1. 女だてらに騎士団長
※本作は戦闘描写を含むためR15指定としました。
ドラゴンの最後の息吹が騎士たちを襲う。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
「不滅の盾」
防御魔法の発動とドラゴンの攻撃が襲いかかったのは、ほぼ同時だった。
青く燃え上がる炎は、騎士たちに届くことなく盾に吸収されていく。
焼けた匂いが肺を刺す。空気が軋み、地熱が全身を襲う。
それでも盾をかざしたその女性は、眉一つ動かさず炎の前に立ちふさがった。
「団長っ!」
大きな音を立てて崩れ落ちるドラゴンの前で、華奢な身体が力尽きたように地面へと倒れていく。
――この戦いは彼女の運命を大きく変えることになる……けれど、それはもう少し先の話。
女であることが足枷でしかない世界で、彼女は誰よりも強くあろうとした。
しかし、権謀術数が渦巻く王宮で、彼女が守った数多の生命ほど、彼女自身の生命は重くはなかった。
そして、このあとの彼女の未来に許されていたのは、決して容易な選択ではなかったのだ――。
***
「いい加減にしないかっ!」
罵声が飛び交う訓練場で、騎士二人が喧嘩をしている。
野次馬たちは、嬉しそうにはやし立てて止める様子はない。
そこに現れたのは、美しい黒髪を一つにまとめ、真っ黒な軍服を見事に着こなした女性騎士だった。
「団長!」
その場に集まっていた騎士たちの空気が一瞬で変わる。
激しい殴り合いをしていた二人も、その場で固まっている。
「説明してもらおうか。」
落ち着いた声に、空気が鋭さを増した。
アナスタシア・マーベル――歴史あるマーベル伯爵家のれっきとした令嬢だ。
しかし、彼女は普通の令嬢ではなかった。
それもそのはず、魔獣討伐隊として名高い、第三騎士団の団長として活躍しているからだ。
「相変わらずだなぁ。」
少し気の抜けた声が、アナスタシアの後ろから聞こえてくる。
「カイン副団長。」
団員たちの安堵をにじませた声が聞こえる。
「お前ら、また喧嘩したのか。」
人懐っこい笑顔で、当事者たちを覗き込んでいる。
言葉に詰まってうつむく騎士たちの頭を、軽く小突く。
「団長、しっかり言い聞かせておきますので、ここは俺に任せてください。」
「言い聞かせるだけか?」
笑えば美しいはずの切れ長の目が、鋭くカインに向けられる。
鋭い視線にも、一切ひるむことなく、無表情で答えが返ってくる。
「もちろん、規律違反の罰は与えますよ。」
「なら、任せた。」
無表情のまま短く告げ、踵を返して去る姿には、副団長を信頼している様子がうかがえる。
ピンと伸びた背中には、ぶれることのない体幹に支えられた誇りが見える。
誰もがその姿に息をのみ、言葉を失う。
アナスタシア・マーベル――第三騎士団長、女性初の騎士団長だ。
その後ろ姿が、訓練場から見えなくなると、その場にいた騎士たちから盛大なため息がこぼれる。
安堵の空気が一斉に広がり、そこにいた誰もが脱力した。
「お前らなぁ、団長が来るのがわかってて喧嘩始めるとか、馬鹿なのか?」
「それはこいつが、」
「お前が、」
まるで子供が罪の擦り付け合いをするように、揉めていた二人が競って言い訳を始める。
「まぁ、理由はどうでもいい。」
ピシャリと言い切る。
「訓練場で私闘は禁じられている。わかってるよな?」
カインのおっとりとした雰囲気が、一瞬で消える。
その殺気に、争っていた二人が言葉を失う。
「これより四週間、訓練時間の前後に一時間ずつ、整備と片づけの任務を任せる。」
「はっ!」
「それと、訓練はみんなの倍な。」
「えっ!?」
二人が同時に、驚きの表情でカインを見る。
いたずらが成功した子供のように、カインが笑う。
「団長に直談判するか?」
また、二人が同時に顔色を変える。
「問題ありません!」
「よし、解散。」
両手をパンッと叩き、訓練終了を告げた。
***
「訓練時間を倍にし、四週間の整備と片づけを命じておきました。」
「ま、妥当だろう。」
手元の書類を手早くさばきながら、訓練場から戻って報告をするカインにアナスタシアが頷く。
「あの二人は些細なことでぶつかることが多い。遠征前に問題は解消しておく必要がある。」
「そうですね。」
「我々の任務において、信用できない者を仲間に持つということは"死"を意味する。」
「早急に対処します。」
「頼りにしている。」
まとめた書類をカインに手渡し、アナスタシアが大きく深呼吸する。
「どうかしましたか?」
「いや、いつもありがとう。」
窓辺から僅かに差し込んだ光が、柔らかい微笑みを照らす。
二人の間に風が揺れる。
時間にしたらほんの一瞬だろう。
二人を包む雰囲気が変わる直前、アナスタシアが視線を逸らす。
「カインのフォローがなければ、第三騎士団はバラバラだな。」
アナスタシアに自嘲気味の笑みがこぼれる。
「それはないと思いますよ。」
受け取った書類を確認して一礼すると、カインが退室した。
はぁ……
扉が閉まったことを確認して、アナスタシアが部屋中に響くような大きなため息をつく。
「いい加減に慣れなければと思うのだが。」
頭を抱える。
「カインを前にすると、どうしてこう思うようにならないんだ。」
ドクドクと高鳴る鼓動が胸の奥を締めつける。
団長に任命され、カインが副団長となってから結構経つというのに、"自然なふるまい"というのがよくわからない。
目を合わせると鼓動が速くなり、話そうとするとうまく言葉が出てこない。
「指令なら問題ないし、討伐中に不便はない。でも……。」
戦場では、誰より冷静でいられると、そう自負している。
「それなのに、彼の前では落ち着かない。何故だ?」
討伐から戻ると、途端に不便な事態に陥る。
自分の行動が不可解でならない。
かといって、相談できる誰かがいるわけでもない。
どうにもならず、この状況に甘んじているのだ。
「今まで、たいていのことはカインに相談してきた。」
ポツリとつぶやいて窓の外を見る。
「でも、カインに相談できないことは、どうすればいいんだ。」
気持ちの行き場がない。
名前をつけてしまえば、この戸惑いは消える気がした。
けれど同時に、名前をつければ、それが自分を縛る"何か"に変わってしまう気もした。
「情けない。」
風に揺れる色とりどりの花が見えた。
誰に聞かせるわけでもないその言葉は、静かな風に溶けて、遠くへ消えていった。
アナスタシアに迷いはない……はずだった。
『守りたいもののために剣を持つ』
固く誓ったその想いが揺るぐ日がくるとは――想像すらしていなかった。
試練は容赦なくやってくる。
折れないはずの心も、戦場で負けないはずの強さも――運命はあざ笑うようにアナスタシアを待っていたのだ。




