神の祭典
私の人生の終わりも近い。子供達よ、この手紙を遺言書だと思ってほしい。私が死んだ後にどうしてもやってもらいたい事があるのだ。それを書き記しておこう。
私がいつも大事に飾っていた服を覚えているだろうか?大切な友から貰った思い出、そう語ってきたあれだ。あれは本当に大切なものだ、決して粗末にしてはいけない。
さて、粗末にするなと言うからには理由も話しておかなければならないだろう。私と、そしてあの時出会った彼等との話を。
まだ若かった頃、私は未開の地へと足を運んで調査をするという活動をしていた。別に何かの団体に所属していたとか専門家の所で学んでいたとかそういう訳ではなく、ただ単純に興味本位だった。そういう友人達が何人か集まって大きな休みの度に様々な場所に飛んで各地の人々と交流を深めてきた。当然命の危険もあったが、それ以上に多くの人々と友人になることが出来たのだからそれでいいだろう。
その中で一度だけ、私以外の全員が急な用事で来られなくなった事があった。今思えばその時から導かれていたのではないだろうかと私は考えている。一人で辿り着いたその場所で、私は彼等と出会ったのだ。
一人とは言ったものの現地のガイドは雇っていた。雇っていたはずなのだが、逃げられた。木々が欝蒼と生い茂る森の奥深くで私は置き去りにされたのだ。キャンプセットも大半を持ち逃げされた。
どこへ向かって歩けばいいのか分からないが、じっとしていても埒が明かない。まだ太陽は高い位置にある、今の内にがむしゃらに動くしかないと思った私はただひたすら歩き続けた。歩いて歩いて日が暮れて、やがて森の奥に何か明かりのような物が見え始め、私は縋る様な思いでその場所を目指すことにした。
それは炎だった。見知らぬ部族が何か儀式でも行っているようだった。腰蓑だけを身に付け、手製の槍を持ち、顔や体には儀式用の物だろう紋様が描かれた男たちが私を見ていた。周囲の小屋から視線を感じたが、おそらく女性達が中で息を潜めていたのだろう。
無言で近付いて来た長と思われる一人の男、怪訝な表情を浮かべてはいたものの攻撃してくるようなことはなかった。スッと、私を指さす。いったい何事かと戸惑いながら自分の身体を見下ろすと服はボロボロで、手も脚も切り傷や擦り傷でいっぱいだった。一心不乱に歩き回っている内にこんなにも傷だらけになっていたのかと驚愕していると、長と思われる男が周りに指示を出し始めた。あっという間に私は取り囲まれ大きな敷物上に寝かせられ押さえ付けられた。一瞬身構えたが、一人の老人が様々な木の葉や実を練り合わせ、そして傷口へと塗布しているのが見えた。彼らは私の治療をしてくれていたのだ。多少沁みはしたものの後遺症が出る様な事もなく傷は数日で完全に跡形もなくなってしまった。
傷が治るまでの数日間、彼等は私を甲斐甲斐しく世話してくれた。外から来た人間が珍しかったのだろう。言葉は通じないが、お互いの身ぶり手ぶりや表情などである程度の意思疎通を図れたのは幸いだった。こうしたコミュニケーションは私の活動においての醍醐味でもあった。お互い分からないことだらけの地点から出発し、別れる頃には固い握手をして別れを惜しむ。もちろん全ての人々とそうなれるわけではなかったが、彼らとは良い関係が築けると思ったものだ。
私がここにたどり着いたとき、彼等は神に感謝を捧げるための儀式の準備中だったらしい。私は生贄に選ばれでもしたかと思ったがそんなことはなく、彼等の神は命を捧げられることを嫌う神なのだという。祭壇に捧げられる物も木の実や綺麗な花等で占められており、動物や魚の肉といったものは見当たらなかった。そして、この儀式は男性だけで執り行うもので、女性はこの期間家から一歩も出てはいけないのだという。こういう部族独自の風習というものを体験すること、きっと私はこの魅力に囚われ続けているのだろう。そこに後悔等ありはしない。私は生涯幸せだったと言える。
儀式の準備も進んでいたある日、彼等は私に一着の服を手渡してきた。どうやら儀式の折には腰蓑ではなくこの服を着るようだ。丁寧に編み込まれたその服を見るに彼等の神への信仰心は相当に高いと思えた。そして、短期間の交流ながら私をそこに迎え入れてくれたことに感謝せずにはいられなかった。その服を身に付けた私を彼等は固い握手と熱い抱擁で祝福してくれた。この瞬間私は彼等と心を通じ合わせた友となったのだ!
儀式の準備は進んでいった。見たことのない珍しい楽器が用意され、祭具も磨き上げられていく様子に私も何かしたいと思うようになった。その様子を察したのか彼等は簡単な舞を教えてくれた。そういった事を嗜んだことのない私であったが、その舞だけは不思議と体に馴染み奇麗に舞う事が出来た。彼等はその様子を見て嬉しそうでもあり何か納得したようでもあった。ますます彼等に近付けたようで心の底から嬉しかったものだ。
やがて儀式の日がやって来た。皆朝からお祭り騒ぎで、飲んで、食べて、歌って、踊って、騒ぎ倒した。この時間は私の人生の中で最も楽しかったと言い切れる。この手紙を読んでいる家族には悪いと思うが、この日を超える日にはついに出会えることはなかった。
そうしている内に夜が来て、途端に厳粛な空気に包まれた。楽器の演奏が始まり様々な物が奉納されていく。その中でも特に長の彼が捧げた舞は優美で力強く、そのあとに舞うことになっていた私は否応なしに緊張してしまっていた。皆に励まされ舞台の上に進み出たが、正直あまり記憶に残っていない。
何故ならば、その舞の途中で光に包まれたような感覚がして意識を失ってしまっていたのだ。気付けば病室で現地のガイドが心配そうな顔で覗き込んでいて、私はスタート地点で突然気を失って倒れたのだと聞かされた。ガイドが荷物ごと失踪していたということもなく、全てがそこにあった。あの体験は全部夢だったのか……そう落胆しながら私はその旅を終えた。
しかし、帰宅してから荷物の整理をしているとあの服が奇麗に畳まれて入っているではないか!あのガイドが忍ばせていたのか?そう思ったが、後年彼にもう一度会う機会があった時にそんなものは知らないと言われてしまった。ならばこの服は一体何なのだろうと考えたが答えが出ることはなかった。
もう私もすっかり老人だ。あの地に確認しに行くような体力などありはしない。だからこそ子供達よ、私の最期の願いだ。私が死んだ後、あの服を私に着せてあの地へと埋葬してほしい。妄言だと思うかもしれない。あの服も私が妄想の果てに作り上げた代物だと思うかもしれない。それでもどうかお願いしたい。私はもう一度彼等に、私の友に会いたいのだ!
手紙はここで終わっている。
しかし、彼が残したこの遺言が実行されることはなかった。
何故ならば、
この手紙を残した人物は死を迎える前に突然失踪してしまったのだ。
友よ!神よ!夢ではなかった!!
夜中に響き渡ったその声を隣人が聞いて駆けつけた時には
そこには彼の姿はなく、あの服も無くなっていた。
残された人々に真実を確かめる術はなく
長い間頭を捻り続けるも
ただ一つの結論に至るしかなかった。
彼は友に迎えられ神の下へと旅立ったのだ。
真実は誰にも分からない。
ただ一つ、確かな事を述べるなら
彼の言葉を借りてこう述べよう。
彼は生涯幸せであった、と……