42 唐突に語られた真実
一人で朱羽を待っていようと思ったけれど、部屋の前には先客が居た。
広い廊下を挟んだ長いソファの端で、重い空気を纏って俯いていた綾斗が「あれ」と龍之介に気付く。
「美弦たちと居たんじゃなかったの?」
「だったんですけど、気になっちゃって。綾斗さんも京子さんの所じゃなかったんですね」
「俺もオジサンたちに呼ばれたから。京子さんも寝たままだしね」
綾斗は『拷問部屋』とは言い難い小奇麗な木の扉を指差して、銀環と並んだ腕時計を確認した。
「まだ少し掛かると思うよ」
「はい。俺もここで待ってていいですか?」
「どうぞ」という返事を待って、龍之介は同じソファの反対側へ腰を下ろした。
綾斗がソファに背を預けて目を伏せると、沈黙が広がった。
龍之介は少し前にポケットで振動を感じたことを思い出し、さすまたを横に置いてスマホを取り出す。
銀次だろうと思っていたが、送り主は母親だ。夕飯をどうするかという内容だったが、帰りたくない気持ちを抑えきれず『友達の家に泊るから』と嘘をついた。
すぐに返ってきた返事は『おうちの方によろしくね(はあと)』という絵文字付きのメッセージだ。
罪悪感を覚えつつ「よし」と小さく意気込んで、龍之介は銀次にもメールを送る。けれど、『さっきは悪かった』と送信してすぐに既読の表示は出たが、返事は返ってこなかった。
「八時になるけど帰らなくていいの? 送らせるよ?」
銀次の返事を待ってスマホ画面にかじりつく龍之介に、綾斗が横目に声を掛けた。
「今日は泊るってメールしたんで、平気です」
「泊るって、朱羽さんの所に? 見掛けによらず大胆だね」
不審がる表情に別の意味を汲み取って、龍之介は慌てて首を振った。
「違うんです! 朱羽さんと夜を過ごしたいとかじゃなくて、ただ、まだここに残りたかったって言うか……」
「ふうん」と呟いて綾斗はニヤリと笑った。確かに百パーセント否定はできない。
「えっと、そうだ! 俺、心美ちゃんに会いましたよ! 綾斗さんのこと聞きました」
無理矢理話題を逸らすと、綾斗は「へぇ、どこで?」と眉を上げた。
「うちの母親が家でピアノを教えてて、教室で偶然見掛けたんです。銀環してたからもしやと思ってお母さんに聞いたら話してくれて」
「そういうことか。俺、あのお母さんに最初嫌われててさ、暫く人さらいみたいな目で見られてたよ。けど、通ってるうちに少しずつ、ね」
「お母さんもそんなこと言ってました」
ピアノの前にちょこんと座ったあの少女もキーダーなのだ。生まれたばかりの我が子を「貴方の子供はキーダーで、将来国の為に戦わなければならない」なんて言われたら、そんな気持ちにもなるだろう。けれど綾斗が言うように、今はそこまでの抵抗はないようだ。
「初めて会ったのは、心美ちゃんが生まれた翌日」
「生まれてすぐとは聞いていたけど、そんなに早いんですね」
「残酷だと思う?」
「えっと……俺にはよく分かりません」
龍之介は首を振った。
「能力者の力が覚醒するのは大体十七、八歳くらい。それを見越した十五歳からアルガスに入るんだけど、実際はいつ力が覚醒するかなんて誰にも分からないし、本人も周りも覚悟を決めるなら早い方がいいからね。キーダーの子が生まれたって聞いて、京子さんと二人で病院に行ったんだ」
懐かしそうに顔をほころばせる綾斗。
「綾斗さんは京子さんと仲良いですよね」
好きだという気持ちは本人以外の口から聞いている。「何が言いたいの?」と言った頬がうっすらと赤くなるのが分かった。
綾斗はそっぽを向いて溜息を吐き出すと、横目で龍之介を睨んだ。
「龍之介くんは、好きなんでしょ? 朱羽さんのこと。別に構わないと思うよ。京子さんの隣は空きそうにないけど、朱羽さんの横はまだ埋まってないと思うから」
「俺はそんなこと……。いや、好きですけど!」
ブーメランのように気持ちを言い当てられて、龍之介はしどろもどろになりながら、ふと心に秘めた思いを綾斗に尋ねた。
「アルガスの施設員ってどうやったらなれるんですか? みんなノーマルですよね?」
「まぁ、大体はね。トールもいるけど。施設員になりたいの?」
トールは生まれ持った能力を故意に消失させたキーダーやバスクのことだ。
「新卒で来るなら、とりあえず成績が良くて素行に問題のないことが第一条件かな」
「成績と素行……」
素行はともかく、成績は胸を張れる自信がない。アルガスに入ることは龍之介にとって思い付きでしかないけれど、そんな将来の選択もあるんだという事を実感した。
「朱羽さんの側に居たいから? だからアルガスに入りたいって思ってるの?」
「はい。けどそれだけじゃなくて。この空気の中に全力で巻き込まれたいって言うか」
「まぁ、自分の思いをそんな曖昧に話してるうちは無理だと思うけど。龍之介くんは高倉高校だっけ。成績はどのくらい? 順位とか」
直近の結果が酷すぎて言うのを躊躇う。もう少し順位が上だった少し前の記憶を掘り起こして、龍之介は見栄を張った。
「だ、大体五十位くらいの時が多いです」
「そっか」
それでも微妙な空気が流れている。綾斗の求める数字ではなかったようだ。
「もしかして綾斗さんや美弦先輩みたいに、東黄レベルじゃないとってことですか?」
「そうは言わないけど、うちに入るのは結構厳しいよ? けど、ちゃんと大学まで行って書類選考まで残れたなら、俺が面倒見てあげてもいいよ」
「こ、コネってことですか?」
「まぁね。けど、今のままじゃダメだからね」
「はい」と意気込んでみたものの、大学を卒業なんて五年以上先の事だ。
可能性を潰さないためと言った銀次の言葉が胸に刺さる。けどそれなら銀次もアルガスに入れるという事だ。彼がそれを望むかどうかは分からないけれど、その気があるなら自分より現実的だ。
綾斗はソファを立ち上がると仏頂面で龍之介を見下ろした。
「君は朱羽さんの仕事に相当首を突っ込みたいみたいだから、一つ教えとくよ。変な解釈されたら面倒だからね。一年前、町中での戦闘でウィルを捕まえたのは京子さんだけど、最初にアイツらを追い詰めたのは朱羽さんなんだ」
「……えっ?」
唐突に放った彼の言葉を、龍之介はすんなりと理解することができなかった。