第07話_逃走
「約束どおり、自己紹介させてもらうよ。僕はバルロイ。君たちの面倒を見るようニール先輩から頼まれている」
研究所からずいぶんと離れてから、黒髪の男はそう告げた。
「あなたが? どうして初めに会った時に教えてくれなかったんですか!」
エイミが後部座席から身を乗り出す。ライはその隣りで座席に身体を沈めていた。
「いきなり僕が名乗っても信じてもらえないと考えた。だからこの数日、君たちを見守りながら機会をうかがっていた。それに、敵がどの程度本気なのかを実際に体感してもらう必要もあったからね」
話を聞くと、ライがオルゴール工房で見た人影や定期連絡船の中で感じた視線もこの男だったらしい。
「あたしたちは苦労したんですよ」
不承不承納得しながら、エイミが席に腰を落とす。「すまなかった」とバルロイが苦々しそうに謝った。
「俺はまだあんたのことを信用したわけじゃないぞ」
ライが朦朧とした意識のまま相手へかみつくと、バルロイは財布をエイミに渡した。中には運転免許証と身分証明書が入っており、この人物がバルロイであること、ニールと同じ研究所の経理部に所属していることが記してあった。
「こんな問題じゃない。親父はあんたに力になってもらいたかったかもしれないが、あんたが今も味方って保証はどこにある」
「なに疑っているのよ。現にこの人はあたしたちを助けてくれたじゃない」
「おまえは黙ってろ。俺はこいつと話してるんだ」
たしなめようとするエイミをライがさえぎると、バルロイは大きな声で笑い始めた。
「なるほどね。そんな慎重なところは先輩そっくりだ。
はっきり言うけれど、僕が味方だという保証はない。人は口ではなんとでも言えるからね。僕が使える人間かどうか、君自身の判断で決めてくれ」
人は口ではなんとでも言える。それはニールの口癖だった。ライは父親の影を垣間見た気がした。ニールはこの世にはいないが、その遺志と言葉は受け継がれている。そう思うと胸の奥がしめつけられた。
「わかったよ。まだ信用しきったわけじゃないけど、あんたに賭けてみる」
ライは力を抜いて答えた。不思議なことに、あれほど苦しかった気分がいくらか楽になっている。
「そいつは助かる。あの世にいった時にニール先輩からどやされずにすむよ」
苦笑するバルロイ。よほどニールが苦手だったのだろう。ライは奇妙な親近感を抱いた。
ライの服をまくりあげ、固まりかけた血をエイミがハンカチで拭いた。車の棚に絆創膏があったので、傷の手当をした。なにも考えずに持ってきてしまった拳銃をライはズボンのポケットへしまった。
車の外はひどい有様だった。大通りぞいに並ぶ店の展示用正面ガラスが割れ、破片が散っている。壁にも亀裂の走った建物をそこかしこに見ることができた。
怪我人が出たのか、救急車の警鐘がひっきりなしに聞こえてくる。その中には消防車のものも混ざっているようだった。事故を引き起こした車が何台か路肩に停まっている。交通網は回復しており、車が走るのに問題はなかった。
「さっきの地震か……すごいな」
奇妙なことに、外は夕闇程度に薄明るい。窓から見上げると空がなくなっており、天蓋部の地肌がむきだしになっていた。
ゆるやかに丸みをおびた天に沿って赤茶色の軌条が張り巡らされている。気味の悪い蜘蛛の巣状の骨格をライやエイミは初めて目にした。天蓋都市は天井の内壁に立体映像を映しだし、空を演出している。それを管理しているのが都市機能を司る中枢管制塔だ。
「管制部でも対処できなかったなんて、他の機能は無事なのかよ」
「古い都市なら天蓋部そのものが壊れるかもしれないわね。これが、おじさまの予測した異変なのかしら」
「いや。先輩から聞いた話では、こんなものではすまないそうだ。遺された資料をすみずみまで検討しないとはっきりとしたことはわからないけどね」
「だったら早くこの資料を公開しないと」
ライは例の情報結晶体を取り出した。
「それはそうなんだが」
バルロイが渋面となり言葉を濁す。歯切れの悪さにライは眉を寄せた。
「まずいな」と呟き、バルロイが後方視認鏡を一瞥する。後方に数台の警察車両が見えた。地震の被害を確かめるためのものだろうとライは考えた。
バルロイが脇道へ車をすべりこませると、警察の車も同じ道へ入ってきた。沈黙していた警鐘が突如として鳴りだした。停車しろ、という威圧的な声が拡声器を通して吐き出される。わけがわからずにライとエイミは顔を見合わせた。
「なんで俺たちが追われるんだよ!」
「ハミルの仕業さ。あいつは警察にも顔がきくからね。君たちの家にも警察の連中が待ち構えているだろう。僕たちにかぶせた罪はなにかな」
「のんきなこと言わないでください。本当のことを話して、あの人こそ捕まえてもらわないと」
「それは無理だ。相手は次期市長候補にもあがっている有力議員。こちらは薄給の事務職員と二人の子供。どちらの発言力が大きい?」
やんわりと反論され、エイミは口を尖らせて黙った。
「だったら、逃げ回るしかないのか?」
「まさか。いつまでも走り続けるわけにもいかないし、第一、ファブリナスにこれ以上いたところでなんの助けにもならない。
この天蓋都市を捨てるのさ」
バルロイの言葉の意味を一瞬ライは考えた。
いきなりバルロイが鋭く操縦桿を切り、反応しきれなかったエイミがライへ身体を預ける。怪我のある脇腹にぶつかり、ライはわずかに眉を寄せた。
真横の通りからぬっ、と出てきた警察車両をバルロイがかわした。数の増えた追跡者を撒こう、とライたちの乗る車は交通規則を破りながら全力で道を駆け抜けていた。
「確かにそのほうがいいかもな……」
「ライ、待ってよ。お母さんやパーシアおばさまはどうなるの?」
「残念だけれど、回り道をして一緒につれていく余裕はない」、とバルロイ。
「だったらあたしは降りるわ。お母さんたちを放っておけないもの」
「あまりお勧めできないな」
バルロイが困ったように言う。「どうしてよ!」、噛みつきそうな勢いでくってかかるエイミをライは押さえた。
「そうか。ハミルが俺たちの口を封じたがっているのなら、このまま都市の外へ行ったほうが二人にとっても安全ってことだ」
「そういうことだ。僕たちの行く先を知らなければ、君たちの母親が必要以上に狙われることもない。ハミルだって、馬鹿ではないだろうからね。研究所を出てから僕たちが二人に接触していないことは奴の手下が証明してくれるさ」
つまり、ライの周囲は完全に監視や盗聴されていたということだろう。そんな連中に救われるというのは複雑な気分だった。
エイミは腰をおろした。嫌々ながらも納得したようだ。
「でも、どうやって脱出するんですか? きっと港にも警察が待ちかまえていますよ」
膨れっ面で、投げやりな口調だった。天蓋都市の玄関は港だけだ。船に乗れなければ都市の外へ出ることもできない。もっともな意見なのでライは同意した。
ライたちの後方には警鐘の尾が伸びていた。人々は地震の片づけの手を休め、好奇の目でこちらを眺めている。視線が合わないようライは外を見ないことにした。
「安心してくれ。目指す場所は他にある」
自身たっぷりなバルロイの物言い。一筋の光明を見つけた気持ちになり、ライは期待をこめて尋ねた。
「なにかあてがあるのか?」
「ああ。ニール先輩の遺志を継ぐ者と、僕たちの船が待っている」
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夜の戻った天頂では月が、低い町並みを静かに見おろしていた。
揺れる水面に月が映り、波の音が潮の匂いを運んで夜気を渡る。
穏やかだった夜気に耳障りな警鐘の音が混ざった。海に面した道を走る数台の車。赤い回転灯を掲げた警察車と、それらに追われるバルロイの車だ。
道は海岸線にそってゆるやかに湾曲しており、バルロイは無駄のない運転で突き進んでいく。が、追ってくる車との距離は徐々に縮まりつつあった。
「このままじゃ追いつかれる。もっと速くならないんですか?」
後ろを見つめながらエイミが情けない声をあげる。角度の大きな曲がり角を抜けるところで、威圧的な警察車の群が見え隠れしていた。
「これでも限界なんだ。いつエンジンが壊れてもおかしくないくらいだ」
バルロイは必死の形相で真っ正面を睨みつけていた。バルロイの言うように、さっきからエンジンが奇妙に甲高い音をたてている。
「こんなところで動かなくなるなんて冗談じゃないぜ」、ライは口の中で呟いた。
車内を、赤い光が一瞬だけ染める。警察の車の一台がすぐそばまで追いすがってきていた。
パ、パッ、とバルロイが制動灯を明滅させる。ライたちの乗る車もわずかに速度が落ちたが、真後ろにくっついていた警察車は急制動をかけ、大きく出遅れた。ライとエイミが安堵したのも束の間で、他の車が間近に迫っていた。
エイミが親指の爪を、噛む。
「見えてきた!」
バルロイの言葉に反応し、ライとエイミは前の座席へ身を乗り出した。
海岸線にそった位置に四本足の巨大な起重機がいくつも並んでいる。重い貨物の積み降ろしや、船そのものを吊り上げるのに使われるものだ。赤と白の縞模様に塗りわけられており、取り付けられた安全灯のせいもあって、夜でも目立つ。
港駅の周辺のような賑やかな雰囲気はなく、無骨な倉庫や建物があたりを埋め尽くしていた。煙突形の熱放出施設を供えた造船所や工場らしき場所もいくつか認められる。ライとエイミはあちこちへ視線を走らせたが、建物はどれもが同じに見えた。
「俺たちを待つ人ってどこにいるんだ?」
ライが尋ねると、「目の前だ」バルロイは操縦桿を勢いよく切った。後輪が横滑りし、車体がほぼ直角に旋回する。造船所と思われる敷地内へ通じる門が開きっぱなしで、バルロイは車をその中へ突進させた。
なんの前触れもなしに、正面から光が飛びこんでくる。まっすぐにこちらへつっこんでくる単車の前方灯だった。
「危ない」、ライは叫ぶ。
単車の光が斜め下へ沈んだ。乗っていた者が単車を倒したのだ。バルロイが限界まで操縦桿をひねり、激突を避けようとする。扉の外を削る音がした。エイミが喚くが、その内容までは聞きとれない。
車は鼻先を植えこみの中へつっこみ、木にぶつかったところで止まった。ライは真っ先に外へ出た。単車の運転手が投げ出されていた。人影は寝返りをうったような姿勢のままで動かない。助け起こそうとライはかけよった。すると人影は突然跳ね起きた。
「この大馬鹿野郎! あんなにとばしてつっこんでくるんじゃねぇっ!」
怒声とともに、ライの顔に拳が迫る。予想外の出来事に、かわす余裕などなかった。ふらつきながらもライは倒れずにすんだが、頬が熱く痛んだ。口の中が切れたようだ。
「いきなり殴ることはないだろ。悪いのは俺たちかもしれないけど」
ライは不快な感じの唾を吐き捨て、相手を確かめた。街灯のお陰で視界はきく。相手はずかずかと迫り、両手でライの胸倉を掴んだ。
「悪いのはそっちだよ。俺だから上手く対処できたけど、普通のやつなら大怪我だ。
まったく、ついてない。単車がいかれてたらただじゃおかないからな」
やや高めの声や後ろで三つ編みにされた長い髪、そして端正な造りの顔だけ見ると女だが、油で汚れた作業着と乱暴な口調はまぎれもなく男のものだ。容赦ない台詞だが、ライは反論できる立場ではなかった。
「なにをしている。そんな場所で立ち話をする暇はないぞ」
いくつか年上に思われるその美少年に睨まれていると、あせる声でバルロイが促した。車のエンジンがおさめられているあたりから煙が昇っているのがわかった。エイミも車からおりている。
「わかったよ。俺が悪かった。頼むからこの手を離してくれ」
エイミたち二人とライを交互に見比べた少年は「そんなこと言って、逃げる気だろ」力を緩めさえしない。
「今はこんなことしてる場合じゃないのに」
ライが強引に手をふりほどこうとすると、警鐘が追いついてきた。正門を抜けた追跡車が停まり、中から警官たちがばらばらと姿を見せる。ざっと数えても二十人はこえていた。
ライのほうへ警官が向かってきたが、「その男から離れなさい。危険だ!」 作業着の少年を認めるとその場で踏みとどまった。「そいつは凶悪犯なんだ」と他の警官が言う。
少年は眉をしかめていた。ライたち四人を警官の群が取り囲む。
ライは情けなくなり、心の中でため息をついた。ハミルのせいとはいえ、警官からこのような扱いを受けるなどこれまで考えてもみなかった。
「俺が凶悪犯かよ……」
自棄気味だったライの脳裏にひとつの考えがうかんだ。キザイアから奪ってそのままだった拳銃を抜き、少年の眉間に押しつけ、声を荒げる。
「動くな! 無関係なこいつがどうなってもいいのか」
取り囲んでいた警官たちがざわつく。少年は目を瞠ったが、騒ぎたてたりしなかった。
「悪い。傷つける気はこれっぽっちもないから、少しの間人質になってほしい……頼む」
ライは当人にしか聞こえないよう小声で告げた。人質をとられ、警官たちはどうすることもできずに困っている。ライの許へ駆け寄ってきたエイミとバルロイの評価は正反対だった。
「なに考えているのよ。これじゃ本当にあたしたちは犯罪者じゃない」
「いいぞ。これで妨害されずにすむ」
ライにしてもこんなことはやりたくなかった。だが、他に方法がない。
少年は抵抗しなかった。別段恐れる様子もなく、状況を冷静に受けとめているようだ。ライへ向けられてる目線はさすがに好意的とまではいかない。彼を人質として警官たちの視線の中を進むのに問題はなかった。
この造船所はファブリナスでも一、二を争う大きなもので、何隻もの船が作られているとのことだった。バルロイが先頭になり早足で進む。目指す場所は地下にあるらしい。建物へ入ったライたちは昇降機に乗った。警官たちの見守る中で扉が閉じる。ゆっくりと降下を始めたところでようやくライは銃口を少年からそらした。
たった数分のことだったのに、ひどく疲れていた。犯罪者になるのも楽じゃない、とライは長く息を吐き、額の冷や汗を拭った。
誰も一言も話さなかった。バルロイは階数表示をじっと見つめ、エイミは人質となった美少年を気の毒そうに横目で眺めていた。人質が一番落ち着いており、栗色の前髪を手持ちぶさたにいじっている。
軽い揺れがあり、昇降機が止まった。三人が顔を見合わせると、昇降機が上昇を開始した。
「しまった。管理室でこの昇降機を操作している」
バルロイは備えつけのボタン類を手当たり次第に叩いた。が、昇降機はいうことをきかない。
「人質がいるのにそんな思い切ったことができるのか」、ライが少年を気にして疑問を口にすると、
「僕たちは凶悪犯となっている。最悪の事態になっても責任をなすりつけられるさ」
バルロイはおもしろくなさそうに答えた。
「今度こそ捕まっちゃう」
頭を抱えて騒ぐエイミ。それまで事態を静観していた少年が呆れたような表情となり、ライへ手を差し出してきた。
「その拳銃を貸しな。俺がなんとかしてやるよ」
相手がなにを考えているのかわからなかったが、ライは言われたとおりにした。どのみちライたちではこの状況を変えることができない。
「安全装置を解除しないと弾丸は出ないんだぜ。知らなかったのか?」、少年は慣れた手つきで銃を扱い、ボタンの並んだ昇降機操作盤に向けて数発撃った。
渡された時と同じように安全装置をかけてライへ銃を返すと、少年は作業着のポケットから数本のドライバーを出した。わずかにめくれあがった操作盤の隙間に平たいドライバーをつっこみ、強引に操作盤をはがす。奥には電線類がぎっしりと詰まっていた。
満足げに頷き、少年は配線の数本をいじった。昇降機の速度がゆっくりになり、止まったかと思うと再び地下へ向かう。
「これで管理室からの指示は届かない」
少年がドライバーをしまい、自慢げに告げる。ライは配線へ目をやったが、どこがどう変わったのかわからなかった。
「どうしてこんなことを」
意図がつかめずライが疑問を口にすると、
「俺を馬鹿にするなよ。機械いじりなら自信がある」と少年は気分を害したような表情をした。
「そういうことじゃなくて……」、ライは訂正した。
「あたしたちはあなたを人質にとったりして面倒に巻きこんでいるのよ。それなのに手を貸すなんて」、エイミがつけくわえる。
「あんまり深く考えるなよ。俺は人質で、脅かされて仕方なくやった、ということにしとけばいいだろ」
きまりが悪そうに少年は苦笑した。ライは銃をポケットに押しこんだ。この少年がなにを考えているのか掴めないが、少なくとも銃をつきつけておく必要はなさそうだ。そのほうがライも楽だ。
「ついたぞ」、バルロイが疲れた声で合図する。
緊張の解けないライの目の前で、扉がゆっくりと左右に割れていく----
(つづく)




