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案内人

「何か質問ある」

「…ものすごく沢山あります」

「1個1個聞いてる時間は、うーん…ないわね」

「それなら促さないでください」


硬い、それでも先ほどアレクさんの背を見送った時分よりは幾分温度を感じられる沈黙が降ってきた。

ミズ・アンジュ・A・スウォルスキー。黒箱研究チーム主任。事の次第を知っていそうな人間とここに来てやっと出会えた、ような気がする。しかし前例をふまえると彼女とて、いや、中枢により近い位置から訪れた人間という事で尚の事信用できる気がしない。


「まあ、アレクは貴方の情報をありったけ集めた上で貴方を『助ける』、って約束を必死で守ろうとしたのよ。ワガママでまだ幼くて不確定要素満載の貴方をね。分かってあげて。プログラムされた規定と、現実の状況や変遷が拮抗するとね・・・ああなるの」

「旧式の人工知能が抱える致命的欠陥、そう聞いてましたが実際に出くわしたのは初めてです」

「何だ、ちゃんと勉強してきたんじゃない」


何度目か分からない軽い苛立ちを感じて俺は黙り込んだ。勉強なら人一倍してきたさ。この研究所に入所できる程度には。

解する様子も見せず、彼女はわざわざ先ほど取り込んだらしきデータを宙へと投影して処理を始めた。アレクさんの顔写真や体表温度の推移グラフが思い出したようにスライドする。警備ロボットへのアクセス権限をきちんと得ている辺りは所内の実力者たるもの、という奴なのかもしれない。

それでも疑わしい。今度は何を目的として俺にコンタクトを取ったのだろう。度重なる緊張を強いられ、俺は兵役時代に感じたことのない疲弊でぺちゃんこだった。


「確かに彼は初期も初期。サーティーン・コードの学習ベースを作った機体だからね、ある程度補填はできても根っこの硬さは変わらない。言っとくけど旧いわけじゃないわ。長く更新を続けられるよう、創始者のフランクリン博士が・・・」


段々と早口にエンジンがかかってきたらしいスウォルスキー氏がはたと動きを止め、へー、と茶化したため息をついた。あまりにも砕けた装いに身構えていたのが少し馬鹿らしくなる。


「いずれにせよ、ここで貴方がメンテナンスしたらアレクの仕事は終わりの予定だったから、後は私の話を聞いてから自分のしたいようにすれば良いわ」

「…アレクさんへの接続は、命令の書き換えだったんですか?」

「そうよ。やっぱり根底はそう簡単にいじれないから表層の命令事項を少しね」


チーム主任はじっと俺をのぞき込んだ。正確には俺の青い目を注視しているようで、試しに虹彩の色をシフトしてみると彼女はにっこり微笑んだ。にやり、と言う方がふさわしいのかもしれないが、聞かされていた歳に似合わず快活な笑い方だった。

若干にぱさついた金髪が主任の鼻先にするっとこぼれる。室内は一切無風で淀み一つ感じさせず、空調が全てを管理し尽くしているはずである。

では彼女のややくすんだふわふわの髪は何に反応して、こうしてたわむのだろうか。

アンジュ氏は俺との距離をそのままに、ずいとコネクタを突き出した。先ほどアレクさんに突き刺したコネクタとは無論別規格の物だ。


「念のため個人間通信で話しましょ。大丈夫、貴方の頭は書き換えるにはちょっと頑固すぎるから手を出さないわ」


言ってる事はわかる。しかし言動と動作が呼応していない。コネクタは先端が自律式なのか獲物を求める食指のように接続部を求め、カリカリうねうねと動き回っている。嫌に生物っぽくてえぐい。

これを脳みそに差し込めと?

俺が憮然とコネクタの青いランプを睨んでいるとそこに、ふわっとした風を感じた。

顔を上げれば主任が無造作に手を差し出しているところだった。


「よろしくね、ジャック。無事で良かった」


彼女はにっこりと少々アグレッシブさを匂わせる笑いを浮かべた。歳の頃は40代と見て取れる彼女も、俺と同じく笑うと幼く見えるようである。





そして俺は幾分して、この人に少しでも魅力を感じた事を少々後悔した。

彼女は接続するや否や、俺の電脳内のメールボックスをひっくり返して目ぼしい履歴を漁り始めたのだ。首筋であのコネクタが動き回って文字通り背筋が逆立つわ、無理やりなアクセスに脳全体が揺さぶられるわで、こんなべらぼうな行動パターンを呈してチーフとはどういう理屈なのだろうと思わずにはいられない。

しかし滅茶苦茶な振る舞いとは裏腹に本人はとても悲しげだ。先ほど届いたばかりの、つまりあの喪服の男が送り付けたメールを開いた途端、この世が、少なくともこの人の世界が終わってしまうんじゃないかというくらいしおらしく物思いに沈んでしまった。


これは。事態は俺が思っているより、この義眼で視認し得る世界を超えて複雑さを極めていたようで、混迷を極めていた心が鳴りを潜めてしまう。若干度が過ぎているとはいえこの人も相応の感情と事情、内情を隠してこの混乱に飛び込んだに違いない。

憶測でしかないにせよ。この人の傍若無人な挙動はよこしまな何かから去来するものではないような気がした。


「あいつ…やっぱり馬鹿だ」

「あいつ?あの男の事ですか?」

「男って呼べるほど甲斐性のある奴じゃないんだけどね、そうよ。ひっどい腐れ縁」


相変わらず遠慮なくコネクタが首筋でぐりぐり動いているものの。主任が長らくあの男と研究所の闘争に巻き込まれている前歴を思えば気持ちを改めるべきかもしれない。とりあえず、決して美人にほだされて俺までしおれているわけではない。断言してそんな事はない。


「コピーさせるだけさせておいて閲覧はどうやっても無理、…いや、何時間かかけたら開封できるかもしれない」

「内容でしたらお伝えできます。俺には特に制限がかけられてない」


主任はうーんと首をひねって眉間に皺を寄せた。


「ヒントだけくれたら良いわ」

「ヒント」

「そ、何が添付されてたとか」


俺は面喰ってファイルを全て展開した。

下手くそな地図と、顔写真。それに些末なメッセージ。

君になら何だってできる?何をしろと言うのか。

そちらの解読はこれ以上進めても野暮だろうと、地図をズームしてみれば市街地の地名がひしめいて文字ながら賑やかな様相であった。これが紙のメモであればインクを多重に吸い込んでボロボロになっていたかもしれない。

市街地の番地に役所のコードが覆いかぶさるように連なり、中心に大きく印をつけられた施設は…


「インターナショナル・アクアリウム」


カタン、とパイプ椅子がささやくように音を立てる。恐ろしく頑丈に仕上がった床面はびくともせずおおよその衝撃を吸い込んでいたようだが、その傍らで主任が立ちすくんで俺を凝視していた。

今度は何だ。先ほどのアレクさんのような際どい目力は無かったものの、アンジュ氏は明らかに動揺している。


「…急いで、ジャック。やっぱり貴方も危険よ。妹さんももう疎開は完了してるから…」


今度はこちらが飛び上がる番だった。妹が、キトゥラが何だって?会う人会う人がタイミングの悪さに関しては突出しているように思うのは気のせいか?ここぞという所で的確な部位にボディーブローをかまされて、人工の関節がバラバラに分解しそうだ。いけないと分かってはいたのに、自律式のコネクタを神経から無理に引き抜いて主任に押し付け、すぐさま俺は主任に迫った。


「俺の妹がどうしたって」

「こちらで保護したの。それだけはまず伝えておかなきゃと思ってね」

「どういう事なんですか、妹は今度手術も控えてるってのに!」

「落ち着きなさい。まだ容体は安定してるからそんな急ぐほどの状態じゃ…」

「勝手な事を!俺のたった一人の妹だぞ!」


ピリピリと全身の神経がいきり立って気ぜわしい。血が巡ったり滞ったり、今日1日の間にこれほど消耗するとは思わなかった。一挙一動に冷静さをかいてやまず、しかし俺の最も弱く諸い部分は否応なく悲鳴を上げた。

主任は眉を潜めてかぶりを振り、


「貴方によく似た人を何人も見てきたわ。大体ろくな道を歩まなかった」


パイプ椅子を立て直してこちらに進めてきた。さり気なくもう1脚も引き寄せて簡易な会合場所を誂える。俺のようなかっかとした軍人上がりを前にしても困ったように肩をすくめるだけで、何だか拍子抜けしてしまうほど手馴れているように思った。

とりあえずはと、半ば茫然として椅子に身を沈め彼女にあらゆる方面を促す。自然、主任を見上げる形になり、彼女の良く通った鼻筋や紺碧の瞳に吸い寄せられてしまう。親子ほども歳の離れた彼女に心動かされるのはどうにも不本意だった。彼女は何かを持っている。それを探ろうとそっと視線を走らせるが、その正体はすくい上げたそばから掌の間隙をすり抜けて消えてしまう。


「結構あっちこっちで無理言って保護してもらったのよ。キトゥラちゃん、今の貴方ほどじゃないけどお兄さんの事を訊いたら泣きそうになってて。…それだけは謝らせてちょうだい。私のハンカチをその時渡したから目印にはなるでしょうけど」


アンジュ氏は優しい色合いのハンカチを白衣のポケットから引っ張り出して、やはり寂しげで淡い笑みを浮かべながらこちらによこした。


「…送られてきた地図。乱雑過ぎてところどころ文字がだぶってたので、何か暗号が隠れているかも」

「あり得るわね。『あの男』は昔から変なところで意地悪だったし。…その辺りも全て落ち着いたらゆっくり話すわ」


あの男、というかあの化け物と呼ぶべきなのか。あんな物と知り合いであるという前ふりから違和感をそっとひた隠すような、幼い女の子の憧憬を象った笑い方で彼女によく似合っていた。


有り体にいえば「妹を人質に取られている」。

実際その通りかもしれない。しかし主任の事は信頼しても良いように思えた。全てが演技だ、彼女も研究所の人間だと仮説を立てられないわけではない。しかし。


「プレーンに回線が繋がったわよ。今そっちに回すから少しだけ声を聞かせてあげて」


アンジュ氏は早口で俺に呼びかけた。すぐに投影パネルが俺の目の内に吸い込まれ、キトゥラの所有する端末が詳細に表示された。

バイタルサイン、異常なし。

天候、人工管理下につき安定。

次々とキトゥラの情報が電脳に取り込まれていく。あの子の病気が予断を許さぬと宣告を受けてから、あの子の薄い肌に埋め込まれたタグはつつがなく宿主の状態を実況する旨を義務付けられていた。

涙が出そうになる。全てを飲み込んで俺はなるべく穏やかに、しかし掠れぬようにキトゥラに呼びかけた。

これもおよそ軍人にしては警戒を怠って、決して良いリアクションではないはずだ。それでも。


「兄さん」


ボイスチェンジャーなどによる偽装は無し。フィルターに引っかかる音波も無し。

時々エンジンのくぐもった音階が彼女を、機体と共に穏やかに揺らす様子が目に見えた。


「キトゥラ、今どこだ」

「あのね、」

「プレーンって聞いたんだけど。誰かと乗ってるんだろ?」

「…研究所の人」

「良い人?」


かすかな頷きが漏れ聞こえる。先日風邪をひきこんで少しかすれてはいるが、なじみ深い綺麗な声だった。年相応で、今度12歳になる実妹の声。そういえばあの子と似ているのは目の色くらいだったのに、俺はその目を軍に入ってから真っ先に義眼にしてしまった。時々彼女を前にするとあの青い目がそれを責めるように光っているような、そんな錯覚に囚われる事がある。


「目的地の天気はどうだって?ちょっと退屈かもしれないけど、すぐ俺も追いかけるからな。とりあえず気に入らない事があったら…」

「悪い子になれ、よね?」


通話が始まってからやっとの事でキトゥラの声がちょっとだけ柔らかくなった。兄さんはいつもそう、とあの子はくすくす笑ってネットワークを遠慮がちにさざめかせる。


「私、いつも悪い子してるよ。兄さんが気付かないだけで」

「妙な事言うなよ。余計に心配になる」

「…大丈夫。アンジュさんから話は聞いたの。兄さん、お願い、」



無事でいて。

波紋を広げた小さな池がその水面を突然静止させるような、そんなヴィジョンが脳裏をよぎった。

迷っている暇はない。全てが明らかになるのを待っていてはこの子も巻き込んでしまう。

俺は顔を上げてアンジュ氏をぐっと見つめた。

それが合図。事を進める為の最初の1歩だった。

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