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優秀な仕分け人の育て方 (2) 

今の子供たちは、学校の勉強をしたがらないので、親が家で勉強をさせるのに苦労していると聞くことがあるのですが(宿題が多すぎて大変だという話も聞きますが)……。昔は、「学校で勉強ができることがうれしい」という考えだったものが、どこかの時点で「なぜ学校で勉強をしなくてはいけないんだ」という考えに切り替わってしまったように思っていたのですが。コロナ禍で学校で勉強ができなくなると、学校で勉強したいという意見が取り上げられ……。学校で勉強するってどういう意味があるんだろう? という点についても、今回は考えてみました。ぜひ、読んでみてください!


 人は、人からひどい言葉を投げつけられることがある。

 相手が意図せず言った言葉に、傷つくこともある。

 そんなときは、心の中の仕分け人の出番。

 自分が相手にイヤな思いをさせたせいだったり、自分の方こそ相手のことを傷つけてしまっていたり……自分に何か問題があって、そのせいで相手からひどいことを言われてしまったのか。それとも、自分は何もしていないのに、相手から理不尽(りふじん)なことを言われてしまったのか。それを仕分けるのが仕分け人。

 『自分に問題アリ』なのか、『自分に問題ナシ』なのか――仕分け人が的確に判断することが、僕たちが自分の心を守るためには重要なことで。その仕分け人を育てるのは、自分自身。

 とはいえ、仕分け人を育てるための教科書があるわけじゃなく、特別な授業を受けることができるわけでもないんだけど。けど、本を読んだり、人の話を聞いたり……学びの場はそこかしこにあったりする。

「タカ(にい)はひいばあから、学校の勉強もしっかりしろって言われたんだって。知識がないと、仕分け人がしっかり判断できなくなっちゃうのよ、って。――そりゃそうだよな、知識がないと『判断材料がない』ってヤツになるんやない?」

 ミヤくんはそう言って、少し考えこむ。

 ミヤくんがこうやって考えてるのは、仕分け人がしっかり判断できるようになるにはどうしたらいいか、僕がミヤくんに聞いたからで。ミヤくんは適当なこと言わずに、ちゃんと考えてくれる。だから僕はミヤくんの言うことをちゃんと聞いて、ちゃんと考えたいって思う。

 と、ミヤくんは何か思いついたようだ。

「ほら、水道の水って、川からそのまんま水道に流れて来てるわけじゃないやん? 処理施設でちゃんとゴミをのかしたり、消毒したりしてキレイにして、山の上の貯水塔(ちょすいとう)とかにいっぺん()めて、そっからそれぞれの家の水道に水が流れ落ちるようにしてくれてるから、オレらは水道の蛇口(じゃぐち)から水を出すことができるワケやけどさ? そういうのって、蛇口見てたって想像つかないって思うし。学校で習わないとわからんやん?」

 ミヤくんが考え考え話をする。

「わからんから、水って水道の蛇口からいくらでも出て来るのあたりまえー、とか思っちゃって、じゃんじゃん流しっぱなしにしちゃうとかしちゃって? それを(おこ)られても……身体の害にならないようなキレイな水をたくさんの人が必要としていて、みんなが安全に安心して使える水を用意するにはいろんな工程を()なくちゃいけなんだってことを勉強してなかったら、水道から出てくる水が貴重(きちょう)なものだって思わなくて、水を流しっぱなしにすることの何が悪いって言われてるかわからんくてさ? 自分がやっちゃいけないことやってんのか、悪くないのに怒られてるのか、ちゃんと判断できないだろうって思う」

 まじめな口調で言って、

「とか言いつつ、ついつい流しっぱにしちゃったりしちゃうけど……ダメだよな~」

 と、気まずそうに反省するミヤくん。

「僕も、お水ってちゃんと大事にできてないと思う」

 僕も反省。

 僕たちが住んでる小牟田市は、川がいっぱいある? かなんかで、水不足になることってあんまりなくて、僕も「蛇口から水が出てこない!」って困ったことないから、水が大事って言われてもピンとこないけど。

 ミヤくんの話を聞いて、僕は学校の先生の話を思い出した。川の水をキレイにして水道の水にするとか、下水をキレイにしてから海に流すとか、勉強しているときに、先生がバングラデシュの話をしたことがあったんだ。

 バングラデシュは僕を産んでくれたお母さんの国。お母さんの国では、口にして大丈夫なお水を飲むのに苦労している人たちがいる。バングラデシュでは地下水に身体の害になる成分が含まれてる地域があるんだって。先生が話したのが僕のお母さんの国だったことと、キレイなお水しかないと思ってた地下水が身体の害になるとこもあるってこととで、僕は二度びっくり。

 バングラデシュとは対照的に、熊本市は地下水がとてもキレイで、たっぷりあるから、熊本市の水道からは、地下水が出てくるんだって。それって、熊本市の水道からは天然のミネラルウォーターが出てくるってことなんだって。

 とは言っても、北海道なんかでは、野生動物のなんとかかんとかが原因で、大自然の透き通った沢の水を飲んで、寄生虫に感染することがあるらしいから、生水そのまんまっていうのはちょっと怖いみたい。熊本市でも地下水をそのまま水道から出しているんじゃなくて、ミネラル成分とかをできるだけ残して、消毒はしたものを出すようにしてあって、水道水を飲んでも大丈夫な状態にしてくれてる。そういうことを先生が話してくれた。

 水道の水って川の水がそのまんま出てくるわけじゃない。飲んでも大丈夫な状態にされて出てくる。――それってスゴいことだけど、ミヤくんの言うように、勉強しないとスゴさってわからないワケで。勉強って言っても、教科書で習うだけじゃなく、実際にお水をキレイにしている工場みたいなところへ見学に行ったりもするんだけど、それも学校の勉強のうち。下水のことだって、勉強しないと知らないこと、いっぱいある。

 そして、学校で勉強したから、水道の水がどうやって僕たちの家に届くのかわかるから、ミヤくんの「水道の水を出しっぱなしにしてちゃダメだ」、っていうのも理解できる。

「ほら、学校で、それも特に小学校で勉強することって、『みんな、こういうの知っとこうよ、知っといた方がいいよ』ってことがメインだから、どの学校でもだいたい同じようなことを習ってると思うんやけど。それって、オレとクラトみたいに学校が違ってるどうしでも同じこと知ってるってことで、みんなが同じこと知ってたら、お互いに相手が何を考えてるか推測しやすいっていうメリットもある。――ってタカ兄が言ってた」

 ミヤくんがちょっと得意げに言う。

 僕は学校の勉強にそんな意味を見つけたことなかった。

「へえ、そんな風に考えたことなかった」

 新しい発見だ。

 足し算とかかけ算とか、計算の仕方はわかってないとお金を計算したりできないし、国語も漢字や言葉を知らなかったら本やマンガを読めないし……。そういうことなら勉強しなくちゃいけないって思うけど。字のキレイな書き方とか、プログラミングとか、そういうのって、別に自分が()らなければ勉強しなくてよくない? って思ったりしてたんだけど。

 みんながみんな、自分の好きな勉強や、自分が興味のある勉強だけやってたら、お互いに、自分がわかってることしかわからなくて、相手が何を考えてるかわからなくて。相手が怒り出しても、なんで怒り出したかわからない、なんてことになっちゃうかも……?

 そういうこと考えると、ホント、学校の勉強って知識を知るために勉強するだけじゃなく、みんなが同じこと知ってるために勉強してる――みたいなとこ、あるのかも? それって、自分が勉強したくない勉強でも、勉強しておくと、同じこと勉強した人と話してるときに、相手の言ってることの意味がわかることが多くなる、ってことだよね?

「ま、みんなが同じこと勉強しといた方がいいって言っても、なんでもかんでも同じ勉強するってワケにはいかないっつーか、大きくなったら勉強したいことが違ってくるだろうから、自分が勉強したいことを専門的に勉強していくことになるやろうけど」

 と、ミヤくん。

 まあ、それはそうだよね。誰もがみんな、お医者さんになる人と同じだけ医学の勉強をしなくちゃいけなかったら大変だし、歴史の専門家みたいに昔の瓦を見ていつの時代のどこの藩の瓦か言い当てることができるだけ瓦の勉強をしなくちゃいけなかったら大変だし。

「タカ兄、なんつってたっけな? えっと……大きな木があって、その枝や葉っぱが専門の勉強だったら、幹や根っこになる勉強が、今、オレらが小学校で習ってる勉強? で、枝や葉っぱはわからなくても、幹や根っこになる勉強をみんながしてたら、みんなの幹や根っこの部分が(つな)がってるようなもんじゃないか――みたいな? なんかそんなこと言ってたんだよなー」

 細かい話は忘れちゃったなー、とミヤくんは頭をかき、ん? と何かに反応した。何か思い出すことがあったらしい。ミヤくんは、ふっ、と笑って言った。

「あとは、『怒られながら覚えなさい』って、ひいばあが言ってたらしいよ?」

「怒られながら……?」

 怒られながらって、怒られなきゃいけないってこと? と、僕が驚くと、ミヤくんはくくっと笑って首を振った。

「怒られながら覚えろっていうのは、怒られろって言ってるワケじゃなくてさ。これでいいと思ってやってみてもうまくいかなくて失敗しちゃうことっていっぱいあるから、失敗したときに『何やってんの!』って怒られて、『あ、コレ、ダメなんだ』ってことを学んでさ? そうやって、やっていいことと悪いことを覚えていくしかないよ、ってコト。――だから、『怒られるのは財産だよ、やっちゃいけないって言われたコトをしっかり自分の中に貯金してきなさい』ってさ?」

 怒られたことは財産で、やっちゃいけないことは貯金する……?

「……怒られ貯金……?」

 ちょっとカッコ悪い? 

 けど、怒られることが財産になるって、怒られることでやっていいことと悪いことが自分の中に(たくわ)えられて、そうやって蓄えられた『やっていいこと』と『やっちゃいけないこと』を使って、心の中の仕分け人が『自分に問題アリ』か『自分に問題ナシ』か判断していく、ってことだよね? 

 それって本当に、すんごい財産、ってことになるんじゃないかな……?

「そんで、怒られたときは怒られた理由を考える。怒られた理由を考えるときに、勉強したことが役に立つんだって。ほら、名探偵と一緒でさ?」

 ミヤくんが楽しそうに言う。

「名探偵?」

 名探偵と一緒ってどういうこと? と思うと同時に、あれ? そう言えば……さっき、ミヤくんのこと、探偵みたいって思ったな、と思い出す。

「名探偵って物知りだから、いろんな推理ができるワケやん? それと一緒で、勉強していろんなこと知ってると、怒られた理由が推理しやすくなる……はず?」

 と口にしつつも、まあ、怒られた理由を推理するのって難しいけどなー、とミヤくんがため息をつく。ふう、と息を吐いて、気を取り直すように大きく息を吸い、「と、いうワケで」と口を開く。

「『外から帰ったら手を洗いなさい』とか『ごはんの前に手を洗いなさい』とかって、小さいころから怒られてきたけどさ? そういうのも、怒られなかったらわからないことだと思うんだよな? だって、バイキンの存在なんて自分で気づけるワケないし、バイキンで病気になることがあるってことも教わらなきゃわからんからさ?」

 ミヤくんの言う通り。

 ごはんの前には手を洗いなさいって、僕たち子供は、大人たちに教わってきた。

 手についたバイキンを洗って落とすことで病気にならずにすむってことは、習ったぞ! って意識することがないくらい自然と、いつの間にか教わっていた知識。

「バイキンを落とすのに手を洗いましょうって、小さいころから幼稚園や学校で教わって来たよね、僕たち」

 僕が言うと、ミヤくんは大きくうなずいた。

「そういうのなかったらさ、『外から帰ってきたら手を洗いなさい』って言われても、『えー、めんどくさいから洗わなくていいや』ってなっちゃうやん? そんで、手を洗わずに怜音(れおん)に触って、それを見た母さんがキーッてなっても、オレ、なんで母さんから怒られてるか意味わかんなくて反発しか感じない。それか、オレが言うこときかなかったから、母さんはおもしろくなかったんだな、くらいにしか思わないだろうな、って思う。――けど、それは違うやん」

 レオンくんはミヤくんの弟で、病気がち。だからミヤくんのお母さんは、レオンくんが病気にならないようにって神経質なくらい気を配ってる。それが行き過ぎて、ミヤくんにキツく当たってしまうことがあるみたい。だけど、もしもミヤくんの方が不注意だったら、お母さんを悪く思うのは違うわけで――。

 バイキンのついた手でレオンくんを触ったらレオンくんを病気にしちゃうかもしれないからバイキンを洗い落としなさいってお母さんに言われてたんだ、ってことがわかったら、ミヤくんはお母さんに反発を感じたりしないだろうし。ミヤくんの態度にお母さんが腹かいただけだなんて思ったりしないだろう。そもそも、お母さんに手を洗うように言われたときに、あ、そっか、ちゃんと手を洗わなきゃ、ってなるよね。

「……そっか、そうだね。言われてみれば確かに、『手を洗いなさい』って怒られて……それから、バイキンが身体の中に入って病気になるってことを勉強して、それで、手を洗わなきゃいけないんだな、って学んできたんだよね、僕たち」

 これまでまじめに考えたことなかったけど、そうなんだ。

 怒られて学んできたことが、僕の中に息づいている。それが、僕を支える、僕の心の中に住んでいる仕分け人を育てて来た。

「そうそう。人から怒られて、なんで怒られてるか勉強して、そうやって何がよくて何がいけないか学んできたんだよ~」

 ミヤくんは明るい調子で僕の言ったことを肯定(こうてい)すると、

「大人からばっかじゃなくてさ、時には、友達から怒られて学ぶこともある」

 と、ピシリ! と言って、ひひひっと、ちょっと照れ隠し笑い。

「うん!」

 友達って、偉大(いだい)だ。

 僕は勢いよくうなずいた。

「それで、そうやって何がよくて何がいけないか学んでいくことで、仕分け人さんの仕分け力が(みが)かれるってワケ」

 ミヤくんがちょっと得意げに言った。

「怒られるって、意外と奥が深いんだね……」

 思わずこぼれ出ていた僕のつぶやきに、「そうそう」とミヤくんが軽い調子で同調する。

 僕たちは、怒られたり、勉強したり、本を読んだり、テレビを見たり、人の話を聞いたり、知識や経験を増やしていく中で、自分の心の中の仕分け人を育てていく。

 そうやって仕分け人が育っていけば、人からひどいことを言われても、そのことが自分にそういうことを言われるだけの何かがあって、そのせいで言われたのか、自分にはなんの非もないのに、言いがかりをつけられたのか、仕分け人が的確に判断することができるようになる。そうなれば、自分に問題があった場合はそのことを受け止めなくちゃいけないけど、自分に問題のないことだったら、その場合は――人からひどいこと言われたって、そのことで胸を痛めることなく、すませられる。人からひどいことを言われたって――大丈夫。

 ――大丈夫?

 ――それって、本当に大丈夫、なのかな?

 ――――――――――――――――――傷つかずにいられるのかな?  つづく




読んでいただいてありがとうございました。

今回は、学校の勉強や、怒られるということにも、相互理解のためになるという意義があるのではないか? ということを書いてみました。

今は、子供を怒ったり叱ったりするのはよくない、という風潮があるように感じるのですが、本当にそうでしょうか? 私は、怒ったり叱ったりされずに、やってはいけないことを「やってはいけないことだ」と認識できるようになれ、と子供に求める方が無茶な気がするのですが……?

虐待と「怒る・叱る」の区別をつけることで、「怒る・叱る」が果たす効果を見つめ直す必要があるのではないかな? と感じています。

それから、前回の後書きで書き忘れていたのですが、わわわ会流の『自己責任』については、『秘密組織に入りませんか? 第一話 わはわでわでわ?』に書いているので、こちらも読んでいただければ、と思います。

これからもよろしくお願いします。

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