煌めきを言い表せない気がした。美しくて声が出ないなんて、きっと初めてじゃないだろうか。

「……」

 この綺麗な花は誰にも見せてはいけない――咄嗟にそう思い、再び引き出しの奥にしまう。誰にも見つからないように。次にこの花を見る時は、きっとこの花が見つけてほしい時――

「――なんて、ロマンチックすぎかな」

 思わず苦笑して、窓の外を見た。

 窓の外に広がっているのは、鬱蒼と生い茂る森ばかり。絵本に出てくるような家で暮らしているから、そんな思考になるんだ。

「他にヒントはないかな?」

 普段なら絶対に見たいと思わない本棚を仰ぎ見る。

 ドリーさんには「記憶を失う前は勉強家だった」と言われたけれど、ギリシャ語の本しか読まない日本人なんてハイスペックすぎると思う。それとも、なにかそこまで勉強したい理由でもあったのだろうか。


「――あれ?」


 僕は、日本人なの?

 自分の両手を見てみる。白くも黒くもない、間違いない、黄色人種の肌の色。

 自分の喉に手をあてる。そうだ。僕はここで目覚めた時からずっと日本語で話していた。

 自分の頭を押さえる。なんとなく、ここは日本だと、思った。

 自分の胸元を強く掴む。僕の名前は――僕は――


「――さくら、ば……りと……?」


 僕は、桜庭莉斗?

 そうだ。確か中学に通っていて、部活もしていた。それから、それから――


「うっ……!」

 突然はしった頭痛にうずくまる。本能的に、これ以上はいけないと警告が脳内に鳴り響く。

 ――いけない? なんで? だって僕は、あ、いやだ、やだ、いたい、こわい……!

 目を強く瞑る。今の僕に出来るのは、痛みが過ぎ去るのをなにも考えずに待つことだけだった。




 ゆっくり目を開ける。頭の芯が痺れている感覚はあるけれど、痛みは引いていた。

 本棚を見上げる。僕が知っている言葉が全くない本の壁から放たれる圧迫感に、息が止まりそうだった。

「……」

 立ち上がって目を背けようとした時――漢字が目に飛び込んできた。

「え……」

 今まで全く気付かなかった。

 一冊だけ、漢字で書かれた背表紙が隅の方に紛れ込んでいた。

「……」

 震える手でその本を抜く。

「……読めない」

 細長いその本には、『希独辞書』と書かれていた。

「辞書、だよね? どこの言葉の辞書なんだろう?」

 パラパラと捲ってみる、と、一つだけユリの栞が挟まっていた。日本人にも読めるようにだろうか、わざわざカタカナで読み仮名が振ってあるタイプの辞書だった。


『リィリオン:リィリエ』


「この栞も、僕が……?」

 記憶を失う前の僕が今の僕と違いすぎて、違和感を抱く。けれど、今さっきの頭痛のことを思い出すと、今日はもうこれ以上は考えたくない。

 辞書を戻すと、近くに花の図鑑が並んでいた。これもやっぱりギリシャ語だった。

「あ、そうだ」

 定番かもしれないけれど、ドリーさんに花をプレゼントするのはどうだろう。それなら、やっぱり――


 ――「キミはこの花が好きだからね」


 なんとかユリのページを見つける。書かれていることは分からないけれど、ユリの花冠の作り方が図で載っていた。

「良かった。これなら僕でも作れそう」

 花冠の作り方を脳内に叩き込むと、図鑑を戻して部屋の扉に手を掛けた。

 良かった。今日はちゃんと開いてる。

 ドリーさんへの贈り物、喜んでくれると良いな――そう思いながら、僕は廊下へ出た。




   廊下の探索


 廊下へ出ると、すっかり聞き慣れた独特な足音が聞こえた。振り向くと、紳士のような服装に身を包んだドリーさんが驚いた表情で僕を見つめていた。

「おはよう、ドリーさん」

「ああ、おはよう」

 挨拶すると、ドリーさんは嬉しそうに金色の瞳を細めた。

「すまない、朝食の支度がまだなんだ。昼食をいつもより豪勢にするから、もう少し待っていてほしい」

「それなら今日は僕が用意するよ。なにか、」

 「食べたいものはある?」と続けたかった言葉は、ドリーさんの「駄目だ」と威圧感が籠もった一言で飲み込むしかなかった。

 雰囲気が刺々しい。いつもはフワフワの羊毛が、今は逆立っているように見える。昨日まではいつもの、穏やかな羊のドリーさんだったのに。

「……なにか、あったの?」

 恐る恐る訊く。

 ドリーさんははっとした表情になると、疲れたように自身の額に手をあてた。

「いや、キミが気にすることはなにもない。それより、キミはまだまだ本調子ではないのだから、あまり歩き回らない方が良い」

「でも、」

「返事は?」

 息を呑んだ。

 ドリーさんがこう言う時に僕がする返事は決まっている。

「……はい」

 言うことを聞いた僕の素直な返事に、ドリーさんは満足そうに頷くと、台所の方へ向かった。その様子を見届けると、僕は溜息を吐いた。

 僕の部屋の鍵はドリーさんに委ねられている。外からしか掛けられない鍵を持っているドリーさんに強く反発すれば、しばらくは部屋から出られなくなる。

 けれど今日は、どうしても今日という日に、贈り物をしたいんだ。

 今は雰囲気が怖くてなにも言えなくなるけれど、贈り物をすれば、きっとあの優しい笑顔で「ありがとう」と言ってくれる。

 言い子になれない僕は、ドキドキしてきた心臓を誤魔化すように拳を握り締めた。

 ドリーさんと会わないように、贈り物の用意をしなくちゃ。




   居間の探索


 居間に入ると、僕は真っ先に窓に向かった。去年はドリーさんに連れられて、この窓からあの花畑に行ったんだ。

「よいしょ、っと」

 窓から外に出ると、足の裏から直に感じる土の感触に少し感動した。裸足で外を歩くなんて、もしかしたら初めての経験かもしれない。玄関から靴を持って行こうと考えたけれど良かった。そもそも玄関でドリーさんと鉢合わせたらなにも言い訳出来ないから、裸足で頑張ることにしたのだけれど。

「えっと、こっちだよね」

 去年の記憶を引っ張り出しながら、僕は森の奥へ足を進めた。




 そういえばユリの時期を確認し忘れていたけれど、偶然合っていて良かった。

「わあぁっ!」

 森の奥で一面に咲き乱れている白ユリの花々は、まるで闇を照らす月のようだ。星々より強く、柔らかい白に、僕を最初にここに連れてきてくれたドリーさんの嬉しそうな笑顔を思い出す。

 やっぱりどうしたって慣れない匂いだけれど、この光景は見る度に感動してしまう。

「よし! 早速ドリーさんに花冠を作ろう!」

 気合を入れる。まずは素人なりに、花の選定からだ。




「出来た!」

 ちょっと……結構……? ……ちょっと! “ちょっと”拙いけれど、花冠が出来た。大きさも頑張ったし、これならちゃんとドリーさんの頭に乗るはずだ。

 立ち上がって家に戻ろうとした時――遠くで、ユリを摘んでいる、幼い女の子がいることに気が付いた。

「……!」

 ドリーさんに助けられてから、僕が出会ったのは二人だけだ。ドリーさんとコクバさん。羊とカラスの、人外。

 この女の子は人間だ。


 ――初めての、人間。


 思わず胸元を押さえる。心臓の動悸が激しくなっている理由が分からない。いや、分かっている。

 怖いんだ。何故か、怖い。

 女の子が顔を上げる。視線が持ち上がる。目が――合った。

「あ……」

「……!」

 女の子が驚いた表情をしたのが、遠くからでも分かった。

 女の子は慌てて立ち上がると、背を向けて走り去ってしまった。

「待っ、」

 思わず呼び止めようとして、声が詰まった。

 呼び止めてどうする? 追い掛けてどうする? 女の子は、どこに向かった? 十歳にも満たないような女の子が一人でここまで来れる? 一人で来れるとしたら、近くに――

「――っ!」

 頭に鋭い痛みがはしり、すぐに頭を振った。

 そうだ。今はなにも考えちゃいけない。帰ろう。ドリーさんに贈り物をするために、ここまで来たんだから。




 窓から居間に戻ると、暖炉に火が付いていた。

「……」

 ドリーさんが居間にも来ていたことを察し、途方に暮れた。一週間は部屋から出られないかもしれない。花冠も作ったし、そろそろ部屋に戻ろう。

 燃え盛っている火を見ながら居間から出ようとして、燃えている紙に字が書かれていることに気が付いた。

 なにを燃やしているのか気になり、暖炉に近寄る。

 目を凝らす。


 揺らめいている炎の向こうに、「行方不明」と「桜庭莉斗君」という字が見えた。


「――!?」

 飛び退く。炎はあっという間に新聞を飲み込むと、真っ黒に焦がしてしまった。

「……」

 信じられない単語に、なんとか立ち上がると、ふらつく足で居間の扉へ向かった。

 ――「行方不明」? 誰が? 「桜庭莉斗」くんが? それって、

 扉を開ける。


 目の前には、新聞の束を抱えたドリーさんが立っていた。


「! ドリー、さ……」

 直視出来なくて床に目を落とす。

 いっそ僕を怒鳴りつけて、部屋に連行してほしいと思った。

「――こらこら、今日は構ってあげられないのだから、部屋にいなさい」

 さっきと嚙み合っているようで、合っていない言葉。

 顔を上げる。

 羊の頭の人外は、少し怖い雰囲気を漂わせながら、僕を見下ろしていた。

「……はい」

 素直に頷くと、ドリーさんは真っ直ぐ暖炉に向かい、新聞の束を全て炎に放り投げた。

「……」

 咄嗟に後ろ手に隠した花冠。それを渡すなら、きっと今しかないだろう。部屋に戻っても、今日はドリーさんは来ない気がした。

「あの、」

 思い出す。僕の部屋に置かれた写真を。記憶がなくて不安しかなかった僕に、優しく笑い掛けてくれたドリーさんのことを。

 僕は勇気を振り絞ることにした。


「今日は、ずっと部屋にいるね」


 ドリーさんは振り向くと、僕に穏やかな笑みを向けた。

 笑い返して、扉を閉める。

「……」

 足音に気を付けて廊下を歩く。

 部屋まで来ると、静かに扉に手を伸ばした。




   羊部屋の探索


 扉には鍵は掛かっていなかった。掛かっていることも多かったから不安だったけれど、今日は忙しくてそれどころじゃなかったのかもしれない。……どうして忙しいのかは、分からないけれど。

 ぐるりと部屋を見回す。

 寝床スペース、写真立てが置かれている机、ギリシャ語で書かれたたくさんの本と日本語で書かれた数冊の本が詰まっている本棚――僕の部屋と似ている、必要最低限の物しか揃っていない、ドリーさんの部屋。

「……調べなくちゃ、ドリーさんのこと」

 花冠を見つめて自分に言い聞かせる。

 なにか抱えているのなら、僕が取り除いてあげなくちゃ。だって、不安定だった僕のそばにずっといてくれたのは、ドリーさんなんだから。

 寝床スペースに向かう。

 枯草が円を描くように広げられているだけに見えるけれど、その上でドリーさんが寝ているんだ、もしかしたらなにか――日記とか、あるのかもしれない。罪悪感を抱きながら枯草をあさる、と――

「――? なに? これ」

 なんか、変な形のオモチャが出てきた。どう遊ぶのか気になったけれど、特に関係なさそうなのでそっと戻した。

「ん……なにもない、かな」

 寝床から離れると、次は本棚に向かった。けれど僕に読めるのは、日本語の本だけだ――そう思っていたのに。

「日本語も読めない……」

 『黄泉比良坂』って……なんて読むのか見当もつかない。

「どうしよう……」

 これじゃ、ドリーさんの力になれない。

 もう一度見回すと、写真立てが視界に入って来た。なんとなく近付き、写真を見る。

 家の前で、ドリーさんが人と並んで写っている写真だった。色褪せていて、細かいところは全然見えない。

「――ん?」

 最初は、僕の部屋にあるのと同じ写真だと思った。けれど、あれは去年撮った写真だ。ここまで色褪せるわけがない。それによく見ると、家を囲んでいる木々が違う。

「これって、」


「今日は聞き分けが悪いね」


 冷たく暗い声に振り向く。

 いつの間に、そこにいたのだろう。

 僕のすぐ後ろで、感情が見えない金色が、静かに僕を見下ろしていた。

「あ……」

「キミらしくない。キミのために、ワタシは――」

 腕を回される。僕の骨が軋む音が鼓膜に響く。

「ワタシは、何千年も努力しているというのに」

 最後に僕が聞いたのは、ぱちん、となにかが弾けた音だった。




   Who am……?


「ん……」

 慣れることのない花の匂いを強く感じて目を覚ます。いつもと違う感触に驚いて起き上がろうとして、身体が自由に動かせないことに気が付いた。

「なん、で……? これ……」

 見回すと、ここはドリーさんの部屋だった。見下ろせば敷かれている枯草のベッドが目に入った。

「僕……なんで……」

「気が付いたかい?」

「っ!」

 顔を上げると、ドリーさんが笑みを浮かべながら扉に手を掛けていた。ガチャリ、と金属の音が部屋に冷たく響く。

「ドリーさ、」

「ごめんよ、もう待ちきれなくなったんだ」

 ドリーさんが、見たことがない笑みを浮かべながら、僕に近付いてくる。その手にあるのは、枯草に隠されていた変な形のオモチャだった。

「いやだ……ドリー、」

「大丈夫だよ」

 背中が冷たい。身体が震える。本能が、心が、恐怖で支配される。飢えた猛獣のような金色の瞳から逃れようと藻掻いても、拘束されている身体は身じろぐことしか許してくれなかった。

「やだ、こんな、」

「何千年もそばにいたんだ。キミもいずれ思い出す」

「――っ!!」

 冷たく暗い、甘い声色の言葉で、僕は思い出す。


 雨降る森の中、訳の分からないことを言って腕を伸ばしてきた羊の人外から逃れようとして、足を滑らせ崖下に転げ落ちたことを。


「――っやだ! いやだぁっ! だれか、だれかたすけ、」

 なにかで口を塞がれる。強い花の匂いと獣の匂いに、頭がぐちゃぐちゃにされる。

「っふ、ゃ、やだ、やめ、」

「さあ、愛し合おう――リィリ」

 意識が、心が、ユリの匂いに塗り潰されていく。

 ぱちん、と、なにかが弾けた音が聞こえた、気がした。




「ん……?」

 慣れない花の匂いで目が覚めた。ゆっくり起き上がる。周りを見ると、なにも変わらない、変わることのない、僕の部屋。

「ん……」

 眠たい目を擦りながらベッドから降りる。


 僕は崖下で気を失っていたところを、ドリーさんという羊の人外に助けられたらしい。






   BAD ENDです。

   全エンディングをコンプするまで、物語は続きます。

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