第1話:ライアット
僕の名はライアット。
名前は産みの親がつけたらしいが、実際のところ僕はその“母親”とやらの顔は憶えていなかった。
というのも僕は捨て子だ。
捨て子とはどうも普通の存在じゃないらしい。そのことを僕が知ったのは割と最近のことだ。普通の子供というのはどうも父親と母親がいて、その二人に愛されつつ護られながら成長するものらしい。そして僕はそうじゃない。
まぁ、でもそれが不幸かというと、そういう訳でもないとも思っている。
不幸中の幸いというか、捨てる神あれば拾う神あるというか……まぁとにかく孤児院に引き取られた。それが何時からかは分からない。気づいた時にはそこにいた――って感じだ。よくよく考えて見れば野垂れ死んでいた結末もあった訳だから、僕はラッキーと言えなくもないのかも?
孤児院での生活は……まぁ普通かな?
……。
ごめん嘘ついた。やっぱ結構キツかった。パンの量も質も低いし肉なんて三日に一度出ればいい方だ。孤児院では一切の贅沢が許されなかった。
でもそれも仕方ない。別にシスターが意地悪でそうしているわけでないことぐらい僕でもわかる。
寄付金で運営されている孤児院に贅沢できる金なんてある訳がない。
だから一般的な家庭の子供よりは栄養も娯楽もまるで足りないレベルなのは間違いなかったが、そのことで責めるつもりなんて毛頭ない。さっきも言ったが孤児院が無かったらとうの昔に野垂れ死んでいたと思うし。
でもやっぱり不満はある。
孤児院はいつも金欠で、孤児なんていつの時代も沢山いる。
つまり子供が独り立ちできる年齢になったのであればすぐに追い出されるのだ。
その年齢はなんと13歳。
何故13歳なのかというと、特に確固とした理由がある訳でもないようだ。ただ単に財政状況から逆算しただけの数字にしか過ぎないのだろう。
人数が多ければそれだけ分ける食べ物は少なくなるし、成長すれば食べる量も多くなる。
だからギリギリ働ける年齢である13歳になったら追い出すのが孤児院における明文化されていない規則だ。
孤児院やシスターに文句がある訳ではないけども、やっぱり13歳になった瞬間に追い出されるのは辛いものがあった。
僕が温かな孤児院から追い出された時に、同じ年齢の子供といえば、未だに親の庇護のもとヌクヌクと遊んでいるのだから。
理屈ではなく、感情的な部分でどうしようもなかった。
結局はどれだけ大人になろうとしてもまだ13歳の子供なのだ僕って奴は。
実に理不尽である。運命を憎むなと言われても無理な話だ。
……まぁ、憎んだところで何も変わらないよな、うん。とにかく生きなくちゃ。
とにもかくにも孤児院を13歳で追い出された以上、僕は自分で生活費を稼いでいかなければならない。
しかし、13歳で出来る仕事なんてほとんどないのが現実。
伝手もない、それどころか知識も、技術も、体力もない。運が無いのは言うまでもない。
そんな僕ができる仕事があるとしたら誰もやりたがらない仕事だけだった。
そう、だから僕は『ハンター』になった。
――◇◇◇――
巨大蟻――『ジャイアントアント』との戦闘は続いていた。
僕は剣を構えながらジャイアントアントを睨みつけていた。
ジャイアントアントが上体を起こし僕を威嚇してくる。
『ガチガチガチガチ』
その鋭い大顎を打ち鳴らしながら――
「うっ……!」
そのあまりの威圧感にたまらず情けない声を漏らす。
間違って挟まれでもしたら……なんて考えたくもない。
即死できれば良い方で、悪くて四肢の欠損だ。
僕はあまり生きたいなんて思うタチではないつもりだったが、こうして生死の境に立ってみると強く生存本能が刺激された。
今すぐ背を向けてこの強大で恐ろしい敵から逃げ出したくなる。いや、そんなことをすればすぐにも死の未来が確定する……だからどんなに怖くともこの敵を正面に視界に入れ続けるしかない。
『――キシャァアッッ!!!!!!』
僕のそんな内心の弱気を読み取ったのか、突然襲い掛かるジャイアントアント。
普通の蟻ならあり得ないスピード、しかも人間の大人程の大きさがあるジャイアントアントの突進は見ているだけでチビりそうなほどである。
「うわぁあああッ!!!」
更に情けない声をあげつつも、ちょっとチビりつつ、年齢相応に小さい両の手で確かに振るったその剣。
――ズバッッ!!!!
流石に蟻の外殻よりは硬いのが鋼鉄らしい。
型も、力の使い方も、へったくれもない、そんな風に余りにも雑に無思慮に叩きつけられた剣だが、それでも最低限の役割というのは理解していた。
力の限り、蟻の正面にぶち込まれた鉄の塊は蟻を容易く斬り裂いた。すぐに緑色の血しぶきが噴水のように飛び散る。
『――キュリィイイイッ!!』
――断末魔。
ガラスに爪をひっかいたような耳障りな叫び声を上げながら地に倒れ伏すジャイアントアント。
「はぁ、はぁ、はぁ……勝った……のか?」
一瞬覚えた恐怖に比べ、あまりにもあっけない勝利に認識が追い付かない。現実感が無い。
……本当に、僕が一人でこの蟻を……? ……嘘じゃないのか??
なんて思う。
「お、倒したか。そいつが最後だぞ」
パン屋が残りを教えるかのように気安い言葉。
シルヴィアさんのその言葉にようやく認識が追い付く。既に僕は敵を倒し死地を脱していたということに――
それからようやくほっと一息ついた。両手で握っている剣が今更ながらカタカタと震え始めた。
「はは……っ」
何の笑いだ。
初めてモンスターを倒した喜び? それとも視線を超えた安堵感? 他の動物の生命を奪った実感? あるいはそれを奪った罪深さへの自嘲……?
どれも正しいようで、どれも間違っているような気がする……
確かなのは僕という存在が、今もなんとか生きているということだけ。
「男前になったなライアット」
「……へっ??」
いやいや、急に何を言い出すんだ……モテ期?『視線をくぐった男はかっこよくなる』とかそういうこと???
「ライアット、頬を触ってみろ」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている僕に、シルヴィアさんはそう言った。
その様子をみると、僕に惚れてるようになんて見えない……いや、そんなことは当然だ。そんなことは微塵も、金輪際、永遠にない。それくらいのことは最初から分かってる。
僕はシルヴィアさんの弟子だ。言われたことには従わなければならない訳で、僕はその言葉通り恐る恐る右頬を触る。
――ヌルっ。
液体に触れる感触。てっきり蟻の体液かと思ったが、手のひらを目の前に翳すとすぐにその勘違いに気づく――
「うわぁ……」
それは真っ赤だった。秋の楓の紅葉よりも鮮やかで、地平線に沈む夕日よりも深かった。
ジャイアントアントの体液は緑色のはずで、それが赤いということは……
まぁ、なんてことはない。僕の血だ。
どうやら自分でも気づかないうちに頬を斬られていたらしい。少しでも位置がズレていたら今頃は物言わぬ屍になっていたかと思うと心臓がキュッとした。
そして、気づいてしまえば途端にひりひりとした痛みを頬に覚える。我ながら単純である。
「ど、どうすれば……?」
薬草やポーションでも貰えないかと内心思う僕。……いや、だってこの傷結構深い。
しかしシルヴィアさんから帰ってきた言葉は実に非情なものであった。
「よかったな、ハンターとしてハクがつくぞ」
「そ、そうっすか……」
シルヴィアさんの言葉に軽い失望を覚えつつ呟く。
ポーションくらいくれてもいいのにな……などと思う。
いや、それは甘えた考えなのかもしれない。ポーションなんて幾らするのかすらわからない。もしかしたら滅茶苦茶高い代物かもしれない以上、弟子の分際で要求するのは憚られる。
それから僕は周囲の様子を見回した。
地面には夥しい蟻の死骸が転がっていた。
そのほとんど――というか今の一匹以外――はシルヴィアさんの手によるものだ。
ぶっちゃけ何度も死ぬかと思った。剣をまともに振ったのは最後だけで、後はビビりながら剣を構えながらへっぴり腰で突っ立ってただけだ。
何の説明もなく連れてこられ、怪我をしても治してもらえない……
一人で生きていく自信が完全になくなった僕だった。
……これからこの人の下でやっていけるんだろうか?
地上に散乱する蟻の死骸に少し同情しつつそう思う僕だった。