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第23話_大異変


 ----鐘の音が静かに響く。


 空には灰色の雲がたちこめ、吹く風は冬の冷たさをはらんでいた。


 ファブリナスの墓地区域。ニールの墓の前にライとエイミの姿があった。


「親父、終わったぜ。いや、大変なのはこれからかな」


 生前ニールが好んでいた酒を供え、ライは心の中で謝罪の言葉をつけたした。父の葬儀の日からおよそ三か月が経過している。墓前にやってくるのは今回が初めてだった。


 エルモアの強引な一言もあり、大異変への対応を全天蓋都市(てんがいとし)で進めることが決定された。連盟会議の後、ライとエイミはすぐにファブリナスへ帰ろうとしたがのだが、デュレイルやエルモアに引き留められ、帰郷するのが伸びてしまった。


「報告が遅れてごめんなさい。みんなも連れてきたかったのだけど、なかなか都合があわなくて」


 花束を酒瓶の隣りに並べるエイミ。あたりに他に人影はなく、風に流された枯葉のたてる音がやけに大きく感じられた。


 ライは目を閉じ、父親の冥福を祈った。生前の父への反発。待ち合わせに遅れたせいで命を落とさせてしまったという罪悪感。ファブリナスを出てからずっと抱き続けていた義務感と不安。そして、ここへ到るまでの出来事----


 様々な感情と追憶が脳裏で渦を巻き、はっきりとした形を取ることなく流れていった。


「これで親父も成仏できるのかな」


 大異変の接近と危険性を世間が認識し、それを知らしめようとして命をなくしたニールを讃える動きも起きている。《七海神》は解体され、ハミルとともに処罰を待つ身だとライは聞いた。


 ニールの遺志は果たしたし、法によって仇も討つことができる。それなのに、ライはどことなくすっきりとしないものを感じていた。


「いろんなことがありすぎたわ。おじさまがいなくなってから三か月しかたっていないなんて嘘みたい」


 エイミが小さく言った。ライの頭の奥で、父親が命を落とした日のことが鮮やかに甦る。


 ライはエイミのほうへ身体ごと向きなおった。


「どうしたの、恐い顔しちゃって?」


 怪訝がるエイミに、ライは深く頭を下げた。


「許してくれ。本当に悪かったと思ってる」

「どうしてあたしに謝るの?」

「どうしてって。俺のせいでこんなことになっちまって。俺が約束に遅れたから、おまえが好きだった親父も死んでしまった」

「ライのせいでおじさまが死んだなんて、考えたこともないわ。そりゃ、独りで抱えこんでいた時には頭にきていたけど」

「怒ってないのか?」

「怒ってるわ。いつまでも自分のせいにしていることにね。おじさまはライだけのものじゃないんだから。おじさまを助けられなかったというなら、あたしも同じよ」


 エイミの言葉尻は涙声混じりだった。「まるで俺が責めているみたいだ」、ライはその話題を続けないことに決めた。エイミの気持ちをこれまで察してやれなかったことをライは後悔した。


「おまえに渡す物があったんだ」


 ライはポケットに入れておいた包みを差し出した。


「なにこれ? 開けていいの?」


 ライは頷き、エイミが包みを解くのを待った。中から出てきた腕時計を、エイミが不思議そうに眺める。


「今更だけど、誕生日祝いだ。親父みたいに趣味は良くないから、気に入らないかもしれないけど」


 俺にとっては高い買い物だったんだ、と言おうとしたライはエイミの笑顔を見て、言葉を飲みこんだ。


「ありがとう。大事にするから」、左手首に巻きながら、エイミは言葉を続ける。「いよいよ来週なのね」


 深海人の遺した資料と最新の調査をつきあわせた結果、大異変の本格的な到来は来週と予想されている。各都市の対策はほぼ完了しているはずだった。


「これまでは上手くいったから、余計に不安になるのかもしれないけど……やっぱり心配だわ」

「なにが起きるかわからない。けど、みんなで力を合わせればなんとかなるさ、これまでみたいに。なぁ、親父」


 ライは蓋を開けた酒瓶を傾け、中身を墓へ浴びせた。


「頼もしくなったわね」


 目をやると、すぐ隣りにいるエイミの瞳がやけに熱っぽく潤んでいた。


「少し背が伸びた?」


 気のせいだろ、と言い、ライはエイミの眼鏡の奥をのぞきこんだ。瞼をおろしたエイミの唇に触れかけたその時、足下で地面が重く唸り始めた。


「また予震だわ」

「目、閉じてろよ」


 エイミが苦笑混じりで従い、ライが続きをやろうとした瞬間、低い音ともに地面がはじけ、ライは体重がなくなるのを感じた。


 エイミの悲鳴を抱えたまま倒れたライが見たものは、空に走る太い亀裂だった。


「違う。これまでの地震とは比べものにならない!」


 すべてを呑みこむ力強い律動にあわせ、世界がはねる----大異変の、到来だった。



 **********



 ニールの墓に手をかけて立ち上がると、揺れがわずかに弱まっていた。


 ライは、生唾を飲み下した。頭上の雲を裂いた亀裂が、震動にあわせて徐々に広がっているように見える。


「恐い……」


 エイミがすがりついてくる。震えていた。呆然としていたライは我に返り、エイミの手をとって駆け出した。


 駐車場へ向かう間も、地鳴りは止むことがなかった。車にたどりついた頃、甲高い音をたてて黒いひびが縦横無尽に空を走った。


 車の扉を閉めたライは落雷に似た響きを聞いた。車体が一瞬だけ跳ね上がり、腹の底を重く震わす。


「ライ、あれを見て」


 エイミが外を指差す。目線を追ったライも、言葉を失った。


 都市の天井にいくつもの穴が生まれ、海水が太い水柱となって落ちてきている。


「これが、大異変……計算では来週じゃなかったのかよ」


 ライは悪態をつき、車を発進させた。後方では、駐車場と墓地園との境目にある大木が倒れこんでいた。


 どこへ向かっているのかとエイミが尋ねてくる。ライは答えを考えた。


「家に決まってるだろ。おふくろやおばさんが心配だ」


 エイミは息を吐き、目を閉じた。ライは車の運転に集中した。絶えることのない横揺れのせいで、まっすぐ進ませることも難しい。道路の脇にある保護壁に何度か車体をこすってしまった。


 無線放送をつけると、雑音がとびこんできた。周波数を切り替えたものの、地震による被害状況を放送しているところはない。録音された通常の番組を続けている局もいくつかあった。


 警報が鳴り渡る。エイミは目を開け、窓に手をついて外を見つめた。


 空からの滝がひとつひとつ減っていく。灰色の雲に生じた亀裂を、赤黒いかさぶたのような物が塞いでいた。すべてのひび割れを埋めることはできないらしく、いくつかの小さな滝がなおも海水をそそぎこんでくる。


 市道の水かさが急に増した。車の鼻先が弾き飛ばした水飛沫が前面のガラスにはりつく。扉の隙間を通して、車内にも水が徐々に染みこんできた。


 無線放送が、臨時の報道内容へと切り替わる。津波が発生しており、しばらくは海岸線へ近づかないようにとのことだった。


 頭上の立体映像が消え、天蓋部の地肌が丸見えとなった。赤茶色の骨格はところどころが折れ曲がり、大きく欠けた箇所もある。夕闇程度の薄明かりが、血にも似た色に都市を照らしていた。


「気持ち悪い……」


 エイミが小声で言う。ライが相槌を打とうとすると、大きな揺れが真下からつきあげてきた。


『こちらはファブリナス災害対策本部。ただ今より、本都市は海面上へ向けての浮上を開始します。しばらくの間足下が安定しませんので、手近なものにおつかまりください。

 現在、全力をあげて被害状況の確認をおこなっております。市民のみなさんは落ち着いて、当局の指示に従って行動してください。

 繰り返します……』


 非常時の有線拡声器と無線放送の両方から同じ言葉が流される。ひときわ大きい震動が長く続き、なにかの砕ける音が底のほうで起こった。都市を支えている支柱を分離したと放送があった。


「ひとまず落ち着いたかな」


 ライは肩の力を抜いた。海底の地盤との接続を切り離せば、地震は襲ってこないはずだ。エイミはなにも応えず、車の外へ目線をそそいだままだった。


 脇を消防車が走り抜けていく。市内のいたるところから煙が昇っていた。交通状況を示す電光掲示板によるとこの先で渋滞が発生しており、緊急車両以外通れなくなっているらしい。分岐点でライは市道を離れ、一般道へおりた。


 一般道でも状況はそれほど変わらなかった。あらゆる建物がひび割れ、半壊しているものも多い。道には水がたまっており、家財道具や日用品が浮いていた。店から流れ出たと思われる高級そうな品物を拾い集めている者がいた。姿の見える人々の大半はどこかに怪我を負っている。大きな荷物をもって移動している者も多い。


「止めて」


 ライは速度を落とす。エイミが扉を開けると、濁った水が入りこんできた。水かさは、エイミの膝上まであった。エイミは迷いも見せず、道路脇の公衆電話へと向かう。


「無駄だと思うけど」


 ライはエイミを横目で追いながら、両足を曲げて椅子の上で胡座をかいた。このような非常時であれば、誰もが知人と連絡をとろうとするはずだ。それなのに、公衆電話には人が集まっていなかった。


「どこにもつながらなかったわ」


 戻ってきたエイミはそう告げた。ライは車を発進させた。


 大通りを走っていくと、渋滞にぶつかった。整理をおこなっている警官たちによれば事故が多発しており、緊急車両優先のために通行止めの処置が各所で施され、一般車はなかなか進まないらしい。クラクションがひっきりなしに鳴らされている。


 ライは車を近くの横道へ入れた。先のほうに車が連なっているのが見えたので、曲がり角で強引に細道へ滑り込んだ。


「こんなところ普通車じゃ通れないからな」


 道幅を気にしなくていいのは小型車の特権だ。速度をあげていると、眼前に壁が出現した。ライは制動をかけた。


 よく見ると、壁ではなく瓦礫の山だった。左右の建物が倒壊し、道を完全に塞いでいるのだ。車を後退させていくと、大通りとの合流点に乗用車の列ができていた。


 小さな車とはいえ、すり抜けられそうにない。車の行列は続いており、端が見えなかった。


「待っていても埒があかない。歩こう」


 ライの提案に、エイミは同意した。


 車を降りた二人は道路の行き先案内板を頼りに、家のある方向を目指した。


 都市が浮上しているため、地震の揺れは伝わってこないようだ。人々は避難所への移動や救助活動を始めている。比較的損傷の小さな建物の中で、壊れた物を片づけている姿も見えた。


 通りがかったある家には玄関がなかった。二階建てだったもので、一階が完全に潰れてしまったらしい。他の場所には焼け落ちた集合住宅があり、貼られた紙には無事な人々の名前と、避難先が記してあった。


「俺たちも、決めておいた非難所にも寄らないといけないな」

「そうね。二人とも無事だといいけど」


 商店街の入口あたりで、十歳にも届かない少女が立ったまま泣きじゃくっていた。エイミが近づき、どうしたのと訊いた。


「あのね、おうちがなくなっていてね、誰もいないの。ペロもお父さんも、お母さんも。みんなあたしを置いてどこかいっちゃったの」

「わかったわ。お姉ちゃんと一緒に探しましょ。こっちのお兄ちゃんも手伝ってくれるっていうから、泣かないで。ね」


 少女はヒックヒックと息つぎしながら、首を縦に振った。


 エイミが少女の手を握り、家のある場所へ向かう。ライは少女の飼っていた犬の名前を何度も呼んだ。駆け寄ってきた一人の中年女性が「もしかして」と、少女の名前を口にした。少女は中年女性を知っていた。


「やっぱり。お母さんもお父さんも無事だよ。あなたを探して走り回っているから。おばちゃんと行きましょう」

「ペロもいるの?」


 女性が答えるには、犬は足を怪我しただけで無事なようだ。中年女性はライとエイミに礼を言い、少女を連れていった。姿が見えなくなる直前、少女は二人に大きく手を振った。


 しばらく進むと、ライとエイミは大きな川へと出た。元々は貨物船舶用の水路だが、都市を満たした大量の海水が集まり、広大な運河のようになっている。橋は流されており、向こう岸へ渡る方法はなかった。


 その川には都市中の物が運ばれてきていた。押し流された家屋、車。様々な建造物の破片。そして、流れの速い濁った水の中に、人影が見え隠れしていた。大きな瓦礫がぶつかっても反応しない。汚れた無数の人形が激流に身を任せているようだった。赤い色をつけたものも多い。


「ひでぇな……」


 ライは表情を歪め、呻いた。そばにいたエイミがいきなり走り出す。ライは追いかけた。元来た道をエイミは戻り、狭い路地へと入っていった。


 建物の隙間の暗い場所で、エイミが胃の中の物を吐いている。息しか出なくなったところで、ライは声をかけた。


「あたしって最低だわ……。

 都市が浮上した時には、これで大異変も終わりだと思ったの。あんなにひどい有様になっているなんて予想もしなかった」


 弱々しく自虐的に告げるエイミの目尻に、光るものがあった。


「誰だって予想してなかったさ。死んでしまった人たちだって。

 自分を責めたってどうしようもない。けど、俺たちにはやらないといけないことがある」

「わかってるわ。でも、もう少しだけ待って」


 路地から出た二人は、とにかく家のある方角を目指した。道は思うように利用できず、避難を始めた人々で混雑していた。流れに逆らうこともできずに、ライとエイミは海のそばへとやってきた。人々の会話からすると、この近くに避難場所が設けられているらしい。


 海はとても穏やかだった。地震の影響などまるで残っていない。立ち並ぶ倉庫にはいくつもの亀裂が入り、ガラスが砕け散っていた。


 港を歩いていると、大音量の警報が頭上で響きわたった。


『みなさん、なにかにつかまってください。本都市の近くで海底火山の噴火が確認されました。大きなな波が襲ってきます。みなさんただちに----』


 その瞬間、世界のすべて吹き飛ばされたかのようにライは感じた。《海魔の息吹き》に呑み込まれた時に聞いた地の底から響く不気味な唸りとともに、天蓋都市(てんがいとし)の空と地面とが位置を入れ替えたようだった。人々の悲鳴と絶叫がこだまする。


 なにが起こったのか理解するより早く、全身になにかがたたきつけられ、ライは一瞬気を失った。


 気がつくと、ライは海の中にいた。海面から顔を出し、口と鼻に入った海水を捨てる。少し離れたところにエイミの姿があった。


「大丈夫か?!」 


 ライが叫ぶと、エイミは手を振って応えた。学校の授業で水泳ぐらいは習う。ライほどではないが、エイミも人並みに泳げるだろう。


「都市が傾いたのか……。海のそばにいて良かったのかもな」


 これまでの地震で建物は脆くなっている。都市そのものが大きく傾くだけでどれほどの損害を与えたのか、ライはまったく予想がつかなかった。


「ライ、あの人!」


 数瞬前まで立ち泳ぎしていたはずの老人の姿がない。ライは息を肺につめこみ、靴を脱ぎ捨ててから潜った。海の中は、人工照明のせいで真昼のような明るさだった。老人の他にも溺れていく人影が認められる。ライのように助けにいく者もいたが、沈んでいく人数のほうが多かった。


 ライは苦虫を噛み、意識のない老人を抱えて海面を目指した。新鮮な空気を吸いこむと、海上保安部の船が近づいてくるところだった。




(つづく)

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