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雛壇生活

作者: 墨田ゆう

 雛壇生活をしております。雛壇生活というのは、七段飾りの骨格下で暮らすことを言います。しゃぐらいのでスマートフォンの明かりが欠かせません。だいたいインスタグラムを見て過ごしています。


♯髪質改善 ♯十月のお客様


 わたしにつけられたハッシュタグでした。二週間前、美容院に行ったときに後ろ姿や横の写真を撮られたので、ビフォーアフターがインスタグラムにあがったのでした。わたしは許可なく写真を載せられたことに頭をかきむしりたかったけれど、髪を洗っていないことに気づいて止め、ため息をはきました。

 写真のなかのわたしは、とにかく青白い肌をして、髪の毛はうねってぼさぼさしており、とてもじゃないけど写真を撮られるような服を着ていませんでした。服なんて中学を卒業してから買っていません。必要ないからです。

 母が寝る十時になったので、スマートフォンの明かりを頼りに雛壇下から出て、二階へ行きました。夜は母の寝顔を見るのが日課なのです。わたしは、母とわたしの部屋としてあてがわれている四畳半のふすまを開け、からだをすべりこませました。母は寝つきがよいのでいつもよく寝ていました。今日もわたしは母の枕元でこう言います。

「ママ、りょぉしたろうか。りょぉしていっしょに死のっか」

 りょぉするというのは生き物をさばくという意味です。祖母がひんぱんに使っていることばなので覚えました。

 わたしが一家心中したいと思うようになったのは、雛壇生活がはじまった半年前のことでした。眠れない日々が続いていました。わたしは横で寝ている母を見ているうちに、いっしょに死ねたらいいなとか、殺してしまえたらいいのにと考えが支配されるようになり、家に火を放ってそこで死にたいとも願うようになりました。正しいとか悪いとか、愛とか憎しみでもありません。最初は、わたしのからだだけ殺したく、魂をのこして死にたく、でも死んだらわたしのからだはどこで眠るのだろうと、それだけがこころのなかで有るのです。からだだけがジャマで、からだだけが耐えられないほど痛いのです。

 むかしのわたしが、むかしといっても小学生くらいのちいさなわたしが、影になって背中におばれて、わたしはいつだって苦しいのでした。

 彼女はいつも話しかけてくるし、問いかけてきます。正面にきて、わたしだけ生きていてずるいと言ってきます。幸せになるのはずるいよと駄々をこねます。でも彼女だけがそばにいてくれるのです。わたしは、わたしのなかでよかった記憶と、彼女がつきつけてくる記憶をてんびんにかけると、彼女が勝って、けれど彼女は笑いもしないしなにも言わなくなるのでした。

 わたしは理解しているつもりです。母と死にたいこと、またはわたしが死ぬこと、さらにつけ加えるならばこの半年間、通信制高校に通えていないので休学していることも。

わたしは、ふつうに高校に行ってふつうの生活をしている子と違う人生になってしまうことに虚しくなりました。


 ♯高校 ♯文化祭

 ♯よりみち ♯カラオケ

 ♯球技大会……


 頭のなかはハッシュタグでいっぱいです。呼吸が荒くなり、スマートフォンを畳にたたきつけたくなりましたがやめました。かわりに、なぜか精神科で処方された睡眠薬のシートをにぎりしめていました。なんの感情もありませんでした。無。それだけでした。シートからひとつずつ薬を出しては口にふくみ、寝室に置いてあった備蓄用の天然水を箱からとり出して、二リットルのペットボトルのはんぶんを飲みました。

 不思議なことに達成感があらわれたのです。わたしはこの気持ちのまま眠ろうと一階にある床の間にもどりました。祖母に見つからないように。二月からかたづけていない雛壇のことを言われたらたまらないからです。わたしの家は雛壇にあるのですから。わたしは雛壇の下にもぐると、うすい毛布にくるまって横になりました。


 翌日の正午、目を覚ますとおなかと腰に痛みがありました。頭から血がぬけて冷たくなっていくような気分の悪さもあり、わたしはトイレに行くために雛壇から這い出て、けれどまっすぐに歩けませんでした。急な吐き気にえずきましたが、なにも喉から出ませんでした。なんとかトイレまで壁つたいに歩いて、トイレのとびらを開け便座に座りほっと息をつきました。その様子を見ていた専業主婦の母がトイレまで来ました。

「どうしてそんなになっちゃってるの」

「薬をいっぱい飲んだから」

 わたしは隠さずに言いました。

「なにやってるの!」

 母は叫ぶと、台所のごみ箱を確かめに行ったようでした。わたしはといえば、母を動揺させた事実に嬉しさをかんじながらおしっこをして、トイレを流して、また壁つたいに歩いて床の間にもどりました。雛飾りをじっと見つめました。むかし、赤いじゅうたんに映えるような緑色の着物を着て写真を撮ったことを思い出し、あの頃のわたしとインスタグラムのなかのわたしはどう違うのだろうと頭のなかで比べました。

「今から先生に電話して、どうしたらいいか聞くからね!」

 母は固定電話から精神科へ電話をしました。わたしの過敏な耳は母の声を大きく響かせるので、両手で耳をふさぎました。母の電話が終わるまで雛壇の前で待ちました。じぶんでやったこととはいえ、からだの調子が悪くてたまらなかったからです。

「先生に聞いたら甘いジュースとか飲ませて安静にしてだって」

 母の顔は、先生に電話したことで安心しているようでした。わたしはおもしろくありませんでしたから、話を聞いているのかいないのかわからない態度をしましたが、母にうながされるまま冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲みました。母はわたしがジュースを飲み終えると、昼食の焼きそばを食べはじめました。母はもうわたしを見ていないということがつらくなり、泣きそうになりましたが泣きませんでした。わたしは雛壇の下にもぐりこみ、夕方まで眠りました。


 祖母がデイサービスから帰って来ました。玄関が開く音と介護士さんの話声でわたしは起きました。祖母はふすまを開けて床の間に入ってきたようでした。

「おい、おるんだろう」

 わたしは返事をしませんでした。

「しゃぐらいとこにおって、幽霊みたいな子どもやな」

これはいつものことでした。

「はよ学校行け」

 これもいつものことでした。

「わしだってデイサービス行っとるのに、おまえは家の恥さらしや。ご飯なんかやらんからな。もう出てこんでいいからな。え? それかもうわしと死ぬか! 今から包丁持ってくるから」

 この騒ぎを聞きつけた介護士さんが、廊下で祖母の怒りをなだめているのが聞こえました。

「離さんか!」

「だいじょうぶですから、おちついてください」

「だいじょうぶなもんかね! 学校も行かすと雛壇の下にひきこもって、あんなの見たことあらせん。うちの血筋じゃないわ。あんたみたいな嫁の子やで、ああいうんが生まれたんだわ。わしがまたぶったたいて正気にもどさんと、この家がおかしなる」

 祖母はひときしり騒いだあと泣いているような、甘えているような声で介護士さんを困らせていました。母の声がいっさいしないことに、わたしは腹の底が猛烈に燃えていました。こういうときの母は黙りこんでおろおろしているばかりなのがかんたんに想像でき、わたしは目玉が飛び出るくらいに目を開いて、怒りが目を通して逃げていってくれるまで待ちました。

 介護士さんが帰り、母が祖母に夕食を食べさせる頃になると家のなかは静かになりました。わたしは昼食も食べておらずおなかがすいていましたが、いっしょに食卓を囲むことは許されていないので、母からおにぎりをもらって廊下に座り食べました。風呂は男性より先に入浴してはいけないので、父が帰ってくるまで待つことが決まっていました。

 入浴までの時間に、うさぎの世話をします。床の間のとなりの部屋は洋室で、そこにケージを置いてうさぎを飼っています。ケージを開けてうさぎを出してやると、ケージを開けたままにしました。うさぎは賢いのでおしっこのときはケージにもどってするのです。しないときもありますが。また、水を飲みにくることもありますから。

 うさぎは狭いところが好きなのか、本棚のすき間に入りたがって、鼻先をほこりまみれになっているのをわたしは笑ってやるのでした。今日はうっかり床の間に通じるとびらをきちんと閉めていなかったので、うさぎはとびらのすき間をいきいきと通りぬけていきました。わたしはうさぎに続いて床の間に行き、コロコロしたうさぎのうんちを拾っていると、やがてうさぎは雛壇の下に入りこみました。雛壇のなかには毛布とスマートフォンがありますから、それらを避難させるために雛壇にもぐり、すぐに出て、雛壇の一段目に毛布をのせました。

うさぎは雛壇を一周し終えて、鼻先でわたしのおしりをつつきました。それからうさぎは雛壇に入っていくのでした。おなじことのくり返しに、これは堂々巡りというのかと実感しました。何度も何度も雛壇の下に入っては出てをくり返しているだけの生活を、わたしはしているのですから。しかし止めることはできませんでした。わたしはスマートフォンをにぎって雛壇の下に入りました。うさぎは動きを止めて、まるでわたしを待っているかのように正面から見ていました。

わたしは薬の影響かなんなのか、横になりたくなったのでうさぎをふまないように横になりました。うさぎは床板に置いてある生け花の器から水を飲んでいました。器にはなにも生けてありません。わたしは水を飲ませてもよいのかすこし考えましたが、水道水なのでよいかとほかっておきました。

横になったまま上を向くと骨組みが見えました。わたしは、今もし立ち上がったらどうなるのかしらと思いつきましたが、それはまだ早いことでした。スマートフォンの電源を押して、インスタグラムのアプリを開きました。



 三か月前から通っている精神科の医師から、いちど入院したほうがいいと言われています。母は入院しなくてもと言いましたが、わたしは医師にうなずきました。医師は単科精神科病院に紹介状を書いてくれました。それが二か月前のことでした。

 今日、十月二十日。わたしと母は紹介状を持ってはじめて単科精神科に来ました。わたしはマスクをしてから病院に入りました。ふつうの病院と変わらないのですが、とにかく看護師さんの姿を見かけませんでした。

 わたしたちは受付へ行き保険証を窓口に出してからバインダーを受けとって椅子に座りました。住所、氏名などの個人情報を書いたあと、かんたんなチェックシートにレ点をうっていきます。眠れているか、食べているかなどの質問に、いいえにチェックをうちました。

 書き終えると事務員さんから診察券をもらい、機械にさしてからモニターに表示された予約のボタンを押しました。診察室前の椅子に座って待っていると、わたしたちの番が来ました。男性の医師はまっ白なとびらを開け、次のかたはどうぞと言いました。

「まずはお子さんの雪子さんからお話ししようね」

 医師はわたしだけを診察室にまねきました。母はわたしの手に紹介状を持たせました。

 医師は診察室の椅子に座ると、さっそく紹介状を開きました。わたしは立ったまま医師を見ていました。マスクをしているから医師の顔色がわからないことが不安でした。

「通信制行ってるんだね。うちの患者さんにもいるよ」

「休学してます」

「所属していればそれでいいんだよ」

 医師の声は朗らかでした。

立ったままわたしは話を続けました。電車に乗るのが怖くて通学できないこと、通学できても教室に入れないから帰ってきてしまうこと。夜、大量の睡眠薬を飲んでしまったこと。けれども、わたしは死にたいんです、できれば母と死にたいんですとは言えませんでした。わたしはこの重大な事柄を胸のなかに抱きしめて離したくありませんでした。誰にも暴かれたくありませんでした。懺悔しなければいけないのにできない罪悪感から涙が出ました。

「泣いちゃうね。入院して休もうか」

 わたしはうなずきました。といっても今すぐ入院できるわけではないそうで、入院日はきりのいい十一月一日からになりました。

「お母さん、呼んできてくれるかな」

 予定を伝えるために、わたしは母を診察室に呼びました。母はすぐに立ちあがると診察室に入っていきました。わたしもうしろに続きます。

「雪子さんですがね、入院して休もうかという話をさせてもらいました。任意入院ですから本人が退院したいときに退院できます。でも最低でも一週間はいていただけるとよろしいですね」

 わたしは、まぁ一週間なら耐えられるかもしれないというよくわからない確信をしました。

「どうかよろしくお願いします」

 母は医師に頭を下げました。わたしたち親子は診察室から出て、とびらを閉めるまで何度か頭を下げ続けました。

「先生、優しいかんじだったね」

 わたしはちいさい声を出しました。

「あの先生なら任せられる」

母も謎の確信を得たようで、うんうんとうなずいていました。

 受付で会計をしたあとは昼食をとりました。売店でサンドイッチを買ってもらい、外にあるベンチにふたりで座って食べながら、入院について母と話しました。わたしは受付でもらった入院についての用紙を母と見ました。

「持ち物のことだけど、ふつうの病院とおなじようなものを持っていけばいいのかな」

「いいでしょうよ」

「でも、カミソリとか紐は禁止だって」

「なんかあると危ないから……」

 母は声をひそめて言いました。

「さっきの見たあ? 売店で、患者みたいな人がお菓子をカゴいっぱいに買っとって、看護婦に止められとったけど」

「看護婦じゃなくて看護師だよ」

「あと待合室でひとりしゃべっとる人がいて」

「ママはなにを言いたいん」

「心配しとるの。あんな人たちと一週間もいっしょにいて、雪ちゃんがもっとおかしくなっちゃったらって」

「おかしくってなにい」

 わたしは声を荒げました。

「そういうかんじのことだがあ」

「ようするに、わたしに入院してほしくないんだ。おばあちゃんやお父さんにどう言ったらいいかわからんのでしょう」

「やめやあ、外だから」

「誰もおらんからいいでしょお!」

「警備員に見つかったらどうするの」

「警備員なんてなにも注意しないって。ここはすこし変なのがいても誰も気にしない場所なんだから」

 わたしは言いきりました。母の顔を視界に入れないように、サンドイッチの入っていた袋をわしづかむと、院内にもどり、ごみ箱に袋を投げ捨てました。

 母を置いて病院を出ると、院外薬局まで歩くことにしました。薬のもらいかたはわかっているのですから、ひとりでもどうってことないのです。それにこうしたやりとり――言い合いをして飛び出していくことははじめてではありませんでした。

 道にはハナミズキが植わっていて紅葉していました。見上げると赤い実も生っていました。わたしは赤色になりたいと思いました。赤色には価値があるからです。血の色だから。いのちの色だから。

 わたしは赤色を見ていると頭のなかが静かになっていく気がしてずっと見ていました。すると母がとなりを横切っていきました。院外薬局に入っていくのが見えました。わたしは、トートバッグに処方箋が入っていないことに気づきました。

 母のうしろを追って薬局に入りました。母は処方箋と保険証を窓口に出していました。わたしはしかたなく椅子に座りました。こういうときの母は、わたしのとなりに座ってくれません。予想どおり母は、わたしから離れた椅子に座りました。きっと帰りの電車でもこういったふうなのだろうと面倒になりました。

 十分くらい待つと、相田雪子さんと呼ばれました。わたしたち親子は同時に立ちました。ふたりで窓口まで行き薬剤師さんの話を聞きます。

「こちらは不安をかんじたとき服用する薬になります。もうひとつは夜眠れないときに服用するものになります」

 母は会計をして薬を受けとると明るい声で、どうもありがとう、この場にしては元気すぎるあいさつをしました。

 わたしたちは外に出て、地下鉄の出入口まで歩きました。階段を降りてマナカで改札をぬけ、タイミングよく来た電車に乗りこみました。母はというと、ひとつだけ空いた席にわたしを座らせようとしました。

「いいよ」

「いいよじゃないの」

 わたしも母も意地でも座ろうとしませんでした。結局大きな駅に到着するまでこの席に座る人はいませんでした。ひとつだけ空いている、ということにみんななにかしらかんじることがあるのでした。

 家の最寄り駅で降り、地上に行きました。家に帰るのが憂鬱で、わたしはわたしを背後にしまっておかなければいけませんでした。安全な場所はそこしかないからです。元よりわたしは家のなかに有っても無くてもおなじものなのです。だってわたしは男の子じゃないからです。

 帰宅してすぐに雛壇にもぐりこんだとき、祖母もデイサービスから帰ってきました。今日の機嫌はよさそうです。デイサービスでぬり絵をしたという声が、雛壇のなかにまで聞こえてきました。わたしは祖母が夕食を食べているあいだに廊下でおにぎりを食べ、うさぎの世話をしました。

 父が帰ってきました。母は廊下を静かに歩いていきました。

「雪子ね、入院するんだって」

 父はやや考えてから、そうなのかとわたしに問いました。わたしはうなずきました。

「ほんとうにするのか? 家にいていいのに……」

 父はとまどっていました。わたしは父の声を聞くと、入院したい気持ちが強くなりました。

 


 さて、入院準備ですが旅行用のバッグを持っておらず、買いに行く体力がないので通販をしました。ボストンバッグは注文から三日後に届きました。段ボールを開封し商品を確かめてから、着がえやタオルを入れました。シャンプーはボトルのまま持っていくことにしました。病棟ではビニール袋を持ちこむことができないので、紙袋に入れました。わたしは、これなら長く入院してもよさそうだと心算しました。

 入院当日、祖母がデイサービスに行ったあと、わたしと母は病院へ行きました。診察室で再び医師と会いました。

「緊張してる? 病棟は割合おちついてる階だからね。みんな優しいからね」

「先生の顔がわかりません」

 わたしは言いました。医師はマスクをとってくれました。整えられた髭があり、唇は笑みを形つくっていました。わたしは安心しました。

「コロナウイルスがあるからどうしてもね。病棟でもマスクはできるだけしてね」

「はい」

 医師は机に入院同意書を置きました。

「ここに名前を書いてください。病棟は、ほんらいは解放病棟なんだけど、これもコロナウイルスの関係で閉鎖病棟とおなじになります。それに同意する書類だよ」

 それって、嫌だとしても同意しなければ入院できないやつなのでは――と疑いをもちましたが、わたしは素直にボールペンをにぎり相田雪子とサインしたのでした。

 書類を整えたあとは体温を測りました。平熱でした。

 医師は手袋をしはじめました。コロナウイルスの検査をするためです。医師はわたしの鼻に綿棒を入れ、鼻の奥をこすりました。それはもう痛いものでした。綿棒はプラスチック製の試験管に入れ看護師さんに手わたされました。わたしたち親子はコロナウイルスの検査結果が出るまで個室でまちました。二十分後に陰性を告げられ、わたしは病棟にむかうことになりました。母と医師は会釈をしました。

 わたしはボストンバッグを持って医師の背中について行きエレベーターに乗ったあと、医師のカードキーで病棟に入りました。広い食堂がありました。他の患者さんがいることにわたしはすでに圧倒されてしまいました。ガラスばりのナースステーションでは看護師さんがパソコンを見ていたり、電話していたりと働いていました。

「ぼくはこれでもどるから、なにかあったら看護師に伝えて」

 わたしと医師は別れました。担当の看護師さんに危険物を持ちこんでいないか荷物チェックを受けたあと、病室である大部屋にむかう途中、老若男女に見られている視線にいたたまれなさをかんじ、荷物を病室のロッカーにしまってからは疲れたのでベッドに横になりました。ぼんやりとした蛍光灯の明かりがまぶしくて、痛くて、涙が出てきました。

「カーテン、閉めていいんですよ」

 となりの患者さんが言いました。わたしは、そんな簡単なこともわからなくなっていたことに恥ずかしくなりました。カーテンを閉めてからベッドに転がるように横になりました。深呼吸をしました。足が冷えていくのでわかります、これは夜が来ようとしていると。足の指を動かしても血が通っている気がしませんでした。

 どこからどのようにして鳴っているのかわからない風の音が……ヒュー……ヒュー……と聞こえます。まるで怪獣の腹のなかにいて消化されるのを待っている気分になり、それはとんでもないことに思え、さらに涙が止まらなくなりました。

 カーテンのすき間から看護師さんが見えました。

「相田さん、夕食の時間だから来てほしいな」

 わたしはからだを起こし食堂へ行きました。他の患者さんは数えるほどしかおらず席は空いていました。わたしは食べられそうな量を食べすぐに下膳しました。いっこくも早く歯を磨き、母と話がしたかったのです。しかしスマートフォンは使用禁止だったので、おこづかいカードを使い病棟の電話ボックスを使用させてもらう必要がありました。みんな考えることはおなじで、電話ボックスのまえには列ができていました。

 わたしは電話することを諦め、洗面所で歯を磨きました。歯を磨いているとき窓の外を見ようとしましたが、ガラスが鏡のようになってわたしの顔を映し出しました。わたしはわたしと目があうことにしっかりとおびえました。呼吸が荒くなり、口をゆすぐ頬が過剰にふるえたので歯ブラシを持ったままナースステーションに行きました。

「あの、薬をください」

「わかりました。ちょっと待ってね」

 看護師さんのダブルチェックが終わったら、本人確認で相田雪子と名乗りました。薬をもらい水なしで飲みこんだら看護師さんに大丈夫かと声をかけられたのであいまいに笑っておきました。

 呼吸がおちついてきてからだに血が巡っているかんじがしました。二十一時になると睡眠薬をもらいにナースステーションへ行き、めずらしいことにすぐ就寝できました。


 環境を変えるということはつまり、からだを置いておく箱を変えるという意味だと体験しました。わたしは翌朝六時きっかりに目が覚めると朝食を食べに食堂へ行き、歯を磨いたあと入浴の準備をしました。浴場の出入口には列ができていたので最後尾にならんで待ちました。

 脱衣所には五人いました。たいへん混んでいましたが患者さんのあいだに割りこんで服をぬぎカゴに入れてから浴場に入場しました。いちばん手前にあったシャワーで髪を洗ったあとからだを洗い、浴場から出ました。からだをふいて服を着たら髪をドライヤーで乾かして、病室へもどる、その途中でした。食堂のすみにある本棚のまえにわたしと年齢の変わらない女の子が立っていました。本のならびが気になるようで位置を入れ変えていました。手洗い場では二十代くらいの男性がしきりに手を洗っていました。長い髪を後ろでひとつにした姿はまるで武士のようでした。わたしは興奮していました。ここにいる人たちは自由だと思ったからです。気がすむまでじぶんを正そうとする姿はこの病棟のなかでやっていい動作なのです。わたしは胸が高鳴るまま病室にもどりました。

 病室で水を飲みながら一服していると、電子ピアノの音がしてきました。食堂で作業療法がおこなわれているようです。わたしは耳をふさぎ目を閉じました。遠くで患者さんたちが歌っている声が聞こえます。中学生だった頃も、学校のざわめきが苦手だったことを思い出しました。耳をふさいでいる手のひらを、強くおしつけました。

 わたしはここでうまくやっていけるのだろうか?

わたしはこれからどうなるのだろうか?

わたしは……わたしは家に帰ることができるのだろうか……考えると気が虚ろになって、現実感がうすれていくのでした。わたしは周りにうまくあわせられない情けなさに涙が出ました。

とにかく、他の患者さんの名前を覚えようとしました。ここでは薬をもらうときにみんな名前を名乗るのですから、わたしは機会を逃さないようにしようとしました。わたしってストーカーみたい、でもしょうがないじゃない、家に帰れないんだからとじぶんを奮い立たせました。男性は怖かったので、食堂では女性の近くに座って、聞こえてくる名前を覚えて顔と名前を一致させることに執着しました。



 三日後、夕食前のことでした。その時のわたしは、夜の怪獣の鳴き声に慣れてきて、食堂のすみにある本棚から本を借りて読んでいました。看護師さんが息を切らして病室のとびらを開けました。

「今からコロナウイルスの検査をするので病室から出ないでください」

 看護師さんは言い終えると、次の病室へも伝えに行ったようでした。同じことばが廊下に響いていました。

「なに? どゆこと?」

 となりの患者さん――柏木さんが言いました。彼女はCDプレイヤ―を持ったまま病室のまえに立っていました。わたしも外――いえ、廊下のようすが気になったのでおなじようにとびらのまえに行きました。

「あたしのむかえのベッドにいたはずのおばあちゃん、今朝から帰ってきてないんだ。もしかしてコロナかもしれない。あたしたちって濃厚接触者になるわけだ。というかトイレも行っちゃいけないみたい。見て、廊下に誰もいない。あたしたちみんな病室に閉じこめられてる」

「閉じこめ……」

「まあ、壁のなかにもともと閉じこめられてるから変わりないけど」

 柏木さんはみょうにさわやかな声でした。

「いや、トイレには行かせてもらいたい」

 四人部屋のもうひとりの患者さん、松川さんがカーテンを勢いよく開けはなち言いました。

「まさかこんなことになるなんて」

 わたしたち三人は顔を見あわせると、緊張感から黙りこんでしまいました。これからわたしたちはどうなるのか、それは看護師さんや医師、その上のもっと偉い人たちが決めることになるのです。

 コンコンコン

 病室のとびらがノックされました。さきほどとは違う看護師さんが決め事を伝えに来ました。

「今からコロナウイルスの検査をします。もしコロナだった場合は別の病棟に移ってもらいます。陰性だったかたは残ってもらいますが、この病棟の全員が濃厚接触者になるので、これ以上感染が広がらないようにします。食事は病室で摂り、入浴はひとりずつ、洗面所も混まないように各自時間をずらしてください。それではひとりずつ検査をしていきます」

 三日前にしたばかりなのに、とわたしはマスクの下で唇をゆがめました。もし陽性だったらと考えるだけで頭の奥がしびれてきました。同室のおばあさんの荷物はビニール袋に入れられ厳重にガムテープで固定し移動されていったのでした。わたしの肉体もおなじように菌扱いされるとなると困ります。

 幸い三人とも陰性の知らせが届きました。わたしたちは喜び、ちいさなため息がもれました。松川さんは六十歳以上なので、念のため個室に移動して一週間を過ごすことになりました。

 翌日、わたしと松川さんははじめてお話しました。トイレでの出来事でした。

「よっ、元気?」

 松川さんは声こそ元気でしたが、目にちからがありませんでした。

「やっぱりさ、部屋から出られないってつらいよね。わたしなんてマグロになってる」

「マグロ?」

「そう。マグロみたいに休まず足を動かしてる。部屋をあっちこっちと歩き回ってるの」

 わたしは想像して、すこしだけ笑ってしまいました。トイレでお話していたのは数分でしたが、看護師さんに見つかり解散しなさいと言われてしまいました。松川さんは素直にはいはいと返事をしましたが、看護師さんが去ったあと、おしゃべりくらいしてもいいでしょーがっと言って、その言いかたがおもしろおかしくて、わたしはまた笑いました。

「あと六日がんばろーねっ」

 わたしは松川さんに会釈をして病室にもどり、入浴の準備をしました。入浴と言ってもシャワー浴です。入浴時間は着がえをふくめて十分と決められているので、時間との闘いです。わたしはじぶんの出せるスピードのなかのいちばんの瞬発力を使って服をぬぎ、カゴに入れ、浴場に入場しました。これはスポーツなのだとじぶんに言いきかせました。どれだけ早く髪の毛を洗い、からだを洗い、泡を流して、壁や床の泡もきれいに流し終えられるかを競うのです。しかし、いつも看護師さんがあと残り三分ですと知らせに浴場に入ってくるので失敗に終わるのでした。他人に裸を見られてはおしまいにする他ありません。わたしはなんだかやる気をなくして、けれども次に入浴する人のためにも手早く服を着て、廊下に出ました。

 隔離生活でよかったことは病室で食事ができることでした。食堂では見守りの看護師さんの目が怖くてうまく喉を通らなかった食事が、ひとりだとスムーズに食べられたのでした。

「わー! 出して! 出して!」

 下膳の台車を待っているときでした。廊下をこっそりとのぞくと、本棚を整理することに執着していた女の子――橋本さんが泣いていました。橋本さんは両腕を看護師さんにつかまれ、保護室に行きました。

 わたしは、彼女を見ていたら嫌な気持ちになってしまいました。正直に言うと、彼女が嫌いです。どうしても。優しくしたくない、守りたくない、彼女がいちばん苦しめばいいと思ったし、しいたげられればいいと思いました。彼女もわたしとおなじ、愛されてないからここに来たと前向きに信じたくなりました。わたしは彼女のなかに祖母や父のすがたを見てしまいました。胸に穴が開いて風がヒュー……と音を鳴らして通りぬけていく心地がしました。わたしは慌てて胸を押さえました。

 わたしは母にわたしだけ見てほしかったのです。そして安全に狂って、社会から追放されないくらいの声でわたしの名前を叫び続けてほしかったのです。けれどそんなことあの人は絶対にしないとわたしは信じていました。

 やるせなさに、橋本さんのように叫んでやりたい気分でした。わたしはマスクをしたまま口を開いてみました。息だけが音なくぬけていきます。

 わたしの願っていることは叶わないことがわかりました。家を燃やして母と心中することも、じぶんだけが死ぬことも、学校に行かないで雛壇のなかに居続けることも、ぜんぶぜんぶ叶わない、子どもの度が過ぎるわがままでしかないのだと、誰というわけではないけれど、誰かから教えられている気がしました。

 わたしはナースコールを押しました。

「すみません。薬を持ってきてもらえませんか?」


 ピンポンパンポーン

「みなさん、一週間続いた隔離生活はこの時間をもって終了となります。ご協力ありがとうございました」

 アナウンスがありました。わたしたち患者はそれを聞くやいなや、廊下に飛び出して解放感の喜びにひたりました。それには看護師さんも目尻のしわを深くしてくれました。

「さっそくお風呂行こうよ」

 柏木さんは言いました。わたしたちはうなずきあい、準備をしました。わたしはうんとうなずいたものの、まだよく知らない人と湯船につかる不安がありました。その不安をくずしたのは廊下で会った松川さんでした。

「なに? 風呂ならわたしも行くよ」

 わたしたちは脱衣所でゆったり服をぬぎ、いざ入浴だと浴場のとびらを開けると、早くも橋本さんが湯船につかっていました。わたしたちもさっとからだを洗ったあと、湯船に入りました。

「はーっ、生き返る」

「結局、シャワーすら浴びれない日もあったもんね」

 松川さんと柏木さんの声が浴場に響きました。柏木さんの言う通り、時間の都合で七日間のうち三日しかシャワーを浴びれませんでした。

 最初に存在した不安はどこへやら、わたしの気持ちはコリがほぐされるように穏やかになっていました。去年行った修学旅行を思い出します。

「これなに?」

 柏木さんが言いました。垢というには茶色いものが湯にういています。

「それはね、たぶん、保護室の人のせいかも。おしりから出ちゃう人もいるから」

 橋本さんはちいさな声で教えてくれました。わたしたちは急いで湯舟から上がり、もう一度からだを洗ったあと浴場をあとにしました。

「ね、見て、見て」

 松川さんがジェスチャーをしました。髪を素早く洗う。隔離生活で得たわたしたちのモノマネです。そのあと、バスタオルで素早くからだをふくモノマネを実演してくれたのでわたしたちは大笑いしました。橋本さんもにやっと笑みをうかべていました。病室にもどったあとは、鍵付きの貴重品入れからおこずかいカードを出して、みんなで自販機のまえに集まりました。それぞれジュースを買い、食堂の椅子を陣どって座りました。集団に混ざって笑っているわたしを見て通りかかった医師が言いました。

「雪子さんはそんなふうに笑うんだね」



 医師は、わたしの母が面会に来たこと、作業療法に参加することを言ってから医局にもどって行きました。

わたしたちは食堂で解散したあと、おこづかいカードをしまいに病室へもどりました。貴重品入れに鍵をかけます。カードを失くしてしまうとチャージしたお金は弁償してもらえませんし、考えたくありませんが盗難に遭う可能性もあったからです。これは柏木さんに教えてもらったのですが、さし入れのお菓子をナースステーションの前に置いてふと目をはなしたすきに無くなっていたというのです。松川さんは、ここ、治安悪いからね、海外みたいに気をつけなくちゃと言っていました。橋本さんは、食堂で男の人にからだを触られそうになっているところを松川さんに撃退してもらったとのことでした。

母はわたしになにかさし入れをしてくれるのだろうかと期待しました。入院してからすぐに隔離生活がはじまったことで、わたしは売店に行くことができず、お菓子が手元にありませんでした。病院食は味が薄く、甘いものやからいものが食べたくて仕方ありませんでした。

その他には、久しぶりに会う母にどんな顔で会えばよいのかわからずに足がそわそわとおちつきがなくなり、なぜなら、わたしは母を殺すことを想像していた子どもなのです。そして心中したいという願望はまだ頭のなかに残っています。わたしは鍵をにぎりしめて、病室で立ったまま大きくかぶりをふりました。ここに来て学んだことは、時間は有限であるということです。どんなに気持ちがおちこんでいようとも食事と入浴と就寝時間はやってきて、生きる欲が無くとも朝日は勝手にのぼってきました。人生はそういうもののようでした。

わたしは貴重品入れのとびらが閉まっているか確認したあと面会室にむかいました。


 コロナウイルスの感染対策のためガラス越しの面会になりました。母はなにもかわっていませんでした。くせ毛の髪の毛も、服も、からだのラインも。

 母はテーブルに数種類のお菓子をならべました。

「どれでも好きなの持ってって」

 母はもので愛情をしめす人でした。それは今日もおなじでした。わたしはお菓子を持ってきてくれたことは嬉しかったけれど、すこしだけ胸が苦しく、虚しくなりました。そのとき思い出したのは食堂でみんなとジュースを飲んだことです。

「あのね、あのね、さっきジュースを飲んだよ。おなじ病室の人と、違う病室の人と四人で。みんなで話をしたりしたよ。先生にも会ったよ」

「よかったね」

 母は笑ってくれました。

「わたしがいなくてどう?」

 思いきって聞いてみます。

「最初はひとりで寝るのになれなかったけど、もうなれたわ」

 母にちいさくても傷をつけられたことに安らぎを覚えました。それいじょうのものはありませんでした。そうなんだね、とわたしは言いました。

「コロナね、大変だったよ。お風呂も入れなかったし病室の外にも出られなくて。そもそもコロナのせいで院外外出もできないから嫌になるよ。ほんとうは外出届を出せば外に行って散歩したりできるんだって。もし外に出られるならママと散歩したかった。……ね、わたしって家にもどれるのかな」

 じぶんで言っていて自信がありません。

「さぁ……先生に聞いてみないと」

 母ははっきりしませんでした。

 母は、わたしに家に帰ってきてほしくないのかなと考えを巡らせました。父も祖母も、どうせわたしがいなくてもいつも通り仕事やデイサービスへ行き毎日を過ごしている姿がありありと頭にうかびました。わたしは、わたしの人生ってなんだろうとなにかにとらわれそうになり、考えるのをやめました。

「そろそろ病室もどるね」

「また来るからね。元気でね」

 看護師さんのカードキーで病棟のとびらを開けてもらい、母は外の世界に帰って行きました。

「相田さん、すこし話でもしようか。相田さんはあんまりしゃべってくれないから、わたしのほうからいこうと思って。さっきの面会室で話しましょう」

 わたしはさし入れのお菓子を持ったまま面会室にもどりました。さし入れの内容確認とボディーチェックを受け。面談がはじまりました。

「お母さん、お菓子持ってきてくれてよかったね。わたしにも娘がいるからお母さんの気持ち、わかるなぁ。すごく心配されてるよ」

「……そうかな」

 看護師さんの声がどこか遠くに聞こえました。

「相田さんはさ、まだ若いんだし、なにかやりたいこととかないの? 先生の話だと、家でひきこもっているそうじゃないの。いや、無理に学校に行きなさいと言ってるんじゃないんだよ。でも、ほら、なにかあるでしょう?」

 わたしは看護師さんの言っている意味はわかりましたが。なにも言うことができませんでした。

「今の生活のままでいいと思ってるの? ご家族に心配かけて」

 わたしは背中に違和感をかんじました。違和感はどんどんふくれあがって黒い影になりました。

 わたしは涙が出ました。心配っていったいなんなのだろう。確かにじぶんの子どもが精神科に入院するなんて一大事でしょう。けれどもわたしだって、もうなんのちからもわかない状態にあるわけです。わたしはずっと、あの家にうまれた責任をとってきました。古い慣習にあわせて受けとめて、無邪気に笑っている子どもを演じて、家のなかを正そうなんてせず受け流して生きてきました。家、責任、こんなものは舞台劇の道具にすぎず、真剣になったらわたしのほうが負けるとわかりきっていました。わたしと、わたし以外ののエネルギーをちょうどおなじ重さにして、引き分けにしているだけ、上がっても下がってもいけないのです。それがわたしのいた家なのです。そのなかで頼りになるのは母だけでした。だからわたしは母と心中したかったのです。黒い影がささやいてきました――雪子はさ、お母さんが死んだら、雪子も死ぬんだもんね。

 わたしは泣きながらうなずきました。

 そのあとはナースステーションで薬をもらって飲みました。涙は止まりません。わたしは病室にもどると、松川さんに見つかりました。

「どうしたの。そんなに泣いて」

 そのときの松川さんは病室でクッキーを食べていてマスクをしていませんでした。素顔は、わたしを心配している表情でした。

 わたしは、看護師さんに若いんだからやりたいことがあるにちがいないと言われたこと、しかし、わたしにはやりたいことがなにもなくてその苦しみで涙が出たことを話しました。松川さんは顔をしかめました。

「やりたいことがあったらこうなってないっつーの、ねぇ? わたしも相田さんも。病気になるとさ、なんにもできなくなるじゃん。ご飯も食べられないし、眠れないし、外に出られなくなるから友だちと会うことにストレスかんじて、もういっそ縁切っちゃうかって思ったり、わたしはそうだった。だから友だちゼロ人。訪問看護師くらいしか話し相手がいなくなった」

 松川さんはプラスチックのコップに入ったコーヒーをひとくち飲みました。

「看護師はさぁ、そういうことわかってるようでわかってないわけよ。相田さんがいくら若いつっても、何歳だって? 十五歳? じゃあ高校生か。でもやりたいことないのはしょうがないじゃない。まだ疲れてて、そもそも、だから入院してきたわけでしょ」

 松川さんは私の背中を撫でてくれました。テッシュも手のなかにくれました。

「思いうかばないならそれでいいの。まずはここで休んでればいいんだから。わたしもそうするって決めてここに来た。いっぱい寝て、食べて、作業療法のとき遊ぼうよ。この前、アイロンビーズをやったんだけど意外とハマるよ、アレ。今度いっしょにやろう。」

 わたしはテッシュで目元をふきました。

「うん、いっしょにやる」

「いろんな図案があるから楽しいよ。わたしなんて作りすぎてほら、いっぱい」

 松川さんのベッドサイドには今まで作ってきた作品が飾ってありました。

「キティちゃんが好きでさぁ」

「わたしはシナモロールが好き」

「かわいいよね」

「……松川さんのおかげて涙がとまったよ。ありがとう」

 わたしはさし入れのお菓子を抱く腕に力が入りました。

「いいの、いいの。同室のよしみだよ」

 わたしは松川さんがわたしのお母さんだったら、どんなふうに生活しているんだろうと空想しようとしました。うまくいきませんでした。私の母は、面会室で会った母しかいないのです。すこしだけさみしい気持ちになりましたが、それはまるで秋のやわらかな日差しの下で風に吹かれているような、目をつむっていたくなる心地でした。



 入院から二週間目、ようやく医師の診察を受けることができました。

「どう? みんなとうまくいってるようだけど」

「話をしたり食堂で遊んだりしてます」

「いいねぇ」

医師は今日も朗らかでした。その調子のまますごいことを言いました。

「作業療法は毎日出ようね」

「えっ、毎日は無理です」

わたしは拒否しました。ものを作ったりするのは好きですが、わたしにとって作業療法は誰かにやらされている感覚で、じぶんで選んだことではないのでした。

「雪子さんには作業療法に出てもらって、人と関わることがだいじなんだ。生活リズムをつけるためにもね」

耳の痛い話でした。

「もうすこし入院して様子をみよう」

 わたしは医師に会釈したあと病棟診察室から出ました。まだ入院していられることに安心しました。希望とか幸福とか、そういうもうがほしくて入院したわけではありませんでした。ただからだをつかまえていてほしいと強く願いました。つかまえてもらえなければ肉体と魂が分かれてどこかへ行ってしまう確信がありました。廊下の窓から見える雲のほうがよほどしっかりとした生き方をしていると思いました。わたしは死んでいないけれど、生きてもいない存在だからです。背中にいるわたしの影のほうが、わたしよりはっきりと息をいている実感もあります。今、わたしがこんなことになっているのはわたしの自業自得なのだから、助けてもらわなくてもいいという投げやりなことばが脳に染みついていました。わたしはきっと大人になれない、二十歳になんかなれないと疑うことができなくて、けれど、それのなにがいけないのだろうと怒り出したい気分でした。わたしのからだがどうなろうが、わたしの勝手だと大人にむかって叫び出したくなりました。

 精神科に通いはじめてから、医師の診察のあとはいつも心臓のあたりが痛くなり、言いたかったことや言いたくないことが頭のなかでじぶんの声になって聞こえるのでした。わたしは耐えられそうになかったので薬をもらいにナースステーションに行きました。

「相田です。薬をください」

「柏木です。薬をください」

 となりに柏木さんが来て言いました。焦っているようで、眉にはしわがよっていました。わたしたちはそれぞれ薬をもらって飲み、ナースステーションから談話室に移動してお話ししました。

「あたし、もうすぐ退院なんだけど、ちょっと……いやかなり不安で。子どもがふたりいるんだけど、児相ってわかるよね?」

 わたしはうなずきました。

「児童相談所に子ども預けてて、退院したら迎えに行って……でも家のことちゃんとできるかわからないし……彼氏ともうまくいってないし」

 柏木さんは涙を手でふきながらお話してくれました。かなしくてつらいのだろうなぁということはわかるのですが、わたしには子どもも彼氏もいないので。なにを言ってあげたらいいかわかりませんでした。そこへ通りかかったのが松川さんと橋本さんでした。

「柏木さんが悩んでるの」

 わたしはふたりに助けを求めました。

松川さんは事の仔細を聞いたあと「あんた、子どもいそうに見えないのにいたんだねぇ」と言いました。

「よく言われるよ」

「わたし、子どもいないし、まず結婚したこともないから、そのへん見当もつきませんわ」

 これは自己紹介というか、身の上話になる予感にわたしは身構えました。

「橋田です。わたしはグループホームを探すために入院してきた。十九歳。家にいるか迷うけどやっぱり嫌だからここにいる」

 次はわたしの番です。

「相田雪子です。十五歳です。学校に行けなくて、そしたら祖母にたたかれるようになって……そんなかんじです」

「あんたたちぼーっとしてるように見えて苦労してるねぇ」

「ここにいる人たちはみんなそうだよね。あたしも前のダンナにDV受けてたからわかるよ。今でも思い出すと発狂しそうになる」

 柏木さんは橋本さんにテッシュをもらい、鼻をかみました。

 松川さんが膝を手のひらで打ちました。

「じゃ、わたしが考えてあげる。退院したあとのあんたのこと。まずなにを食べたいか考えてみなよ。ほら、なに食べたい?」

「えー、マックポテトかな」柏木さんははにかんで言いました。

「フライドポテトなんて最近食べてないや」橋本さんは言いました。

 橋本さんはグループホームを探すために精神科病棟に長く入院しているので、しばらく外食をしていないそうです。

 わたしは三人の話を聞いていましたが、じぶんが食べたいものは特にうかびませんでした。半年間、雛壇にひきこもっていたせいか、外の生活に関心が持てなかったのでした。

「ソーシャルワーカーに相談すればいいけど、あの人たち来ないからね」橋本さんは言いました。

 確かにソーシャルワーカーは忙しいので予約がとれないと噂で聞いたことがあります。

「訪問看護は入ってる?」松川さんが言いました。

「入ってもらってます。週二回」

「ならだいじょうぶなんじゃない? わたしも訪問看護のお世話になって、なんとか生活してるもん」

「まぁ、これ以上はあたしが頑張るっきゃないよね」

 柏木さんはため息をつきました。そして「話聞いてくれてありがとう」と言いました。

「いいよ、いいよ」わたしたち三人は柏木さんの背中を撫でました。

「わたしはね、退院したらB型作業所に通うんだ」橋田さんは言いました。

「レジンとか作って販売するんだって」

「ふーん。レジンってなに?」

「UV当てると固まるやつだよ。若者に人気」

「わたしだってまだ六十だから若いんだよ。なんかコロナのせいで老人扱いされたけど」

 わたしは作業所というところが気になったのでどういう場所か教えてもらいました。

「A型とB型があって、A型は雇用契約を結んでお金をもらう。B型は結ばない、から工賃っていうすくないお金をもらう。でも雇用契約を結ばないから好きな時に好きな時間だけ働くことができる。やることは作業療法に近いかな。手芸をやったり内職したり」

「教えてくれてありがとう」

「十八歳になったら通所できるから、そのとき支援者に相談してね」

「はい」

 わたしはこれからを想像しました。今、病棟で過ごしているわたしたちは、いつか近いうちに外に出て暮らすのです。わたしは雛壇のことを思います。もしわたしが退院できたら、雛壇はどうすればよいのだろう……どうすれば、というのは、つまり、そのままにするか片づけるか選択をしなければいけません。その前にわたしがいなくなったからもう雛壇は祖母によって片付けられているかもしれませんでしたが。

「わたし、ちょっとお母さんに電話してくる」

 わたしは病室に行って貴重品入れからおこずかいカードを出して、病棟の電話を使って家に電話しました。

「ママ、雛壇どうした?」

「どうしたって、そのままだけど」

 わたしは、まだわたしの居場所があることに嬉しさをかんじました。けれども外で暮らすためには雛壇を片づける選択をしなければいけないと、わかっています。

「ママ、雛壇、片づけていいから」

「あんなに嫌がってたのに」

「うん……」

「退院するの?」

「それはまだ。もうすこしいなさいって」

「そう……そのほうがいいかもね」

「どういうこと?」

「ばあちゃんに嫌なことされずにすむ」

「……ママは、止めてくれなかったね」

「しょうがないじゃない」

「しょうがなくないよ。わたしは……死ぬほどつらかったのに」

 わたしは鼻水をすすりました。

「ごめん……わかってる……ママわかってるから。雪ちゃん」

「……うん」

 わたしは返事をしましたが、反射的なものでした。母を許したわけではありません。

「帰ってきたら。おいしいもの作るからね。そうだ、お菓子。また面会のとき持っていくから」

 食べ物の話ばかりだなとすこしだけうんざりしました。

「わかったよ、わかった。お菓子はあんまりもらっても食べきれないからいらないよ」

「そんなこと言わないで。せっかく雪ちゃんのこと思って」

 電話を切りました。一方的だな、母もわたしも、なんだかじぶんのことばかり考えていると客観視できました。背中にはりついた黒い影も笑っています。

 夜でした。わたしは窓の外を見ようとしました。あいかわらずガラスにはわたしが映ります。ふと、背後から五本の指がのびてきて、ガラスに触れました。指は、ガラスの中のわたしを撫でます。まるでそれが本物のわたしであるかのように。わたしは催眠にかかりそうになりました。

「橋本さん?」

 なんとなくわかりました。

「わたしもたたかれてた。いっぱいたたかれたし、いっぱいいろんなこと言われていた」

 橋本さんは虚ろな表情で言いました。

「じゃ、おなじだったね。わたしたち」

 わたしはふりむいて、橋本さんに笑いかけました。しかし橋本さんは、じっとガラスを見ているだけでした。

「それでいい……それでいいよ」わたしは言いました。

 かなしさやさびしさはありましたが、わたしは橋本さんを認めてあげたくてそうつぶやいていました。

 わたしは改めて、窓を見ました。わたしのうしろには橋本さんが映っていて、まるで橋本さんをおぶっている気分になりました。

「わたし、家にいたいの。でもいたくないの。だから家なんて壊しちゃいたいの。だってわたしの家はわたしのからだなんだから」

 わたしの話を聞き終わると、橋田さんはまばたきをしてからこう言いました。

「わたしは、からだがあるから悩みを与えられてるだけだと思う。からだにふり回されてる。なにを食べてどこで寝ようかばかり考えさせられて……からだは器なんだよ……わたしたちは器で、器を入れておく棚をさがしてるんだ。お行儀よくしてるために」

「橋本さんは見つかった?」

「見つからなかった。どこに行っても。ね、そもそも器に足は生えてると思う?」

 わたしは答えられませんでした。ただ笑っていました。だって、橋本さんも笑っていたからです。


 二日後、柏木さんは退院していきました。わたしと松川さんは病棟の出入口まで行って彼女を見送りました。わたしもあのとびらから外へ出るのかしらとながめていました。



 看護師さんから、父母同席の診察があると聞かされたのは、入院から三週間目のことでした。わたしは父に会うのがおっくうでした。父は祖母の味方をしているからです。なにも言わないわたしを見かねたのか、看護師さんはこう言いました。

「この前は言いすぎちゃったね。ごめんね。あれから心配してたの」

 そしてこう続けました。

「同席って言っても、先生はお父さんに会いたいみたい。おうちにもどしてだいじょうぶかどうか確かめたいのよ」

「わたしは……父が苦手ですから、できれば同席したくないです」

「わかった。それならお父さんと先生のお話が終わった頃にさっと診察室に入って、出ましょう」

 わたしはそのことばを聞いても、胸のざわざわした焦りが消えなかったので、薬をもらいにナースステーションに行き、薬を飲みました。


 父の仕事が終わる頃に、父と母は病院の外来に来ました。わたしは看護師さんといっしょに病棟から出て、エレベーターに乗り一階で降りました。夜の外来は誰もいないので静かでした。病棟にずっといたせいで季節の感覚を忘れていましたが、もうすぐ冬がやってくることを予感しました。病院の玄関口はすぐそこにありましたから、外の風が教えてくれました。風のにおいをかぐのは久しぶりだと思いつつわたしたちは診察室の前まで歩いていき、ノックをして入室しました。診察室では、父だけがしゃべっていました。

「雪子は、今は学校を休んでいますけど、いい子なんですよ。頭が良くてかわいくて自慢の娘なんです。精神科に入院したときはほんとうに心配しました。もうそろそろ退院ですよね、先生?」

 わたしは父のことばを聞いていたらめまいがして、父の姿を視界に入れないよう医師の顔を見ていました。

「そうですね。退院して自宅療養にしましょう」

 わたしはあっさりと退院の許可がおりたことに喜べばいいのかわかりませんでしたが、病棟にもどるために立ちあがり、看護師さんと診察室を出て、エレベーターに乗りました。

「夕食の時間だから、もどったら食べようね」

 病棟にもどると、看護師さんの言った通り配膳車が来ていて、みんな食事ののったトレーを取っているところでした。わたしも列に並びました。どの席に座ろうかと空いている場所をさがしていると、松川さんが手を挙げてくれました。

「ありがとう」

「親との面談どうだった?」

「勝手なこと言っててあきれた」

「ははっ、そういうもんだよ、親ってのは」

 わたしは食べる気がしませんでした。

「退院が決まると不安になるんだね。柏木さんの気持ちがよくわかった。親や祖母とやっていけるのかわからない」

「親と話さなくてもいいじゃない。いっしょにご飯食べなくてもいいじゃない。やりすごせば」

「それでいいの?」

「めずらしいことじゃないでしょ。わたしだってあんたくらいの頃は、父親なんて大っ嫌いだった。今でもそうだけどね」

 松川さんは器用に食べながらしゃべっていました。

「そうなんだ」

「そう。おばあさんの件については、母親に頼めばいいよ。姑なんて面倒見たくないだろうから、そのうち施設に入れるなりするって。だからそれまでのしんぼう」

「お母さん、やってくれるかな」

「やってもらわなきゃ困るね。さ、食べなよ。食べないと、いざというとき動けないよ」

 わたしはご飯を食べて歯を磨いたあと、松川さんと橋本さんとテレビを見ました。ニュース番組では、明日から気温がぐっと下がるというお知らせをしています。わたしはテレビなんて久しぶりに見たと気づきました。雛壇生活中はテレビも新聞も見ない生活をしていたので世間についてうとくなっていました。けれどバラエティー番組の芸能人は知っている人ばかりで、意外と世の中のスピードはゆるやかなのだと思いました。

 テレビを見終わったあとはナースステーションで睡眠薬をもらって飲み、病室にもどってベッドに入りました。エアコンはついていますが、室温は寒くかんじて、ベッドのシーツが冷たく、わたしは足をもじもじさせあたためようとしました。柏木さんが退院してから大部屋にはわたしひとりで、わたしだけの息や心臓の音が聞こえました。

 わたしは考えていました。退院するにしても、魂をちゃんと入れ物――からだに詰めこむ方法がわかりませんでした。わたしの魂はずっと宙にある気がしたのです。

 ちがう入れ物を用意できたらいいのにと思い、同時に不可能なことだと思いました。魂は入れたり出したりできるくせに、入れ物はひとつしか与えられていないのが不便でした。退院したら、今ここにいるわたしはどうなるのか……どこに行くのか……せーのっていっしょに行けるのか……また会えるのか……どこに行くのか……涙が出ました。かなしいというより怒り出したい気分でした。遠くで夜の怪獣がうなっています。遠くで、近くで。けれどこれは今はじまったことじゃありませんでした。

 わたしは退院までの一週間を松川さんや橋本さんと過ごし、夜は考え事をしているうちに寝る生活をしました。そしてついに、明日の朝十時に退院することになりました。わたしは、廊下の窓から外の景色をながめましたが、ガラスは鏡のようにわたしの姿を映し出すだけでした。

「ここで髪の毛を梳けるね」

 松川さんが言いました。松川さんは近くにあったベンチに座ると、わたしを手招きしました。わたしは松川さんのとなりに座りました。

「あんたはよく泣くね。入院したときから」

「知ってたの?」

「同じ部屋だったときにね」

 松川さんは目をにやりとさせ笑みをつくりました。

「でも、よく笑うようになった。だからだいじょうぶ、明日はちゃんとわたしも見送るから、元気だしなよ」

「ありがとう」

「こちらこそ、こんな年上と仲良くしてくれてありがとね」

 わたしたちは笑いあいました。わたしの胸はざわざわとした痛みがしていましたが、このざわざわをいつまでも味わっていたい気分でした。だから薬を飲みまでんでした。薬を飲んだら、松川さんが消えてしまうからです。


 退院の日は朝からよく晴れました。食堂から見る秋の空は青く澄んでいました。そして寒そうでした。わたしは朝食を食べるまえに家に電話をしました。コートを持ってきてほしいと母に言いました。

 朝食を食べ、ロッカーから荷物を出して荷造りをしてしまうと早く外へ出たくなりました。昨日まではあんなに不安だったのに、今は冬の風にあたりたくてしかたありませんでした

 わたしは時間になるとボストンバッグを持って食堂に行きました。十時になると看護師さんがカードキーで出入口を開けてくれるので、それまでの時間、松川さんとお話をしていました。わたしたちはお話をしているうちに、どちらからともなく抱きしめあいました。きっともう二度と会うことはないからです。わたしは松川さんの腕のなかでしばらくじっとしていました。

 そこへなんと橋本さんも来てくれました。わたしと橋本さんはいっしょに窓の外を見ました。わたしはなにか言ったほうがいいのかなとまごまごしていたとき、橋本さんが口を開きました。

「わたしも、疲れたからここに来た。今まで頑張ってきたけど、でも、休んでいいんだと思えた。また疲れたら入院するつもり」

「そうなんだ」

 わたしは橋本さんの気持ちが聞けて嬉しくなりました。太陽の光が、わたしたち三人を照らしていました。

 十時がきました。

「じゃあ、そろそろ行くね」

 離れるのはさびしいものでしたが、わたしは早く外に出たくて仕方ありませんでした。わたしはふたりに手をふって、看護師さんにカードキーで出入口を開けてもらい病棟のむこうに歩き出しました。とびらはゆっくりと、スムーズに閉まりました。戦友とはここでお別れになりました。

「雪ちゃん」

 面会室には母がいました。わたしと母は、看護師さんから服薬指導を受けました。朝はきちんと起きて、三食食べて、決まった時間に寝ることを指導されました。

「雪子がお世話になりました。ありがとうございました」

 母は何度も看護師さんに頭をさげました。つられてわたしも頭をさげながら、コートを着てエレベーターに乗り一階に下りました。



 入院費用を窓口で清算し、書類にサインしたあと、わたしたちはデイケアセンターの見学に行きました。退院後はデイケアのプログラムに参加して生活リズムをつけることになりました。デイケアの掲示板には午前と午後のプログラムが掲示されていました。今日の午前はヨガをしている

ようなので見学させてもらいます。

 ひとりずつ縦長のヨガマットのうえで座禅していました。ヨガの先生が音楽を再生し、ゆったりとしたリズムのなかヨガがはじまりました。

「なんだか習い事みたいね」

 母はちいさな声で言いました。デイケアの職員さんとお話をして、規則、注意事項に同意したあと、書類にサインして登録は完了しました。

 時刻は十二時になっていました。わたしたちは売店に行きました。わたしはおにぎりを買おうか迷いましたが、やっぱりサンドイッチを手にとり、じぶんの財布からお金を出して払いました。

「ママといっしょに払えばいいのに」

 母は小言を言いました。わたしは、じぶんで食べるものは自分で払いたい気持ちでした。

 外に出ましたが、ひとつき外に出なかったせいか、寒さに耐えられず病院のなかにもどりました。

「なかで食べよう」

 わたしたちは院内のベンチに座ってサンドイッチを食べながらお話をしました。

「ばあちゃんのことだけど」

 母は言いづらそうでした。

「保健所と病院に相談したわ、施設にあずけるようにすすめられた。ママもそうしたい。けどお父さんが嫌がってね。じぶんで介護しんくせに」

「お父さんはそういう人だもんね」

 わたしは、祖母のいない家を想像しました。家族三人とうさぎ一匹の生活は穏やかなものでした。たたかれもしないし、ご飯はみんなで食卓で食べられて、そして学校を復学して――それからどうしたいのかはわかりませんでした。

「そりゃ、施設にあずけたほうが楽でしょ」

 じぶんが入院していたのを棚にあげて、わたしは母に言いました。

「そうだよな。そうだよね」

 わたしはサンドイッチを食べ終えると、サンドイッチの袋をたたんで結び、ごみ箱に捨てました。そして思いついたわたしは、ふたたび売店に行きノートを買い、ボストンバッグにしまいました。

 外に出ると、太陽は真上にありました。わたしの背中にはりついた影を照らしていくような光でした。

 地下鉄までの道では、ハナミズキの葉は落ちて、すっかり枝だけになっていました。歩道には実はひとつも落ちていません。地下鉄の階段を下り、電車に乗りました。そこで気づきます。ふつうの人たちの髪はきれいに整えられていて、服もおろしたてのように輝いて見えることに。病棟ではみんな着心地のよい服で過ごしている人たちばかりでしたから、わたしはギャップをかんじました。みんな、あんなにおめかしして電車に乗る意味ってあるのかしらんといっそばかばかしくなりました。

 席がふたつ空いていました。わたしは座り、ボストンバッグを膝にのせました。母もとなりに座ってから、目を閉じていました。母はすこしだけ老けたように見えました。わたしは突然、母の腕のなかで眠りたい気持ちと、腕を引っぱって目を開けさせたい衝動に駆られました。この両極端なこころをおぶっていくのがわたしの人生なのかもしれないと悟りました。わたしはそっと、母の小指をにぎりました。

(ね、まま、ずっと雪といっしょにおってね。ずっといっしょにおってぇね)

 叶わない願いと理解しながらも、わたしは母に祈りました。


 地下鉄をおりて、地上に出ました。故郷のにおいがしました。わたしはついにボストンバッグが重くてしかたなくなりましたが、家までのしんぼうだと我慢しました。

 家に帰ったのは一時でした。わたしは床の間に行きました。雛壇はしまわれていました。こんなにこの部屋は広かったかしらと思いながら、わたしは畳に寝転びました。

「この子もさびしがってたよ」

 母はうさぎを抱いてきました。わたしのおなかの上にうさぎを乗せると、洗濯をとりこみに行ったようでした。わたしはうさぎが落ちないように手のひらでうさぎの背中を撫でました。

 それから、入院生活で出会った人たちのことを、洗濯物をたたんでいる母に聞かせました。しゃべりたいだけしゃべったあと、寝てしまいたくなりましたが、からだを起こしてうさぎをケージにつれていきました。

 わたしはボストンバッグからノートとペンをとり出すと二階の寝室に行き、段ボールの上でノートを開きました。なにを書くかはもちろん誰にもひみつです。

 そもそも書くという行為が恐ろしくありました。文字はインクのなかで眠っていたほうが安らかだと信じているからです。けれどもなにかを書かなければいけないと、わたしは思ってしまったのでした。



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