第04話_遺品
問題の工房はファブリナスの近くにある天蓋都市の郊外区域に位置していた。
行楽地にもなっている湖のそば。静かな森を抜ける遊歩道を少し脇へ進んだところにその建物はあった。申し訳程度の小さな看板をエイミが目にしなければ、気づかずに通りすぎていただろう。こぢんまりとした造りのせいで周囲の木々に溶けこんでおり、森の一部と化していた。頭上を覆う梢を貫いて届く午後の陽射しは影の部分が多く、濃密な森の香りの中に潜む工房をさらに目立たないものへと変えている。
「そこいらの土産物屋のほうがよっぽど立派だぜ」
第一印象をライは素直に口にした。本物の木造建てというのは珍しいが、受けを狙っているみたいで好きになれなかった。
「落ちついた雰囲気があっていいじゃない。あたしはこういうほうが好きだけどな」
入口前の階段を、エイミが軽い足取りでのぼっていく。「こんな建物のどこがいいんだか」、ライは首を傾げた。
と、気配を感じてライは足を止めた。だが、周囲に人の姿は見当たらない。気のせいだと決め、ライはエイミの後を追った。
中に入ったエイミが感嘆の声をあげる。ライも驚き、目を瞠った。様々なオルゴールが所狭しと並べられている。箱形はもちろんのこと、動物や花に似せた物もある。すべてのオルゴールが全体の調和を乱すことのないよう巧く配置されているのだった。迎える者はおらず、オルゴールの心地よい囁きがライとエイミを包む。ひとつひとつのオルゴール模型から紡ぎ出される旋律は互いに重なり、複雑で美しい合奏となっていた。
その光景に呑まれ、ライとエイミはここを訪れた目的を忘れて見とれた。
「すごーい。あ、これ可愛い」
目を輝かせてはしゃぐエイミ。窓枠に乗っていた小鳥をライは手にとった。羽根の付け根に隠されていたゼンマイを巻くと、その小鳥は嘴を開けて静かにさえずり始めた。
「よくこんな物が作れるな」
ライは感心し、オルゴールを仕込まれた精巧な模型を元の位置に戻した。その時、視界の隅に人影が引っかかった。窓の外に広がる森の中、木に身を隠すようにしてこちらの様子をうかがう者がいる。
誰だ、とライは心を緊張させた。
「いらっしゃい。気に入った物はありましたか?」
背後で男の声がし、ライは反射的に振り返った。奥へ通じる扉が開いており、人の良さそうな小柄な人物が立っていた。年齢は四○前後というところか。どうやらここの主人らしく、油で汚れた前掛けを身につけている。
安堵の息をつき、ライは窓の外へ目をやった。人影はどこにもなかった。
「錯覚? いや、確かに誰かがこっちを見ていた」
ライは唇を噛んだ。ニールの死の間際の言葉が思い出される。なんの警戒もせずにここへ来たのは迂闊だったのかもしれない。
「これ、全部ここで作られた物なんですか?」
「ほとんどのやつはそうですよ。奥が作業部屋になっているのです」
興味津々で尋ねるエイミに主人は誇らしげに答えた。さらにエイミがあれこれと質問する。ライは二人のやりとりの中に割って入った。
「エイミ、そんなのは後だ。訊きたいんですけど、ニールという名前を知ってますか?」
「古い知り合いだが……君は?」
「ニールは俺の親父です。オルゴールと一緒にこんな物が送られてきて」
ライは例の伝言が書かれた紙札を男に渡した。
「これは……あいつの身になにかあったのか?」
「殺されました。俺の目の前で」
男は信じられない様子だった。ライは三日前の出来事を簡単に説明した。握りしめた拳が震えるのを止めることはできなかった。
話が冗談ではないとわかると、待つように言い残して主人は奥へ姿を消した。
「おそらく、これを渡せばいいのだろう」
戻ってきた主人が差し出した物は握り拳の中におさまる大きさの多面体の結晶だった。「情報結晶体」と呼ばれる虹色の物体で、様々な情報が記録されている。
「これが親父からの……。他にはなにもないんですか?」
ニールが命を張って託そうとした物が情報結晶体一個ということで、ライは主人に詰め寄った。受け取った情報結晶体はあまりにも小さいうえに軽く、実感がわかなかった。
「なにか言っていなかったですか? どんなことでもいいんです」
「すまないが、ろくに話をしてもいないんだよ。注文していたオルゴールを取りにきたと思ったらその情報結晶体を押しつけて、しばらく預かってくれと一方的に告げて出ていったんだから」
困ったように主人が告げる。ライは肩を落とした。ニールはその時すでに追われる身となっていたのだろう。途中で倒れた場合を考えて手を打ったのだ。今朝エイミ宛てに届いた小包みも、ニールの名が書かれていたらどこかで消えていたに違いない。
「待てよ……。親父がそれなりの策を用意することぐらい相手も予想しているはずだ。それなのに、どうして邪魔されない?」
そんな考えが閃き、ライは頭を悩ませた。工房の主人と話しているエイミの声が遠くに聞こえた。
ライは部屋を横切り、窓を開けた。身を乗り出して周囲を眺めても、怪しいものはなにもなかった。野鳥の小さな群が湖へ向かって飛んでいる。それを別の大きな一羽の鳥が追っていた。
ニールの忠告と、さきほどの人影がライの脳裏で結びつく。
「まさか、俺たちは泳がされてるのか?」
群がる木々の葉を揺らして吹きこんでくる風がライの顔を撫でる。
風は涼しく、不快なほどに穏やかなものだった。
厚い雨雲が空を覆い、海面は鉛の色に染まっていた。
何隻もの定期連絡船が行き交う都市湾を、降りしきる雨が強く叩いている。ファブリナスへ戻ったライとエイミを迎えたのは激しい夕立だった。
「車まで走っていくしかないか」
真っ黒な空を仰ぎ、ライは顔をしかめた。港駅から駐車場までは距離があり、その間に雨よけになる物はない。バスやタクシー乗り場には長い列ができており、帰宅する人々で港周辺は混み合っていた。広い駐車場へ続く横断歩道を駆け足で渡っていく者も多い。
「あたしはここで待っているから」
エイミがにこやかに手を振る。彼女は雨のとばっちりがかからない場所へすでに避難していた。
「なに言ってるんだ。おまえも来るんだよ」
「ひどぉい。ずぶ濡れになれっていうの? あたしは女の子なのよ」
「文句は後で聞いてやるから。今は俺のそばから離れないでくれ」
「いったいどうしたのよ? さっきから少し変よ。連絡船に乗っていた時にもそわそわしていたし」
眉を軽く寄せ、眼鏡を人差し指で押し上げるエイミ。拗ねた子供のような表情だ。
工房で目にした人影のことをライは教えていなかった。はっきりとしたことはなにもわかっていない。話したところでエイミを不安にさせるだけだ。
「いいから行くぞ」
歩行者用の信号が点滅を繰り替えし、停止へ変わろうとしていた。数人が急いで道を渡っている。安心できる場所へ早く移動したかったので、ライは雨の中へ飛び出した。
「そんなに慌てなくたって」、傘代わりに手を頭上へ掲げたエイミが後を追う。
横断歩道を半分も進まないうちに信号が切り替わった。突然聞こえたエンジンの高い唸りにライは気を引かれた。路面にたまった水をはねあげ、一台の車が急発進して迫ってくる。速度を落とす気配はない。危険を感じたライは地を強く蹴り、水溜まりへ片足をつっこんだところで振り返った。エイミが道の真ん中で硬直しきっていた。向かってくる暴走車を見つめたままで、逃げようともしない。
「馬鹿、なにしてる!」
助けようとライは動いた。間に合わない、と直感が叫ぶ。
ライより早く、暴走車がエイミを捕らえようとした刹那----人混みの中から飛び出した影がエイミを拾い上げ、ライに体当たりしてきた。三人は、そのまま歩道まで転がっていく。一瞬前までライとエイミのいた場所を暴走車が疾り抜けていった。
倒れていたライが身体を起こすと、暴走車は大通りへ合流するところで、すぐに見えなくなった。
「俺たちを狙ってやがった? エイミは無事か?」
エイミはすぐそばにいた。足をくじいたらしく、歩くのが辛そうによろける。そんな彼女に手を貸す男の姿があった。
くせのある黒い髪の、痩せた男だ。中年と呼ぶには少し早いだろう。身につけた服装は、襟飾りも含めて、どことなくくたびれていた。
「二人とも怪我はないかい?」
濡れた髪をかきあげながら青年が尋ねる。
「はい。ありがとうございます」
眼鏡についた泥水を拭き、エイミが頭を下げた。「おかげで助かりました」、ライも礼をのべた。
「礼なんか必要ないさ。それより、こんな雨の中にいつまでもいると風邪をひくよ。彼女の服も透けかかっているし」
青年は顔をそむけ、鼻の頭をかいた。
エイミが慌てて胸の前を手で隠す。ライは上着を貸してやった。そんなことをしていると、救急車の音が近づいてきた。
「誰が呼んだんだか。事故にならずにすんだというのに」
独り言を口にした青年の表情は真剣そのものだった。心になにかが引っかかり、ライは考えこむ青年の次の言葉を待った。だが、ライの視線に気づくと、青年は考えるのを止めたようだった。
「雨もひどくなってきたし、僕は失礼させてもらうよ。これからは気をつけることだね」
親しみのある口調で告げ、青年は、車の流れが切れた道を渡ろうとする。去る背中にエイミが声をかけた。
「名前ぐらいは教えていただけませんか?」
「次に再会した時に名乗らせてもらうよ。それまで元気でいてくれ。ライくんもね」
言葉に詰まるライ。青年は確かにライの名を口にした。この男の前ではエイミはライを名前で呼んでいない。ライという名を青年が知るわけはないのだ。
「おい、どういうことだ!」
ライは人混みの中へ消える青年を追った。その時、信号が切り替わり、人々が一斉に道を渡り始める。
「何者だ、あいつ?」
ライはあせりながら、強引に人の波をかきわけたが、男の姿を発見することができなかった。
雨足はさらに強くなりつつある。
濃さを増した雨雲は、深い海底へ通じる闇を思わせるものだった----
(つづく)




