第一章 始まりの運河?
宝箱の鍵は何処に?
※※※
風が長い前髪を揺らし、ノアはそれをうっとうしげにかきあげた。
肌寒い外気と雨が、ゆっくりと彼の体温を奪っていく。
まだ雪の気配は無いが、それでも吐き出す息は白い。
冬が、もうそこまで来ていた。
教会へと続く坂道には、落ち葉の絨毯ができている。
冷えた肩が、薄い神官服の下で震えていた。
それを制するようにきつく抱きながら、ノアは坂を登った。
枯れ葉が靴の底で砕かれ、渇いた音をたてて崩れる。
ノアには何の音なのかも解らない。
「−−−痛ッ」
寒さのせいか、歩く度に痛みが膝を刺すようだった。
こんな時−−−ふと思う。
あの大人びた少女。
弱音の吐き方を知らない、ある意味でとても脆い少女。
彼女の感じている苦痛は、いったいどれほどのものなのかと、問いたくなる。
死を目前にして、シルビアは何を思うのか。
ノアには解らなかった。
そんな事を考えているうちに、教会へ着いた。
重々しそうな割に軽い扉が、軋むような音で開いた。
窓のひび割れを隠している板が、風で揺れている。
カタカタと、耳障りな音が聞こえた。
足音もなく静かに、ノアは長い通路を進んだ。
両脇には、教会用に白く塗られた椅子が列んでいる。
しん、と天井まで静まりかえった広い空間。
そして、その先。
「・・・・・・・」
祭壇の前に、シルビアがいた。
喪服のような黒いドレス。
白面を陰らせる、黒のヴェール。
陰気な瞳。
「シルビア」
ノアが呼んだ。
シルビアがゆっくりと振り替える。
ノアは大きく息を吸い込んだ。
そして、早口に言った。
「もし、生きながらえる術があるとしたら、貴女はどうしますか?」
※※※
生きたい。
それは全ての生命に通ずる概念。
生きるために産まれ、種を遺して消える。
その繰り返し。
その無限の輪廻の中で、シルビアは思うのだ。
生きたい、と。
心が
身体が
本能が
生きながらえたいと叫ぶのだ。
死にたくないのではなかった。
生きたいのだ。
死の対極が生だとしても、その逆はありえない。
死なないだけではダメだ。
生きなくてはならないのだ。
自身の全てを賭して。
「生きたい」
始めから答えは決めていた。
神を裏切るのだと言われても、躊躇わずに『YES』と答えた。
生まれた時から、その人の事は嫌いだった。
頭が悪く、傲慢で。
シルビアに優しくなかったから。
その言葉を口にした事はなかったけど、何時もそう思っていた。
次の誕生日に与えられる筈だった、その人の聖典を燃やした。
神官は言った。
これは罪だと。
それでも良かった。
誰にも頼らずに生きようと決めた、あの雪の日。
眩し過ぎた一筋の『ひかり』。
それを失いたくなかったから。
シルビアは聖典を燃やした。
神を切り捨てた。
腕の中には何も残らなかったが、何故かとても温かかった。
凍える心配だけはないと、神官の守護者が笑った。
それを神官が諌めた。
彼が話す『これから』の事について、シルビアは相槌も無く聞いていた。
もうこの教会にはいられないこと。
自身が結んだ『契約』が仮のものであること。
いつか、代償を支払わねばならないこと。
彼の話す言葉は、とても薄っぺらいものに感じられた。
自分と同じモノでできている彼が、『その人』の名前を口にするのが可笑しかった。
「解りました。ありがとう」
それでも、彼に感謝した。
シルビアが教会に戻る事は出来ないが、彼が行動を共にしてくれる訳でもなかった。
罪人同士が側に居る事は、とても危険らしかった。
どうして、とは聞かなかった。
生きていられるだけで、十分だと思った。
ありがとう。
それも、とても薄っぺらい言葉だった。