不器用な緑は丸い世界を「正しく」なぞる
朝6時、その10分前に目が覚める。朝ごはんは食べない。普段飲んでいるサプリを体調に合わせて2、3種類選んで飲み、30分ほど軽く筋トレする。その後シャワーを浴び、ベランダでコーヒーを飲む。僕は下戸で酒が飲めない。でもその分コーヒーはたらふく飲む。だからコーヒーには多少のこだわりがあって、朝の限られた時間の中でもミルで豆からガリガリ挽き、ハンドドリップでじっくり丁寧にコーヒーを淹れる。コーヒーサーバーをスケールに乗せ、時計を見ながらきっちりとお湯を落とす。40グラムお湯を注いだら30秒蒸らし、その後140、80、60グラムと狂いなくゆっくり「の」の字を書くように細口のケトルで厳かな儀式を執り行う気持ちでコーヒーを淹れる。「コーヒーを淹れる」という行為は僕にとってセラピーのようなものだ。心を落ち着かせ、雑念を取り除くことができる。それに、コーヒーは味の好みをある程度コントロールできるから僕に合っている。豆の産地、浅煎り、深煎り、細挽き、粗挽き、中挽き、ドリッパーの形や材質、お湯を注ぐ速度や量…。それぞれがコーヒーの味を決める要因になり得る。それでいて完璧に自分の思う通りにならないのが憎らしく愛おしい。僕の傲慢な性格をその真っ黒な液体に溶かして飲み込むことができるみたいで。
出来上がったコーヒーをぽってりとした焼き物の大きなスープカップになみなみと注いで冷たい風に体を縮こめながらゆっくり飲む。何も考えないようにコーヒーの香りに集中する。ネガティブなことは昨夜に置いてきた。朝になれば生まれ変わることが出来る。そう自分に言い聞かせる。
僕にとって世界はとても生きづらい。点と点、線と線をぴったりと重ね合わせ、全てを秩序立てることなど不可能だとわかっているのに、そうでない世界を歩くことがとても気持ち悪い。会議の資料を止めるホッチキスのズレだとか、取引先の曲がったネクタイ、あいうえお順に並んでいないデスクのファイル、同期の謎にアシンメトリーな髪型、エトセトラ、エトセトラ…。
だから僕はこの混沌とした世界に溶け込むための努力をすることにした。外国の言葉を学ぶように、人の言葉や服装、行動、癖、あらゆる綻びを真似してそれぞれに法則性を見出し、自分に取り込む。そうして作り上げた自分を世界に溶け込ませる作業。僕はこの世界にとってどこまでも「他所者」でネイティブにはなれない。でも、カタコトでも僕はこの世界で生きていくしかない。帰る場所のない旅。それが僕の人生だ。根無し草、地に足がついていない感覚。だからどこにいても居心地が悪いのかもしれない。
今日も僕はへアイロンで丁寧に寝癖をつけ、スーツの色と微妙にミスマッチなネクタイをつけて会社へ行く。遅刻スレスレに着くようきっちり逆算して。