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闇と静寂

【No.1】

 外の明るい光をカーテンで区切り、適度に暗くなった室内。息を潜めるような静寂な部屋に二人はいた。理事長室、それがこの部屋の名だ。

 一人は理事長という名の、形ばかりの部屋の主。もう一人は本質的な、部屋の主。

 広々とした部屋の中央にある格式ばかり高い机の前に座す者と来客用の高級ソファを通して奥、部屋との境界線となる唯一の扉へと背を預ける者。後者は小柄で、しかし子供というよりは青年という歳に達していた。前者は若々しくも大人として風格のある程度備わった“理事長”である。

 男は青年に対し、言葉を期待していた。寡黙な青年は瞳を合わせることなく、静寂を纏い、言葉を紡ぐ様子はない。どちらも忙しい身のために沈黙という時間は本来、削られて然るべきだが、それだけに現在の会話の内容が重いと知らしめていた。

 理事長、という立場から言っても広い机に倒壊寸前と積み重ねられた書類の処理より青年の言葉を聞くほうが重要だった。

「――こいつは、俺と同じだ」

 青年は闇の中に一言、漏らす。

「表では生きられない」

 闇の言葉は室内の闇に滲みこむように消えたが男の耳には印象強く残った。

「二週間――、一週間で保護しろ。問題を起こす前に、囲え。でなければ、埋もれる」

 早々に潰される、と続いた言葉に男は青年の表情を見た。

 俯いた顔は薄暗い部屋において殆ど影だ。その内心を推し量ることは出来ない。もとが無表情の多い性格だと知っているが故に、青年の僅かに沈んだ声に、揺らぐ感情に男は気付いた。

 青年にとってもその判断は辛いはずだった。なまじ、件の人物が彼と関りのある人物の血縁であるがために、傷は深まる。

 未だ癒えてはいないだろう、かつてのこと。青年の心を深く抉る事件だったのに、あれからまだ2年と経っていないのだ。それなのに再び関わる道を選ぶ。


「本当に、それでいいんだね?」

 柔らかい声音で、最終的な確認を取る。本当は選択権など、元からなかった。それでも、彼にまで確認を取ったのは、再び、後悔することを恐れたからだ。

 以前は何も知らなかった。最後の最後、全てが終わってから知らされた。だから、同じ事は繰り返したくないと思う。この学園の理事長として、生徒を預かる立場として、彼の血縁として、――何より、“朝日あさひ あきら”という一個人として。

「コイツは幼い。運命に対して、無知だ。世界に翻弄されるままでは、苦しみが長引くだけだ。――頼む」

 真剣な声音で、けれど視線は一度も混じることなく、彼は言った。自分に求めているのは、理事長という立場だけなのだと、わかる。個人的に頼ろうとしていない。

 それでも、

「ならば私が言う事は何もない。沙羅、君の言うとおりにしよう」

 肯定の意を返す。諦めていた。何も知らなかった、何も出来なかった自分に頼ってくれないことなど、初めから知っていたつもりだ。

「――頼む」

 彼は目を瞑って、懇願に近く念を押した。断るつもりも、放任するつもりも無いのに、そこまでする。開いた瞳には一瞬、苦悩のようなものが浮んだが、それを判別する前にそれは無へと消えていた。冷えた瞳の色は感情までも凍らせている。

 そうして、初動作もなく扉から背を離すと、すぐさま身を翻し部屋から消えた。少しの間だけ入り込んだ光が彼の線の細い体を余計に儚く見せて、たった今下した決断が正しいものだったのかと再び疑問を浮上させる。


 元から薄かった青年の気配は足音すら残さずに消えていった。けれど男の胸には幾つもの言葉が重く圧し掛かっている。

 埃など舞うことの無い、清潔を保たれた部屋は静寂の中に未だ闇を残す。新しいつくりの、精々が十年も経っていない部屋の作りの中で重々しく、暗い闇だけが重厚に馴染んでいた。

 人一人が出て行く。それだけで空気は凍るように冷たくなる。沈殿する空気が凍てつくように男を突き刺していた。

「私は君の幸せを、何より願っているのに、――私は君に何ができるんだろうね?」

 ――自分が幸せにしてあげたいのに、その資格が自分にはない。

 男にはその本当の名を呼ぶことさえ、許されてはいなかった。

 ただ一人の人物は既にもう、二度と会えない彼岸へと行ってしまったというのに、青年はそれを過去に出来ず、誰のことをも拒絶していた。

「救えるのかな、この子は。君の光に、なってくれるのかな」

 男は手にしていた資料を机に乱雑に置いた。写真に写る幼顔の青年は、男の恋焦がれる人物の心に残るただ一人の面影を強く残していた。

 視線を外したいがために、男はカーテンを強く引いた。

 強い昼の日差しが部屋になだれ込む。けれど、心の闇は払われてくれそうも無く、ただ溜息をついた。


「さ、仕事だ」

 気分を盛り上げるように言葉に出してみるが、甲斐もなく、空しいだけだった。気分は低空のまま、仕事につく。けれど、心だけは儚く遠い存在へと向けられ続けていた。


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