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第15話_深海の街


 暗闇の中、誘うようにしてなにかが囁きかけてくる。静かな、どこかで聞いたことのある優しい旋律だ。


 目を開けると、見覚えのある部屋だった。ライは赤子となり、ゆりかごの中で横になっていた。


 話し声がする。卓台を囲み、雑談を交わしている者の姿があった。男一人に、女が二人、顔まではよくわからない。他に、ピアノを弾いている男がいた。


 なにかがライの服に引っかかる。隣りに赤ん坊がおり、一枚しかない薄い掛け布団を小さな手で奪おうとしているのだった。金色の髪をした、可愛らしい赤ん坊だ。ピアノが紡ぎ出す素朴な旋律に耳を傾け、気持ちよさそうにすやすやと眠っている。


 ライは再び目を閉じた。この場の暖かな雰囲気にいつまでもくるまれていたかった。



 **********



 ----次に目覚めると、そこはまったく知らない場所だった。


 天井や壁、床のすべてが模様の入った白い石で作られている。窓には、細やかな透かし彫りを施した淡い色の板がはめこんであるだけだ。暖かくも涼しくもない風が、吹きこんでくる。


「聞こえてるんだろ、開けろ!」


 怒声のする方へ、ライ目をやった。ひとつしかない扉を、ナオが激しく叩いていた。そばの寝台では、膝を抱えたエイミがナオを眺めている。簡素な寝台がいくつも並んだだけの殺風景な部屋だった。


 大の字になり、大いびきをかいているのはアルだ。ヴァネッサは寝台の端に腰掛けて頬杖をつき、呆れたような視線をナオへそそいでいた。ヴィネスは窓の外を眺めながら手持ちぶさたに髭をいじっており、あぐらをかいたディアスは目を閉じたまま動かない。


 部屋の中を行ったり来たりしていたバルロイへ、ライは声をかけた。ここはどこなのか、どうしてこんな場所にいるのか尋ねたものの、「僕にもわからない」返事はそっけなかった。


「まさか、あの殺し屋に捕らえられたんじゃないだろうな」


「それならば俺も嬉しいのだがな」


 ライの呟きに予想外の返答があった。部屋の隅で人影が動く。腕組みしたキザイアが壁へもたれかかっていた。


「てめぇっ!」


 ライは殴りかかろうとした。が、あと一歩のところでバルロイが間に割りこんできた。どいてくれとライは言った。


「邪魔するなよ。こいつは親父の仇なんだ」

「わかっている。だが、喧嘩は後にするんだ」

「どうしてだよ」

「僕たちを閉じこめた者が来たらしい」


 鍵をはずす音が聞こえた。ナオも扉との距離をとっている。


 扉が開き、一同は言葉を失った。姿を見せたのは、普通の人間とは異なっていた。


 白く透けかかった肌。短い髪は何色にも見える虹色で、耳は丸みをおびながらも、上端がとがっている。子供の頃に聞かされたおとぎ話に出てくる妖精を思わせる神秘的な風貌だ。上背のある痩せた身体に長衣をまとっている。 


 紅色の瞳がライたちを見渡す。


「クォン・フ・ラルサ・エマシュ。デスタ・パラ・ル?」


 不自然な抑揚のある話し方だった。馴染みのない言葉にライは戸惑った。


 ヴァネッサが進み出て口を開く。「シェラ・ピエム・エルカァダ。アベル・ヒュン・クラァダ」、そうヴァネッサが発言すると、来訪者は頷いた。数回のやりとりの後、ヴァネッサはライたちに言った。


「こちらはサルン。この深海都市エルフォデの責任者の一人だそうよ。難破していた船からわたしたちを連れてきたと説明してくれたわ」


「イアンは? あいつはどうした?」


 アルが、険しい感情を隠さずに尋ねた。ヴァネッサが通訳する。サルンは答えた後、キザイアへ顔をむけた。


「イアン君は怪我がひどいので、別室で看病している。もう一人、あなたの船に乗っていた方は既に亡くなっていたと言っているわ」


 ヴァネッサの言葉を、キザイアは涼しい表情で聞き流した。


「ここはどのあたりになるのだろう? エルフォデという都市の名前は初めだが」


 バルロイが質問する。ヴァネッサが尋ねると、サルンは軽く笑った。


「海の底深くにある、彼ら『深海人』の都市。海上人、わたしたちのことらしいけど、海上人の海図には載っているわけがない、と」

「深海人、か……」


 バルロイは眉間に皺を寄せ、ライたちは互いに顔を見合わせた。


「深海人ってなんだよ?」


 状況はライの理解を完全に越えていた。深海人など、これまで耳にしたことがない。


 サルンの整った顔に翳りが落ちる。ヴァネッサが申し訳なさそうに何事かを告げた。


「詳しい話をしたいと言っているわ。代表者を出してほしいようだけども、わたしね」

「君一人だけでは危険だ。僕も同行する」

 

 バルロイの言葉を伝えると、深海人はしばらくの間迷うような素振りを見せた。ヴァネッサが何事かつけ加えると、深海人は頷いた。


「鍵はかけないでくれよな。こんな殺風景な場所は飽きちまった」


 ナオが軽い口調で非難する。ライの予想に反してサルンは同意した。


「町におりても構わないって。必要なら案内もつけてくれるそうよ。

 ただ、民を刺激することは避けてほしいと。わたしたちのことは上の世界からの客人と告げてあるけれども、身の安全は保証しかねるらしいわ」


 サルンは身を翻した。バルロイとヴァネッサが彼に続いて部屋を出る。これからどうするべきかをライが考えていると、外の様子を見にいこうとナオが言い出した。


「ついでにこの深海都市とやらを詳しく探ってこい」


 アルが勧める。こう言われては町へおりてみるしかなかった。念のためディアスが護衛としてついてくることになった。アルはイアンに会わせてもらうよう頼むつもりらしい。


「あんたはどうする?」


 ナオはキザイアに声をかけた


「俺は好きにさせてもらう」


 そっけなく答え、キザイアは部屋から姿を消そうとする。ライは背後からぶん殴ろうとしたが、ナオに制された。


「やめとけ。逆にのされるぞ」


 真剣な表情のナオに言われ、キザイアの後ろ姿にまったく隙がないことにライは気がついた。襲いかかろうとする者を飲みこんでしまう重圧がある。本職の殺し屋としての威圧感だ。ライの喉仏が上下した。


「いい気になりやがって。必ず親父の仇をとってやるからな……」


 キザイアが通路の陰に隠れてしまうまで、ライは殺意をこめて睨み続けた。



 **********



 道は石畳で舗装され、塵ひとつ落ちていない。低い陽射しが、ナオたち四人の長い影を描いていた。


 区画整理のゆきとどいた道を歩いていると、どこからか音楽が流れてきた。弦楽器とも管楽器とも特定できない楽器が奏でる旋律だ。


「好きになれそうにない曲……」


 エイミが呟く。ナオも同じ感想を抱いた。寂しい曲で、ずっと聞いていると気持ちが沈んでくる。


「おまえが音楽を悪く言うなんて珍しいな」


 ライがからかうような口調で言った。ディアスは興味がないらしく、周囲の様子を眺めている。なにげない仕種だが、隙のない厳しい目配りだった。


「退屈な町……期待がはずれたな」、ナオは頭の後ろで手を組み、ぼやいた。

「どんな期待していたんだよ。どこかで遊ぶつもりだったのか?」

「でも本当に退屈な、ううん、とっても寂しい場所」 


 エイミがナオに同意する。深海都市は静かすぎる町だった。


 さほど広いわけでもないのに、道を歩く人々の姿を見かけない。建物は高くても三階ぐらいまでで、門は閉ざされたままになっているものが多い。人の気配はするが、変化の乏しい町並みだった。


 ほとんどの家を垣根が囲んでいた。その中で、深海人は植物の世話や小さな畑で農作物の手入れなどをおこなっている。 


「こんちは。ちょっと聴きたいだけど」


 ナオが笑顔で語りかけると、その深海人は無視して家に引っこんでしまった。


「人がせっかく挨拶してやっているのに、無愛想な奴だな。ここの連中はみんなああなのか?」


 数人の深海人がこちらへ近づいてくるのが見えた。そのほとんどが青年といっていい年齢だ。その中の一人が口を開いた。


「おまえたちが上から来た人間だな」


「そうだけど……」


 深海人の物言いにナオは穏やかでないものでないものを感じた。ディアスがエイミを守るようにして動く。


「あいつらの言葉がわかるのか?」


 ライが尋ねる。ナオは頷いた。サルンが使っていた言語はまったくわからなかったが、目の前の青年が口にしているのは汎用古語だ。ナオが勉強したものとは発音や活用変化がわずかに異なっているように感じられたが、意志の疎通に不自由はしない。


「おおかた偵察のつもりだろうが、そのような真似は俺たちが許さないからな」

「なんだそりゃ? 俺達は散歩をしているだけなんだぜ。なぁ、ライ」


 ライはうろたえた。ナオの汎用古語の意味がわかっていないのだ。


「嘘をつくな。いつまでも大きな顔をしていられると思うのは大間違いだぞ。海上人」

「偉そうにしているのはそっちだろ。俺たちがせっかく仲良くしようと考えているのに、挨拶のひとつも返さないんだからな。深海人の常識を疑っちまうぜ。嫌だ嫌だ」


 深海人の一人がいきなり手をつき出した。手加減のない力に、ナオは堪えることができず、尻餅をついた。


「卑怯者の海上人が偉そうに!」


 倒れたナオが立ち上がるより早く、ライがその深海人をぶん殴る。


「なにしやがる! 相手はおん……とにかく、突き飛ばすなんてひどいじゃないか!」


 ライの啖呵に返ってきたのは、わけのわからない深海語だった。口調と表情から判断すると罵倒しているらしい。


 深海人が周りを取り囲む。ディアスはいつでも動けるよう身構えている。ナオも引き下がるつもりはない。売られた喧嘩は買うまでだ。


「きっとただじゃすまないぞ」、ライが呟く。


 睨み合いが続いていると、「おーい」と呼ぶ声がした。こちらへ走ってくる人影がある。


「やっと追いついた。お兄ちゃんたちが上の世界からの人だろ。おいらフォルン、案内するよう言われてきたんだ……なにかあったの?」


 やってきたのは年端のいかない少年だった。


 まだ一○歳前後というところか。険悪の空気を作る二組の集団を、怪訝そうに見比べている。


 深海人の一人が表情にすごみをきかせて深海語でなにか言った。


「そうもいかないよ。おいらが町中での面倒を見るよう頼まれたんだから。どっちが悪いのか知らないけど、ここは退いてもらうよ。言いたいことがあれば後でサルン伯父さんに会えば」


 フォルンは物怖じせずにきっぱりと告げた。サルンの名が出ると、青年達は困ったようにお互いの顔を見合わせた。


 その隙に少年はライの背中を押しやって、一行をその場から離れさせた。


「助かったわ。ありがとう」


 安全なところまで来ると、エイミが少年に礼を述べた。ナオは通訳してやり、続けた。


「でも頭にくるよな。いきなり突き飛ばすんだぜ」

「さっきの人たちのことは忘れてよ。なにがあったのかだいたいわかるけど、ああいう人たちばかりじゃないからさ」


 ナオは少年の言葉をそのとおりにライたちへ伝えた。


「始めから喧嘩を売ってるような態度だったけど、なんで俺たちがからまれないといけないんだ」


 ライの言った内容を、ナオは汎用古語に置き換える。


「すぐにわかると思うよ。それよりも、上の世界のことを教えて。こことどういうふうに違うの?」


 フォルンが興味津々といった明るい表情で訊く。ナオは説明を引き受け、エイミも交えて並んで歩いた。



 **********



 しばらくなんの気なしにエイミたちの会話へ耳を傾けていたライだったが、ディアスの緊張した目線に注意を奪われた。


「気を緩めるな」


 低い声でディアスがライに釘をさす。たくさんの視線がこちらへそそがれているのと言うのだ。姿は見えないが、周りの家屋に住む深海人からのものだ。


「嫌な感じだぜ」


 ライは苦虫を噛み潰した。 


 エイミとナオ、フォルンらの話は盛り上がっているようだ。楽しそうなその会話に集中しようとしたものの、背筋を伝う冷たい汗をライは忘れることができなかった。




(つづく)

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