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第08話_《頑固亀》号


 ----突風が吹きこんでくる。機械油の焼けつくような臭いと潮風がライの鼻をついた。


 目の前に広がる天井の高い空間は、大型の工作機械の類いで埋め尽くされている。中央には広い水槽があり、一隻の船がうかんでいた。大部分が起重機や機械の陰になっており、ここからでは船体の細かな造りまでは見えなかった。


「アル! ヴァネッサ! 誰でもいい。顔を出してくれ」


 床を縦横無尽に這っている太い電纜ケーブルを大股でまたぎながら、バルロイが船のところへ向かう。声が堅く反響していた。ライたちは後を追った。


 船の形は今までライが見たことのない種類のものだった。定期連絡船や客船、貨物船などは主に円柱型や流線型だが、目の前にある船は上部が平らだった。喫水線より下は確かめられないが、例えるならば亀の甲羅だ。色は塗られておらず、金属の無機質な地肌がむきだしになっている。


 水槽の縁から船までは橋がかけられており、バルロイが甲羅へ乗り移るところだった。


「おもしろい形だな。なんて名前なんだ」


 ライの背後から明るい声が語りかけてくる。振り返ると、作業着姿の少年が目を輝かせて船をすみずみまで眺めていた。


「俺も知らない。そんなことより、ここまでつきあわせて悪かった。これから先は俺たちの問題だから」

「つれないなぁ。そう急ぐなよ。第一、昇降機は上がっていて、まだ帰れないよ」


 少年が顎で指す。昇降機は確かに上の階へいっていた。それに乗って警官隊が押し寄せてくるはずだ。ライは舌打ちした。


「とにかく、もう俺たちに協力する必要はないから」


 ライは言い捨て、橋を渡った。甲羅の中央あたりでバルロイとエイミがかがんでいる。そこに開閉蓋が位置しており、乗りこみ口から一人の男が出てくるところだった。


「やっと帰ってきたか。で、ニールの子供ってのはどいつだ?」


 頑強な男が上半身だけを船外に出している。頭には派手な飾り布を巻いており、大きな傷跡が左目を閉ざしていた。見たところ五○代も終わりに近そうだ。


「アル、その話は後で。早く船を出してください」


 バルロイの慌ただしい物言いに、アルと呼ばれた大男はのんきな口調で説明を求めた。


 バルロイはライを研究所の地下駐車場で拾ってからの状況を手短に伝えた。警察が動き始めたと聞き、アルの表情が険しくなる。


「他の奴等はそろっている。すぐに出航するぞ」


 アルが船の中へ引っこもうとすると、輪の外で成りゆきを見ていた少年がライを押しのけて前へ進み出た。


「なあ、俺も連れていってくれよ。迷惑はかけないからさ」


 ライは耳を疑った。が、少年は本気のようだ。


「誰なんだ、こいつは?」とアルが問いただす。


「いろいろあって、ここまで来てしまったんです」、バルロイは困惑顔で答えた。


「俺が人質になってやったお陰でこいつらはここまで来られたんだ。いってみれば恩人だろ」

「しかしなぁ。僕たちはこれからどんな目にあうかわからないんだ。このまま別れたほうが君のためだよ」


 バルロイが優しく諭すと、「俺も捕まるわけにはいかないんだよ」少年はぼそっ、と呟き、慌てて口を手で隠した。口を滑らせたようだが、誰もそのことを追求しなかった。


「アル。この件は船長のあなたに任せます」


 責任を押しつけられ、アルは腕組みして唸った。ライが目をやると、昇降機は下降を始めており、まもなくこの階へ到着するところだった。


「頼むよ。機械いじりなら自信があるし、少なくともこいつらよりは役にたつと思う」


 少年は悪びれもせずにライとエイミを指差した。ライは反論しようとしたが、

「よし。同行を認める。整備技師がもう一人ぐらいほしいところだったしな」

 アルの決断にさえぎられた。アルに続いて少年が嬉しそうに船の中へ消えていった。バルロイは最後に乗ると言ったので、ライはエイミを先に行かせようとした。


 エイミと目があった。表情を曇らせ、なにか言いたげにしている。眼鏡越しに見つめるエイミの茶色い瞳からはライの理解できない複雑な感情がよみとれた。怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあった。


「ライ……本当にこれで----」


 エイミの言葉が終わるより早く、

「彼らが来た。早く行ってくれ!」

 バルロイがエイミとライを乗り込み口へ強引に押しこんだ。縦穴にかけられた梯子を伝いおりていくライの耳に、警官隊の声が届いた。


 一番下へ足をついたライはなにた言いたかったのか尋ねたが、「もういいのよ」、エイミは冷たく答えるだけだった。


 縦穴のすぐ横に通路が伸びていた。幅が狭く、二人並んで通ることは難しい。前を進むエイミの背はライの言葉を拒絶しているように思えた。


 通路の天井はそれほど高くなく、手を伸ばせば届いた。幾本もの鉄管や太い電纜がひとまとめにされて固定されている。


 人の声がするほうへ行き、長い梯子をのぼると、広い部屋があった。様々な計器類や画像投影機、見たこともない器具が壁にそって並んでいる。天井中央にぶらさがっているのは潜望鏡だ。


 船の制御室にはライの知らない人間がいた。男三人に女一人で、椅子に座って慌ただしく装置類を操作している。なにをすれば良いのかわからずライが立ち尽くしていると、バルロイが戻ってきた。アルが一度咳払いする。


「全員そろったな。これより、本船はファブリナスを脱出し、ニールの無念を晴らすための行動を開始する。後には退けないぞ」


 四人の男女は手を休めず、絶えることなく専門用語を口にする。計器に次々と明かりが灯っていき、羽音のようにかすかだった音が次第に高くなる。それは、この船の動力炉が稼動し始めたことを示していた。


 先程のアルの言葉を思いだし、ライは固唾を飲みこんだ。


 作業着姿の少年がこの船の名前を尋ねると「《頑固亀》号だ。今決めた」、アルが真面目くさった顔で答えた。船に乗る時に見た亀のような姿を考えれば言い得て妙な名前だ。


「だっせぇ名前」と少年は呆れ、他の乗組員たちの間からも反発の声があがった。


「俺が船長なんだ。文句があるなら後で表へ出ろ。出航準備は終わったのか?」


 むきになって反論するアル。乗組員はまだ小声でアルを非難していたが、作業を中断することはなかった。


「すべての回路に問題なし。いつでも出られるわ」


 静かに告げた女性が隣りの席へ移り、電子情報処理端末器を扱い始めた。


「《頑固亀》号、出航!」


 アルの合図とともに床が大きく揺れ動き、ライは近くの装置へ手をついた。それも一瞬のことだった。船の進みはあまりにも滑らかで、本当に出航したのかライは確信がもてなかった。


 空いている席へ座るようアルが指示したが、ライはアルと同じように立つことにした。エイミが隅の席へ腰をおろし、少年は歩き回って、壁や天井を埋め尽くしている機器を珍しそうに眺めていた。


「海上保安部より入電。停船するよう言ってきてます」


 茶色い髪の男がアルへと顔を向け、告げる。口髭をたくわえた、三○歳ぐらいの紳士だ。


「無視しろ。それから、潜望鏡を用意してくれ」


 アルの指示と同時に、天井の潜望鏡がおりてきた。いくつもある画像投影機のひとつが外の光景を映し出す。


 揺れる波間に多くの光点がうかび、こちらへ近寄ってきている。海上保安部の船だ。《頑固亀》号は彼らを引き離し、閘門へ急行する。


 港の外縁部は天蓋の内壁と一体化しており、どこまでも広がる海の水平線を立体映像で生み出している。閘門と呼ばれる出入口だけが外界と直結しているのだ。


 ライたちの前で、ぽっかりと口を開けていた閘門の鎧戸がおりていく。《頑固亀》号が入りこむより、閘門が完全に閉ざされるほうが早そうだ。


「なんとかしないと、逃げられなくなる」


 ライが訴える。アルは落ち着いて頷いた。


「ヴァネッサ、まだ管理部に侵入できないのか?」

「今おこなっているところよ。……はい、終了。開けさせるわね」


 電子情報処理端末を操作していた女性があっさりと答え、眼鏡をはずした。青とも銀ともつかない髪が似合う、二十代後半の綺麗な女性だ。


 閘門のぶ厚い鎧戸が上がり始め、《頑固亀》号をその中へ受け入れた。閘門内部は狭い空間となっている。船が入ると背後の蓋が閉ざされ、濁った赤色の光に満たされる。静かに注水が開始され、空間のてっぺんまで達すると、船の前方の壁がゆっくりと開いていった。


 外海だ。光のない暗い世界がそこに広がっている。《頑固亀》号は閘門からすべり出て、ファブリナスから離れていった。


 背後に遠ざかっていく都市の姿をライは見つめた。なにも言わずに母親を置き去りにしたことが楔となって心に刺さっていた。


「探知機に反応が。一隻の船がこちらへ急接近してきます」、バルロイの緊張した声。

「一隻? 湾岸警備艇か? ディアス、照合しろ」、アルの視線の先をライも見やった。


 黒髪を短く刈りこんだ小柄の青年が無言で、機器を操る。切り替えられた画像投影機のひとつには、この船を示す中心の図形へ迫る光点が表示されていた。


「該当船種なし。標識信号なし。おそらく非合法船」

「同船より四つの動体反応が吐き出されました。こちらへ向かってきます」


 ディアスの淡々とした声を、バルロイがかき消す。続いてディアスが告げる。


「音響走査、動体、形状認識走査による解析結果。動体反応の正体は魚雷。最接近まで一○秒三八」


 四つの光点は二種類の行動を取っていた。二つはまっすぐにこちらへ進んでおり、残るものは群から離れてそれぞれ左右へ大きく迂回し、《頑固亀》号を挟むような進路を選んだ。


「撹乱するか、撃ち落とさないとやばいぜ」と、これは作業着姿の少年。

「こいつは深海調査船だ。武器はつんでいない。イアン、なんとか振り切れるな」

「できるわけないだろうが!」


 砂色の長髪の青年が語気を荒げる。刹那、船体がいきなり傾き、ライの足は滑っていった。踏ん張ったもののすぐに無駄だと悟り、ライは近くの手すりにつかまった。床はぐんぐんとせり上がっていき、ほぼ垂直に立つ。エイミと少年は椅子にしがみついており、アルは機材に手足をかけて平気だった。他の者は座席帯で椅子に身体を固定している。


 床の傾きが元に戻るか戻らないかのうちに船体を鈍い衝撃が襲った。魚雷が命中したのでは、とライは息を飲んだ。


 船全体が小刻みに跳ねる。船外の様子を伝える画面には海底と、巻き上げられる土煙がうつっていた。《頑固亀》号は海底を削りながら進んでいるのだ。揺れのあまりの激しさに、ライは舌を噛まないよう歯を食いしばった。


 イアンが鋭い気勢を発し、船の動きが変わる。船は全速力で後退し、すぐに停止した。《頑固亀》号の周囲は土煙で完全に閉ざされている。


 やや間を置いて、四つの光点が動体感知器情報画面の中央で交錯する。魚雷の爆発音が海を震わせ、ライたちの乗る船の表面を叩いた。


「魚雷は消えましたが、新たな船影を確認。あ、待ってください……さっきの魚雷を発射した船が探知機の範囲外へ出ます」

「推進音の照合完了。該当船種、湾岸警備隊の巡視艇」

「同船より入電。停船を求めていますが無視でいいですね」

「駆動機関の再起動に問題なし。いつでも移動できるぜ」

「待って。さっきの無理な操艦で、船体底部にやや損傷が見られるわ。姿勢制御用機関にも異常があるみたい」


 バルロイを始めとして乗組員たちが矢継ぎ早に報告をする。最後のヴァネッサの警告を受け、アルがすぐに指示をくだす。


「ヴィネス、様子を見てきてくれ」


 通信器を担当していた茶色の髪の紳士が席を立った。「それから……」、アルが少年を指さし、言葉に詰まった。「ナオ。ナオ=ニューリッジだ。俺も手伝えばいいんだろ」、少年は言い、制御室を後にするヴィネスを追った。


「船長、どうする? 巡視艇から逃げるのか?」


 操縦士のイアンが《頑固亀》号を海底からゆっくりと浮かせる。


「戦略的撤退、もしくは撒くと表現しろ。そんなものに構っている暇はないんだ。全速力で振り切れ。どの方角でもいい。どうせあてなどないんだからな」

「あてが……ない?」


 ライは頬をひきつらせ、この集団の船長を見た。アルは腕を組み、大欠伸をしている。ライは喉元まで出かかった文句をなんとか飲み下した。仮にもニールの遺志を継いでいる者たちなのだ。本当はしっかりと考えているに違いない。ライはそう信じたかった。


「どっちみち、前へ進むしかないんだしな」


 前方に備えつけられた大型の画像投影機には外の光景が鮮明に映し出されている。


 突き進む《頑固亀》号の先には、闇の塊と化した海だけが広がっていた----




(つづく)

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