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第01話_最期の言葉


 連なり並ぶ山が鮮やかな緑で映える頃、天蓋都市(てんがいとし)ファブリナスにも遅めの夏が訪れる。


 青空には雲が高くそびえ、天頂近くに位置する太陽の強い陽射しがあらゆるものに濃い影を落とさせていた。


「いい天気だよな。これで隣りに可愛い女の子が乗っていれば最高なのに」


 後ろへと流れていく空を車の窓から眺めながら、運転席の少年は大きな声でぼやいた。やや赤味がかかった黒髪の、年の頃は一六、七といった少年だ。


 少年----ライは組んだ両手を枕代わりにして、倒してある座席に体重を預けていた。車は自動運転機構を作動させてあるため、操縦桿に手を触れる必要はない。誘導軌条(ガイドレール)が埋めこんである幅広の市道をおりるまでは、例え眠っていても問題はなかった。


「なにふざけているのよ。誰のせいでこんなに遅れたと思ってるの?」


 隣りの助手席に座っていた少女が非難する。くせのない豊かな金髪を束ねて後ろへたらした、丸い眼鏡の似合う小柄な少女だ。


「今朝になっていきなり連絡してくる親父が悪いんだ。少し待たせるぐらいでちょうどいいんだよ」


 ライは目をあわせずに反論し、大きな欠伸をもらした。


 たまの休みだというのにライは朝早く叩き起こされた。幼馴染みの少女----エイミの家に、ライの父親から電送文が届いたのだ。ライの寝惚け眼につきつけられた紙には簡潔に、帰るからすぐ迎えにこいという内容と港への到着時刻が記してあった。行きたくないとライは言い張ったのだが、「あのことをおじさまに言いつけてもいいのね」、弱みをいくつも握っているエイミの静かな脅迫に負けてしまった。


「おじさまのどこが悪いのよ。ほら、予定より二十分も遅れている。どう考えたって、三十分もぐずぐずしていたライの責任だわ」


 腕時計をライに見せ、エイミは文字盤を指先でとん、とん、と叩いた。今時珍しい歯車仕掛けのぜんまい式時計で、去年の彼女の誕生日にライの父親が贈った物だ。


「はいはい。悪いのは全部俺ですよ。……そっか。ひょっとすると親父のやつ、おまえの誕生日にあわせて帰ってくることにしたのかもな」


 エイミが本気で怒っている様子なのでライは形だけ反省してみせ、話題をすり替えた。エイミがライと同じ一七歳になるのは三日後だ。


「その可能性はあるわね。今年はなにがもらえるかしら。あ、おじさまは長旅で疲れているだろうから休ませてあげないと。あまり甘えられないかなぁ」


 実に嬉しそうに独り言を続けるエイミ。「単純なやつ」とライは心の中で呆れた。これで当分の間うるさく責められずにすむだろう。


 分岐路の手前でライは座席を起こし、車を手動に切り替えた。休日のため道は混んでいた。


 エイミが窓を開けると、風が潮の匂いを運んできた。前方に港が見えてくる。


 青い海面で陽光が照り返し、銀の斑模様が輝めいている。いくつもの船影がうかんでいるのが見てとれた。そのほとんどは、他の天蓋都市(てんがいとし)との間を往復する定期連絡船だ。


 海岸線には人目を引きつける大きな建物がそびえている。港を使用する船舶へ指示を与える管制室、定期連絡船の乗船券売り場や待合い室などを備えた港駅だ。港駅の正面を横切る道に入った。ライは操縦桿の目盛を指先でひねり、車の速度を落とした。エイミが窓から顔を出し、ライの父親の姿を探し求めている。


「親父のことだ。遅れたことでしつこく文句を並べるだろうな」


 ライが眉間に皺をよせて喉の奥で唸っていると、

「あれ。おじさまだわ!」

 エイミが明るい声をあげた。ライが路肩に車を止めるとすぐに、エイミはおりて走っていった。


「このまま俺だけ帰ろうかな」


 人混みの間を抜けていくエイミの後ろ姿を眺めるライの脳裏にそんな考えがうかぶ。二人を残して去ったりすれば、エイミの恨みがましい文句と父親の鉄拳との二段攻撃が待っているだけだ。


「俺って孤独…」


 寂しくなり、ライは長々とため息をついた。


 エイミと共にライの父親----ニールがこちらへ向かってきた。品の良い流行の服に身を包んだ背の高い男で、四十代前半にしては若く見える。しきりに周囲を気にしている父親を見て、ライは奇妙な不審感を覚えた。手荷物は書類鞄ひとつだけだ。


 ニールはファブリナスの公的機関である研究所に勤めている。見慣れた鞄には仕事関係の重要な書類や資料が入っているはずだ。研究のための遠征調査ということで三か月前に家を出た時には、着替えなどをつめこんだ大きな鞄をもっていた。


「宅配便で送ったのか? それにしたって土産袋のひとつぐらい持ってないのかよ」


 ふと気づくと、前方に一台の車が割りこんで停車していた。人気のある高級車だ。優雅な赤い車体にライが目を奪われていると、中から二人の男が出てきた。


 運転していたのは車に負けず派手な青年だった。長身で線が細く、長い髪は亜麻色をしている。サングラスで目元を隠しており、嫌味なほどにさまになっていた。


 青年と連れの男が進む先にエイミとニールの姿があった。直感が危険めいたものを告げ、ライは父親を呼んだ。その声に反応し、近づく二人組を認めたニールの表情が強張った。ニールがエイミの腕をとり、人混みの中へ戻ろうとする。青年は追う気配をみせ、連れの男が懐からなにかを取り出した。


 銃だった。鈍い光を放つ銃口がニールとエイミの背中へ向けられる。


「伏せろ!」、ライの叫びに銃声が重なり、ニールがよろめいた。 


 銃声を耳にした人々が恐慌状態となり、大騒ぎになった。青年が、連れをおいて走りだす。車から飛び出したライはニールとエイミのところへ走った。


 たて続けに銃声が響く。わずかに早くエイミをかばっていたニールの背に、いくつもの血の華が咲く。ゆっくりと倒れていく父親の姿に、ライの頭の中でなにかが音をたてて切れた。


「なにしやがる?!」


 ライの絶叫を、亜麻色の髪の青年は無視した。ニールの衣服を手早く調べ、そばに落ちていた鞄を拾うと、踵を返してライのほうへと迫ってくる。


 ライは勢いを殺さずにぶつかっていった。ありったけの力をこめて放った拳はあっさりと見切られ、交差した瞬間に青年の膝がライの腹にめりこむ。呼吸が詰まり、目眩と吐き気に襲われたライはその場で手をついて激しくむせた。


 ライが動けるまでに回復した時には既に、二人組を乗せた赤い車は見当たらなかった。


 悲鳴にも似たエイミの声が届く。ざわつく野次馬を押しのけて進むと、ニールとエイミの姿が目にとびこんできた。


 ニールの服は真っ赤に染まっていた。へたりこんだエイミがニールの上半身を抱え起こしている。力なく横たわるニールの身体の下で、紅色の水たまりが広がりつつあった。


「ライ……おじさまが、おじさまがあたしをかばって」


 エイミが泣きじゃくりながら訴える。


「親父、死んだのか!」


 ライは膝をつき、父親の耳元で怒鳴る。


「……残念だったな。この通り……ぴんぴんしている」


 閉じていた瞼を重そうに上げ、ニールが弱々しく答えた。安堵感がこみあげてきたものの、ニールの顔には血の気が感じられない。


「救急車を呼んでくれ。医者の一人ぐらいいないか?」、取り巻く群集をライは見回す。探してくる、と何人かが動いてくれた。

「ライ……鞄はどこにある」

「そんなことどうでもいいだろ。じっとしてろよ」


 ライの忠告も聞かずに視線をめぐらせていたニールが小さく舌打ちする。


「奪われたか……こんな人目のある場所で襲ってくるとはな……甘かった」

「どういうことだ、親父? いや、後でいい」


 口をついて出た問いをライは撤回した。


「やつらの目的は私と、資料だった。ここまではどうにか撒いてこられたが……」


 咳きこんだニールが血の塊を吐き出す。


「おじさま、しゃべらないで」、震える声のエイミをニールは手で制した。

「いいか。まだ終わったわけではない。迂闊な行動だけはとるなよ。どこでやつらが監視しているか……」


 呼吸が浅く不規則になっている。力をためてから言葉を絞り出す父親を、ライは止めることができなかった。


「頼む……私の後を継いでくれ。大勢の命がかかっている」

「さっぱりわからないよ。なにを継げってんだよ。俺に頼みごとをするなんて親父らしくないじゃないか」

「そのうちにわかる……。

 エイミ、すまないが今年の誕生日は祝ってやれそうにない……。贈り物だけは用意してあるから安心してくれ」

「嫌よ。なにもいらないから……ただ、おめでとうって言ってくれるだけでいいから……」


 涙を流すエイミが言葉に詰まった。


「つまらない冗談はよせよ。エイミを泣かせるのは俺の役目だろ。親父はいつも偉そうにして、俺を殴っていればいいんだよ!」


 熱いものが身体の奥からこみあげ、視界をにじませる。ライはニールの胸倉をつかみ、引き寄せた。


 反撃してくれることをライは願った。が、ニールはかすかな笑みを作っただけだった。ライがこれまでに見たことのない、父親の優しい笑みだ。


「俺にこんなことをされて腹がたたないのか? そんな、らしくない親父なんて見たくねぇよ……」


 ニールがライの手首を掴む。小刻みに震えるその手には、力が感じられなかった。


「……ライ…………強い男になれよ……」


 囁くようなニールの唇の動きが止まる。まるで、ぜんまいが切れるように。 


 それはライが聞いた、父親の最期の言葉だった。




(つづく)

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