第2話 検索できなかった言葉
ノートを書き始めて三日が過ぎた。
誰にも見せない前提の文字は、驚くほど正直だった。
『眠れない』
『ごはんがおいしくない』
『夫の顔を見るのが怖い』
短い言葉ばかりだったが、書くたびに胸の奥の重さが少しだけ軽くなる気がした。
それでも、現実は何も変わらない。
通帳の残高は増えないし、消えたお金も戻らない。
パートには普通に行った。
「おはようございます」と言い、レジに立ち、笑顔を作る。
自分が詐欺に遭った人間だなんて、誰も知らない。
知られたら終わりだと思った。
きっと、こう言われる。
――どうして信じたの?
休憩室でスマートフォンを取り出す。
検索画面を開く。
白い空欄が、やけに広く見えた。
指が止まる。
打てばいいだけなのに。
たった一言なのに。
「詐欺 相談」
その文字を入力することが、どうしてもできなかった。
検索した瞬間、自分が「被害者」だと確定してしまう気がしたからだ。
まだ間違いかもしれない。
システムトラブルかもしれない。
そう思っていたほうが、少しだけ楽だった。
画面を閉じようとしたとき、隣に座っていた同僚の会話が耳に入った。
「最近さ、変なメール多くない? 詐欺とか怖いよね」
「ねー。私だったら絶対引っかからないけど」
笑い声。
悪気はない、ただの雑談。
なのに胸がぎゅっと縮んだ。
由紀は静かにスマートフォンを伏せた。
――やっぱり言えない。
自分は「絶対引っかからない人」ではなかった。
帰宅後、いつものようにカーテンを閉める。
部屋が暗くなると、安心した。
誰にも見られない場所。
ノートを開く。
しばらくペンを握ったまま動けなかったが、やがて書いた。
『検索するのが怖い』
書いた瞬間、ふと疑問が浮かんだ。
怖いのは、何だろう。
詐欺だと確定すること?
それとも――
自分だけじゃないと知ること?
由紀はゆっくりスマートフォンを手に取った。
深呼吸をひとつ。
そして、震える指で文字を打ち込む。
「詐欺 相談」
検索ボタンを押す。
画面が切り替わる。
そこに並んだのは、知らない言葉ではなかった。
「同じ被害に遭いました」
「誰にも言えません」
「恥ずかしくて眠れない」
自分が書いたのかと思うほど、同じ言葉が並んでいた。
由紀の目が、ゆっくり見開かれる。
「……私だけじゃ、ない?」
その瞬間。
胸の奥で固まっていた何かが、ほんの少しだけ溶けた。
画面の向こうには、知らない誰かの体験談が続いている。
失った金額も、年齢も、状況も違う。
けれど共通していたのは――
みんな、最初は誰にも言えなかったということだった。
由紀は椅子に座り直した。
逃げるように閉じていた世界を、もう少しだけ見てみようと思った。
それは勇気というほど大きなものではない。
ただ。
ほんの少し、孤独が薄れただけだった。




