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機械の笑み

存外時間を要して、といっても事案の発生から数分のラグを挟んだのち警備担当らしい人員が所長室になだれ込んだ。

しかし、開錠一番に彼らが目にした光景は中々壮絶だったろうと思っていたのに、ここにきて警備員らはテキパキと死体袋まで持ち出して血痕やフリーズした少女型ロボットを片していく。俺はしばし面食らった。


「あの…?」

「その男から手を離して!凍傷になる!」


いよいよ俺は驚いて飛び上がった。最早ぴくりとも動かず血を垂らす男を凝視する他はなく、俺は身をすくませた。

怒鳴った人間はバイザーが大き過ぎて口を開くまで性別すらあやふやだったが、どうやら女性だったようだ。そのバイザーから覗くくすんだ金髪に何故か俺は目を奪われた。それがいけなかったのか、あ、と間をおいた瞬間、俺の手を強烈な冷気が襲った。

冷たい。人間もとい生物としてあり得ない冷気だ。

量産タイプの皮膚が凍結していないか咄嗟に確認してみたものの、「冷たい」という感覚ばかりが皮下を通じて脳を駆け巡るので危機感は今一つ薄い。唯一「生身」の顔だけは凶悪な冷気を前にピリピリと「痛む」。

今更だが「痛み」というものは存外に人間のパーソナリティにとって重要な要素だったのだと、自分も理解が及んだようだ。


異様な触感に文字通り背を震わせ、鼓膜に届く微かな怪音に全身が総毛立つ。俺は白衣の男を床に放り出した。非生物的で渇き切った衝撃音と共に男は倒れ伏したが、好き放題に伸びた癖毛の合間から艶の消えた目が覗き視線がかち合う。


お前は何なんだ。


口に出せなかったが俺の心の内で数多のベクトルを失った問いかけが吹き荒れていた。そんな心の内を見透かしたかのように男はにやにやと笑うだけであった。


ハッとして1歩引くと、足元で男は火花が爆ぜるような軽快な音と共に霧散を始めていた。

手足、胴、衣服、青白い顔。ウイルスにやられたディスプレイがその役目を終える瞬間とよく似ている。ドットが欠けるようにザラザラと、血糊すら散り散りに消えていった。

耳をふさごうにも先程の事もあって、恐らく効果はないだろうと俺は諦め警備員に対応を求めようとした。

そこでやっと周囲の異変にも意識が向いた。

死体袋を抱えた作業員達、防護服で完全防備の処理班、そして1人デフォルトの制服姿で首筋に電脳ガードを取りつけた警備員、らしき男。

おかしい。

皆一様に無表情だ。慌てふためく様子もない。所長があれほどに慄いていたというのに誰1人として挙動を乱す事はなかった。非常に整然としている。制服姿の大男が単身、俺と白衣の男の間に割って入った他は皆ほぼ棒立ちだ。


何なんだ。


戦地でもこんな異様な事態に出会う事なんてなかった。大概俺は空の上で1人、通信を交えていても2人で戦いをこなしていたので集団の心理について考える必要性を感じなかったが、にしてもこの連中。

男が遂にその指先まで綺麗に消え去ってから大男に続くように全員が動き出した。

この事態を取りまとめるマニュアルでも用意してあったのだろうか。「性懲りもなく男が入り込んだ」という所長の言を信じるならこの異常事態は何度も繰り返されている事になるのだが。


(極秘事項?)


そうだ。恐らく極秘も極秘。この事件の顛末については何も、とりあえず研究所の外では欠片も聞かなかった。余程厳重に箝口令や情報統制が施されていると見て良いかもしれない。


俺が部屋の全貌を睨み付けて思考を巡らせていると、目の前に立ちふさがった大男がふ、とため息を吐きこちらを振り向いた。


「怪我はないか?」


とても柔和で鼓膜に染み通るような声質である。こんなに大柄な男の声にしては穏やかだがよく見ると大男の体格そのものは普通程度でそこらの所員と何ら変わらない。

警備員らしき大男はモスグリーンの瞳に茶とも金ともつかぬ髪色が調和して、穏やかな印象を極めていた。オールバックを清潔に整えてこの場には不釣り合いなくらいきちんと制服を着こなしているし、もしかすると研究所の正門詰所で番を担当していたのかもしれない。


「…お陰様で」


俺は至極真っ当に返答するも、しかし大男は怪訝そうな顔をして俺を、正確には俺の衣服を見つめている。

視線を追って俺も目を丸くした。

血だ。緑色の血だ。

さきほど床に滴った分は残らず霧散したと思っていたのに、俺の服の上で血痕は大きな顔をして染み付いていたのだ。

大男の温かい目を前に薄れていた寒気がまたぶり返してくるのを感じた。


「すぐに洗浄処理をしよう。歩けるか?」

「…これはいったい何なんですか?」

「…これは」

「内密にしなければならないなら個人間通信用の回線を開いても構いません。何かご存じなら教えて頂けませんか」

「君、」


なぜこんな事になったのだろう。一言で良いから理由が欲しかった。一昔前であれば「旧時代の科学施設を発掘すれば或いはもしかしたら、身も凍るようなホラーな事態に遭遇するやも」と少年誌でそこここに書き立てられていた気がするが、流石にそれはあんまりだ。


「人格検査等はパスしているので教えて頂いた情報や貴方のIDを悪用する事はないと保障できます。…戦時下でもあんな生体兵器まがいの人間、いや人間ではないかもしれないが、あんなモノは」

「ジャック」


はっとして、正確にはぎょっとして俺は初めて立ちすくんだ。身体が動かないほどにすくむのはここにきて今日が初めてだ。

大男は俺と適度な距離を保って俺を見下ろしていた。

この男に直接名前を教えた覚えはなかったが、男は穏やかな表情をそのままに平然としている。


「今日ここでジャック・ターナーという青年が重要な配置転換の為所長とミーティングをするから、警備を強化するようにと上からの命令が下っていたんだ」


どうしてこうもこの男は威圧感なく構えていられるんだろうか。悔しいくらいだったが俺は名を呼ばれて肩の力が抜けていくのを痛切に感じた。


「そんなに『箱』に関わる異動というのは…」

「ああ、君のように入所して間がない人間が配置されたという時点で結構異例のはずだからね、皆が注目していたよ」


そこまで他の人員が気に留めていたのならこのような珍事に見舞われても致し方ない、…のだろうか。

大男は微笑を絶やさず、俺に白衣を脱ぐよう進言した。俺は黙って緑色に染まった白衣から袖を引き抜いた。


この自分の硬い容貌に似合わず、いや自分の歳を考えれば相応とも言える心の乱れを内に感じて俺は人工の身体に疲弊を感じた。正確には人工物と生身の継ぎ目である首筋に嫌な痺れを覚えていた。

戦地で何かと鍛えては抑えおおせた感触だったが、近しい上官もとい相棒はそれを見抜いた上で俺を生かしてくれた。

今は?今はこの大柄な警備員が俺に手を貸す、そういう手筈なのだろう。

どうにも歯がゆい話だが、大体いつも俺自身の意志やリベラルな選択がそこに介在する必要は発生しない。そのようにして俺の人生は進められてきた。



「白衣が防護服とはいかないまでも、役に立ったようだね」


改めて俺は驚いて警備員をまじまじと、正確には彼の手元を凝視した。思えばこの男以外の人員は皆強固な防護服で固めているのに彼だけはデフォルトの制服と薄いナイロンの手袋のみ。当然緑の血は手袋に暴力的な染みを広げていた。


「他の防護装備が固まってる方に任せましょう、その軽装では流石に」

「万が一この血液が有毒であっても私は毒を受け付けないから、心配いらないよ」


有毒。そんな事があってたまるか。しかし思えばこの血液からは匂いどころか温度すら感じられなかったのでもしかすると途轍もない薬毒という可能性も捨て切れなかった。


「じゃあ、…では貴方もフル・サイボーグ?」

「いいや。脳、…そうだ、人間で言う脳にあたる器官も機械で出来ている、と考えてくれればいい」


俺は長らく強張っていた自分の顔が驚くほど弛緩するのを感じた。脳が機械。まさか。

警備員はにっこりと笑みを深くすると大きな手を宙に翳して見せる。青く発光するコードがその手の上で行儀よく流れ、緑の染みを明滅させた。


「私のIDはこれだ。今後通信などで必要になるかもしれないし君も記録しておいてくれるかな」

「…13ケタ…貴方は『サーティーン・コード』?まさかこんな所で稼働してたなんて」


すぐさま俺も網膜にコードを読ませる。認証が終了すると間もなくコードから警備員の詳細なプロフィールが立ち上がり、思わず俺は目を奪われた。


『呼称:アレクセイエフ』


アレクセイエフ。その下の欄に13ケタの正式名称が連なっている。本当にサーティーン・コードなのだろうか。『より良いAI』の代名詞と名高いあの。

警備員は俺の様子をつぶさに確認すると、手早く白衣を折り畳み俺を促した。


「私はこの研究所の警備ロボット。名称をアレクセイエフと言う」


今一番に茫然としている俺を見てアレクセイエフ氏は「大事な事は自分の口から名乗るものさ」と冗談めかした。





アレクセイエフ氏は道すがら様々な事柄を明らかにしてくれた。驚くほどに俺の意を汲んですいすいと会話をこなす。笑顔に思えば若干の硬さを感じたがそれ以外は本当のところ人間が操作してるのではないかと邪推するほど、彼の挙動はスムーズだった。


所長は医務室で既に静養中である事、暗緑色の血液は無害かつ正体不明の体液であった事、

俺の対応は間違ってはいなかった事。

俺があの冷気の為か両手に感じた違和感を思い出せば、すぐさま「これから冷気に中てられた君の身体を検査・メンテナンスする」と彼は告げた。処置が済んだら『箱』研究チームの居住区に俺を移すらしいが、彼はその際の護衛まで申し出た。そこいらの人間よりも諸々を察する能力に長けていて俺はしばし混乱する。


「所内のメンテナンスルームはよく利用していましたが、あそこのセキュリティ・レベルはかなりオープンではありませんでしたか?」

「『箱』研究チーム専用の設備がこの棟にあるからそっちで処置をすれば良い。こちらのシステムはどこまでもオフラインで稼働可能だからハッキングの恐れも殆どない筈だ」


あの男が何者であるか、等と言った核心にこそ触れないまでも、アレクセイエフ氏は「心身を休めてから本題に入るべきだ」と譲らない。

それほどに自分が辟易しているとは思っていなかったが、彼が「規則だ」というからには従う他ない。彼がロボットである以上、上位命令は彼らの「生命」線だからだ。このように巨大な組織を動かす上では人間にとっても規則はとても重要な要素なのだろうが。


「…所長から1つ伝達が届いたよ。無論所内限定の回線を使って頂いた」

「はい?」

「『その維持費のかかるボディはこちらで面倒を見るから、今日の事はくれぐれも外部に漏らすな』」


…笑っても良いポイントだろうか、これは。

アレクセイエフ氏は馬鹿正直に困りあぐねた顔を隠そうとしなかったので、とりあえず俺が機械の彼に代わり笑う事にした。当のアレクセイエフ氏は少し驚いたようにモスグリーンの瞳を見開き、俺につられるようにまた硬い笑みを灯した。


「…随分と笑うと印象が変わるようだな、ジャック」

「自分でも幼く見えてしまうのでなるべく崩さないようにしてましたから」

「そうだったのか。君も首から上が生身なら表情を自在に作れるんだし、出し惜しみする事はないんじゃないか」

「出し惜しみ?」

「機械の我々が追いつかないものを敢えて遠ざける事はないだろ?」


アレクセイエフさんはやはり硬い、もとい苦笑いを浮かべて通路の隔壁に手をかざした。大きく日本語で「ブラックボックス研究チーム専用棟」と記された分厚い扉だ。研究所に来て初めて日本語表記を目にしたので俺はおのずと心を引き締めた。


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