傷付くのは誰のためか 孤独ゆえに
戦闘シーン、突入です!次回も引き続き、バトル。
「犀臥、行くよ」
また、このパターンか。行く先も示さずに、有無も言わせず向かう。
違うのは深がついて来ることだけ。
「本当なら動きやすい格好に着替えた方がいいんだけどね。今日ぐらいはいいかな」
問いかけの形をとってもそれは内示のみで誰からの答えも期待していない。そもそも、犀臥はそれに関する答えを持たなかった。黙って進む。
それが自然と緊張感を孕んだものになったのは、あの存在のため。
(――唯)
連れて行かれた。犀臥はそれを見ているしか出来なかった。割り込むことなど、できるはずもない。
つい昨日のことだ。あの存在に恐怖した記憶は新しい。
犀臥たちが来たのと時を同じくして戦いは始まった。
最初は緩やかに、徐々に厳しいものとなっていく動き。唯は追いつけない。
二が四になって四が八になる。八が十六になって十六が三十二に変わる。それは拳打の数だ。武器も能力も使わない、ただの体術。しかし同じ条件の唯は対応しきれずに攻撃を受ける。受けきれずにまともに喰らう。そしてダメージが蓄積されるほど、動けなくなっていく唯に狼刃更に加速する。そこには遠慮も配慮もなく、容赦もしない。
この状況だけを見ても実力差は歴然としている。防戦一方の唯、余裕のある狼。
しかし、狼に侮りはない。手を緩めることもなく、最後まで冷徹に攻撃する。
「中には入れない。いや、入らせないよ」
倭が珍しく真剣な様子で言うが、犀臥には何が何だか分からない。自らが場内へ入ろうと動いたことも認識していなかった。混乱する頭は瞳だけを大きく見開く。
なぜ唯がボロボロなのか。なぜ倭たちはこの状況で平然としているのか。
(――ただの暴力だ)
繰り広げられているものが、戦いにはどうしても思えない。
「黙って、見てろってことか――」
低く、唸るように犀臥は声を出した。
「あれは邪魔しちゃいけない」
その言葉にあるのは犀臥が標的になるということよりも、唯を気遣っての言葉だった。
しかし、犀臥には理解できない。
己がただ、何も出来ないことが、酷く、――苛つく。
「犀臥。行ったところで、きみになにができるの?」
(そうだ、何も出来ない)
そうしたところで、意味はない。それでも、何もしないわけにはいかなかった。
感情が恐怖を乗り越え、飲み込まれ、――波に似たものがどんどんと大きくなっていく。
「眼に、焼き付けて。唯はああして、あの人に逆らい続けているんだ」
(違う、逆らっているわけじゃない。期待に、答えてるんだ)
瞬間的に深の言葉を否定した。けれど瞳は逸らさず、口を動かすことももどかしく、魅入るだけの犀臥の思いは誰にも届かない。
唯は立ち上がっては傷を増やし、ボロボロになっていく。愚直な健気さだ。
しかしそれは頑なな素直さであって、負けん気ではない。ただ要求に応えているのだ、全力で。倒れ伏すことを許さない瞳に強制されている。
他の誰でもない、唯だけは、あの人に対等にあれと訴えられているのだ。
「自分が傷つくことを恐れず、避難を浴びても唯は、立ち続ける」
唯の体が吹っ飛ぶ。犀臥は叫んでいた。
「唯!!」
地面に擦れて勢いが殺がれた。
休むことなく続けられる攻撃だが唯にとってはその一つ一つが重く、また素早かった。防御に徹しても追いつかない速度は武器など使わずとも肌を、服を切り裂く。
出血からくる眩暈と衝撃に揺さぶられる体。その両方に耐えつつ唯はひたすら腕を上げ続けた。それでも、攻撃は喰らう。腹にめり込む足に体が吹っ飛ばされる。
――隙だ。
しかし狼は踏み込まない。唯を痛めつける目的ではなく、戦いを所望するがために追撃はしない。大きな隙には手を出さない。それで壊れてしまっては困るからだ。
地面に転がったまま、考える。
負けてばかり、勝敗の決まった戦いに何を期待しているのだろうか。狼は唯に向ける思いが重過ぎる。ただのおちこぼれに、狂気にも似た思いを描いているのだ。
唯は狼が、人が思うほど何かができるわけではない。
「いいの?来ちゃうよ」
狼の声は大きくも小さくもなかった。唯には聞こえる範囲で、けれど場外の声援の中では掻き消えるような音。けれど、唯は弾かれたように身を起こし、叫んだ。
「来るな!」
狼の視線が犀臥へと、向けられていた。
(無理だ。今の犀臥では狼を満足させるどころか失望させる)
失望にはそれだけの代価を――犀臥を二度と使えなくする。まだ開いてもいない可能性の花を摘み取り、踏み躙る。……狼ならば、やるだろう。それも、唯に対する挑発の為だけに。
「へぇ……そんなに大切?」
狼の声にゾッとする。
それだけで狼の次の行動がわかった。起こした身を立て、それを阻害するために、再び己へと興味を移すために動く。けれど、それまでに追ったダメージは思うより大きかった。
何かを成す以前に、狼に攻撃を浴びる。
腹部、鳩尾に膝が入り込んだ。
「ごほ……っ」
そのまま、前のめりになる体に追い討ちとして頭をボールのように横から蹴られる。顔を上げることさえ出来ない短い間だった。
「来なよ。入っておいで、相手してあげるよ」
狼は唯から視線を外し、犀臥を場内に誘った。その顔は、笑っている。楽しげに口端を上げ、表情を歪ませる。しかしそれはどこまでも狂気に満ち溢れた、戦いへの喜び。獲物を狙う猛禽類よりも獰猛で鋭い瞳で哂う。
揺さぶられた頭はまともに立ち上がることさえ出来ない。けれど、(――止めなければ)
残虐に冷たさを宿す瞳をまともに受けた犀臥は蒼白なまま、眼を逸らすこともできずにただ肯定だけを求められていた。魔に魅入られるように、命令に従って動くその瞬間。
「狼!!」
狼の、犀臥へと向けた体。基盤である足にしがみ付いた。
「邪魔だよ」
言葉とともに足から振り払う攻撃を、頭に加え続ける狼。唯は耐えた。それが長い間か短かったのか、分からない。しかし(逃げろ。入ってくるな。逃げろ)心の中で唯は繰り返し叫ぶ。
いつの間にか、手は離れていた。前を行く黒い影を見る。
口の端が切れ、鉄錆びの味が口の中に充満する。けれど霞む視界さえ、気にすることはない。
(なりふり構ってられるほど、余裕なんて、最初からなかったんだ)
「――させない!!」
唯は疾走した。
狼と犀臥の距離、時間。そして唯が狼に追いつくのに必要な時間と速度。瞬間的に計算をはじき出したのは思考ではなく体だった。己の枷としてつけていたストッパーを外す。




