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《六月 十一日 午後三時半》
いつのまにか寝てしまった。聞きなれない音が耳に届いてくる。この音は……なんだろう。なんだか波のような……。
体を起こし、まず驚いたのは僕が寝ていた場所。
固い。一応ベッドではあるみたいだけど、なんだか畳よりも固い気がする。そしてこの部屋は何だ。コンクリートの箱のような部屋。窓はあるが網戸もガラスも無い。ただ穴が開いているだけの窓がある。
これを窓と呼んでいいのかどうかは分からないが、僕はそっとその窓から外を覗いてみる。するとそこには見た事も無い綺麗な景色が広がっていた。
「えぇ……ここ、何処……」
延々と広がる海。見事な水平線が見て取れる。そしてこのコンクリートで出来た部屋……いや、小屋は丘の上に建てられているようで、窓から少し目線を下に移せば足が震える程の崖が。どうやら崖っぷちに建っているようだ。なんでこんな所に……。いや、それ以前に何で僕がここに……?
「睦、おはよう」
すると部屋の隅に僕の姉が。
あぁ、よかった、姉ちゃんが居てくれて本当によかった。
「姉ちゃん……ここ何処?」
「沖縄……の近くの無人島。お姉ちゃんの知り合いがヤフオクで買ったんだって。凄いよね」
ヤフオクって島も売ってるのか? というか無人島って……
「ここなら警察も来ないよ。ここで……二人でこれから暮らしていくの。中々面白そうじゃない? ほら、睦は魚釣りとか好きだったでしょ?」
「……二人……僕達二人だけ?」
まるで世界に僕達だけしか居ないような感覚。というか僕はここまでどうやって来たんだ。それに姉ちゃんはそんな凄い知り合いといつの間に……
「睦……言わなきゃいけない事があるの……」
すると突然、姉ちゃんは改まって僕へとそう切り出した。
僕は姉ちゃんと向かい合うようにベッドへと座り、話を聞く。
「……あの人ね、本当のお父さんじゃないんだ。私と睦は……十年前に本当のお父さんとお母さんに捨てられたの。それをあの人が引き取ってくれたんだよ」
「……え? なんで……どういう事?」
「ごめんね……今まで黙ってて……。だから睦が殺したあの人は……全くの赤の他人だから。だから……気にしないでって言っても無理だろうけど……睦が罪の意識を背負う事は無いから……」
赤の……他人?
僕が殺したのは父親じゃなかった?
十年前に……僕と姉さんは……捨てられた?
十年前……十年前?
何か、何かが頭の中に引っかかる。
十年前に何か重大な事が……
「睦? 睦!」
「え?! な、なに、姉ちゃん……」
「もう思い出さなくていいんだよ。これからは私達二人だけで生きていくんだから。大丈夫だから。私達が一緒に居れば……どんな所でも生きていけるから」
そうだ、姉ちゃんさえ居れば……僕は……
あれ……また何か急に眠たくなってくる。
きっと疲れたんだ。沖縄の無人島なんかに急に来るから……
もう、寝てしまおう。
※
「用意出来たぞ。準備はいいか」
「はい」
橘組の構成員に声をかけられ、私は用意してもらった拳銃を手にする。
殺人を犯すのは私だけの筈だった。私だけが人殺しという罪を背負う筈だった。でも睦はもう殺してしまった。私が用意した偽の記憶のせいで。
本当の睦の姉は十年前に死んでいる。あの変態共に拷問されて殺された。私という人格を睦が生み出したのはその時だ。睦は目の前で拷問を受ける子供、その子供を笑いながら殺す人間を見て私という人格を作り出した。そして私はその時、笑いながら子供達を殺す人間を全て記憶している。計十五人。その中で子供達を死に至らしめた大人は十二人。残りの三人はまだ人間だったんだろう。子供を拷問するという行為を拒絶した。睦を拷問しようとしていた大人もその一人だった。
無人島の海が良く見える砂浜。そこに橘組の構成員と椅子に縛り付けられた大人が一人。まだ歯は抜かれていない、口も塞がれていない。ここなら多少騒がれても誰も助けになんて来ない。まさにあの時と同じ状況だ。
「……だ、誰だ……? ま、まさか……」
椅子に縛り付けられた男は私を見て驚愕する。周りを囲んでいるガラの悪い男達は皆三十代半ばのヤクザ。その中でまだ十代の私が姿を現したのだ。流石に察しが付くだろう。
私はその男の前に立ち、後悔させるように声をかける。
「貴方を最後にしたのは何でだと思いますか? この子の姉を殺したのが貴方だからですよ」
「姉? この子? い、一体何言ってるんだ、コイツは!」
私は頬を緩ませながら、精一杯“悪”を演じる。
いや、演じる必要など無い。私は確実に悪だ。この国の法律に逆らった愚かな人間。でもこの道を選んだのは私自身。私が決めた。こいつらを全て殺すと。私刑にすると。
「解離性同一障害……って知ってますか? 多重人格って言った方が分かりやすいですかね。私はこの子が産みだした姉としての人格です。貴方達は本当に詰めが甘い。拷問されて殺された子供達の中に、橘組……あぁ、今居るこの怖い人達の事ですが、この人達の当時の組長さんの隠し子が居るって知らなかったんでしょう?」
「な、何?!」
やはり知らなかったようだ。間抜けにも程がある。そのおかげで私は順調に復讐する事が出来たのだが。
「長かったですよ。この十年間、本当に長かった。覚えてますか? 貴方達の中で、子供を殺せなかった人が居た事を。彼らは私達を……この子達を助けてくれました。だからって罪が消えるわけじゃありません。私は彼らに協力を求めて貴方達の詳細を調べさせたんです。一番役に立ったのは小佐さんですかね。あの人本当に優秀ですよ。数年足らずで警察官の偉い人になって……」
「小佐……?! あいつが……あいつが裏切ったのか?!」
あぁ、どうしよう、笑いたい。
爆笑したい。こいつの間抜けっぷりにお腹を抱えて笑いたい。
笑おう、笑ってしまおう、そうだ、笑おう。
「っ……あはははははっ! 気づいて無かったんですか! 心配しなくても……小佐さんも直にそっちに行きます。あの人の死を見届けるのは私の友達ですけどね。お察しの通り、私と同じく生き残った一人です」
「まさか……あの麻薬で捕まった男も……」
「そうですそうです。彼も私達と同じ仲間です。あの大事件を世間に思い出させてやるって……彼なりの脅迫だったんでしょうね」
男の眉間へと、用意した拳銃を向ける。途端に震えあがる間抜けな大人。
「心配しなくても……貴方は楽には殺しません。拳銃はトドメ用です。時間かけてたっぷり苦しんで貰いますからね。貴方の呻き声を、あの子達への追悼にします」
「……ゆ、許して……頼む……死にたくない……」
死にたくない……?
この期に及んでそんな言葉が出るとは恐れ入る。
本当に腐ってるんだ。こいつの頭は。
「じゃあ皆さん。死なない程度に……遊んで下さい」
私は背を向け、先程居た小屋へと向かう。
後ろから男の叫び声が聞こえてきた。そしてヤクザの笑い声も。
“同じ苦しみを与えて殺せ”
それが橘組の前組長の遺言。
駄目ですよ、組長。
同じじゃ駄目なんだ。それ以上の苦しみを与えないと……駄目なんだ。