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第09話_孤独な姿


 無数の魚たちに囲まれ、巨大な亀が冷たい海の中をゆっくりと漂っている。


 長細い大魚がその亀のそばへやってきた。亀の腹部に位置する生気のない目に睨みつけられ、大魚は横に裂けた口を開いて威嚇する。並んだ鋭い歯が亀の腹部の目----《頑固亀》号の底部船外用カメラのレンズに写った。


 制御室の数ある画像投影機のひとつに、人を喰い殺すこともあるその大魚の口が張りついていたが、誰も注意を払っていなかった。総勢九人の視線は通信用画面に注がれていた。


「残念だが、君たちを入港させることも、話を聞くこともできない。撃沈しないだけ感謝してもらいたい」


 画面上の男は早口で告げ、一方的に通信を切った。集まっていた者たちの間から落胆の声とため息が起こる。


「こちらが名乗る前にあんな反応をしなくても」


 交渉を担当していたバルロイが渋面で椅子から立ち上がった。ディアスやイアンはそれぞれの席へ戻り、ヴィネスとナオは少し離れて整備のことで打ち合わせをおこなっている。


 たまっている洗濯物を片づけないと、などとエイミは考えた。


 ファブリナスを出てからおよそ一か月。他の天蓋都市(てんがいとし)から入港を拒絶されることにみんな慣れてしまっていた。惑星各地に点在する天蓋都市(てんがいとし)のうち十数個をめぐってみたものの、既にファブリナスからの手配書が回っており、大異変の接近を知らせるどころか都市へ近づくことさえできなかった。なかには湾岸警備隊を使って《頑固亀》号を沈めようとしたところもある。


「それだけ俺たちが有名人になっているということだな。ここから一番近い都市はどこになる?」


 アルがヴァネッサへ尋ねた。ヴァネッサは情報処理端末から海図を呼び出し、検索していた。めぼしい都市を決定するまでに時間がかかるだろう。


「こんなことしていても無駄だ。もっと他にいい方法はないのか?」


 制御室を出ようとしたエイミの耳に、ライの怒鳴り声が届く。振り返ると、ライがアルに詰め寄っていた。不満をこめた目つきで、背の高い船長を見上げている。


「苛立つのはわかるが、気長にあたっていくしかない。このあたりはまだファブリナスの経済圏だ。もっと遠くへ行けば儂らに理解を示してくれる都市がきっとある」


 ひとくちに天蓋都市(てんがいとし)と言っても、大きさはもちろんのこと経済力にもばらつきが生じる。この地域ではファブリナスが経済的に最も繁栄しており、小都市は大都市の機嫌を損ねないようにすることが一番だと長い歴史の間に悟っていた。


「そんな悠長にしていられるか! 大異変は今日にも起きるかもしれないんだぞ」

「……それは、言われるまでもない」

「だったらもっと必死になってくれよ!」


 懇願するライに答える者はなく、大人たちは皆沈黙していた。ライはさらになにか叫ぼうとしたが、口を閉ざし、通路へ走り出ていった。エイミはライを追った。


「待ちなさいよ。あんな言い方はないわ、みんな一生懸命なのに」、エイミは声をはりあげたが、ライは無視して階段をおりていく。

「おじさまの命が奪われて悔しいのはあなた一人じゃないのよ! みんな同じ気持ちなんだから」


 床に空いた狭い穴を覗きこみ、エイミは足下へ言葉を投げつけた。


「一緒にするな! おまえは親父と血がつながってるってのか? 親父の無念は俺が晴らさないといけないんだ。おまえと違って、俺は悔しがってるだけじゃすまないんだよ!」


 足を止めて見上げたライが吐き捨てる。エイミが初めて目にする、乱暴に突き放す視線だった。エイミはなにも言い返せなかった。


「おーい。俺とヴィネスのおっさん、これから機関室にこもってくるから。昼飯になったら呼びにきてくれ」


 険悪な空気を陽気な声が破る。ぶらさげた工具箱をガチャガチャいわせながら、ナオがこちらへやってきた。


 顔をそむけるエイミ。こぼれそうになる涙をこらえるのがやっとだった。


 様子がいつもと違うことを察したのか、「船酔いか?」とナオは心配そうに近寄り、下にいるライにも気がついた。ナオはなにか言いかけたものの、ライがその場を離れるほうが早かった。遠ざかっていく硬い足音がエイミの耳の奥で反響していた。


「あいつ、連れ戻してこようか」


 油で汚れた手袋をしたナオが遠慮がちに告げる。


「あたし……洗濯しないといけないから」


 エイミは首を横に振り、ナオと視線が合わないようにして逃げた。



 **********


  

 干してある洗濯物が潮風に揺られ、はためいている。洗濯物の生みだす影の中、エイミは甲板に腰をおろしていた。


 周囲には海だけが果てしなく広がり、世界の隅でゆるやかな線を描いている。《頑固亀》号は海面から上部だけをのぞかせ、漂っているのだった。


 膝を抱えこんで、穏やかな波の音に耳を傾ける。見上げると、大きさの同じ二つの太陽が輝いている。競うように高く盛り上がった真っ白な雲が青空の大部分を覆っていた。天蓋都市(てんがいとし)で長年目にしてきたものとは異なる、重圧感と開放感のある本物の空だ。


「嫌なくらいにいい天気」


 エイミはわずかに眉根を寄せ、長く息を吐いた。ファブリナスを出てからというものライはあまり話をしなくなっていた。そして、先程ぶつけられた台詞----エイミはライの変化を理解できなかった。


「あんなひどいことを言うなんて……ライなんかもう知らない」


 憂鬱な気分に堪えかねてまた長く息をつくと、


「ため息なんてついていると早く老けるわよ。若いのだからもっと元気を出しなさい」


 面白がっている声がしてエイミは振り返った。いつの間にかヴァネッサが船の外へ出てきており、自分の洗濯物を干しているのだった。ヴァネッサはそれ以上エイミに関心を示さず、仕事を続けた。亀の甲羅の上は、二人の女性の着替えで彩られていた。並んでいる二種類の下着を見比べ、エイミは大人の女性との差を実感した。


 ヴァネッサは二七歳と言っていたか。線が細く、実用第一で飾り気のない作業着を品良く着こなしている。どうしてあれほど格好よくなるのか、とエイミは自分の身を包んでいる同じ作業着を軽く引っ張ってみた。


 突然、甲高い音が響きわたった。悲鳴にも似た、あらゆるものを引き裂きそうな声だ。エイミは反射的に耳を押さえて鼓膜を守った。


「平気よ。危険はないから」


 ヴァネッサが物干しの手を休め、苦笑する。


「なんだったんですか、今の?」


 ヴァネッサはエイミの背後を指差した。再び悲鳴のような音が鼓膜を震わせる。


 エイミは目を丸くした。すぐ近くに、巨大な生き物が存在している。


 ----それは長細い胴体をもち、例えるならば蛇だった。が、蛇とは違う。それは大きな翼をそなえており、胴体中央からやや前よりの部位に一対の長い触腕を生やしている。 


 ----それは一度翼を動かして、天に昇るような行為を見せた。わずかな時間だけ広げた翼はエイミの視界におさまりきれないほどの大きさで、太陽の光を受けて七色に輝いている。


 ----それは身をくねらせ、頭から海の中へ飛びこんだ。空のてっぺんにまで届きそうなほどの水柱があがり、水飛沫がどしゃぶりとなってエイミとヴァネッサのいる甲板を叩く。


「あらあら。洗濯物がびしょぬれね」


 エイミはヴァネッサのほうを向き、口をぱくぱくさせるばかりだった。


「あれはなにか、そう訊きたいのでしょう?

 学術名『ルテキエン・パラ・シルテ』、訳すと『始まりよりありし永きもの』というところかしらね。この惑星で最大の生物よ。あんなに大きな身体をしているけれど小心者なの。船を襲ったりはしないわ」


「ヴァネッサさんの言うことだから信じますけど……あんなのがいるなんて聞いたことないですよ!」

「学校では教えてくれないはずよ。わたしも見たのはこれで二回目。エイミちゃんは運がいいわ。あれの存在を知らずに一生を終える人のほうが多いのだから」


 それまで楽しそうに説明していた生物学者の表情がわずかに曇る。


「どうしてなんですか?」

「学会でもいろいろな説があるわ。あまりにも大きすぎて人間の手に負えないため、とか。個体数が絶対的に少ないからそっとしておくべきだ、とか。

 もっともらしいのは、人間よりもはるかに知能が高く、寿命が長いから、劣等感からわざと無視している、というものね。理由はともかく、ルテキエン・パラ・シルテに触れることは学界でも禁忌とされているのよ。愚かなことだけれどね」

「人間より優秀なんですか? 怪物みたいな姿なのに」


 ルテキエン・パラ・シルテは海面から首だけをのぞかせ、悠々と泳いでいた。その姿は鎌首をもたげて進む蛇そのものだ。


「他の生き物から見れば人間だって立派な怪物よ」


 そう前置きし、ヴァネッサは少ない論文から推測されるルテキエン・パラ・シルテの知能と寿命を口にした。その内容にエイミは驚くしかなかった。劣等感からわざと無視しているというのもうなずける。


「そんなに長い間生きているんですか。あの生物からすれば、人間の命なんてあっけないものなんですね」


 エイミはニールや、物心つく前に他界していた実の父のことを思った。単に寿命のことだけではない。常に争いや病気と隣りあわせでいる人間の生命が、とても脆いものとして感じられた。


「そうね。けれど、だからといって人間の生き方までが軽くなるわけではないわ。

 限りのある短い時間の中で、なにかを成そうとみんな必死に生きているのよ。必死なあまり、周囲から孤立してしまうこともあるけれどね」


 含みのある言葉にエイミははっとなった。ライのことを言っているのか----そう尋ねようとしたエイミの口に指をあてて黙らせ、ヴァネッサは続ける。


「なんと言われたかは知らないけれど、彼のこともわかってあげなさい。決して本心からの言葉ではないのだから。

 今は彼にとって一番苦しい時なのよ。幼馴染みのあなたが理解してあげないと、彼は本当に独りになってしまうわ」


 穏やかな光を宿した紫色の瞳と静かな口調に、エイミはなにも言えなかった。


 ヴァネッサはエイミから離れると洗濯物を入れてきた袋を拾い上げ、「外にいるのもほどほどにね。このあたりは紫外線が特に強いから肌に染みができやすいわよ」、船内へと戻っていった。


 一人になったエイミは海へ目をやった。


 ルテキエン・パラ・シルテは《頑固亀》号から遠ざかりつつあったものの、その姿ははっきりと見て取れた。


 細長く吠えたその鳴き声は最初のようにエイミを恐がらせることはなかった。風に流されて届くその音はまるで泣いているようにも聞こえた。


 威圧的だったあの異形からも、今は孤独感に似たものさえ感じられる。


 たった一匹で広大な海を進み続ける生き物が世界の端に消えるまで、エイミはじっと見送っていた。




(つづく)

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