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散らばったお札を集めて端をきれいに揃えると、金森くんは机に腰掛けた。ご満悦な様子で銀行員がするように速やかに紙幣を数えた。
彼は、机に腰掛けたまま、机越しに立ち尽くす私と視線を合わせる。
「桜井愛梨の飛び降りについてどこまで知っている?」
愛梨が飛び降りたのは二日前の夜だ。この二日で聞いた話を思い出す。
「ええと、夜九時すぎに教師二人が倒れているのを発見したって……」
「それだけ?」
「うん」
金森くんが物足りなそうな顔をした。私は首を傾げる。
担任の綾瀬先生からは、それ以上の説明はなかった。他のクラスも同様らしく、吉川さんも何も知らないようだった。一介の生徒に詳細の内容は降りてこない。逆に、金森くんは何を知っているというのだろう。
「香坂が知りたいのは、桜井が飛び降りた理由と桜井にこの十年何があったかだったよな」
「うん」
「桜井が飛び降りた理由については、少し手がかりがあるんだ」
えっ、と私は息をもらす。金森くんはどうってことないように続ける。
「一つは、教師たちの様子だ。どうやら教師陣の見立てでは『家庭問題』が自殺未遂の有力な動機らしい」
「どうしてわかるの?」
「俺のもとには毎日依頼人がやってくる。そいつらがもたらす情報の断片を繋ぎ合わせるのさ」
私は首を傾げた。どういう意味だろうか。
「たとえば、今日鬘の相談をしに校長が来たんだ。校長は桜井のことを『可哀想に』と言った」
「それって……」
「まるで他人事のような言い方だろ?」
金森くんは肩をすくめる。
「いじめが疑われる場合には学校も無関係じゃいられないはずだ。よって、少なくとも教師陣の間ではある程度自殺未遂の理由が推測されているわけだ。それも学校とは関係ないだろうと思われるような理由が」
そこで彼は腰掛けた机をコツ、コツ、と指で叩いた。
「十代の自殺の動機は、学校問題、健康問題、家庭問題が七割を占める」
私は口元に手を当てて考えこむ。学校問題ではない、と教師陣が考えているのなら、健康問題や家庭問題の可能性が高い。でも、愛梨の様子には健康上の問題を抱えているようには見えなかった。次に可能性が高いのは家族問題だ。
私が顔を上げると、金森くんは肯定するように頷いた。
「俺は鎌をかけてみた。『桜井は、家族と上手くいってなかったですもんね』俺がそう言うと校長は『そういうことを言うんじゃない』と。語るに落ちたな」
金森くんは、ハッと悪役の笑い方をした。やけに似合うな、と失礼なことを考える。
「手がかりはもう一つ。――桜井愛梨は遺書を残したらしい」
「遺書があるの? そんなこと先生は言ってなかったけど」
「ずいぶん抽象的な内容だから、と親に見せてもらえなかったらしい。だから何が書いてあるか桜井の家族しか知らないはずだ」
「そうなんだ……」
抽象的な内容だとしても、彼女が残した言葉が気になった。そこに書かれたのは絶望の言葉か、恨みか。
私は手のひらをぎゅっと強く握りしめる。
「知りたい。何が書かれているか」
「ああ。わざわざ書き残してくれたんだ、きっと何か意味があるに違いない」
面白そうに瞳を輝かせて、彼は言う。
「もう一つ、気になることがある。桜井はあの日、家に帰っていないんだ」
「そうなの?」
「放課後、桜井は駅前の本屋で時間を潰す姿を午後六時頃目撃されている。そして、駅前の図書館で閉館の八時に追い出されているんだ」
「ずっと駅前にいたってこと?」
「ああ。彼女の自宅からこの学校まで往復で一時間以上かかる。桜井はその日家には戻っていないことが推測できるってわけ」
なるほど、と納得したけれど、同時になぜそんなことを知っているのか不思議に思う。
「あ、桜井の目撃情報については、彼女を目撃したのに止められなかった、という懺悔を若草詩音にされたんだ」
「それも依頼?」
「もちろん、三十分の懺悔で一万円」
「いちまんえん……」
「何?」
「なんでもないよ」
平坦な声になってしまったから、がめついと思ったのがバレているかもしれない。ただ話を聞くだけで一万円なんて、世の社会人がまともに仕事するのが馬鹿馬鹿しくなってしまいそうだ。
ジト目で見つめるが、金森くんはすでに別のことに気を取られているようだった。
「桜井は、なんで九時に学校に戻ってきて飛び降りたんだろうな?」
「人がいなくなるのを待ってたとか?」
「それならもっと早く戻ってくればいいだろ」
「たしかに……」
たしかに、九時まで待たなくても七時には部活をしている生徒たちもいなくなる。私には彼女がひどく非効率的な動きをしているように見えた。
「それにしても、香坂がそんなに桜井と親しいとは思わなかったな。ていうか香坂、いつも愛想笑いと『わかるー』とかばっかりで本当にその会話楽しい?って感じの反応だし、クラスにちゃんと友達いたんだね」
「うっ」
隣の席の男の子の口からはっきりと『友達がいない子』と認識されていたと知り、胸が軋む。おかしい。相手は学校でも有名な『悪魔』のはずで、友達がいないキャラなのは金森くんの方ではないのか。
「……金森くんだって、友達いないでしょ」
「俺は作らない主義」
「うう……」
キッと睨んで己の良心と葛藤しながらした指摘は、あっさりと退けられる。そりゃそうだ、友好的な悪魔は悪魔じゃない。それに依頼を持ちかけられる程度には生徒から信頼を獲得しているのだろうから、やはり私が何を言っても負け犬の遠吠えでしかない。
私は、はあ、とため息をつく。
「愛梨とは、十年前仲良かったの」
「ああ、こっち出身なんだ。どうしてその時は転校したの?」
「父親の転勤とか、色々あって」
「色々って何」
私はそこで口をつぐむ。踏み込まないで、と全身を強ばらせる。
「言いたくないなら、いいけどさあ……」
呆れられたかな。視線をゆらゆらと上履きに向けたまま、私は黙ったままでいると「はい」と金森くんの声がした。
顔を上げると、お手をするように手を差し出している。意図がわからず、手を重ねると「違う」と嫌そうに払い除けられた。
「なに?」
「ここまでの依頼料」
「え、それは?」
私は金森くんの手にある現金紙幣と通帳を見る。それは依頼料のつもりで渡したものだ。
「この通帳、このままじゃ使えないじゃん。さっさとATMで落としてきてよ」
「ええと、いくら?」
「とりあえず着手金で十万でいいよ」
この現金紙幣千円札も混じってて十万円分はないんだよねーと文句を言われる。
私は体がブルブルと震わせた。恐ろしいのは『着手金』と言ったことだ。ことある度にそんなに払っていたら依頼が解決する前に破産してしまう。
「ま、待って! その、成功報酬で一括で払うから」
この勢いじゃ最後まで払い続けられるかわからない。途中でやーめた、となってもらっては困るのだ。依頼が解決したあとになんとかお金を工面しよう、と決める。
私の必死の形相を見て、「まあいいよ」と金森くんは妥協してくれた。
「香坂、明日暇?」
「うん」
明日は土曜日だ。特に何の予定も入っていないはずだった。
「よし、じゃあ朝十時に俺の家ね」
「え、ちょっと」
「場所はあとで連絡するから。今日はもう次の依頼に行っていい?」
「へ」
「俺、忙しいんだよね」
静止する隙もないまま明日の予定が埋まっていく。その時、ドンドンドン、と廊下を走ってくる足音がした。
バーン!と派手に扉を開けて髪を七三に分けた男子生徒が姿を現した。
「金森くん! 大変だ!」
「どうした、生徒会長」
「制服が盗まれたと相談があった! 体育館へ向かってくれ」
「しかたねえな、依頼料は……」
「もちろん弾むさ」
「さすが、わかってるな」
突然現れた生徒会長と連れ立って金森くんは教室を出て行ってしまった。まるで悪代官のようなやりとりが風に乗って運ばれてくる。
「なんなの、あの悪魔……」
圧倒されて呆然とする私の声が、ひとりぼっちの教室に響いた。




