熱と氷の狭間で
「やっぱり唯は“お母さん”らしいじゃないか」
突然、犀臥が言った。
「えぇ……!?何でだしッ」
咄嗟に反論すれば犀臥は何故だか綺麗な笑みを向けてくる。
ほんのり頬が熱くなって、穏やかな瞳に目を合わせていられなくなる。
「行動が、子供を窘めたり叱ったり、小言を言う感じとか、宇治たちを子ども扱いだろ?」
「っ」
なら犀臥のその眼は何だ、と言いたくなるのを必死に耐え、俯く。
唯にしてみれば犀臥の眼こそ、子供に向けるような自愛に溢れたものに思える。暖かく、柔らかな視線が唯を見つめ、体温を上昇させるようだった。と同時に非常に居心地が悪くなる。
すぐそばでは倭が不機嫌に、蒼は爆笑、空は同意しているのがそれを加速させていた。
「まっかだ」
昼食後のお昼寝として唯の膝にべったりくっついていた深がくるりと上を向いて眼を唯に正確に合わせる。当然、赤面して俯く唯の顔なんて丸見えで、それを素直に感想にしただけのことだったが、
「ッ馬鹿言うな」
唯は不満に端正な顔立ちのそれを上から押しつぶす。
「むぎゅっ」
(んなわけない。考えすぎなんだ、何を考えてるんだ、俺は)
けれど犀臥も唯に冷静なる思考へと戻す時間を与えない。
「で、俺はどうなるんだ?唯が母親なら」
「えっとぉ……」
(ソウはキャンキャン吠えるような犬で、委員長がツンデレ犬、シンはのんびりした感じの大型犬で、倭はお高い猫。犀臥は中型剣っぽい……)
思考がずれる唯だが、その心を知るものは誰もいない。口に出せばすぐさま「そっちじゃない」と突っ込まれそうなのだが、現状においてはいない。
「空が姉さんで俺と倭が兄弟、深がわんこで、犀臥がお父さんでいんじゃね?」
「納得できませーん。俺はお母さんの愛人で」
「いや、めちゃくちゃ昼ドラだから、それ」
「深と倭は兄弟じゃないとダメだよ。互いに首輪繋いでるんだから」
「倭はわんこより猫だろ~?」
「ちょ、不名誉なこといわないでくれない?無理だから、ネコは無理。タチ」
「何の話してるんだよ、お前」
「お家のお話」
段々と話の分かる唯は段々と硬直してゆき、頭の中が白くなる。思考回路はこんがらがって団子になり、ショートとかいう以前の状態だ。回転は遅く、パクパクと口を無意味に開閉させるだけの時間が過ぎて、雪解けのように急激に熱された唯は赤い頬のまま、満場一致に溶けかけた雰囲気を唯は
「ちっがーう!!」
全力で否定。クラス中の視線が突き刺さるような注目を集めながらも、そんなことは気にしていられないとばかりに言葉を重ねた。
「嫌だからなっ!俺と犀臥が夫婦なんて――」
「否定するのが妖しいんだよ。“ごっこ”遊びにムキになるなんて」
「唯のお馬鹿ちゃん」
即座に切り捨てられて己の行動が真逆に作用したとなると答えに窮す。深までもが同意するように肯けば、唯はもう言葉も何も出なかった。立ち上がって呆然とする。
「唯」
小さく、隣から呼びかけられて、犀臥と唯の視線が絡み合う。
(それって要するに意識してるって事だろ……!?)
自身に向けて心のうちで叱咤する。
吐露された内心は酷く分かりやすい様相をしていて、呆れる自分がいるのに衝動に引き摺られるように動き出した。動揺して、これまた分かりやすく後ろへ足が逃げを打つ。そのことに僅かにバランスを崩した体を、犀臥が引き寄せて事なきを得る。けれど、唯はもうだめだった。我慢できずに何が何だかわからないような自分の思考さえも見えないまま。
「悪乗りするなバカどもっ!!」
りんご状態まで発展した頬を見られないよう、俯きでその場を去る。
あてどなく、我武者羅に。頭を冷やす場所を求めて。
「唯、恋かな?」
「さぁ?でも、初恋そうだよね。初心でわかりやすい。何処まで知識あんのかな?」
「だから何でそっちに話を流すのかな?」
「空、実はその手の話題が苦手なだけでしょ」
「唯、かわいかったよねぇ~。真っ赤になって、さ」
追いかける事もない友人たちを薄情というか、それともからかった本人たちとして過剰に接触を図らないべきか。答えは出ずとも、行動は皆がすべて等しくその場に留まることとなった。
唯のそれをいつものこと、と割り切るわけではないがそれよりもも重要視すべき事柄があると考えるからこそ、皆がここにいる。新しく入ったクラスメイト、唯と親しくなるだろう、ひいては自分たちとも近しい間柄になると予測することが容易な人物――犀臥についてである。
「春か。やっと、遅い春が来たのか。俺にも来てほしい。でもなぁ、ここではなぁ……?」
真剣な悩みへと変化しつつある蒼。
直接的なものとはならないものも、交わされる会話の真意には犀臥も気付いた。
「掻っ攫われたね、見事に。僕らのお姫様は鈍感だからまだ気づいてなさそうだけど」
鈍感なお姫様――唯のことを掻っ攫われた、というのならば掻っ攫ったのは犀臥だ。しかし、それは意図あってのものではなく、いや、それは言い訳だった。
犀臥は半分意図的に、意識的に絡み取ろうとしていた。唯に対する独占欲と焦がれる想いに相違はない。あるならば、それを恋情と決めつけるかどうかだ。
「俺は――好きな人がいる」
男か、女かも分からない。一回しか会ったことのない人物だ。交わした会話も決して多いとは言えない。それでも、犀臥の心にあるのはその人物だ。
(刹那――)
銀色が瞬きの間にもちらつく。
変わることのない心は、けれど動揺する。唯の笑顔が、気になって眼が離せなくなるような笑顔が思い出された。
(あの人がいる限り、俺は唯に恋する事はない。……少なくとも、もう一度会って、この感情の意味を思い知らされるまでは)
この学園に来たのは必然だ。両親がいないで、歳の離れた兄と二人で生活してきた。その兄がいなくなって、親戚縁類もなく、進学するにはこの学校の制度を利用するほかはなかった。それに、兄の失踪の、手がかりでもある。
そんな俺に、刹那は、この学園へ来いと言ったのだ。そこには何らかのものがある。不透明で、今はまだ何も見えないけれど、確かに繋がっている。
(また、会える)
それは確信だった。
「へぇ……じゃあ、どういうつもり?」
倭の涼しげな声は、氷のような冷たさで耳に入り、心を突き刺した。
溶かす炎はあるのに、熱い想いは刹那へと向けられているのに、その氷柱のうちに入った不純物が、胸につっかえた。
暫くぶりに投稿です!
文は出来ていましたが、三月中は自粛。
地震とかありましたもので。




