第6話 自分のことを説明する日
銀行へ行くのは、久しぶりだった。
いつもはATMだけで済ませていたから、窓口に用事があること自体が落ち着かなかった。
自動ドアが開く。
冷房の風と、静かな空気。
番号札を取る手が少し震えた。
相談員に言われた通りだった。
『銀行にも連絡しておきましょう。記録が残ることが大切です』
記録。
その言葉の意味を、由紀はまだ完全には理解していない。
けれど、「やったほうがいいこと」を一つずつ進めている安心感があった。
番号が呼ばれる。
「はい、どうぞ」
窓口の女性職員が微笑んだ。
その普通の笑顔に、逆に緊張する。
椅子に座り、バッグを膝の上で握りしめる。
「あの……」
声が小さくなる。
周囲に聞かれている気がして、思わず視線を下げた。
「振り込みの件で、ご相談がありまして……」
「はい、どのようなご内容でしょうか?」
穏やかな声。
逃げ出したい気持ちと、ここまで来たという気持ちがぶつかる。
由紀は深く息を吸った。
そして。
「……詐欺、かもしれなくて」
言った。
初めて、対面で。
その瞬間、顔が熱くなる。
恥ずかしさが一気に押し寄せる。
けれど――
「承知しました。お話を伺いますね」
職員の表情は変わらなかった。
驚きも、責める様子もない。
ただ、仕事として自然に受け止めている。
それが少しだけ救いだった。
通帳を差し出す。
振込日を一緒に確認する。
「こちらのお取引ですね」
淡々と進む説明。
必要な手続き。
今後の注意点。
冷たいわけではないけれど、過剰に同情もしない距離感。
それが逆に安心だった。
特別な出来事ではない。
珍しいことでもない。
由紀はふと気づく。
――ここでは、私は「恥ずかしい人」じゃない。
ただの相談者だった。
「すでに送金から日数が経っているため、資金回収は難しい可能性が高いですが……記録は残しておきますね」
「……はい」
落ち込む言葉のはずなのに、前ほど胸が沈まなかった。
もう知っている現実だったから。
説明が終わり、書類にサインをする。
自分の名前を書く手が、少しだけしっかりしていた。
「ご相談いただいてよかったと思います。最近とても増えているんですよ」
職員が静かに言った。
その言葉を聞いたとき、由紀の中で何かが変わった。
また同じ言葉。
――増えている。
つまり、自分だけではない。
銀行を出ると、外は真昼の光だった。
思ったより世界は普通に動いている。
車の音。
信号待ちの人。
買い物袋を下げた主婦。
自分だけが止まっていたような気がしていたけれど、本当は違ったのかもしれない。
由紀はベンチに座り、ノートを取り出した。
外で書くのは初めてだった。
少しだけ照れながら、ページを開く。
『銀行で説明できた』
書いてから、少し考える。
そして付け足した。
『逃げなかった』
ペン先が止まる。
胸の奥に、小さな感覚が芽生えていた。
自信、というほど大きくはない。
でも――
「できたこと」が確かに増えている。
由紀は空を見上げた。
青空が広がっている。
数日前と同じ景色なのに、少しだけ明るく見えた。
失敗は消えない。
後悔も完全にはなくならない。
それでも。
今日の自分は、昨日の自分より少し前にいる。
それが分かるだけで、十分だった。




