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第14話_海魔の咆哮


《頑固亀》号が天蓋都市(てんがいとし)アマテラスを出航してから、十日あまりがすぎようとしていた。


 通路の脇にある灌水室の扉が開き、ナオが姿を見せる。ライは立ち止まり、きびすを返した。逃げようとしたのだがナオの高い声に呼ばれ、ライは仕方なく向き直った。


「交替したんだろ? 一緒に飯食おうぜ」


 乾いていない髪を手櫛で梳きながらナオが誘う。ライは彼女からわずかに目線をそらした。


 交替した、というのは《頑固亀》号内での役割分担のことだ。操縦系統や探知機器などを扱うのはかなりの集中力を要するので、数時間おきに交替することになった。ライがまわされたのは、探知機器の監視だ。今は本職のディアスがついている。


「俺は少し眠りたいんだけど」

「かたいこと言うなよ。飯食った後でも寝る時間は充分にあるって。コーヒーをいれてやるからさ、適当なものを持ってきてくれ」


 ナオは強引に決定し、ライの前から消えた。ライは観念し、貯蔵庫へ足を向けた。ナオが女であることを知ってから、彼女はなにかとライにからむ。雑用を押しつけることがほとんどだ。


「俺の言いぶんなんて聞いてくれないし。ほとんど召使いだよ」


 女相手にむきになるのは男らしくないだろう。みんなにナオの正体をばらせば少しは状況が変わるだろうが、報復が恐くてそれもできない。


 なんとかできないものか、ライはここ数日真剣に悩んでいた。女の子の裸を見ることができて得をした、と喜んだ時もあったのだが、今では後悔の念が強い。


「大異変のこともどうにかしないといけないってのに。アマテラスで同じ部屋にならなければこんな苦労をせずにすんだんだ」


 不平を口にしながらも、ナオの言うことを聞いてしまう自分が少し情けない気もする。


《頑固亀》号の食料貯蔵庫は船体の最下層に位置している。邪魔にならないよう動力炉や制御室からできるだけ離し、温度を一定に保ちやすくするためだ。お湯をかけただけで出来上がるインスタント製品とビスケットを抱え、ライはナオの待つ休憩室へ向かった。 


 ズゥゥン……。長い梯子をのぼっていると、重い音が船体を震わせた。爆発音。それも、かなりの破壊力をそなえたものに間違いない。


 ライは梯子へ手をかけ、狭い縦穴を急いで登った。休憩室のある階層にさしかかると、ナオが走ってくるのが見えた。制御室のある階層へ到着した時、さっきよりも強い爆発音が《頑固亀》号を包みこんだ。


 制御室にはナオ以外の全員がそろっていた。ライとは入れ替わりで当番についていたエイミも、通信を管理する席をヴィネスに譲っている。


 レーダーには光点がひとつだけあらわれていた。移動速度が尋常ではない。《頑固亀》号と比べると、まるで兎と亀だ。全速力で対応しようとする《頑固亀》号にあわせて、その光点は後ろを取ろうと大きく回りこんでくる。二隻の距離はぐんぐんと縮まりつつあった。


 船外モニターが火球に染まる。次の瞬間、揺れが船体を襲い、ライは柱をつかんだ。


「なにやってんだ。魚雷や機雷の反応は?」


 入口で転んだナオが訊く。忌々しそうにアルが答えた。


「レーダーでは捉えられないやつらしい。スクリュー音だけが頼りだが、この爆音の嵐の中では役にたたん!」

「ファブリナスの研究所でそんな材質を扱っていた部署がある。奴は間違いなくハミルからの刺客だ」


 バルロイはアルの言葉に付け足し、駄目だ、とレーダーの機械を叩いた。


《頑固亀》号の後尾に光点が張りついた。通信が入った、とヴィネスが告げる。乱れていた画像投影機に人影が映し出された。


 亜麻色の髪、緑色の瞳----酷薄な印象を与える青年だ。


「てめぇは……」


 ライは歯ぎしりし、忘れることのできない殺し屋の顔を睨みつけた。キザイアがアマテラスの議場を騒がせたことはバルロイから聞いていた。


「てめぇはどこまで俺たちを邪魔するんだ」


 ライの怒声に、しかしキザイアはライを馬鹿にするようにかすかに笑っただけで、一言も告げずに通信を切った。


「動力炉を限界まで解放しろ! イアン、なんとか振り切るんだ」 

「無茶言うな。注文つける前に自分でやってみやがれ」


 嬉々とした口調で、イアン。《頑固亀》号の動きが変わった。速度で相手と距離を取るのではなく、小刻みな移動で、キザイアの乗る船の背後へつけようとしている。優勢とまではいかないが、互角だった。


「うう、気持ち悪い」


 天地が何度も目まぐるしく入れ替わり、ライは吐き気を感じた。椅子から捨てられないように締めているベルトが胃のあたりを圧迫しており、余計に辛い。


 数瞬おきに襲ってくる魚雷の爆発音が耳の奥で暴れている。ライが耳を手でふさごうとした時、ヴァネッサが悲鳴じみた声をあげた。


「第一外装に亀裂! その他にも、各所の装甲の耐久力が限界に近づいているわ」


《頑固亀》号の甲羅がいくら頑丈であっても、至近距離からの強力な魚雷を喰らい続けていけばいずれ破壊されるのは当然だ。


「頼むぞ……なんとかのり切ってくれよ」


 ライは祈った。まだ、やらなければならないことがあるのだ。


「浸水が始まっているの? Dの二三区画から二八の間に異常あり。誰か見てきて」


 ヴァネッサの早口に、ナオとヴィネスがすぐ反応した。「ライ、手を貸せ」、ナオが言う。ライは躊躇せずに後を追った。専門知識はないが、傍観するわけにはいかない。


「あたしも手伝います」


 席を立ったエイミが震動で体勢を崩すのを、ライは視界の隅で捉えた。


「君はこっちを頼む。他にも処置の必要な箇所があるはずだ。見つかったら船内放送で伝えてくれ」、ヴィネスが叫ぶ。


 ライが制御室を出ると、ナオの姿はすでに見当たらなくなっていた。



 **********



《頑固亀》号の通路の天井部には電気系統の導線とともに、細い配水導管がとりつけられている。


 その導管は生活用水むけのもので、船体運用の際に要求される動力炉冷却用の水、バランスを調節するための補助用の配水導管などの大型のものは船体下層部で集中的に張り巡らせてあった。


 ライとナオはそこで、破れた導管の応急処置を施していた。


「馬鹿野郎、手を離すなって言っただろ」

「違う! 他の継ぎ目が裂けたんだ」


 アルの胴体ほどの太さがある導管に新たな亀裂が走り、そこから噴き出した水がライとナオの身体をはじき飛ばした。ライは腕にいくつも軽い切り傷を負っていた。深海での水圧はかなりのもので、裂け目から勢いよく噴出する大量の水は刃物にもなりうる。


 キザイアからの攻撃が終わることはなく、衝撃が絶え間なく《頑固亀》号を包みこんでいる。浸水時の排水機構を果たしているはずの導管が許容量を越えて、次々と損壊していくのだった。調節弁を閉めて水の流れを変えるだけでは追いつかず、溶接もとっくに諦め、隙間を一時的に埋める速乾性の液体を流しこんでいるのが現状だ。


 ライは導管の裂けた箇所に防水テープを貼っていた。比較的小さい亀裂ならば防水テープで充分だった。が、それにも限りはある。


「ちくしょう。テープが終わった! そっちは?」


 ライはテープの土台を投げ捨てた。


「駄目だ。もう残ってない」


 液剤の容器を必死に絞っていたナオだったが、悪態とともに容器を放り投げた。ナオは近くの調節弁に手をかけたものの、まったく動かない。ライも力を貸した。頭上からの水が滝となって二人を打つ。しばらく頑張ってみたが、どうにもならなかった。


 そうこうしているうちにも水はどんどん溜まってゆき、ライの膝上にまで達していた。深海の水はあまりにも冷たく、氷に埋まっているかのような錯覚がする。ライは足の感覚が鈍くなっていくのを意識した。ナオも同じらしく、鮮やかだった唇の色が紫に近くなっている。


「ここは捨てよう。制御室へ戻るんだ」


 ライは決心した。この場に残っていたところで出来ることはなにもない。


「でも、放っておいたら船が沈んじまう」


 ナオが反対した。歯をガチガチと鳴らしている。


「なんの対処のできないままここにいるよりも、一度みんなのところへいって報告するほうが大事だ。ひょっとしたらいい案が出る可能性だってある」


 ライは深みのある青い瞳をのぞきこんだ。ナオは大きく頷いた。


 通路への扉を開けると水が飛びこんできて、押し流されそうになった。外でも浸水が始まっており、大量の水が溜まっていたのだ。ライは腰のあたりまで水に浸かっていた。


「この階は放棄するしかないな」


 水をかきわけて進み、梯子にたどりついたライは蓋を閉め、下への出入口を塞いだ。それでもどこからか水が漏れており、上の階層からの水が縦穴に溜まっていく。ライとナオは制御室へ急いだ。


「冗談じゃない。このままじゃ本当に沈没しちまう」


 ライたちが制御室へたどりつくのにやや遅れて、エイミとヴィネスも戻ってきた。二人ともずぶ濡れになっている。彼らも上手くいかなかったのは、苦々しい表情から明らかだ。


 ナオとヴィネスが被害状況を手短に報告すると、「ご苦労だった」アルは一言だけ返した。ライは間を置かずに尋ねた。


「いい対処法はないのか」

「その必要はない。もう人の手ではどうにもならない」


 アルに替わってバルロイが答えた。顔色が悪い。状況に絶望しているような雰囲気だった。


「なんだよ、それは? まさか諦めてんじゃないだろうな?」


 ライは納得がいかず、食ってかかった。努力を放棄してしまえば、どんなに小さな確率があったとしてもそれを自ら潰すのと同じことだ。ニールにしても、ほんのわずかな勝率であるライたちに懸けたのだ。


 高ぶった感情をぶつけたライは、魚雷の爆音が消えていることに気づいた。レーダーからも光点がなくなっている。


 戦闘は終わったのか。そう尋ねようとしたライの耳に金切り音が届く。歯医者で歯を削られる時にも似た、耳障りな音だ。ヴァネッサの言葉で、それが穿孔機によるものだとわかった。搭載されていた魚雷を使い果たしたキザイアは《頑固亀》号の装甲に穴をあけようとしているのだ。


 船外暗視モニターに、奇妙な形状の船がうつる。蜘蛛のような長細い足で《頑固亀》号に貼りついているのがわかった。


 ガクン、と床が震動した。《頑固亀》号が急発進したのだ。速度を限界まであげ、どこかへ向けて一直線に突き進んでいく。海水との間に摩擦が発生し、水圧が壁となっているはずだったが、キザイアの船が引きはがされることはなかった。


「イアン、なにを…………まさか、《海魔の息吹き》を目指しているのか!」


 アルが右目を大きく見開く。イアンはなにも答えなかったが、アルの予想が当たっていることを示していた。


「馬鹿なことは辞めろ。自殺行為だぞ」

「どのみち、このままだと俺たちは沈んでしまうんだろ。だったら、懸けてやる」


 咎める船長をイアンは鋭く一瞥した。《海魔の息吹き》がなんなのか、ライはまったく知らない。いつもは肝の座っているアルが怯えるぐらいだから、安全なものではないだろう。それでも、ライはイアンを応援した。


 床が大きく傾いた。浸水によるバランスの異常かと考えたが、違うようだ。《頑固亀》号そのものがなにかに引きつけられるようにして、横に流されている。


「《海魔の息吹き》って海流のことだったのか」


 ライが口に出すと、傍らにいたヴィネスが髭を扱いながら補足してくれた。


《海魔の息吹き》とは、惑星の広い範囲を通っている潮流のことだった。船乗りでその存在を知らない者はいない。かなりの勢いをもっており、これまでに呑み込まれた船は破片すら上がってこないという。そのことを説明するヴィネスの顔はいつもより険しいものだった。複雑な感情がそこにはあったが、ライは追求するのを避けた。


《海魔の息吹き》は《頑固亀》号を木の葉のように弄んだ。それでもキザイアの船は離れようとしない。海流は次第に強さを増し、二つの獲物を海の底深くに引きずりこもうとしているようだった。


 堅いものが割れる、鈍い音がした。《頑固亀》号の厚い装甲がついに貫かれたのだ。通路の各所にある遮断扉はヴィネスが前もって閉ざしている。ヴァネッサが調査すると、船体を横から見た断面図のいたる場所が海水で満たされているようだった。


 なにかがはじけ、すべての明かりが失われる。悲鳴をあげたのはエイミだろう。


 本当の闇というものをライは初めて感じた。


 目を開けていてもなにも見えないというのは、底知れない不安と恐怖を呼び覚ます。海流の唸りとキザイアの穿孔機の回転音がはっきりと聞こえる。「少なくともまだ生きている」、自分たちを死へと導こうとしているそれらの音でさえ優しく聞こえるほどだった。


 視界に明かりが戻る。濁った血のような色----非常用の赤色灯だ。


「電力系統がほぼ全滅。動力炉からの供給もほとんど途絶えたわ。駆動機関の出力も十分の一まで低下。本当に手の打ちようが……」


 ヴァネッサの言葉がかすれて消える。


《海魔の息吹き》だけが勢いづき、《頑固亀》号を玩具のように振り回す。それでも、イアンは必死に操縦棹を操っているようだった。だが、効果はまったくあらわれない。


 咆哮が沸き起こる。深い底の世界から届く、死神を思わせる不気味な声だ。それは複雑な地形によって海流がたてる「海魔の歓喜の声」だった。


 その咆哮を合図に、船をさらう力が一段と増した。《頑固亀》号は翻弄され、ぐるぐると回転を続けていく。ライは目が回り、意識が朦朧としてきた。


 エイミやヴァネッサの助けを求める甲高い悲鳴に混じり、ナオのものもかすかに聞こえる。


「やっぱり女の子なんだな」


 場違いな考えが脳裏に閃く。不思議と、ここで終わりになるという悲観的な思いは抱かなかった。


「まだやり残したことがあるんだ……絶対に生き延びてやる」


 ライは誓い、気合いを入れるために自分の頬を両手で叩いた。


 やがて、非常灯も消え、完全な闇の中で上下が入れ替わり続ける。嘲笑にも似た「海魔の咆哮」を耳の奥に残したまま、いつしか、ライの意識も闇に呑みこまれていった----




(つづく)

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