第14話 小さな声でも
春になった。
駅前の桜は、今年も変わらず咲いていた。
由紀はベンチに座り、スマートフォンを握りしめていた。
画面には、途中まで書いた文章。
何度も消して、書き直して、また止まって。
「……やっぱり、私なんかが書いていいのかな」
独り言がこぼれる。
フォロワーは、まだ三十人ほど。
そのほとんどが、同じように詐欺被害を経験した人たちだった。
派手な成功談でもない。
専門知識があるわけでもない。
ただ――失敗した話だけ。
騙された話。
怖かった話。
情けなかった話。
それでも。
昨日、知らない人からメッセージが届いた。
「読んで、初めて自分だけじゃないと思えました」
その一文を、由紀は何度も読み返していた。
⸻
最初は、怖かった。
自分のことを書くなんて。
誰かに知られるなんて。
笑われるんじゃないか。
責められるんじゃないか。
でも。
被害者の会で出会った女性が言った言葉が、ずっと残っていた。
「声を出した人がいるから、私は相談できたの」
由紀は深く息を吸う。
そして、続きを打ち込んだ。
⸻
「私は、特別な人ではありません」
指が震える。
「気が小さくて、人に頼るのが苦手で、恥ずかしくて誰にも言えませんでした」
一度止まる。
けれど、消さない。
「でも、黙っていたら、ずっと自分を責め続けていました」
桜の花びらが、スマホの画面に落ちた。
「もし今、同じように一人で抱えている人がいるなら」
由紀は、小さく笑った。
以前なら書けなかった言葉。
「あなたは悪くありません」
⸻
投稿ボタンを押す。
心臓が跳ねる。
怖い。
でも――逃げなかった。
それだけで、少し誇らしかった。
⸻
帰り道、スーパーに寄る。
値引きシールを探す癖は、まだ抜けない。
けれど。
前と違うのは。
顔を上げて歩いていることだった。
レジで、店員に「ありがとうございます」と自然に言えた。
それだけで、胸が温かくなる。
⸻
夜。
通知音が鳴った。
一件。
二件。
三件。
コメントが増えていく。
「私も同じです」
「勇気をもらいました」
「相談してみようと思います」
由紀は、思わず口元を押さえた。
泣くつもりはなかったのに。
涙が止まらない。
⸻
「……私、ちゃんと生きてる」
誰に向けるでもなく、つぶやく。
詐欺に遭った日。
世界が終わったと思った。
自分の人生は失敗だったと、本気で思った。
でも違った。
あの日は終わりじゃなかった。
――始まりだった。
⸻
由紀は、新しい記事の下書きを開く。
タイトルを書く。
「騙された私が、もう一度立ち上がるまで」
完璧じゃなくていい。
強くなくていい。
小さな声でもいい。
誰かに届くなら。
⸻
窓の外では、春の夜風が静かに吹いていた。
由紀はキーボードを打ち続ける。
もう、隠れない。
もう、自分を責めない。
ゆっくりでも。
一歩ずつでも。
前へ進む。
――完――
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
この物語の主人公・由紀は、特別な人ではありません。
強いわけでも、前向きな性格でもなく、むしろ不器用で、怖がりで、人に頼るのが苦手な人です。
でもきっと、そんなところが、私たちのどこかに少し似ているのではないかと思いながら書きました。
人生は、失敗したら終わりではなくて、
立ち止まった場所からでも、ほんの少し向きを変えられるのかもしれません。
もしこの物語が、誰かの「もう少しだけ頑張ってみようかな」という気持ちにつながっていたら、とても嬉しいです。
あなたの毎日が、少しでもやさしいものでありますように。




