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駆け引きは利用と統制

 振り向いた先、見えた少年。

 年の変わらない彼、その瞳を見て眼を反らしたくなった。

 純粋な色は深く傷付いた心を表すように漆黒。斑さえなくすべて塗りつぶされた、酷く平坦な黒。でも底深い。――昔の自分を見ているようだった。

 治ったと思った傷はじわじわと後になって痛み、膿み、修復の不可能なところまで子に後自覚できない。治ったと信じきっているのだ、痛みに気付かないフリをしている。

 ボロボロになって、初めて分かる。

 それでも、“弱さ”なんて出せなくなってしまっていた。諦めに似た感覚で、ただ受け入れ、救いや希望を見出せずにいた。唯一の光など、探すことも止めてしまって。

 暗闇の底。助けてくれる人も、抜け出す手段もなく、結局俺は底に落ち着いた。何も変わらないのだと、知った。

 その頃の俺を髣髴とさせる姿。―――声をかけざるを得なかった。


 絶望に沈む夕陽のように感じられた。

 艶やかな髪が軽やかに風に靡き、柔らかくさらりとした綺麗な軌跡を描く。

 闇の中でもはっきりと存在を感じられるほどに輝きを放つのに、それでも己を闇と同化させようとかき消そうとする。

 漆黒は平坦な、無感動の瞳。鋭さは消え、精彩が失われている。停滞しているかのような、鈍重な空気が取り巻く。無気力、拒絶。

 かけた声にものろのろと顔を動かすのみで、何も映さない瞳。表情は強張って、固まっている。それが、一瞬だけ、驚いたように眼が開かれた。その眼に合わさった時、何よりも先に“同類”と感じた。そして安堵する。

 瞬きの間に瞳の中の感情は消え、のっぺりとした黒に戻る。

 それはまるで、俺の汚い思いを感じ取ったかのように視線を外し、立ち止まった足を動かし、去った。


 ―――ホント、さいてー。

 自嘲した。

 傷付いてるやつを見て、悲しんでる奴を見て、堕ち行く奴を見て、喜ぶなんて。

 そんな自分が最低だ。

 それに、俺なんかと同じじゃない。そんなところまで、堕ちきってはいない。心の中で、灯りを無くして迷っているだけだ。……まだ、間に合う。光は消えてなんていないだから、だから諦める必要なんてない。この先、光を見失わなければ、君を見つけてくれる人がいる。必ず、表れる。


 聞えないと分かっていて、もう一度繰り返した。

「後悔をするなら、力を求めるなら朝日学園に来ればいい」

 あの場所は―――闇に魅入られた者を助ける。

 逆に闇へと深く陥らせる。そういう場の展開がなされている。だってあそこは、安全の地。そして戦場でもあるから。

 選択するのなら、俺は教えよう。力を求めるのなら、その得方を。その先を見せてあげよう。

必要なだけの力を、求めるだけの力を。

 でも、決して復讐には使わないで。それは守る力だから。

 だから問おう。

「お前は―――」

 そう、これが始まりだった。俺にとっても、君にとっても。

 ――俺と同じになんて、させたくない、から。


 そんな懐古から逃げて眼にしたのは、漆黒だった。




「有島唯」

 ふと耳に入る声は心地よい音だった。

 低い背丈の少年――いや、実際には唯よりも一つほど年上の“先輩”だった。


「話がある」

 誰もが口をそろえて可愛いと表現するだろうその容姿に鋭い知性を覗かせた姿は唯には綺麗と思える。周囲にそう思われていないのが不思議なぐらいに、その雰囲気も洗練されている。

 馴染みある人物との関係性は複雑だ。親しい、というのとは全く別の次元にあるだろうその間柄は損得に塗れている。

「行ってて」

 歓迎会の終了後、皆が流れにそって帰り道を歩く中呼びかけられた声に唯は空たちを促して部屋に帰らせてから警戒することもなく振り返った。

「お久しぶりです、先輩」

 にっこりと微笑んで見せて、けれど他人行儀に作り笑顔で笑った。



「約束だよ」

 一言、先輩の出した言葉には聞き覚えがある。

 寮内は何処もかしこも混雑し、それぞれが己の周囲しか把握できない混乱状態で自室に帰っていく。今、誰もが注目しているだろうと推測できる唯に誰にも見咎められずに話しかけられたのはこんな状況だからこそだった。

「ええ、もちろん。制裁ですね。――明日でいいですか?今日は都合が悪いんですけど」

「君の都合は聞いてない」

 有無を言わさない断言は唯とその人物の関係性を表している。

 常に優位にあるべきはその人なのだ。親衛隊の総統括――かなえ 真木まき。最上学年の先輩だった。

「けれど、関係はあるでしょう?」

 駆け引きというのは本来ならば対等でいて行われるものだ。けれど、唯はそれをする。

「いいだろう。引き伸ばされて都合が悪いのは君も同じ。明日の昼、いいね」

「拒否権のないことでしょう。約束、ですしね」

 鼎との間に交わされた約束。それは彼の立場からすれば当然の行いと彼の利益に関するものだった。唯は彼の利益になる。だからこそ、ある程度の秩序を彼によって統制される。

 この学園生活における唯の生命線ともいえるのだが、その自覚は果たして両者ともに何処まで感じているのか。


「明日の昼――それまで、厄介だな」

 彼の統制が始まるのは彼の“制裁”を受けた後からだ。

 それまでの間は唯が自分で周囲に対応しなければならない。それは酷く退屈で厄介で面倒くさいものになりそうな予感だった。



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