雲を回収する仕事
その青年は、薄手の黒い長袖、長ズボン、麦わら帽子、透明なサングラスを装備し、片手に、地面にヘタリとしぼむ大きな麻袋を持っていた。
「あのー」
青年が、作業を続ける男に、少し怠そうに聞く。
「なんだ」
日に焼けた肌にいくばくかの汗を光らせ、見るからに中年の男が苛つきながら青年の声に答えた。
「すんません、参田さん。これ、雲ですよね?」
青年が掴みあげた、麻袋の口から、もやもやと白い煙のようなものが漂う。その漂う白い物を掴もうとすれば、なんと、掴むことができた。
「このバイトについてはいろいろと聞きたいことがあるんですが、とりあえず、なんで、俺達、雲を掴むことができるんですか?」
雲というのは水蒸気とかなんかそんなもんではなかったのか。
中年の男、参田はしかめっ面のまま、青年の掴む雲を取り上げて、袋に戻した。
「余計なことはするな。なんでかなんて、俺が聞きたい。それよりも、俺達に任された仕事がただ雲を集めるってぇ仕事だっただけの話だ。黙って作業続けろ」
「……そうすか」
青年があまり納得していなさそうな顔で、言う。中年の男はそれ以上何も言わずに、地面に散らばる雲を黙々と麻袋に詰めていった。
青年がその求人広告を見つけたのは偶然ではない。
よく使う仕事検索サイトの中に、好条件の仕事先があった。ただ、テストがあり、そのテストが不合格であっても一切文句は受け付けない、というものであった。
青年が行った面接会場は、古びたビルの三階にあった。
入ってみると、すでにそこは人でいっぱいであった。様々な顔があったがいずれも自分と同じ受験者だということが分かった。
控室で待つこと数十分。
青年の番がやってきた。
青年が昔覚えた面接のマナー通りに、面接の部屋に入ると、そこには数人の老若男女と、風船のように膨らんだ、こぶし大の小さな麻袋が山積みになってそこにあった。
「ああ、緊張しないで。ちょっと一つテストするだけだから。簡単だから」
黒いスーツを着た三十代と思しき男が細い目をさらに細め、にこやかに青年を前へと促す。
はぁ、と青年が気の無い返事をした。
緊張しないで、と。そう言われて緊張を解き、横柄な態度を取る者がいるかどうかは不明なところだ。と青年は思った。
「いやー暑いねー。クーラー効いてるかもしれないけど、まだまだ暑いよー」
「そう、ですか……」
きっとこう返すのが適切なはず……と思いながら、横目で周りを見る。この黒いスーツの男以外は、殆どまとまりがなかった。
年齢も性別もそうだが、着ている服が、まったくTPOという物を無視している。スーツを着ているのは、自分に話しかけているこの男だけで、後の人間は、着物だったり豪奢なドレスだったり、シスターみたいな服を着てたり、全身黒尽くめだったり、と、あまりに場違いな人間たちだった。
「じゃあこの袋開けて、中身を取り出してくれるかな?」
ニコニコとスーツの男が袋を青年に渡した。
青年は男の顔を見ていたが、ニコニコするだけでそれ以上何も言ってこなかったため、青年は袋の口を縛る麻紐の端を引っ張った。
もわり、と漂ったのは白い煙だった。
もしかしたらこの中にはドライアイスでも入っているのではないか?
「早く掴まないと、全部無くなってしまうよ?」
スーツの男が言う。そりゃ、ドライアイスは時間が経てば消えてしまうだろう。その前に掴んで、自分から火傷をしろというのか。
その時に目に入ったのは、外野から見つめる人々だった。
着物を着た女性が、ニコニコしながら、何かの紙を広げてこちらに向けている。今回、青年がここに来るきっかけになった、好条件のこの求人のチラシだった。
頭に自分の利益と不利益が並ぶのと同時に、青年は麻袋に手を突っ込んでいた。
「うわっ……!」
むわ、といった擬音語が丁度いいだろう。ふわ、ではなく、
空中に漂い始めていた白い煙は、自分の手によって麻袋に押し戻されていた。
その途端、部屋は静けさを破って、盛大な拍手の音でいっぱいになった。
「合格!」
「え」
「合格!」
「合格!」
「え、あの……え?」
「合格!」
「合格!」
「どういうことで……」
「おめでとう!」
辺りから拍手と共に声を上げられ、何をしていいか分からなくなる。
「今日から君も私たちの仲間だ!」
「えっと……ありがとうございます……?」
黒いスーツの男は、青年から麻袋を取り上げ、すばやく麻紐で口を縛ると、両手で握手をしてきて、ぶんぶん縦に振った。
「ではまた後日詳しいことを通知で知らせるから、今日の所は家で休んでくれたまえ!」
そうして、仕事を断ろうかどうか迷っている内に、結局こうして仕事をやるはめになったのである。
「ほれ」
「あ、どうもっす」
しかめっ面のまま渡されたのは、果肉入りの、オレンジジュース百パーセントだった。
「……参田さん。どうせなら俺は参田さんみたくビールがいいです」
「お前は未成年だろうが」
「明後日にそうじゃなくなりますよ」
言いながら、冷たい缶を頬に付けた後、プルタブに指を掛ける。パシュ、と良い音が聞こえた。その後、隣からはゴキュゴキュという美味しそうな音が聞こえてきた。
半分程一気に飲んだ後、足元に置いてある膨らんだ麻袋を持ってみた。
あんまいじんなよ、という参田の言葉は聞き流して、麻袋を揉んでみた。
ふしゅ、ふしゅ、とどこかからか音がした。
「これは、漏れているわけではないんですよね……?」
「そんなんで漏れてたまるか」
じゃあこの音は一体なんなんだろうな。
「……参田さん、参田さんはなんでこの仕事やろうと思ったんすか」
本人の方を見ずに、ただぼー、と目の前の風景を眺める。
カラリとした青い空。澄んで澄んで、雲に当たらないからこそ、太陽光がそのまんま自分に当たる。肝心の雲は、自分の尻の下だ。
参田さんが頭の麦わら帽を脱いで、また被る。
「……条件よかったんだよ。この仕事」
「俺も、同じっす……」
手元の缶ジュースを見つめる。日常の中でよく見かける物だ。
「……この缶ジュースなかったら、俺、たぶん現実に帰ってこれないっす」
「帰るもなにも、これが現実だ」
夢の光景だがね、と参田さんが付けたす。
ジリリリリ、と何かが鳴った。
「ああ、時間だな。お疲れさん」
「お疲れ様……す。じゃ、起きてきます」
ああ、と言って軽く手を挙げる参田さんの疲れたような背中を見て、青年は目ざまし時計を止めた。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
一応まだ続きますが、続きがいつになるかは未定です。
そのため短編の一つとして更新することにしました。
長編にする際はまた告知させて頂きます。