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 キャリサ・マックライン、一応子爵令嬢で、現在二十五歳。貴族の娘としてはかなり嫁き遅れてしまった年齢だ。しかも、春が近づけば二十六歳になる。

 キャリサはこの年で浮わついた噂も今まで全く微塵もなかったし、貴族にありがちな家同士の政略的な思惑に基づいた結婚前提の婚約すら全くなかった。ひとつもなかった。

 だから、キャリサはお一人様街道爆進中である。

 あと何ヵ月か経ち、冬も終われば周囲にカップルが成立する春先。

 でも、お一人様だからといっても、キャリサは寂しくはない。決して、寂しくはない。


(わたしは、ぜっったいに独り身でいるんだから。目指せお一人様っ!)


 長女である自分より、弟妹の方が先に結婚しても。 恋をしたいけれど。

 しかし、恋ができない理由がある。してはいけない理由がある。

 だから、キャリサは心の中で「お一人様ああ!」と鼻息も荒くガッツポーズを決めるのだった。


「マックライン事務官!」


 後ろから可愛らしい声が聞こえてきた。急いでいるのか、ばたばたと大きな足音もする。


(あ、この声?)


 キャリサはこの元気がはち切れんばかりの声に覚えがあった。ありすぎた。緩みそうになる頬を慌てて引き締め、振り返る準備をする。わたしは氷の女、氷の女と何回も何回も、心の中で呪文を早口で唱えて。


「何ですか、騒々しい」


 キャリサが氷の女にふさわしい戦闘顔(無表情)で足を止めて振り返ってみれば――。


(か、可愛い……! ……はっ! いかんいかんいかんいかんのよー!?)


 彼がキャリサの視界に入ったその一瞬、氷の無表情にピシッとヒビが入った。

 キャリサの目の前にいるのは、キャリサがよく知るひとりの十代後半の少年だ。

 くっきりした青い瞳はきらきらと輝き、上目づかいにキャリサを見上げている。キャリサは女性にしてはかなりの長身で、目の前の少年よりは頭ひとつ分高いのだ。成長期の彼はきっとすぐにおいぬかすだろうけれど。


(まっ、眩しいっっ……!)


 そんな彼は、輝かんばかりに嬉しそうににこにこと微笑んでいた。彼にもし犬の耳と尾があったなら――耳はぴんと立ち、尾はぶるんぶるんとちぎれんばかりに振り回していることだろう。いまだって、キャリサは彼に犬の耳と尾の幻を見てしまっている。

 そんな彼をまともに視界に入れてしまったキャリサは、引き締めたばかりの頬が緩みかけて――氷の無表情にヒビが入ってしまったのだった。


(や、ヤバヤバいヤバイヤバああああイッッ!)


 音にするならピシピシッ、だろうか。氷の無表情の仮面に勢いよく亀裂が入った。

 お一人様でいると決めたばかりのキャリサにとって、あまりよろしくない展開が来たのである。

 ――この少年、キャリサの好みど真ん中なのだ。いわゆる鬼門なのだ。


(だめだめだめだめだめぇええっ!!)


 キャリサはすぐに、亀裂が入った氷の無表情の仮面を修復し、ときめく気持ちなどかなぐり捨て、改めて目の前の少年に向きなおった。一瞬でも気が緩んでしまわないように警戒しながら。


「事務官? 如何されましたか」

「いいえ、何も。何もありませんが。貴方こそ、わたくしに何か用があるのでは?」

「はっ、はい!」


 キャリサは、心の中で深呼吸を繰り返し、少年――アルフレート・サリーズを真っ正面から対峙した。


(大丈夫大丈夫大丈夫ぅー! わ、た、し、は、氷の女! 氷の、女!)


 気合いを入れるキャリサの心中など知らないアルフレート・サリーズは、どこか中性的な雰囲気を漂わせた、端正な顔立ちをした美少年だった。いまはその整った少女めいた顔がキャリサをじぃっと見つめている。

 今は美少年だが、ゆくゆくは小柄な身長も伸びて一人前の立派なイケメンになるだろう。性格も穏やかな反面、仕事上では将来を期待される優良株。直接の上司ではないキャリサでも、彼のようなできる部下が欲しいと思う――ときめいてしまうことさえなければ。

 そして、アルフレート・サリーズは辺境伯の次男坊だ。いまはこうして仕官しているけれども、兄弟のない貴族の長女などからは「かなり大人気の優良物件」だ。もちろん長女でない令嬢からも大人気である。

 ――そのけしからん美貌で、彼はまだキャリサを見つめている。心なしか、彼の目は潤み、頬が真っ赤だ。まさか、氷の無表情に気圧されているのだろうか。


(ごめんごめんごめん〜! わたし、表情を崩すわけにはいかないのよー……)


 キャリサはものすごーく申し訳なくなった。

 それでも、キャリサは氷の無表情を維持して彼にもう一度問うた。いくら今年の春に王宮の官僚試験に受かり、晴れて事務官見習いとなったばかりの新人で、将来を期待されているルーキーだとしても、キャリサは情けなんてかけないし、特別扱いはしない。

 例えキャリサにとって鬼門でも、内心ごめんと謝り倒していても、キャリサは仕事に関しては私情や感情を挟まない。


「アレス次官補がお呼びです。至急次官補の執務室にお越しください」


 背筋をぴんと伸ばし、キャリサを上目遣いで見つめてくるまだ十七才の彼を見て、キャリサは心中でだめだめだめだめだめ! と再び呟いた。本当に鬼門であった。


「わかりました。苦労をかけましたね、自分の持ち場に戻りなさい」


 キャリサはどうにか興奮を抑え、いつもの氷の女と呼ばれる無表情を浮かべ、早足でその場を後にしたのだった。

 キャリサ・マックライン事務官は、嫁き遅れの無表情女、氷の女といわれているのだ。氷の女は、けして頬なんて緩ませはしないのだから。


(はーっ、振り切ったああ)


 彼に背を向け、内心安堵に満ちていたキャリサは気づいていなかった。

 ――その後ろで頭を下げて礼をしていたアルフレートが、熱い情熱のこもった目で、恋い焦がれるように見つめていたことには気づかないまま。


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