第一部:ヨルと魔法のなんでも屋さん
とある小さな町に、ヨルという名の男の子がいました。
ヨルには家族もなく、また親しいお友だちもいません。幼い頃にお母さんをなくして以来、独りぼっちで、貧しい生活をしていました。
ヨルは、いつもこう思っていました。
「幸せになりたい」
それが、彼の願いでした。幸せになることかできれば、きっと今みたいにさびしい思いをすることはありませんし、お腹が空いて、辛くなることもありません。
「幸せになりたい。でも、幸せになるにはどうしたらいいんだろう?」
ヨルにはわかりませんでした。
ある日の晩、どうにも眠ることのできなかったヨルは、せまい路地裏にこしらえた寝床を出て、ドブ川にかかる短い橋のところまで歩いていきました。ヨルは寝つけないとき、よくこの場所で夜空をながめてすごしました。
その日はよく晴れていて、お空ではたくさんの星々が、キラキラときらめいていました。
とても美しいかわりに、決して手の届くことのない光たちです。
ヨルがしばしの間そうしていると、一筋の青白い光が尾を引きながら、夜空を流れていきました。その光を見たヨルは、昔お母さんに教えてもらったことを思い出しました。
それは、「流れ星が消える前に三回お祈りをすると、お願いを叶えてもらうことができる」というお話でした。
ヨルは慌ててお祈りをしようとしましたが、三回どころか一回目のお祈りすら口にできぬまま、流れ星は通りすぎていき、見えなくなってしまいました。
「もう少しユックリ流れてくれたって、いいじゃないか」
思わず文句を口にした時でした。
「……お星さまだって忙しいのさ。ただ祈るだけで願いが叶うほど、世の中甘くないってことだね」
不意に聞こえてきた声におどろきながら、ヨルは振り返りました。
すると、橋の反対側に、お婆さまが一人たたずんで、ヨルのことを見ていました。そのお婆さまは、黒いトンガリ帽子を被り、これまた黒い外套をまとった、いかにも魔女といった見た目をしていました。
実際、このお婆さまは魔女で、しかも“試しの魔女”と呼ばれる、人間に試れんを与える変わった魔女なのです。
「祈るだけじゃダメだって? でも、それなら俺はどうしたらいいんだ?」
ヨルはおもわずムキになってたずねました。
すると、試しの魔女は思案げな顔をしたあと、
「お前さんに、この特別な杖を貸してやろう」
そう言って、どこからともなく「特別な杖」とやらを取り出し、ヨルに差し出しました。それは木の根っこを捻ってこしらえたような、みすぼらしくて妙ちきりんな杖でした。
「それはなんでも好きなものを生み出すことのできる、魔法の杖さ。だけどね、二つ、決まりがあるんだよ」
魔女は、しわだらけの指を二本立てて、ヨルに言いました。
「一つ目は、同じものは、一つまでしか生み出せないということ。よくある話だね。
そして二つ目──こっちがとっても重要さ。よくお聞き──、この杖を使って生み出したものは、決して杖の持ち主のものにはならない」
「俺のものにはならないって? それじゃあ、意味がないじゃないか」
「さてねぇ。それはお前さん次第だよ」
意味ありげに笑みを残し、魔女はどこへともなく去っていきました。
ヨルは考えました。魔女からもらった杖をどんな風に使えば、自分は幸せになれるのかを。
そして、一つの妙案を思いつきます。
次の日、ヨルはさっそくそのアイデアを実行に移しました。
ヨルは魔法の杖の力で、「なんでも屋さん」を始めることにしたのです。
自分のものにならないのであれば、誰か他の人に売ってしまえばいい。煙突掃除の仕事をするよりも、きっとかせぎになるでしょうし、何よりずっと安全であることは、まちがいありません。
「お金さえあれば、俺は今より幸せになれるはずだ」
そう考えたヨルでしたが、彼の商売はなかなかうまくいきませんでした。なぜかというと、誰も彼の言葉を信じてくれなかったからです。
「よってらっしゃい見てらっしゃい! なんでも好きなものを一つだけこしらえる、魔法のなんでも屋さんだよ!」
そんな風に声を張り上げてせん伝しましたが、足を止める人はいても、まともに取り合ってくれる人は、誰もいません。
そうこうしているうちに日が暮れて、ヨルはお腹が空いて、声を出す気力もなくなってしまいました。
今日はもう店じまいにして、寝床に帰ろうかしら。そう考えた時です。
はじめて、ヨルに声をかける者が現れました。
「本当に、なんでも好きなものを売ってくれるの?」
その最初のお客さんは、ヨルと同じくらい貧しい男の子でした。コンという名前で、一緒に煙突掃除の仕事をしたこともありました。
しかし、ヨルはコンと仲よくなろうとは、少しも思いません。ヨルとは違い、コンには両親がいて、弟や妹までいるのです。おうちは貧乏でも、自分に比べたらはるかにめぐまれている。ヨルはコンのことを、密かに羨ましく思っていました。
「もし本当なら、お薬がほしいんだ。どんな病気でも、ピタリと治るお薬が」
なんでもコンのお母さんが病気で倒れてしまい、寝込んでいるとのことでした。
お医者様にみてもらったものの、手のほどこしようがないと言われてしまい、途方に暮れていたのだそうです。
「金はあるのかい? 当然、ただじゃやれないぜ?」
「今はないけど……必ずあとではらいに来るよ!」
本当をいうと、ヨルはコンのことを信じてはいませんでした。
しかしながら、杖の力を試すにはいい機会ですし、何よりこのままでは、なんのかせぎもなく、帰ることになります。
ヨルはコンの望みを聞いてやることにしました。
それからせきばらいを一つして──多少の気恥ずかしさがありました──、ヨルは願いごとを唱えました。
「“どんな病気でも治せるお薬”、一つおくれ!」
すると、不思議な光が杖の先から放たれます。二人の子供たちは、眩しさに目をつむりました。
──そして、同時におそるおそるまぶたを開いた時、ちょうど彼らの真ん中くらいの位置に、何やら透明な液体の入った小さな瓶が、出現しているではありませんか。
杖の力は本物だったのかと、今さらのようにおどろきつつも、ヨルは瓶を拾い上げ、コンに手渡しました。
その日の晩、コンがお父さんと一緒に、ヨルの寝床を訪ねて来ました。
「君からもらったお薬のおかげで、お母さんの具合がよくなったんだ! 本当にありがとう!」
コンも、コンのお父さんも、それは大変な喜びようでした。
二人が再び感謝の言葉を伝えた時、ヨルは何やらそれまで感じたことのない暖かさのようなものを、胸の奥に感じた気がしました。
が、しかし、すぐに大切なことを思い出した為、そのことは忘れてしまいました。
「そいつはよかった。それより、ちゃんと金は持って来たんだろうな?」
「もちろんだとも。少なくて申し訳ないけどね」
そう言って、コンのお父さんは、硬貨の入った袋を、ヨルに手渡しました。
確かに、中身はあまり多いとは言えませんし、金貨などはなく銅貨ばかりでしたが、ヨルにとってはまたとない収入でした。
本当にあの貧乏なうちにもまだ金があったのかと、意外に思ったほどです。
いずれにせよ、ヨルの初めての商売は大成功でした。
コンたちが帰って行ったあと、ヨルは町の食堂へ行き、暖かい料理をたらふく食べました。こんなにおいしいものをお腹いっぱい食べることができたのは、お母さんがまだ生きていた時以来でしたので、ヨルはとても満足です。
──幸せとは、うまい料理を腹いっぱい食べることなのかも知れない。
そんなことを考えながら、その日はぐっすりと眠ったのでした。
※
あくる日も、ヨルは運よくお客さんに出会うことができました。
「お前さん、魔法の杖でなんでも一つだけ、こしらえてくれるんだって?」
声をかけて来たのは、飛行機乗りの青年でした。
「もしそれが本当なら、俺もお前さんに売ってほしいもんがある。実は飛行機の部品が壊れちまってね。次の町に行けなくて、困っているんだよ」
「そうかい。なら、ピカピカの新しい飛行機をくれてやるよ。その代わり、金はたんまりもらうけどな」
「いや、それじゃあ面白くない。どうせなら、飛行機じゃなくて“空飛ぶ魔法のソリ”をくれよ。なんでも一つだけなら、こしらえることができるんだろ?」
どうやら飛行機乗りの男は、ヨルをからかっている様子でした。
少々頭に来たヨルは、そっちがそのつもりならと、飛行機乗りの願いを聞いてやることにします。
「“魔法のソリ”、一つおくれ!」
杖から放たれた光がはじけたあと、そこには何のへんてつもないただのソリが、現れていました。
「こいつはおどろいた! 確にその杖はものを生み出すことができるらしい。……しかし、本当にこんなのが空を飛ぶのかねぇ」
半信半疑といった様子で、飛行機乗りはソリにまたがりました。
するとどうでしょう。ソリはゆっくりと地面を離れ、かと思うとぐんぐんと、空へ舞い上がっていったのです。
飛行機乗りはおどろきのあまり、目を丸くしていました。近くにいた他の人たちも、みな同じような顔で、空に浮かぶソリを見上げています。
今やどんな建物の屋根よりも高い場所まで浮かんだ魔法のソリは、そのままはじき出されるように飛び出し、男を乗せて、あっと言う間に町の空を、グルリと一周してしまいました。
「こいつはますますおどろいたぞ! 飛行機なんぞより、ずっと楽ちんだ!」
もとあった場所へと戻って来たソリを降りた飛行機乗りは、うれしそうヨルの手をつかみ、握手をします。
「すまなかった。お前さんのことを見くびっていたよ! ほら、約束の駄賃だ」
本当にたんまりとお金を支払うと、飛行機乗りは再び魔法のソリに乗って、目指していた町へと、旅立って行きました。
ヨルはまたしても、暖かくておいしいご飯に、ありつくことができました。
それから、ヨルは魔法の杖を使って、何度もお金をかせぎました。
ある時は、家出をしたペットの猫を探しているご婦人のために、“探しているもののところまで案内してくれる魔法の地図”をこしらえました。
またある時は、仕事熱心な消防士のために、“絶対に火が燃え移らないポンチョ”をこしらえました。
さらに別の日には、勇敢な騎士のために、“悪者を絶対にやっつける剣”をこしらえました。
ヨルの商売はいたって順調と言えました。以前のようにお腹をぺこぺこにして苦しむことはなくなり、やせていた体も少し太って、身なりも清潔になりました。
そんなある日のことです。
今日はどこでお店を開こうかと考えながら、ヨルは町を歩いていました。すると、すぐ近くにいた大人たちが、こんな話をしているのが、耳に入りました。
「聞いたかい? しみったれ通りの靴屋の話」
「聞いた聞いた。なんでも病気で倒れたカミさんを、二回も医者に診てもらったせいで、文なしになっちまったそうじゃないか」
「ああ。金貸しから借りたって金も、とうてい返せないだろうし……いつ夜逃げしてもおかしくはないってもっぱら噂だよ」
「夜逃げですみゃあいいけどねぇ」
「しみったれ通りの靴屋」と聞いてヨルが思い浮かべたのは、コンのことでした。コンのおうちもしみったれ通りにあり、確かつぶれかけの靴屋さんだったはずです。
もし本当にヨルの想像したとおりなら、あの時のお金は、相当な無理をして工面したものだったのでしょう。
どうしても大人たちの会話が気になったヨルは、少し様子を見に行ってみることにしました。
この町で特にさびれた場所──通称「しみったれ通り」にあるコンのおうちは、昼間だと言うのにヒッソリと静まりかえっていて、少し不気味なほどでした。うすくドアを開けて、中をのぞいてみましたが、暗ぼったいお店の中には誰も見当たらず、棚に並んだいろいろな種類の靴には、ほこりが積もっているように見えます。
ヨルは少しだけなやんだ末、ふところからお金を取り出して、あの時もらったお代よりもちょっぴり多い額を、ドアの内側に置きました。
「ま、俺一人でこんなに持っていても、余らせちまうだけだからな」
まるで言い訳のように、誰にともなく呟くと、ヨルはコンのおうちから離れました。
※
それからまたいく日か経ち、魔法のなんでも屋さんにも慣れて来たときのことでした。
ヨルの元に、屈強な男たちが訪ねて来たのです。男たちはいかにも乱暴者といった風ぼうをしており、ヨルには山賊にしか見えませんでした。
彼らのうちのボスらしきズルそうな顔の男が、ヨルに言います。
「お前はたいそう便利な杖を持っているらしいな。なんでも好きなものを一つだけ作り出せるとか。……俺たちの望みを聞いてくれるかい?」
「何がほしいんだ?」恐る恐る、ヨルは尋ねました。
「決まってるだろ。武器だ。とにかく強い武器を俺たちに売ってくれ。俺たちは国にやとわれた兵隊でね。今度の戦に勝つ為に、強い武器が必要なんだ」
男たちはよう兵でした。
この仕事を引き受けるかどうか、ヨルはおおいに迷いました。以前勇敢な騎士に武器を売ってやった時とは、少しだけ感じが違っていたからです。
悪者をやっつける為ではなく、戦争に勝つ為だと言われると……なんとなく、おいそれと与えてはいけないように、ヨルは思いました。
「あいにくだけど、そう言うことならお断りだよ。俺の売ったもので人が殺されるだなんて、考えたくもない」
「……そうかい。じゃあいさぎよく諦めるとしよう。その代わり──杖を寄越しな」
ボスが低い声でそう言うと、彼の両側から男たちが前に出て、ヨルににじり寄って来ました。
ヨルは少なからずたじろぎ、そして重苦しい恐怖を感じました。体の大きさも、人数の多さでも、ヨルの不利はいうまでもありません。
困ったヨルは、とっさに目を瞑り、杖を握って叫びます。
「“たくさんの水”、一つおくれ!」
そのとたん、杖の頭から大量の水が吐き出され、男たちを一人残らずのみこんでしまいました。
水流の勢いはすさまじく、通りに建つ家やお店をなぎ倒しながら、男たちを町の外まで洗い流し、近くの森に流れ込んだところで、ようやく治ったのでした。
まぶたを開け、周囲に広がるさん状を目の当たりにしたヨルは、とても怖くなりました。こんなに酷いことを、自分がしてしまったのか、と。
ヨルはたえきれず、わずかなお金と杖だけを持って、町から逃げ出すことにしました。
身よりもなく、幼い頃からずっと町で暮らしてきたヨルに、行く当てなどありません。かといってすぐに帰る気にもなれず、ヨルはひたすら荒れた野原を歩き続けました。
たった独りきりで旅をするのは、とてもさびしいものです。
今まではどんなにひとりぼっちでも気にしなかったのに、自分でも不思議なほど、ヨルは人恋しくなってしまいました。
そして。
とうとう、その願いを口にしてしまったのです。
「……“旅の道連れ”、一人おくれ!」
よく晴れた夜空の中を、お星さまが一筋流れていきました。
そして、ポッカリと浮かぶ大きなお月さまの下で、ヨルは彼女と出会ったのです。
ヨルの願いによって杖が生み出したのは、ちょうど彼と同じくらいの年かっこうの、可愛らしい女の子でした。
彼女はきれいな銀色の髪をしており、それが月明かりに照らされ、キラキラと輝いて見えます。
──まるで、お姫さまみたいだ。
ヨルは息をするのも忘れそうになるほど、その少女の姿に見とれてしまいました。
そのため、先に口を開いたのは、彼女の方でした。
「……あなたは、誰?」
「お──俺は、ヨルっていうんだ」
「……ヨル」鈴の音のように心地よい声で、少女は呟きました。
「お前は? お前はなんて名前なんだ?」
「……知らない」
少女は静かに首を振りました。たった今生まれて来たばかりなのですから、名前などなくて当然です。
「なら、どんな名前で呼ばれたい?」
「なんでもいい。あまり長くなければ」
「じゃあ……」
ヨルは一度星空を見上げてから、こう続けました。
「イオって呼ばせてくれ」
それはヨルのゆいいつ知っている、お星さまの名前でした。
「イオ、イオ……うん。わかった」
この晩から、ヨルは独りぼっちではなくなりました。イオがそばにいてくれるだけで、もう少しもさびしくなんてありません。
ヨルはイオと一緒に何日も旅を続けました。
その間、イオは一度も笑ってはくれませんでしたし、何を話しても短い返事をよこすだけでしたが、ヨルは少しも気にしませんでした。
むしろ、イオと話すことは、ヨルにとって一番の楽しみとなりました。
二人は荒野を横断し、森を抜け、また荒野に出て、それからようやく、人の住む町にたどり着くことができました。
そして、その頃には。
ヨルは、自分がイオを何より大切に想っていることに、気がついていました。
おそらくは、初めての感情でした。
しかしながら。
いえ、だからこそ。
ヨルは忘れてしまったのです。
魔法の杖がこしらえたものは、決してヨルのものにはならないことを。