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中:栗毛と僕と雨の日の冒険





「あたしは思ったの。これはひとつの幸せで、私が与えられたすべてなんだって。彼はあたしに振り向いていたの。地上の幸福を独り占めするような感覚。間違いなくその瞬間私は世界の中心で、世界のすべてはあたしのほうを見ていた。あたし達の間にはこんな雨は降らなかったし、雷なんてものは存在しなかった。捲り終わったページは厚い表紙に包まれて、全てはそれで終わったの」

「ああ、そう」

「でも全て終わってしまった。あたしの幸せも、彼との物語も。敷居茜がもう全部ばらばらにしてぶち壊してしまったの。あの女は最初にあたしに近づいた。あたしは噂なんて信じなかったんだよ? だからお友達になりましょうって言われた時、ああこの人はなんて素敵な人なんだろうって思ったの。だってそうじゃない、あんな噂をすぐに信じる人なんていると思って? 確かにあの女は美人だし、それを鼻にかけないところが逆に気に障ったのかしらと思っていたわ」

「ああ、そう」

「全部違った。噂はそのとおりだった。次第に彼に近づき始めたの。思い出すだけで腹が立つわ。甲高い猫撫で声をあげて、男に媚びる様に振舞って! 両の目で彼を見ていた。あんなのは恋愛じゃない、ただのゲームだわ。組み合わされた選択肢の中からいくつかを選んで、好感度をあげるだけ。クリックしてポイントを稼ぐだけのゲームと何も変わらないじゃない。次第に彼は私を見なくなった。女としての魅力は確かに私は劣っているかもしれないけど、あたしは一途だった。だって彼とであったその時からあたしは彼を見ていたの。いや、もしかしたらその前からずっと知っていて、繋がっていたのかもしれない」

「ああ、そう」

「最後に彼はいったわ。好きな人ができたから君と別れたいって。人の気は変わるし、永遠なんてない。幸せな結末なんてものが存在するのは物語の中だけだって知っていた! でもあたしはは我慢する事ができた。いつかこんな日が来るんだって事は何時も寝る前に考える事だったから。でもゲームのようにあたしから奪っていって、その後どうなったかわかる? あの女はすぐに捨てた。必要ないからって、本物の愛じゃなかったからって、幸せになれなかったからって。あの女は本物の愛を求めているけど、きっと手に入らない。だってそんなものはあの女の元に存在しないわ! 結局のところあの女は自分のことしか見ていないよ。他の誰も見ていない。あなただってすぐに捨てられるわ」

「ああ、そう」


 まくし立てるように喋る栗毛の女と、その横で慰めるように寄り添う二人の女と対峙してから数え切れないぐらいの時間が経っているような気がした。


 栗毛の女は間宮と名乗った。

 間宮は馴れ初め、敷居茜との出会い、そして寝取られた経験談の三つを余計な語彙と私怨に塗れた形容を交えながら意気揚々と喋っていった。


 途中思い出して泣き出しそうになるのを横の同じような顔をした女が慰め、時に敷居茜への非難に同調し、同情した結果として怒り心頭というのが見て取れた。


 正直な話、僕と敷居茜の関係ができてからと言うとものこの手のやり取りを頻繁にするようになり、もうこういうのは懲り懲りなのだが、一々断るのも世間体が悪い。


 暗幕を敷いたかのように真っ黒な外は既に六時を過ぎ、蛍光灯の青白い光が教室を包み込んでいた。彼女が話し始めてから彼是一時間ほどたっただろうか。それぐらいである。


「君の言うこともわかったけれども、僕は僕でやらなきゃいけないことがあるんだ」

「そうやってあの女の所に行くんでしょう? 男はみんなそう、はぐらかすような事を言って、興味がないような素振りをして、嘘ばかりいいながらも結局顔だけが美しいだけの女の方に行くのね」

「そんな事は無いね。君の彼氏がそうだったのかもしれないけど、僕はそんな事は無いさ」


 そうやって渋い顔をする間宮と苦笑いをする僕とで膠着が生まれた。左右の同じ顔をした女も同様に間宮を応援すると思ったが、別段寝取られたわけでもない二人は何もしなかった。同情にも上限があるみたいだ。


 何とも嫌な空気に耐え切れなくなったので話題を振ろうとしたが、必死だったので地雷だと思わずに踏んでしまった。


「そもそもさ、理由なんて無く振るはずがないじゃないか。なんで敷居は君の彼氏を振ったんだ? もしかしたら、万が一にだけど君の彼氏がなんかやってしまったかもしれないじゃないか」

 その瞬間の間宮の顔ときたら、苦虫を噛み潰したという形容でさえまだ甘いとも言える顔をして、2.3言聞き取れないような小さな事を言いながら教室から出て行こうとした。


 僕はこの事に心当たりがあるし、言ってしまったあとの後悔もそれはもう大きなものだった。

 カン、カンという蛍光灯の中で小さく弾けるような音がした。結局3-1の中に残されたのは僕一人になって、こんな天気の中では部活動でさえみんな帰った中、世界には僕一人のような感じさえした。雨は依然として強く、強風もあいまって横殴りの雨粒が窓を叩いて音を刻んでいた。


 間宮に敷居を好きだと伝えたら面白い事になったかなと少しだけ思ったけど、悪戯のレベルじゃ済まされないような騒ぎになりそうだし、第一僕は女の子にそういう目で見られるのは嫌いなので、言わないでよかったかなと思った。


 こんな天気の悪い日は学校に残るべきだ、僕はそう思った。幸いにして教職員も早めに帰ってしまい、職員室は警備員と教師が数人で、他の部屋は全部真っ暗で、遅くまで残って談笑している高校生も全部さっさと消えてしまった。

 僕は鼻歌を歌いながら教室の電気を消して歩き出した。


 ふと小さい頃に見た映画のワンシーンを思い出した。雨に塗れた男が傘も差さずに鼻歌を歌っていた。

 タップを軽快に鳴らして夜の街を闊歩するシーンは、確かエンドロールの手前だった覚えがある。嵐の中で、そんな今のシチュエーションにうってつけなタイトルの曲だったと思う。


 携帯電話を右手に、指揮棒に見立てたボールペンを左手に。目を瞑りながら僕は歩き出した。


 雨はまだ降り続いていたが、僕の小さな冒険はこの瞬間から始まった。









 仄かに蒼く染まったレースのカーテンが世界と世界を間仕切りする境界線。その真上に僕はいた。屋上のさらに梯子で登った所にある給水塔に背をもたれながら両膝を立て、世界の果てを見ていた。

 高層ビルがいくつかの縦線になって世界に切れ目を入れ、蛍光ブルーの照明が海と空とを同じように照らしていた。


 とり止めも無い考えに浸りながらコーヒーを啜る。持っていた菓子パンは既にここに来るまでの間に胃袋に収めていたので手持ち無沙汰だった。階下やグラウンドから聞こえてくる声は、まるで画面越しの出来事のように隔絶した印象を受けた。怒った誰かの声、笑い声、嗚咽と共に漏れ出す声。その全てが傍観にすら値しないような茶番に思えて、深く息を吐き出した。


 扉の閉まる音と数人の足音は唐突だった。入ってきたのは四人の少女。フェンスの端に立ち影を伸ばす少女は凛として、それと対峙する少女は栗毛の髪を靡かせていて、後の二人は同じ顔をしてその両端に佇んでいた。


「こうやって呼び出された理由は、わかるよね?」


 彼女は答えない。握り締めたフェンスから外を見て、そしてその表情には仄暗いものを浮かべていた。何時も作った顔をする彼女のあれは見たこと無いな、と思って


「茜。あんたがもし普通の女で、あんたがもし人を愛するという事を少しでも知っていたならあたしは傍観した。馬鹿みたいに口をあけながら、あんたと空が付き合う事にだって祝福したかもしれない。だってあたしは! うん。あたしは誰よりも空の幸せを願っているもの」


 彼女は答えない。恐らく噛み締めているのは失望、そして裏切られた事による怒り。あの超然とした女は空という男に期待して、この間宮という女を信頼して、そして何もかもが願望とは違ったのだろう。


「聞かせて。どうしてあんたは空を振ったの? あれほど熱を上げていたのに、どうしてそんなに簡単に切り捨てる事が出来たの? もしそこにあんたの感情が無いのなら。決められた形式に沿って台詞と動作を吐き出して、そして得られただけの何の感慨も無いゴッコ遊びに過ぎないのなら、そしてあんたが恋愛をそういうものだと考えているのなら、永遠に幸せになんてなれないわよ」


 彼女は振り返った。


「だから何で? どうして私達だったの?」


 途切れがちに吐き出したその言葉は、どうしようもなく彼女の胸に響いただろう。そして彼女は向き合った。フェンスを握る掌は弱々しく、今にも崩れ落ちてしまいそうな両足を奮い立たせながら向き合った。声が震え、瞳には涙を浮かべた。顔の無い二人は軽薄な笑みを浮かべ侮蔑の表情を浮かべた。


「私は貴女が羨ましかった。そこには幸せがあって、二人だけの完結した世界があったの。私がもしその主役の一人になって、ただ愛されるだけの世界に身を投じる事が出来るのだったら一生だって、ううん、永遠だって続けていたの。でも違った。あの後すぐ空は無理やり私に触れた。空によって私は所有物のひとつに過ぎないってわかってしまった。腕を掴み、肩を押して、物としての刻印をしようとした。今まで見たことの無いような笑みを浮かべながら私の上に立った。腹を、太股を、頭を硬い踵とアスファルトの硬質で踏み潰そうとした。貴女は彼にとっての大切だった。それは間違いない。でも私は特別でも何でもなくて。アクセサリーの一つだった。それだけは信じて欲しい」

「ふざけないで……!」


 彼女はそれ以上答えなかった。黙りこくって目の前の女を睨み付けることだけしか出来ないという事に、内心では気づいているのだろう。否定も肯定も無いただの憎しみ。彼女の恋愛の終わりを声を上げることも無く、ただそこに立って見送ることしか出来なかった。壇上を見上げた少女の渇望は、分不相応な主役という形で破綻した。暗幕が引かれた後に残ったのは演者と彼女のみで、不釣合いなほど立派なエンドロールのみが流れ続けた。


 長い、長い溜息を吐き出した彼女は真っ直ぐに前の前を向いた。風が肩口で切りそろえられた栗色の毛をわずかに揺らした。


「なんで? 桐谷の事をどう思っているの? どの物語の主人公でもない桐谷君を、どうして好きになったの? これ以上あんたの自分勝手に他人を巻き込むのは許せない。もしあんたが気まぐれや、他人の玩具を欲しいなんて理由だったら絶対にあんたを許すことは出来ない。ここで殺してでも止めてやるわ」

「私はね。桐谷の事が-―――――」


 ここで淡い夢が覚める。何時もここから先は不思議と思い出せなかった。



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